2023年3月26日日曜日

自分に必要なことが起きている


私の医院で3年目を迎えるスタッフがいましたが、今月いっぱいで退職したいと申し出て来ました。

これから職場を引っ張って行ってくれると、秘かに期待していた人でした。

どうしてもやりたいことがあるそうです。

その夢を叶えて欲しいと思う反面、残念でたまりません。



生まれる前に決めていたことに出会ったのなら、抗うのは困難です。

スポーツ選手のインタビューなどで「苦しいことはあったが、辞めようと思ったことは1度もない」と言っているのを聞きますが、この人は決めていたのだろうと思います。

私がこのブログを10年以上も書き続けていられるのもそうです。

何かに突き動かされるように行動しているのは、魂が予め決めていたことだからと思います。



何故、生まれる前に決めていたのでしょうか?

それは自分(魂)を成長させるためです。

自分に足りないものを手に入れるためです。

向こうの世界で、自分に足りないものを自覚すると、それを手に入れるために、地上に生まれることを志願します。



人生には、およその計画があります。

決めていた出来事が、因果律の働きによって正確に起こります。



もし、計画がなかったらどうでしょう?

偶然に支配され、その人の成長にとって不必要なことばかりが起きてしまうでしょう。

足りないものを手に入れるのは運まかせになり、極めて困難です。



無限の叡智が働いています。

足りないものを手に入れるために必要な経験をする人生が計画されます。



例えば、強さが足りない人がいたとします。

そんな人は、自分の力で何とかしなければいけない状況に追い込まれる人生が計画されるかもしれません。

力を振り絞り、逆境を乗り越えようとすることで、強さが増して行きます。



逆に、優しさが足りない人がいたとします。

そんな人は、自分の力ではどうすることもできない状況に追い込まれる人生が計画されるかもしれません。

追い詰められて、万事休すと思われた時に、誰かに助けられたとしたらどうでしょう?

この世界で1番大切なものが分かるはずです。



病気もそうです。

病気は自分自身に突き付けられた問題です。

自分の体なので、自分で何とかしなければいけません。

肉体的な苦痛を味わい、精神的な負担を強いられながら、克服しようとすることで、強くなって行くと思われます。



病気になり、不安や恐怖に押しつぶされそうな時、周りが支えてくれたり、励ましてくれたり、優しくされるのは何よりもうれしいです。

命に関わるような深刻な病気になれば、それまで追い求めていたものに価値を見い出せなくなるかもしれません。

病気になって、生き方や考え方が変わったと言う人は少なくありません。

そんな人は、目に視えない大切なものに気付いたと思います。

災禍と言われる病気ですが、強さと優しさを同時に手に入れることができたのなら、霊的には恩恵と言えるのではないでしょうか。


ぎりぎりまで追い詰められる出来事が、学び成長するために必要なのかもしれません。

そんな出来事が、魂を目覚めさせるからです。

目覚めた魂が、足りなかったものを見つけて、自分のものにすることができるからです。



足りないものは、人によって違います。

足りないものを、自分のものにするために必要な経験も違って来ます。

従って、人生がそれぞれ違って来て当然です。

比べても全く意味がありません。



人それぞれに生きる目的があります。

その目的を成就するための計画が存在することを知っていれば、不公平さを恨んだりすることはないでしょう。

自分の成長のために、この人生の計画を承知して、私たちは生まれて来ています。



もし計画が存在するのなら、教えて欲しいと思う人もいるでしょう。

知ったとしたら、その先で起きることが気になり、まともな精神状態でいられなくなるかもしれません。

回避しようと躍起になる人もいるでしょう。

絶望して(この世の)人生を自ら終わりにしてしまう人もいるかもしれません。

地上に生まれる人はそれほど強くないので、知ることはできないと考えられます。



自分に足りないものを身に付けるために必要な出来事を経験しています。

偶然として片付けてしまうのは、目的を知らないからです。

知らなくても、目的が果たせれば、それで良いのかもしれません。



いつの日か霊界に行きます。

そこで全てがはっきりします。

あの時に起きた出来事には、こんな目的があったと知ることになります。

それこそ、目から鱗が落ちます。

神を恨んでいた人は、無知だったことを恥じるでしょう。



2023年3月19日日曜日

愛とは?


