2023年9月24日日曜日

地上という修行の場を生きる同志


今から5年前、旅先で黄色の車に乗ったある青年と知り合いました。

同じ宿の、同じテーブルで食事をしたのがきっかけでした。

屈託のない明るい若者でしたが、話し込んで行くと、10代の後半から人が驚くような苦労をしていました。

聞いてみないと分からないものだと、つくづく思いました。

若くして苦難と遭遇し、無事に乗り越えて来た青年からは、強さが滲み出ていました。



私たちは今、地上を生きています。

生まれる前に、魂を成長させるための計画が立てられ、それを承知して生まれて来ています。

苦難を乗り越えること、人や動物や社会に奉仕することで、人は成長して行きます。



生きていると、さまざまな出来事が起きます。

原因がどこにも見当たらなければ、それは予め計画されていたことなのかもしれません。



ある人が遺伝的な障害を持って生まれたとします。

遺伝的なものであれば、受精前、すなわち生まれる前に原因があったことになります。

障がいが重く、自由が完全に奪われ、人の助けなしには数日も生きられないとします。

その姿を見て、過去生での過ちが原因と言う人がいるかもしれません。

そうではなく、向上した魂がさらなる向上を目指して、過酷な人生に挑戦しているのかもしれません。

よほど向上した魂でなければ、生まれる前にそのような人生を提示されたのなら、きっと尻込みをしてしまうでしょう。



障がいは、逃れられない苦難です。

それだけに、確実な成長が約束されます。

人に世話をしてもらわなければ生きて行けないのであれば、人によって生かされていることを、身を持って感じ続けることになります。

生涯に渡り施しを受けることで、愛の意味を深く学んでいるのかもしれません。

学んだことは、次の世界で活かされます。

次の世界において、より次元の高い愛を他者に表現するために、この経験がどうしても必要だったのかもしれません。



もし、何も学ぶことができなければ、肉体の不自由さは単に苦しいだけです。

怒りや妬みや恨みなどの感情に苛まれて、精神的にも苦しむことになります。

学べないことにより味わう、肉体的、精神的な苦しみが、過去の過ちの償いとなっている人もいるでしょう。



周りにいる人は、障がいがある人を助けることで、自分を役に立てることができます。

人の役に立つことで、魂は成長します。

不幸や凶事に思えることが、その人だけでなく、周りの人を含めて、学びや成長につながっていることがあります。



自分に起きたことの原因が分からなければ、さまざまな感情が生じてしまうかもしれません。

けれども、怒ったり、恨んだり、嘆くことを続けてはいけません。

その出来事から学ぶことができなくなるからです。

成長する力が奪われてしまうからです。



シルバーバーチの霊訓には、こう書かれています。

地上には自分を変えようとせずに世の中を変えようとする人が多すぎます。他人を変えようと欲するのですが、全ての発展、全ての改革は先ず自分から始めなくてはなりません。」

今の自分は、過去から現在まで、自分が行って来たことの結果です。

他者のせいにした瞬間、変わろうとする力が奪われます。

苦しみが変わるためにあるとすれば、変わることで苦しみから解放されるはずです。

変わることこそ成長です。



偶然ではありません。

因果律の働きで起きています。

必ず原因(目的)が存在します。

今は分からなかったとしても、いづれ分かる時が来て、いたく納得するでしょう。



死んだら終わりではありません。

私たちは、学ぶことがある限り、何度でも地上に生まれて来ます。

苦難を経験している人を哀れに思う人がいますが、その苦難をどこかの地上の人生で、今度は自分が経験することになるのかもしれないのです。



地上に生まれた目的が人それぞれ違うので、人生もそれぞれ違います。

人と比べたりするのは無意味です。

自分の人生を歩み続けて、目的を全うするしかありません。



成長のために計画された苦難であれば、泣き言を言わずに乗り越えて行くしかありません。

その時に、目に見えない存在が、守り導いていることを忘れてはいけません。

1人ではありません。



苦難を代わってやることはできません、

けれども、励ましたり、慰めたりして、力になることはできます。

霊的真理が生きる支えとなる人も、きっとたくさんいるはずです。



私たちは、地上という修行の場を生きる同志です。

いがみ合ったり、競い合ったりするのではなく、助け合うことで、魂の成長と言う同じ目的に向って手を取り合っで進んで行くことができます。



2023年9月17日日曜日

自分の神性に意識を向ける


疑問に思っていたことがあります。

それは「魂」と「霊」の違いです。

アラン・カルデックの「霊の書」には、このようなやり取りがあります。

「魂とは何ですか?」

「肉体をまとった霊(Spirit)のことである」

「肉体と結びつく前の魂は何だったのですか?」

「霊であった」

「魂と霊とは全く同じものですか?」

「そう、魂とは霊である。肉体をまとう以前、見えない世界に住む一個の知的存在であって、その浄化と啓発の目的のために、一時的に肉体に宿るのである」

つまり、地上に生まれると魂、死ぬと霊と呼び方が変わるだけで、本質は同じと言うことになります。

霊的なことは、言葉に捉われ過ぎない方が良いようです。



それでは、魂とは何でしょう?

