2020年12月27日日曜日

今年1年を振り返って


今年は、新型コロナウィルスの流行に始まり、収束しないまま終わろうとしている1年だと思います。

世界中が同時に危機に見舞われるのを、私は初めて経験します。

既に全世界で175万人もの人が亡くなっています。

早く収束することを、ただ願うばかりです。



世の中で起きる出来事は、全て因果律の働きによるものです。

今回のウィルスの流行も、偶発的なものではなく原因が存在します。

同じことを繰り返さないためにも、原因を突き止めなければいけません。



前にも書きましたが、流行が広がったのは、元を質せば人間の利己心が原因だと思います。

人間が最初にウィルスに感染したのも、本来、接触するはずのない動物たちと接触したためです。

未開の土地に入って行くのも、そこに住む動物たちを侵害するのも、利己的な動機からです。

資源開発と言えば聞こえが良いのですが、地球全体から見れば侵略行為であり略奪行為です。

人間中心に物事を考えているので、そのことが判らなくなっています。



人から人に感染するリスクが大きいのは、生きて行く上でどうしても必要な行為以外の時が多いようです。

(海外)旅行や飲食等はリスクが高い行動です。

特にアルコールが入ると理性が失われて、感染のリスクはさらに高まります。

地上的な欲求を満たす行動に乗じて、ウィルスは伝搬されて行くように感じられます。



それらの行動を否定してしまうと、仕事にしている人の生活が成り立たなくなり、面白味のない人生になるような気がします。

しかしながら、この世界には飢えた人たちがたくさんいます。

ほとんどの人はそのことを承知しています。

飢えた人が多い、貧しい国々ほど、紛争が起きています。

誰かがこんなことを言っていました。

「野蛮だからではなく、お腹が空いていると、イライラして争いが起きるんだ」

全くその通りだと思います。

世界平和を願うのであれば、まず飢えている人たちを何とかしなければいけません。



霊界の人たちは、そんな地上の光景を見て憂いています。

「同じ世界に住んでいて、見て見ぬふりをして、自分たちだけそんな楽しい思いをして良いの」と。

ウィルスが動物から人間に感染するのも、人から人に感染するのも、利己心と欲を満たすための行動が原因になっているように思います。

感染が急速に拡がっている国は、貧富の差が大きく、差別など多くの問題を抱えているようです。

ウィルスの流行と言う自然現象を通して、犯している過ちに気付かせ、正そうとしている気がしてなりません。



欧米では、ワクチン接種が始まったようです。

性急に作ったために、有効性や副反応に対する評価が不十分なところがあるのは否めませんが、流行を収束させるために最も確実な手段がワクチン接種であることは、過去の事例から見ても明らかです。

たとえ感染したとしても重症化しないために、亡くなる人は劇的に減るでしょう。

そんなこともあり、経済的に豊かな国々が、先を競ってワクチンを確保しているようです。

その行為は、国民を守ると言う観点から見れば当然です。



しかし、世界には自国でワクチンを作ることも、他国から買うことも出来ない国がたくさんあります。

一定の割合以上の国民がワクチン接種を受けたのなら、ウィルスの流行は収束に向かうはずです。

日本や欧米などの経済的に豊かな国々では、近い将来普通の生活に戻れる可能性は高いと考えられます。

しかし、貧しい国々では、一部の特権階級のみがワクチンを接種して、多くの国民はそのままにされてしまうと思います。

「民衆のワクチン連盟(People's Vaccine Alliance)」という組織が、「現状では経済力に劣る70近い国では、国民の1割ほどしかワクチン接種を受けられない」と警鐘を鳴らしています。