「愛とは?」

「深い感情的なつながりや親密さ、そして他者への深い愛情や情熱を指します。愛は、人間の基本的な欲求であり、他者を支えること支援することを促進する力があります。愛は、家族、友人、パートナー、地域社会、国家、そして世界に対する愛など、さまざまな形を取り得ます。また、愛は行動に現れることが多く、他者の幸福を願い、尊重し、支援することによって表現されます。愛は、人々を幸せにし、生命を豊かにする非常に重要な感情であるとされています。」

今話題のチャットGPTというAI(人工知能)に質問すると、このような回答が返ってきました。

AIは、愛を理解しているわけではありません。

人間が抱いている愛の概念を学習しているのに過ぎません。



愛を、言葉で正確に表現するのは、なぜ難しいのでしょうか?

それは、物質的な次元のものではないからです。



不滅の魂(生命)から生まれている神的なエネルギー。

それが愛です。



なぜ生まれて来たのでしょう?

目に視えず、触れることもできない「愛」を、地上でのさまざまな経験を通して体感し、深く学び、表現するようになるためと考えています。

その行程が、魂の成長へとつながっています。



地上に生まれてからしばらくの間、私たちは何もできません。

誰かに助けてもらわなければなりません。

物心が付く前にも、1人では生きられないことを、魂はしっかりと学んでいます。



少し成長すると、友達ができて一緒に遊んだりします。

学校に行くようになり、同じ年代のたくさんの人と交わるようになります。

そこで自分勝手なこと、我が儘なことをしていると、周りから反発を受けます。

時に、仲間外れにされたりします。

そんな心の痛みや孤独を味わう経験をしながら、自然に利己的な言動を慎むようになり、周りと「協調」するようになって行きます。




学校を卒業すると社会に出ます。

食べて行くために、人や社会や組織のために働いて、お金を稼がなければいけません。

結婚すると、自分以外の人のために何かをするようになります。

食事を作ったり、洗濯をしたり、家族が病気になったら寝る間を惜しんで看病しなければいけなくなるかもしれません。

私たちは、協調することを学びながら、他者に「奉仕」をする習慣を身に付けています。



死んで霊界に行くと、肉体はなくなり、生きるのが嘘のように楽になります。

何もしなくても生きて行けます。

かと言って、何もしなければ成長もしません。

自らが進んで周りに奉仕をすることで、成長することができます。

その予行練習を、地上で行っていると考えられます。


地上にいる私たちは、人間関係で苦労します。

自分と違う人たちと同じ平面で暮らしているので当然です。



違う人と交わると、反発し合うことがあります。

反発し合わないためには、互いを認めることが必要になります。



認めることができずに、争いになってしまうと、お互いを傷つけ合います。

傷つけられると、さらに怒りや憎しみが生じ、争いはエスカレートして行きます。

そうならないためには、どこかで許すことが必要になります。



けれども、認めなられない、許せない自分がいます。

それは、地上的な自我(エゴ)の働きによるものです。



一方、認めよう、許そうとする自分がいます。

それは、私たちに神性が内在しているからです。



内在する神性とエゴの間で、しばしばせめぎ合いが起こります。

そのどちらが克つかで行動が決まります。

エゴが克ち許せなければ、怒りや憎しみが生まれ、因果律の働きにより苦しみを感じます。



人は苦しみを感じたくありません。

苦しみを感じないようになるのには、自分が変わるしかありません。

苦しみの中でエゴの働きが次第に弱まり、それに代わり神性が顕現して、許せない自分が少しずつ変わって行きます。



全ての事象に自然法則が働いていて、完全な公正が保たれています。

起きている事象は、自分を成長させる方向に導いています。

そんな真理を受け入れることで、いきり立った心を鎮められるかもしれません。

認められないことが認められ、許せなかったことが許せるようになり、怒りや憎しみを手放すことができます。

「寛容」になることで、苦しみから解放されます。



「四海同胞、協調、奉仕、寛容───こうした精神こそ人生の基本であり、これを基礎としない限り真の平和はあり得ません。持てる者が持たざる者に分け与えることによって互いに奉仕しあい、睦みあい、援助しあうこと───この単純な真理は繰り返し繰り返し強調しなければなりません。」(シルバーバーチの霊訓より