シルバーバーチの霊訓にはこう書かれています。

「魂とは神性の火花です。内部に宿る神の一部です。」

人間の本質が魂であるならば、人間は神の一部と言うことになります。

魂とは神的(生命)エネルギーの吹き出し口のようなものと私は考えています。




地上の誕生とは、が肉体に宿った瞬間を指します

誕生と同時に、魂と肉体との間に地上の自我が生まれます。

地上の自我は魂を表現するための媒体ですが、肉体と密接に関係しているため不完全です。



死ぬと霊界に行きます。

霊界では、地上の肉体に相当するのが霊体があります。

霊(魂)と霊体との間には、あらたな自我が介在して、自己表現を始めるようになります。



霊界には無限の界層があります。

無限の進化の過程にある自我が存在しています。

より進化した自我ほど、より精妙な霊体を纏い、より多くの神性を表現しています。



人は眠っている間に霊界に行っています。

そこでは、地上の自我とは異なる、霊的な自我により自己表現をしています。

つまり、地上を生きている人は、地上の自我と霊的な自我の2つの自我が存在していることになります。

シルバーバーチの霊訓に書いてある「パーソナリティ」は地上の自我であり、「インディビジュアリティ」は霊的な自我に当たると思います。

真の自分とは、もちろん霊的な自我です。

魂が目覚めるとは、危機的な状況に陥った時などに、地上の自我の奥に隠れていた霊的な自我が表に出て来ることを指すと考えられます。



シルバーバーチの霊訓にはこう書かれています。

「一方に完全なものがあり、他方に不完全なものがあります。しかし不完全なものも、その内部に完全性の種子を宿しています。」

完全な神が魂として不完全な体の中に宿り、自己表現を始めた自我が完全(神)に向かって進化するように定められていると考えています。



「霊的知識をたずさえているはずの人が悩み、そして心配しているのを見て、不可解でならないことがあります。」とシルバーバーチは言っています。

私も霊的知識があるのにもかかわらず、悩んだり、心配したりすることがあります。

自我が不完全な証拠です。



その後に、こう書かれています。

「あなたの内部には霊的兵器─非常事態や危機に際して活用できる霊的資質が宿されているのです。その潜在力を呼び起こし、待機している霊に訴えれば、解決できない問題は何一つありません。」

ここで言う霊的兵器とは、魂に宿る神性であり、霊力であると考えられます。

私たちには神性があり、そこから引き出される霊力と、背後にいる霊から届く霊力によって全ての問題は解決されると言うことです。

「乗り越えられない困難や障害は起きない」のです



どうすれば力を引き出すことができるのでしょうか?