経済的に貧しい国の人たちほど、感染して症状が悪化しても、適切な医療を受けることが困難です。

本来は、そんな人たちほど早く受けて、ウィルスから守らなければなりません。



普通の生活を取り戻した国々は、ウィルスの流行は過去のものとなります。

経済的に貧しい国々でウィルスの流行が続いていたとしても、遠いところで起きている対岸の火事になります。

今までもそうであったように。



そんな状態が続く中で、ウィルスの突然変異が起きない保障はどこにもありません。

より強い感染力、毒性を持ったウィルスに変異して、既存のワクチンが効力を失い、獲得した免疫が働かなくなる可能性は十分にあります。

そうなれば、世界は振り出しに戻ります。



ウィルスの変異は、偶発的なものではありません。

自然法則の働きによるものであり、変異の中にも神の意図が隠されています。

同胞意識が欠如し、利己的になっている、人間が犯している過ちに気付き改めない限り、流行が止むことはないのかもしれません。



自分や自国のことだけでなく、人類全体でどうすれば良いのかを考えれば、自ずと方向が決まり、問題は解決されて行きます。

地球を1つの運命共同体と捉えて、対応しなければいけません。

それが、この自然現象を通して、人間が学ぶことだと考えています。



地球を身体に例えてみます。

地球に住んでいる多種多様な生命は、身体を構成している細胞1つ1つに当たります。

それぞれの細胞には役割があります。

脳細胞には脳細胞の、肺の細胞には肺の細胞の、皮膚の細胞には皮膚の細胞の役割があって、それが協調的に働くことによって調和が生まれ、身体の健全さが維持され、活動することが出来ます。

いかなる細胞も、身体にとって必要な存在であり、優劣などありません。

同じ様に、地球上の生命にはそれぞれ果たすべき役割があります。

名もない道端の雑草であっても、日を浴びて酸素を作りだし、動物たちが生きて行くために必要な営みをしています。

絶妙の調和の中で、地球上の生命は生きています。



足先にばい菌が入り、腫れ上がったとしたらどうでしょう?

きれいに消毒をして、抗生物質を飲むと思います。

「これは足先で起きていることだから、放っておいても構わない」と思う人はほとんどいません。

もしそんなことをすれば、全身にばい菌が回って、死んでしまうかもしれないからです。

当然ですが、足先も自分の一部です。



話は少しそれますが、この宇宙にはどれ位の星があるのでしょうか?

地球が属している銀河系には、約2000億個の星があるそうです。

そんな銀河が、宇宙にはどれ位あるのでしょうか?

最新の研究では、何と2兆個存在すると言われています。

130億光年の彼方にある無数の銀河

目眩がするほど宇宙は広大です。

無限大とも言える宇宙では、地球は極小の星の1つに過ぎません。

極小の星の中の、極小の存在が、私たち人間です。



宇宙を創ったのは神です。

神は広大な宇宙の中で、1つのユニットとして、地球を創ったと考えられます。

その中に多種多様な生命を散りばめたのは、お互いが協調し、調和しながら生きて行く過程で、霊的な成長を促す意図があったと考えられます。



1つのユニットとして創られた星の中で、同胞であるべき人間同士が争いをして、傷つけ合っています。

想定されていたことでしょうが、神の意図に反したことをして苦痛を感じながら、改めて行かざるを得ないのは虚しい限りです。

無用な苦痛を地上からなくすために、霊界から真理が降ろされました。



あらゆる生命は霊的につながっています。

しかし、そんな重要なことが、唯物的になり過ぎたために、全く判らなくなっています。

進化の頂点に立つ人間が、自分たちのことしか考えなくなったために、地球全体に悪い影響を与えています。

利己的な行動に対して、因果律が働き、苦痛を伴う現象が起きていると考えられます。



もしそうであるのならば、他者のこと、地球全体で考えることによって、健全さが取り戻されるはずです。

全ての人に、ワクチンを行き渡らせなければならないのは、そのためです。



良くなったこともあります。

地球全体のCO₂の排出量が約7%減ったそうです。

ウィルスの流行により、強制的に温暖化に歯止めがかかった形です。

命の危機にさらされている、罪もない動物たちにとって、ウィルスの流行は歓迎すべきことなのかもしれません。




ウィルスの流行は災いではなく、地球全体を良い方向に向かわせるために起きていると考えられます。

大きな苦痛を伴いながらも、私たちは神の意図している方向に変わって行きます。

今年は、大きく変わり始めた1年なのかもしれません。




2020年12月20日日曜日

霊的な能力は何のためにあるのか?