生きながらにして、「協調」「奉仕」「寛容」の精神を身に付けています。

それらの資質は、大きな意味での愛です。



さまざまな地上での経験を通して、より大きな愛が表現できるようになって行きます。

自然法則の働き(神)によって、しっかりと私たちは導びかれているのです。



愛は魂を引き付け合うエネルギーです。

全体に調和が生まれ、バラバラに存在している個々が霊的に1つになって行きます。







2023年3月12日日曜日

霊的真理を伝える


ここ20年位で「スピリチュアル」という言葉を度々聞かれるようになりました。

一時の流行のように感じられるので、私はこの言葉はあまり好きではありません。

ただ、霊的なことに関心が高まって来ているのは確かなようです。



大きな書店に行くと、1つのコーナーが設けられ、たくさんの「スピリチュアル」関連の書籍が置かれていて、立ち寄る人も多くなって来ました。

書籍に関しては玉石混交です。

どれが正しいのか、間違っているのか、知識のない人にはさっぱり分からないのが実情です。



現在、最も良質な霊的真理が書かれているのが「シルバーバーチの霊訓」だと私は確信しています。

けれども、出版元が廃業してしまい、今は書店には置かれていません。

真理を学ぶのに最良の書籍が、直接、人の目に触れる機会がなくなってしまったのは残念です。(スピリチュアリズム普及会さんのご尽力で、インターネットで手に入れることができます)