まず、自分の中に神がいると信じなければいけません。

信じることによって、神とのつながりが強くなり、魂から力が引き出されます。

力が引き出されることによって、地上的な自我から生じている不安や心配の念は鎮められ、外部に控えている霊とのつながりが強くなり、援助の力を受け取ることができます。



多くの人は、自分を信じて頑張ると良い結果が生まれることを経験的に知っています。

神を信じていない人でも、自分を強く信じることによって、無意識のうちに(自分の中にいる)神とのつながりが強くなり、想像以上の力が出ることがあります。

それでも、自分の中に神がいると信じるのに、越したことはありません。



自分の中に神がいるなど、どうしても信じられない人もいるでしょう。

道端で倒れている人いたら助けようとするのも、落ち込んでいる人がいたら励まそうとするのも、自分の中に神がいるからです。

嘘を付いてはいけないと思うのも、人を傷つけてはいけないと思うのも、自分の中に神がいるからです。

神が良心と言う形で顕現しています。

人から教えてもらったものではなく、生まれながらにして備わっているものです。

他者のために何かをして喜んでもらうとうれしくなるのも、人から何かをしてもらうとうれしくなるのも、自分の中にいる神がいるからです。



神とは、宇宙全体とそれを統括する法則の総称と考えられます。

無限の存在ですが、私たちはその一部であることは確かです。

霊的につながっているのです。

自分の神性に意識を向けることによって、全体(神)から成長するための力を受け取ることができるはずです。


NASAの公開画像より



前の投稿「苦しみがあるところに学びがある」にいただいた加藤明様のコメントのアップが、こちらの不手際で大変遅れてしまったことをお詫び申し上げます。




2023年9月10日日曜日

苦しみがあるところに学びがある



生まれる前にも生があり、死んだ後も生は続いている。

少なくても私の中では、これは動かしがたい事実となっています。

けれども、生まれる前のことを、思い出すことはできません。



自我が未発達な幼少期には、魂の記憶を思い出せる可能性があります。

生まれる前のことをスラスラと話して、お母さんをびっくりさせるお子さんもいます。

親を選んで生まれて来たと話すお子さんも、少なくありません。




私が親を選んだ理由は何だろうと、ふと考える時があります。

両親2人とも宗教に関心がなかったのも、1つの理由かもしれません。

白紙の状態だったので、抵抗なく霊的真理を受け入れることができたと思います。




生まれる前にいた世界は、極めて快適です。

肉体から生じる、苦しみや痛みがありません。

食べて行くために、働く必要もありません。

周囲にいるのは自分と似通った人たちばかりなので、人間関係で悩むこともありません。




そんな快適な世界を離れ、生まれて来たのは、自分を成長させるためです。

地上でしか経験できないことを通して、足りない資質や知識(叡智)を身に付けるためです。




地上でしか経験できないものに病気があります。

病気になって、生き方が変わる人がいます。

仕事人間だった人が、家族を大切にするようになったり、自分にしか関心がなかった人が、周囲のために何かを始める人もいます。

そんな人たちは、苦痛を味わうことで魂が目覚め、言葉にならない大切なことを学び始めたと考えられます。




私事ですが、17年前に突然ヒーリングの力が出現しました。

望んでいたわけでもなく、そんな力が存在することすら知りませんでした。

力の正体を知りたくて探していたところ、シルバーバーチの霊訓(霊的真理)と出会いました。

出会った直後に、それまで経験したことのない出来事が起きました。

事態が悪化して行く中で、因果律の働きを学んで、原因の全てが自分にあったことに気付きました。

それにより、運命を呪ったり、何で自分だけがと憤りを覚ることはありませんでした。

明日が見えない日々の中で、「乗り越えられない困難や障害は自分に起きない」という真理にすがりつきました。

それにより、もうだめだと投げ出さずに済みました。

学んだことで、無用な苦しみから免れていたのです。




人生を変える3つの出来事が、わずか1ヶ月の間に立て続けに起きたので、これは偶然などではなく、目的があって計画的に起きていると思いました。

頭でいくら考えても解決する手段が見つからない最悪の出来事は、魂を目覚めさせ、大切なことを学ぶための触媒となっていました。

学びに必要な出来事が、最適のタイミングで起きていたのです。





小学生をいきなり大学に入れたらどうでしょう?

あるいは、大学生を小学校に入れたらどうでしょう?

混乱を招くのは、目に見えています。

両者とも学ぶべきことを学べずに、無駄な時間を過ごすことになります。

適切に学ぶためには、計画が必要なことは言うまでもありません。




人生の学びも同じです。

自分に足りないものを手に入れるために必要な出来事が、最適のタイミングで起きるように計画されています。

もし、計画などなく、偶然に支配されていたら、どうなるでしょう?