今から30年前位でしょうか、目の細い中年の主婦らしき女性がテレビに出ていました。

出演していた芸能人の背後をじっと見つめながら、その人が抱えている悩みや将来の起きるかもしれない問題などを話していました。

自分しか知らないことを言い当てられたようで、本人はとても驚いていました。




世の中には、霊的な能力を持った人がいます。

何故、そんな人たちが存在しているのでしょうか?

悲しんでいる人が、故人からのメッセージを受け取ったら、大きな慰めとなります。

病気に苦しんでいた人が癒されたとしたら、大きな喜びになります。



霊的な能力は、人に慰めや喜びや癒やしを与える他に、秘められた目的があります。

それは、霊的に覚醒させるためです。



人間は肉体を超えた存在です。

しかし、私たちは五感に頼り切った生活をしているので、そのことに気付くことが出来ません。

気付くためには、肉体(物質)以外のものに、意識が向かなければいけません。



夢物語のように感じるかもしれませんが、霊的な覚醒を促す計画が霊界で立てられました。

私はもちろん事実と認識しています。

何故、そのような計画が立てられたかと言えば、地上に唯物的な考えが蔓延したことによって弊害が生じ、それが看過できないほど大きくなってしまったからと考えられます。



唯物的な人は、死ねば終わりだと信じています。

生きている時に、せいぜい楽しい思いをしようとします。

(この世の)自分の人生に執着してしまうと、他人のことに関心がなくなります。

それが高じると利己的になってしまいます。

利己的な人同士がぶつかると、争いになります。

利己的な国家が台頭すると、戦争になります。

悪いことをしても、死ぬまでばれなければ良いと思う人も出て来るでしょう。

唯物的になるほど、物質的に豊かになろうとする欲が強くなります。

その結果、富が片寄り貧困が生まれ、環境が破壊されます。

動物たちは虐げられ、地球全体の平和や調和が乱されます。

そんな悲惨な状況を、霊界は大いに憂いています。



霊的な覚醒を促す計画が、初めて実行に移されたのは、19世紀半ばのアメリカです。

ラップ音による死者との交信であり、後に「フォックス家事件」と呼ばれています。

その後、イギリスにおいて様々な霊的な現象が起きました。

中でも、エクトプラズムは驚異的な現象でした。

霊媒の口や鼻から煙の様なものが現れて、かつて地上にいた人物に形を変える時があります。

現れた人物は、半物質化したものであり、触れると人間と同じような感触があったそうです。



それらの現象の検証に、著明な科学者らが立ち会いました。

その中に、蛍光灯の原理やタリウム原子を発見したクルックスがいました。

当初、彼はトリックだと思っていたのでしょうが、エクトプラズムなど自分の理解をはるかに超えた現象を何度も目の当たりにして、すっかり参ってしまいました。

周囲の人は、トリックをあばいてくれると思っていたのに、逆に霊の存在を完全に肯定したので、大変驚くと共に失望したと思います。

その後、科学者仲間からは異端児扱いされましたが、終生、自分の主張を変えることはありませんでした。

クルックスは生命の真実を知り、唯物的な考えを改めたのです。

他にも多くの人が、科学者は万能と言う考えに見切りをつけました。



日本においても、目を見張るような霊的な現象が明治から昭和初期にかけて起きていました。

世界各地でこのような霊的な現象が起きていたのは偶然ではありません。

霊界で立てられた計画が実行に移されていたのです。