私の周囲では、シルバーバーチの霊訓を知っている人は全くいませんでした。

霊的なことに興味を持っている人は多くいますが、本を読んでみようとまで思う人はなかなかいません。

無理に読んでもらっても、受け入れる時期が来ていなければ、ただの意味の分からない文章にしか思えません。


人生のどこかで、霊的に目覚める機会が1度は訪れると言われています。

それは目の前が真っ暗になるような経験や、崖っぷちに立たされる経験をしている時かもしれません。

そんな時に読むと、それまで意味の分からなかった文章が、俄然、心に響いて来るようになるので不思議です。



今は必要なくても、人生のどこかで役に立つ時が必ず来るはずです。

身近にいる人の門出の時に「つらくて仕方がなくなった時に読んでみて」とシルバーバーチの霊訓(第1巻)を手渡す時があります。

何だこの本はと思ったかもしれませんが、その先で打ちのめされそうな出来事が起きた時に思い出して、開いてもらえると信じています。




このブログを訪ねて来る人のほとんどは、既に「シルバーバーチの霊訓」に辿り着いています。

そこで、今年の2月から新しい取り組みを始めました。

全く知らない人に、直接、お会いして霊的真理を伝えようとするものです。



「霊的真理のお話とヒーリングの集い」という小さな会を開くことにしました。

場所は、私が時々利用させていただく、赤城山の麓にある静かなヴィーガンのカフェです。

店のオーナーは霊的なことに理解のある方で、趣旨をお話したところ賛同して下さいました。

通路にあるテーブル上に、案内のハガキを置かせてもらいました。


木曜日の午後3時から、最初の20分間で霊的真理の話をして、後の30分間で希望があればヒーリングを行う予定です。

案内を見てもらえるのか?来てもらえるのか? 全くの未知数でした。

何を話すのか、5枚ほどの原稿にまとめておき、予行練習を行いました。



当日(2月)になり、お店に行ったところお客さんはいなかったので、今回はいないのかと思いました。

しばらくすると、店のドアが開き1人の女性が入って来て「案内を見たものですが参加させて下さい」と言われました。

来てもらうことができたので、うれしかったと同時に、身が引き締まる思いがしました。



席に座ってもらい、挨拶を交わしました。

手短に自己紹介をして、さっそく霊的真理について話し始めました。

一口に霊的真理と言っても、内容は多岐にわたります。

まず、ヒーリングの力が出た時のいきさつやその目的、なぜ生まれて来たのか?どのようのに生きれば良いのか?死んだらどうなるのか?など話を進めて行きました。

真剣に話を聴いて下さいました。



一通り話が終わり、少し話をしました。

その方は、「いつも(目に視えない誰かに)守られている感じがする」と言いました。

「それはあなたに付いている守護(背後)霊ですよ」とお伝えしました。

存在をはっきりと意識してもらった方が働きかけやすくなるので、この場に導かれていたような気がしました。



平穏な日々を過ごされていて、早急に霊的真理を求めているようではありませんでした。

けれども、これから先の人生で魂が目覚めるような出来事に遭遇すると思われます。

その時のために、真理の在りかを知っておくのは極めて大切なことです。

シルバーバーチの霊訓は知らないようでしたのでお伝えしました。



3月2日に、2回目の会を開きました。

少し前に、店に到着したところ、参加希望者の女性がもう来ていました。

2名で参加する予定でしたが、お連れの方が急に来られなくなったそうで、1名の参加となりました。



前回とほぼ同じ内容で、霊的真理の話をしました。

霊的な知識も少しある方で、私が話をした内容も納得が行くものだったそうです。

前月の方と同じで、真理を欲している状況ではありませんが、その時のためにシルバーバーチの霊訓の存在をお伝えしました。



その後で「どこかお身体の具合が悪いところがありますか?」と質問しました。

3年前より右膝の機能に障害があり、立ち上がった時にしばらくは動けないそうです。

ヒーリングを希望されたので、10分間ほど直接、患部に手を当てて行いました。



終わった後に、椅子から立ち上がり、右足を曲げたり伸ばしたりして、膝の動きが良くなった様子を見せてもらいました。

力の存在を実感していただけたのではないかと思います。

周りに具合の悪い方がいれば、私のブログのコメント欄にその旨を書き込んでもらえれば(遠隔)ヒーリングを行いますとお伝えして、会を終わりにしました。



面白半分で話を聴きに来る、あるいはヒーリングを試しに来るのではと思いましたが違うようです。

本人が自覚する、自覚していないにかかわらず、はっきりとした目的があるように感じられます。

必要としていた人が来たと思います。


シルバーバーチの霊訓(霊的真理)に辿り着いた人は、霊界の目的の大半が果たされたと考えられます。

後は、ご自身で真偽を確かめれば良いだけです。

私がそうであったように、さまざまな経験を通して、間違いないことを確信して行くと思います。



4月に、同じ店で3回目の会を行います。

それとは別に、懇意にしているドックトレーナーのオフィスをお借りして、4月中に行う予定です。

動物に関連する真理を中心に話をして、具合が悪い犬や猫たちがいれば連れて来ていただき、ヒーリングを行おうと考えています。



インターネットは、世界中に向けて霊訓真理を発信できる、極めて有用なツールです。

面識のない人から依頼を受けて、幾度となく遠隔ヒーリングを行って来ました。

ブログ上でのコメントのやり取りを通して、多くのことを学ぶことができました。



アナログ的にも、真理を広めて行けたらと思っています。

そのために、アクセスする場所を徐々に増やして行きたいです。

