当たり前のことですが、私たちは食べ物を摂って生きています。
それがエネルギーに変わり、肉体を動かす力となっています。
食べないと、力が出ないのは、誰もが経験していることです。
人間は肉体だけの存在ではありません。
精神が存在しています。
精神が命令を出して、肉体を動かしています。
食物を食べないと、精神が活動できないわけではありません。
むしろ、空腹の時の方が清明になるような気がします。
お腹いっぱいになると、逆に働きが鈍くなります。
精神は、肉体とは別系統のエネルギーによって活動していると思われます。
精神の上位には、生命の本質である「魂」が存在しています。
魂は意識そのものです。
そこから思念が生じています。
魂で生じた思念は、精神で具体化されて、肉体で具現化されます。
それを繰り返しながら、地上の人生は紡がれて行きます。
思念が生まれなければ、何も始まりません。
精神活動の元となるエネルギーは魂から供給され、思念は地上での活動の起点になっていると考えられます。
死んで次の世界に行くと、肉体はなくなります。
五感は消失し、霊的感覚のみになります。
そこでは、言葉を介さずに、思念のやり取りをしています。
想ったことが、齟齬なく、直接伝わります。
一方、地上にいる私たちは、言葉でコミュニケーションしています。
言葉の実体は思念です。
思念を言葉に変換し、それを相手に伝えています。
伝えられた言葉から相手の思念を類推しています。
言葉を介しているので、どうしても齟齬が生じます。
私たちは、思念を媒体を通して伝達しなければならない、煩わしい世界にいます。
思念は周囲に放たれています。
しかし、五感を通してコミュニケーションをしているため、霊的感覚は極めて鈍くなり、思念は認識されなくなります。
それでも、放たれた思念は誰かに受け取られ、少なからず影響を与えています。
もらい泣きをしたり、つられて笑ったりするのも、そのためです。
人は、思念というエネルギーを放ち、受け取りながら生きています。
多くの人は、そのことを意識していません。
今、世界中の人と、メールでやり取りができます。
インターネットという回線でつながっているからです。
それぞれの人は、独立しているように見えます。
それは肉体の話です。
インターネット回線ではありませんが、人と人は目に視えない霊的なつながりがあります。
そのために、思念のやり取りが可能になります。
身体には37兆個もの細胞があります。
どの細胞にも同じ血液が流れています。
個々の細胞の形態は違いますが、全身を構成する1部には変わりありません。
地上には、無数の生命体が存在しています。
種は違っても、同じエネルギーが流れて、生きています。
違う細胞が集まって人体が構成されているように、さまざまな生命体が集まって全体が構成されています。
それぞれの細胞に役割りがあるように、それぞれの生命体には、全体に貢献する何らかの役割があります。
密接に関連しながら共存しています。
極めて精緻な生命体が、偶然によって生まれたとは、とても思えません。
何者かが、何らかの意図を持って創ったと考えた方が、はるかに自然です。
創った存在を、神と呼ぶことにします。
宇宙を創ったのは神です。
神的エネルギーによって、宇宙は創られています。
宇宙全体が神であり、神は宇宙全体です。
人間は、宇宙を構成する限りなく小さな一部分です。
従って、私たちも神的エネルギーによって創られています。
私たちの身体は、エネルギーでないと言う人もいるでしょう。
物質もエネルギーです。
生命の本質である魂も、同じくエネルギーです。
全てが神的なエネルギーです。
しかし、肉体と魂では波長が違います。
魂が目には視えないのは、波長の短いエネルギーだからです。
魂から生じる思念も神的エネルギーであり、神性を帯びています。
神性を一言で表現するならば「愛」です。
魂から生じたエネルギーは、本来は愛を表現するものです。
けれども、表現するためにある精神や肉体が未熟なために、歪められてしまいます。
怒りや憎しみも、媒体により神的エネルギーが歪められたものです。
愛を表現することによって、調和が進んで、全体が1つになって行きます。
愛に反する怒りや憎しみを表現することによって、バラバラになって行きます。
神の目的は、物的にバラバラになった全体を、愛により1つにさせることだと考えています。
人から生じている思念はさまざまです。
霊界では、似通った思念を放つ人たちと生活しています。
地上でも、同じような思念を放っている人同士が引き付けられ、集まる傾向があります。
人と人は、エネルギーのやり取りをしています。
そのことを強く感じられるのが、ヒーリングをしている時です。
手を触れながらする時もありますが、目の前にいない人をすることの方が多いです。
1面識もない人にヒーリングの力は届きます。
今でも、その理由ははっきりと判りませんが、こう考えています。
人と人はつながっていて、意念を向けた人との間に関係性ができて、力が届けられる。
自分も人も動かすエネルギーである思念も同じです。
目に視えませんが、人から人へと伝わっています。
生命はつながり、巨大なネットワークを形成し、その中でエネルギーのやり取りをしています。
霊的に1つなのです。