この時期に集中したのは、唯物的な考えから引き起こされる、後の2つの世界大戦を霊界が予見してのことなのかもしれません。



現代において、その時の様な世間を賑わす派手な霊的な現象は起きていません。

それでも計画は着々と進んでいます。



魂は、知性を刺激することによって目覚めるものではありません。

さまざまな出来事を経験する中で、自然に目覚めると考えられます。

絶望的な状況に陥った時ほど、その好機と言われています。

私もそうでした。

精神的に追い込まれ、思考が停止状態になった時、それまで奥で眠っていた魂が目覚めます。



霊的な能力は、魂を目覚めさせる引き金になると考えられます。

大切な人を亡くし、生きる希望を失い、悲嘆に暮れる日々を送っている人がいたとします。

導かれるようにして霊媒に会い、メッセージを伝えられ、それが故人からのものと確信します。

肉体はなくなっても生命は存続していると言う事実に気付くと同時に、唯物的な考えは吹き飛び、魂が目覚める人がいます。

病気になり医者から見放されて、途方に暮れている人がいたとします。

縁あってヒーリングを受けて病気が癒されたとします。

この世のものではない力が存在しているのを認めると同時に、魂が目覚める人がいます。

自我に覆い隠されていた本当の自分(魂)が表に出て来て、人生の主導権を握ります。



人の本質は、肉体ではなく魂です。

唯物的な考えの人は、肉体しか目に入りません。

そのため、肌の色、容姿、肩書きなどの外面が気になります。

魂が目覚めると、意識の焦点が大きく変わり、人の外面よりも、内面を視るようになります。



しかし、魂が目覚めて終わりではありません。

霊界が望んでいるのは、地上の人に霊的真理を受け入れてもらうことです。



地上に大いなる恩恵をもたらすものが霊的真理です。

大切なことを要約すると「生命は永遠であり、互いにつながっているので、慈しみ合うべし」と私は思います。

慈しみ合うことよりも大切なことは存在しません。

戦争や貧困や差別などの問題が立ちどころに解決されます。

恥ずべき動物の虐待もなくなります。



もう1つ大切な真理があります。

それは「因果律」です。

起きていることには必ず原因があります。

原因を作れば、必ず結果が生じます。

神の摂理に反した行いには苦痛が、適った行いには悦びがもたらされます。

真理を知れば、経験しなくても良い、地上の苦しみや痛みが避けられます。



個々の人間はれぞれ違う形態をして、ばらばらに存在しています。

それは肉体の話です。

肉体を動かしているのが魂です。

魂は生命そのものです。



神によって創られた魂には、神性が宿っています。

全ての生命は、同じ神性でつながっています。

ばらばらに存在している個々が、魂に目覚め、神性を発揮して慈しみ合うことで、1つになって行きます。

慈しみ合う力は、魂と魂を引き付け合う力だからです。



全ての生命は霊的に1つです。

それが神です。



霊的な能力は、唯物主義を打ち砕きます。

打ち砕かれた後に、魂が目覚めます。

目覚めた魂が、真理を見つけます。

真理を受け入れて、実践することにより、神や霊界の望む世界になって行きます。

生命の進化を促し、1つになるためにあると思います。


2020年12月13日日曜日

ある双子の兄弟を通して感じたこと


世界中で新型コロナウイルスが猛威を振るっています。

感染した人は7150万人を超え、160万人が亡くなっています。(2020年12月13日現在)