その方が、霊界も導きやすくなると思います。



自分で動かなければ、地上では何も始まりません。

取り合えず動いてみて、推移を見守ろうと思います。





2023年3月5日日曜日

あの時の想いを忘れない


霊的真理と出会い良かったことがあります。

死が怖くなくなりました。

死んだらどうなるのかが、はっきりと分かったからです。

その反面、この世を生きる大変さが、より一層感じられるようになりました。


死とは、魂が肉体から完全に分離する自然現象です。

思念を表現するために、地上だけに存在する媒体が肉体です。

生命の本質は魂です。

肉体は消滅しても、意識は変わりなく存在しています。



けれども、肉体が自分であると思っている人は少なくありません。

魂が存在するのならば、証明して見せてくれと言う人もいるでしょう。

残念ながら、誰にでもわかるような形で証明することはできません。

もし証明されたとしたら、与えられた地上の命を全うせずに、自らの意志で逝ってしまう人が続出すると予想されます。

生きるのがつらくても、自分の意志で逝ってしまうことは許されません。

死に対する怖れがあるからこそ、そんな過ちを犯さずに済んでいるのかもしれません。



死ねば終わりだと思っている人は、生きているうちにせいぜい楽しいことをしようと思います。

私たちは、楽しいことをするために、この世に生まれて来たのではありません。

さまざまな体験を通して、魂を成長させるためです。

終わりだと思っている人は、生まれて来た意味がわからないまま、生きていることになります。



魂の存在が信じられない人は、肉体のみに関心が行き、大切にしようとします。

どんなに大切にしても、肉体はいずれ朽ちてなくなる運命です。

一方、魂は存在し続けます。

大切にしなければならないのは、肉体よりも魂です。



この世界は自然法則の働きによって支配されています。

自然法則に反する行いをすると、魂に負債(カルマ)を抱えます。

抱えた負債を返済するためには、苦痛により償いをしなければいけません。

そんなことなど知らずに、過ちを犯してしまう人がたくさんいます。



魂は成長して行くように定められています。

けれども、償いをしている時には、成長することはできません。

魂の存在など意識せず、自然法則の働きを知らない人は、人生を遠回りしてしまう可能性が高くなると考えられます。


世の中には、霊的な能力を有する人がいます。

存在する目的は、霊的な力を顕現させて、眠っている魂を目覚めさせることにあります。

そして、目覚めた魂が真実(真理)を受け入れます。

地上に生きる人たちが、無用な遠回りをしないため、生まれて来た目的を成就する手助けをするために存在していると言えます。



魂が目覚める時期が来ている人がいたとします。

霊界の人たちは、さまざまな手段を講じて、霊的な能力を有する人のところへ導こうとします。

功を奏して辿り着くと、霊力が顕現することにより病気が癒されたり、亡き人からのメッセージを受け取ったりします。

この体験を通して魂が目覚め、意識が一気に拡がります。

そこから、生まれて来た目的を成就する人生が始まります。



ところが、霊的な能力を有する人の中には、高額の報酬を求めている人がいます。

時期が来た人と霊能を有する人を結び付けようとしている霊界の人たちにとって、お金は大きな障壁となります。

導くべき人を導けなくなってしまいます。

霊力の恩恵に与れる人はお金のある人に限られてしまい、ない人は目覚める機会を逸してしまうことになります。

そんな不平等なことを、霊界の人たちが望んでいるはずはありません。



高額の報酬を求めている人を見て、世の中はどう思うのでしょうか?

人のためではなく、自分の贅沢のためにやっていると思う人も少なくないでしょう。

自分が物質的なものを求めていて、霊的な愛を大切にしなさいと伝えたとしても説得力はありません。

霊的真理の普及の足かせとなっています。



地上は物質的な誘惑に満ち溢れています。

金銭欲、名誉欲などが満たされると幸福感が得られることを、霊界の人たちは承知しています。

過ちに気付かせようと、意図的に失敗をさせたり、窮地に追い込んだりするかもしれません。

幸運にも、その意図に気付いた人は、悔い改めることになります。



霊的な能力を有することは、諸刃の剣です。

人に喜びをもたらすことができると同時に、自分を貶めてしまう可能性もあります。

地上の人生を振り返る時が来て、行いの動機が明らかになります。

当初は人のためであったのに、次第にお金のためになって行く自分の姿を見せられたのなら、ひどく後悔するでしょう。

奉仕と言いつつ、蓄財のためであれば、その罪は倍加します。

慣れてしまうと、安易に考えてしまいがちですが、とても怖いことです。



生きて行くために必要なものは、霊界側が手配してくれるはずです。

他者に奉仕することで、霊的な報酬を得ているはずです。

持って行けるものはそれしかないことを、誰よりも知っているはずです。



真理を知って17年になります。

自分の中で革命が起きて、生き方が大きく変わりました。

1人でも多くの人に同じ経験をしてもらい、魂が救われるように祈りたいと思います。



自分への戒めの意味を込めて、シルバーバーチのこの言葉を再度書きたいと思います。

「真理普及の仕事を託された者に私から申し上げたいのは、現在のわが身を振り返ってみて、果たして自分は当初のあの純粋無垢の輝きを失いかけてはいないか、今一度そのときの真撃なビジョンにすべてを棒げる決意を新たにする必要はないか、時の流れとともにけてきた豊かな人生観の煤払いをする必要はないか…そう反省してみることです。霊力の地上へのいっそうの顕現の道具として、おのれの全生活を捧げたいという熱意にもう一度燃えていただきたいのです。」