個々の成長に必要のない出来事ばかりが起きたり、必要な出来事が起きない不合理な人生となってしまいます。




学校での学びは画一的です。

そのために、与えられた課題を簡単に解ける人もいれば、難しくて解けない人もいます。

人生での学びは、完全な叡智(神)によって計画されています。

どんなに難しく思えても、どうにか乗り越えれる試練しか与えられません。

学び成長することを望んでいる神が、サイコロを振るようなことは絶対にしません。




「何のために勉強するの?」

子供にこう聞かれたら、「自分の将来のため」と答える人もいるでしょう。

人生の学びも同じです。

地上で手に入れたものは、次の世界で活かされます。

自分を活かせるようになりたいという願望があり、そのために必要な資質を手に入れようとする意志があったからこそ、地上に生まれて来たのです。




シルバーバーチの霊訓に、こんな1節があります。

ある段階以上に進化すると、憎しみを抱かなくなります。愛だけを抱くようになります。苦しみを感じず、幸せばかり感じるようになります。難しいことですが真実です

苦しみを感じない人であれば、地上に生まれる必要はないと考えられます。

もし、苦しみを感じるのであれば、どこかに不完全(未熟)な部分があるはずです。

不完全(未熟)な部分が地上で表現されると、因果律の働きによって、苦しみや痛みを伴う事象が起きると考えられます。

それにより、自分の不完全(未熟)な部分に気付くことになります。




私たちは、完全に向けて変わり続けて行く存在です。

苦しみを感じるのであれば、変らなければいけない不完全(未熟)な部分があると考えられます。

学び変わることにより、苦しみから解放されるはずです。




2023年9月3日日曜日

真の幸せは他者の悦びの中にある


世界は2極化が進んでいるようです。

経済的に豊かな国と人はさらに豊かになり、貧しい国と人はさらに貧しくなっているように感じています。



そして、世界は急速にデジタル化しています。

スマホやパソコンなしの生活は考えられません。

この2極化とデジタル化は、関係しているのではないかと思っています。



デジタルの世界は、0か1のどちらかです。

中間が存在しません。

デジタル化が進むことで、曖昧さの許されない、白黒のはっきりとした社会になって来ているように感じています。



チャットGPTというAIが登場しました。

人間に変わってAIが作業をすることで効率化が計られ、生産性が向上します。

けれども、AIが社会を動かして行く存在になることに、大きな懸念を抱いています。



「経済的に豊かになるためにはどうすれば良いのか?」

こんな質問をAIにすると、即座に答えが返ってきます。

その答えは妥当なものであり、そのままに実行したのならば、実現して行く可能性があると思います。



この世界は競争原理が働いています。

勝者がいれば、敗者がいることになります。

それが進んで行くと、限られた勝者と、多数の敗者が生まれることになります。

それまでの敗者の取り分は勝者のものとなります。



人間の頭脳がAIに勝てなくなる様子を、プロ棋士との対局で見せつけられました。

AIは、膨大なデータを元に瞬時に状況を分析して、戦略を提示するようになるでしょう。

最先端のデジタル技術を駆使して、豊富な資金により盤石なシステムを構築した者が勝ち残って行くと予想しています。

それに伴い、また多くの敗者が生まれることになります。

AIの出現と競争原理によって、2極化はますます進んで行くと思われます。



AIになくて人間にあるもの、それは生命です。

生命とは魂です。

魂に神性が宿っています。

神性のないAI(デジタル)に頼り過ぎてしまうと、愛の欠如した殺伐とした世の中になってしまう可能性があります。



「物的な面で、全ての人に行き渡るだけのものが、地上にある」と、シルバーバーチの霊訓には書かれています。

それが2極化することで、偏在しています。

経済的な勝者になろうとする欲望と、自分さえ良ければという利己的な考えにより、富める人がより富んだ分、物的な貧しさに苦しむ人たちが生まれています。

「自由競争の世界だから仕方がない」と言う人もいるでしょう。

埋めようのない差がついてしまった今、それは虚しい言い訳に過ぎません。



「金持ちが神の国に行くのは、ラクダが針の穴を通るより難しい」

このイエス・キリストの言葉の意味を、富める人たちが理解するのは難しいでしょう。

分け与えることなしに、富める人に幸せな未来は待っていないと思います。



成長するために、人はこの世に生まれて来ています。

降りかかる困難や障害を乗り越えようとすること、そして他者に愛を表現することで、人は成長して行きます。

少しでも豊かになって欲しいと分け与えるのは、愛を表現していることになります。

富める人たちは、成長する機会を与えられているのですが、そんなことを知る由もなく、容赦なく2極化は進んでいます。



地位や富を得た人たちは、この世では幸せそうに見えます。

私たちは死んで霊界に行きます。

地位はなくなり、蓄えていたお金は失われます。

生きて行くお金さえあれば、それ以上必要なかったことに気付いて、自分が持っていたものを活かせなかったことを後悔します。



優しさや思いやりを忘れないで生きて来た人は、幸せになれます。

地上で、どんな気持ちで、どんなことをして来たのかが、魂に刻み込まれています。

誰かのために何かをしたことは、次の世界に持って行ける霊的な財産となります。



この真実を知っている人が増えれば、2極化は解消されて行くはずです。

知っている人が、まだ知らない人に真実を分け与えることによって、物的に不均一な世界はなくなって行くはずです。

お金だけではなく、持っている知識を活かせないと後悔することになると考えられます。






無限に広がる宇宙の中で、地球は1つの生命体です。

宇宙空間から地球を眺めると、そのことを実感するようです。

地上にいると全体が視えなくなってしまうために、自分さえ快適に暮らせれば良いと考え、物的なものを追い求めてしまいます。

その考えは自然法則の働きに反しているので、因果律の働きによって、苦しみや痛みを伴う事象が起こります。

昨今の異常気象や自然災害は、人間が過った生き方をして来たことに対する結果です。




地球全体で考えない限り、状況は悪化して行きます。

1人ひとりが、全体の一部です。

全体のために何ができるのかを、1人ひとりが考えなければいけません。




自分だけ幸せになろうと思っても限界があります。

私たちは霊的につながっているからです。

他者の悦びの中に、真の幸せを感じるようになっているからです。