疑問に思っていたことがあります。
それは「魂」と「霊」の違いです。
アラン・カルデックの「霊の書」には、このようなやり取りがあります。
「魂とは何ですか?」
「肉体をまとった霊(Spirit)のことである」「魂と霊とは全く同じものですか?」
「そう、魂とは霊である。肉体をまとう以前、見えない世界に住む一個の知的存在であって、その浄化と啓発の目的のために、一時的に肉体に宿るのである」
つまり、地上に生まれると魂、死ぬと霊と呼び方が変わるだけで、本質は同じと言うことになります。
霊的なことは、言葉に捉われ過ぎない方が良いようです。
それでは、魂とは何でしょう?
シルバーバーチの霊訓にはこう書かれています。
誕生と同時に、魂と肉体との間に地上の自我が生まれます。
地上の自我は魂を表現するための媒体ですが、肉体と密接に関係しているため不完全です。
死ぬと霊界に行きます。
霊界では、地上の肉体に相当するのが霊体があります。
霊(魂)と霊体との間には、あらたな自我が介在して、自己表現を始めるようになります。
霊界には無限の界層があります。
無限の進化の過程にある自我が存在しています。
より進化した自我ほど、より精妙な霊体を纏い、より多くの神性を表現しています。
人は眠っている間に霊界に行っています。
そこでは、地上の自我とは異なる、霊的な自我により自己表現をしています。
つまり、地上を生きている人は、地上の自我と霊的な自我の2つの自我が存在していることになります。
シルバーバーチの霊訓に書いてある「パーソナリティ」は地上の自我であり、「インディビジュアリティ」は霊的な自我に当たると思います。
真の自分とは、もちろん霊的な自我です。
魂が目覚めるとは、危機的な状況に陥った時などに、地上の自我の奥に隠れていた霊的な自我が表に出て来ることを指すと考えられます。
シルバーバーチの霊訓にはこう書かれています。
「一方に完全なものがあり、他方に不完全なものがあります。しかし不完全なものも、その内部に完全性の種子を宿しています。」
完全な神が魂として不完全な体の中に宿り、自己表現を始めた自我が完全(神)に向かって進化するように定められていると考えています。
「霊的知識をたずさえているはずの人が悩み、そして心配しているのを見て、不可解でならないことがあります。」とシルバーバーチは言っています。
私も霊的知識があるのにもかかわらず、悩んだり、心配したりすることがあります。
自我が不完全な証拠です。
その後に、こう書かれています。
「あなたの内部には霊的兵器─非常事態や危機に際して活用できる霊的資質が宿されているのです。その潜在力を呼び起こし、待機している霊に訴えれば、解決できない問題は何一つありません。」
ここで言う霊的兵器とは、魂に宿る神性であり、霊力であると考えられます。
私たちには神性があり、そこから引き出される霊力と、背後にいる霊から届く霊力によって全ての問題は解決されると言うことです。
「乗り越えられない困難や障害は起きない」のです。
どうすれば力を引き出すことができるのでしょうか?
まず、自分の中に神がいると信じなければいけません。
信じることによって、神とのつながりが強くなり、魂から力が引き出されます。
力が引き出されることによって、地上的な自我から生じている不安や心配の念は鎮められ、外部に控えている霊とのつながりが強くなり、援助の力を受け取ることができます。
多くの人は、自分を信じて頑張ると良い結果が生まれることを経験的に知っています。
神を信じていない人でも、自分を強く信じることによって、無意識のうちに(自分の中にいる)神とのつながりが強くなり、想像以上の力が出ることがあります。
それでも、自分の中に神がいると信じるのに、越したことはありません。
自分の中に神がいるなど、どうしても信じられない人もいるでしょう。
道端で倒れている人いたら助けようとするのも、落ち込んでいる人がいたら励まそうとするのも、自分の中に神がいるからです。
嘘を付いてはいけないと思うのも、人を傷つけてはいけないと思うのも、自分の中に神がいるからです。
神が良心と言う形で顕現しています。
人から教えてもらったものではなく、生まれながらにして備わっているものです。
他者のために何かをして喜んでもらうとうれしくなるのも、人から何かをしてもらうとうれしくなるのも、自分の中にいる神がいるからです。
神とは、宇宙全体とそれを統括する法則の総称と考えられます。
無限の存在ですが、私たちはその一部であることは確かです。
霊的につながっているのです。
自分の神性に意識を向けることによって、全体(神)から成長するための力を受け取ることができるはずです。
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