一刻も早い収束を願うばかりです。



この感染症は、原因がはっきりしています。

ウィルスの侵入さえ防げれば、病気になることはありません。

しかしながら、世の中にはこれと言った原因も見当たらずに、病気になる人がいます。

「何で私が?」と、戸惑いや憤りを感じている人もいます。



人は、肉体と精神と魂(霊)の3者から成り立っています。

3者はそれぞれ次元が異なり、そのどこかに病気の原因が存在しています。

感染症は、物的なウィルスや細菌の増殖が原因なので、肉体(物質)的次元の病気と言えます。

胃潰瘍は、主にストレスが原因なので、精神的次元の病気と考えられます。

精神と肉体は密接に関係していますが、物質を超えた精神的次元は医学の対象外であり、踏み込んだ研究はされていません。



原因不明の病気は数多くあります。

多くの人を苦しめているガンや膠原病も、残念ながら根本的な原因は解明されていません。

悪いところがあれば切り取ったり、薬で症状や痛みを抑えたりするしか方法はありません。



肉体、精神の上位にあるのが魂(霊)です。

魂から指令が出され、精神を介して、肉体で表現されています。

しかし、魂(霊)の存在は医学的に認められていません。

そのために、霊的次元に原因が存在する病気は、医学的に原因不明とされます。



解明されてない病気の1つに、遺伝性疾患があります。

遺伝性疾患は、生まれつきの病気です。

親の遺伝子に異常がなければ、突然変異とされてしまいます。



発病は、精子と卵子が結合した瞬間です。

病気は結果であり、必ず原因が存在します。

発病が結果ならば、原因は受精時以前にあることになります。

身体(受精卵)が誕生するより前に、私たちは存在していなければなりません。



記憶には昇って来ませんが、ほとんどの人は過去に地上を生きた経験があります。

そこで、何らかの原因が生じていたと考えれば、突然変異として片付けられることはありません。



数年前になりますが、ある障がい者施設にボランティアに行っていました。

そこに重度の身体障がいを持つ20代の一卵性の双子の兄弟がいました。

この兄弟と接して、病気や障がいの意味について、思いを巡らすことになりました。



2人には脊椎に遺伝性疾患(奇形)があり、手足の自由が利きません。

背骨が曲がったままであり、食事も排せつも入浴も着替えも介助が必要です。

知性は正常であり、普通に会話が出来ます。

幸いにも、わずかに指を動かせるので、電動車いすに乗っての移動が可能でした。



2人の性格は対称的でした。

お兄さんと話をする機会が多かったのですが、今の自分の境遇に大きな不満を抱いているようでした。

集まりにも参加しないで、部屋でテレビを観ていました。

いつも不機嫌そうで、愚痴や不満ばかり言っているので、周りにいる人が少なくなり、ベッドの上で一人ぼっちで過ごしていることが多かったです。



一方、弟さんは明るく快活です。

車椅子スポーツにも参加していて、不平不満を言っているのを聞いたことがありません。

時々、お兄さんの所に顔を見せては、励ましていました。

お兄さん思いの、心優しい青年です。



同じ遺伝子を持ち、同じ障がいを持ち、同じ環境で育ち、顔もそっくりなのに、これほどまで性格が違うのには驚きました。

性格は大脳を超えたものによって形作られている、そんな思いを強くしました。



人間の本質は魂です。

一卵性で肉体は同じ作りであっても、別々の魂が宿っています。

性格の違いは、宿っている魂が違うことに起因していると思いました。



因果律の働きによって、全宇宙は経綸されています。

従って、世の中に偶然起きる出来事はありません。

病気を抱えて生まれて来たのも、何かしらの原因が存在していたはずです。



私たちの人生には、計画があります。

オリジナルな計画であり、目的は自分(魂)を成長させるためですが、地上にいる私たちは窺い知ることは出来ません。



前々回のブログで、計画された出来事には「償い」と「挑戦」があると書きました。

お兄さんは、ため息をつき、嘆いて、いつも精神的に苦しそうです。

憶測になりますが、自分の運命を呪い、周囲を手こずらせ、辛そうに生きている姿を見ていて、ついこんなことを思ってしまいました。

過去生で何かしらの過ちを犯して、その償いのために、この身体を選ばざるを得なかったのではないかと。



弟さんは、ため息をつくことも、嘆くこともありません。

自分に起きていることを受け入れていて、精神的に苦しくなさそうです。

その前向きな姿から、償いのためではなく、より大きな成長を促すために、この身体で生きることに挑戦しているように感じました。

同じ病気(障がい)を持っているにも関わらず、生き方が違うのは、そのためだと思いました。

双子として生まれて来たのは、お互いの成長のために必要だったと考えられます。



ところで、お兄さんの苦しみは、死ぬまで続くのでしょうか?

そうとは限らないと思います。



肉体の病気(障がい)は不変であり、生涯付き合わなければ行けません。

けれども、苦しみを感じているのは、肉体ではなく精神です。

自分の病気(障がい)をどう捉えるのかで、苦しみの感じ方は大きく違って来ます。

そのことが、2人を見ていてはっきりと判りました。



不幸、不運として捉えれば、苦しみは付いて回ります。

自分の運命を呪っている限り、苦しみから逃れられません。

人を妬んだり、怒りを覚えれば、余計苦しくなってしまいます。

それらの想いは、自然法則(神の摂理)に反しているからです。

成長を妨げてしまう、それらの想いに対して因果律が働いて、苦しみが生じてしまいます。



もし、過去生で何らかの過ちを犯していたのならば、怒りや憎しみや恨みや嫉妬など自然法則に反する想いが生じやすい性分が原因になっている可能性が高いと考えられます。

苦痛は、過ちに対する償いの一環であると同時に、自然法則に反した性分を改めるために存在すると思います。

生まれる前、今生の計画が立案される時、身体的な病気(障がい)を抱えて生きることが、性分を改めるために最善と判断されたと思いました。



苦痛を感じなくなるには、結局は自分が変わるしかありません。

自分の意思で変えるのが難しいのであれば、自然法則の働きによって、強制的に変えられて行くと考えられます。

変わったのならば、苦痛が存在する理由がなくなり、解放されるはずです。

解放された時点で、償いは終わっていると思います。

たとえ肉体上に病気や障がいは残ったとしても、霊的な負債が返済されたならば、精神的な苦しみはなくなると考えられます。

妨げているものがなくなり、それからは伸びやかに成長して行くでしょう。



自分を苦しめているのは、自分なのかもしれません。

原因を作っていたのは、自分だったのかもしれません。

自分に必要なことが、起きているだけなのかもしれません。

地上に生きていると、そんなことが全く判らなくなってしまいます。



お兄さんの償いが終わったらどうなるでしょうか?

周りで自由に動いている人を見て、妬ましく思うことはなくなるはずです。

支えてくれている人と思えるようになり、感謝の気持ちが湧いて来るはずです。

出来ないことを嘆くのではなく、今の自分に出来ることを見つけて、挑戦するようになると思います。

その時のために、弟さんがいるような気がしました。



苦しみを少しでも和らげるために必要なのは、やはり霊的真理です。

「この世で終わりなんかじゃないよ。」

「今の体から解放されて自由になる時が来るんだよ」等々、ベッドサイドで伝えました。

神妙に聞いていた横顔が、今も印象に残っています。



ウェザーニュース(weathernews.jp)より

2020年12月6日日曜日

誰かのために生きている



早朝、犬の散歩に行った時、まだうす暗い空に満月が光っていました。

月は地球の引力によって、地上から37万km離れたところを回っています

私自身は極小の存在です。

しかし、宇宙から見れば地球の一部には違いありません。

ほんのわずかであっても、月との間に引き付け合う力が働いています。

月は、自分とは全く関係のない存在ではないようです。



私たちは、多くの人に囲まれながら暮らしています。

時に、人間関係が煩わしく感じ、1人になりたいと思う時もあるでしょう。

地球でたった一人になったらどうでしょうか?

生きて行くためには、食料は欠かせません。

しかし、毎日食べている米も、自分で作ることは出来ません。

電気やガスも使えなくなれば、真冬の寒さには耐えられないでしょう。

とても生きて行けるようには思えません。



私たちが普通に生活が出来ているのは、自分のために働いてくれる人たちがいるからです。

私自身も、周りの人のために働いている1人です。

ひとり1人は独立して生きているように見えますが、密接に関係しています。



人間だけではありません。

植物がなくなれば、ガス交換が出来なくなり、動物は窒息して死んでしまいます。

地球上の生物は、お互いがお互いのために生きていていると言えます。



SFみたいな話ですが、インフラはそのままで、食料も調達されて、今と変わらぬ環境で、自分一人だけだとしたらどうでしょう?

全てが自分のものなので、好きなことをし放題になります。

遊園地に行って大好きなアトラクションを待たずに乗ったり、デパートに行けば好きな物がいくらでも手に入ります。

誰に煩わされることも、干渉されることもありません。

自由気ままに、好きなことが出来るので、楽しくて仕方がありません。

しかしながら、それは一時だけかもしれません。



無人島や周囲から隔絶された環境で、誰とも接触しないで一人で暮らしている人がいます。

そんな人たちは、それほど孤独を感じているように見えません。

人から離れた生活を敢えて選んだのであり、その場所を離れれば、また人に会えることが保証されているからだと思います。



もし、地球に自分だけしかいなかったらどうでしょう?

絶望的な孤独感に襲われると思います。

自分と言う存在が、良く判らなくなってしまうと思います。

何故なら、人は人との関係の中で、自分を認識していると思うからです。



朝日が昇るころ、小鳥たちの鳴く声で目覚めることが多いです。

お互いが呼応して、存在を確認し合い、生きている歓びを伝え合っているように聴こえます。

人間も同じであり、他者と関りを持ち、自分を分かってもらえることで、歓びを感じていると思います。



人間とは上手く言ったものです。

生物としての「人」は食料さえあれば1人で生きて行けますが、「人間」は他の人がいることで生きて行けると思います。

人がいることで、人間として成立していると考えられます。

人間は、物的にも精神的にも、1人では生きて行けないと考えられます。



人がこの世に生まれて来た目的は、人間として成長するためです。

困難や障害に直面した時に、それを乗り越えて行く中で成長します。

また、他者のために奉仕をすることで成長します。



地球上で、たった1人で生きているとしたら、誰に対しても、何もしてやることが出来ません。

他者に奉仕することが出来なければ、人間として成長することもままならなくなります。

人間には成長したいと言う欲求がありますが、それが満たされなくなります。

そのために、生きているのが苦しくなってしまうかもしれません。



そんな世界に置かれ、何をすることもなく生きていたとしたら、自分が生きている意味、存在する価値を見い出せなくなってしまいます。

そんな時に、地面にヒマワリの芽が出ているのを見つけたとします。

気になって、水を与えると思います。


自力では生きて行けない子猫がいたとします。

何もしなければ死んでしまうので、食べ物を与えると思います。


そのうちに、成長して行く様子を見るのが楽しみになります。

そして、生きがいとなるような気がします。

他者のために何かをすることが、この世界に自分が存在する、確かな意味になるからです。

ささやかな喜びを感じながら、生きていられると思います。

どんな物を手に入れたとしても、同じような喜びを感じることはありません。

物的な喜びは束の間であり、際限がありませんが、他者のために何かをすることで得られる喜びは霊的なものであり、永続性があります。



私たちは、労働することによって、お金を得て生活しています。

家事もお金を介さない労働です。

人や社会や家族のために、何かしら奉仕をしないと生きて行けないようになっていると言えます。

生きるために必要なことをする中で、知らずに成長が得られているのが地上と考えられます。



死んだ後の世界では、肉体はなくなります。

生きて行くために、労働する必要はなくなります。

自分の好きなことが、いくらでも出来るようになります。



死んだ後の世界においても、生きる目的は全く変わりません。

自分を成長させるためです。

自分の好きなことをいくらしていても、他者のために何かをしなければ、神の摂理により成長は叶いません。

従って、他者のために何かをしようとする気持ちが起きない限り、同じ場所に留まったままです。



地上に生まれるのは、他者のために何かをする習慣を身に付けるためと考えられます。

その中に悦びを見い出すことも、大きな目的の1つと考えられます。

地上にいる時に悦びを見い出せれば、霊界に行って自発的に成長して行くことが可能になります。



多くの人は、他者のために何かをすることは良いことだと、漠然と思っています。

それは道徳的に良いと言う以上のものであり、全宇宙を貫いている大原則(神の摂理)に適った行為です。

適った行いをしている時に人は成長し、生きていることを実感し、満たされた気持ちになります。

自分のためだけに生きていると、どうしても虚しさを感じてしまうのはそのためです。



生きる目的を見い出せずに苦しい思いをしている人は、自分以外に目を向けて、何か出来ることを見つけるのも大切かもしれません。

大きなことをする必要はなく、身の回りで、自分に出来る範囲ですれば良いはずです。

実行に移すことで、苦しみは和らぐと考えられます。

人間は成長していない状態を苦しみとして感じ、成長することに悦びを感じるようになっていると思うからです。