2020年10月11日日曜日

愛は癒しの力


今も、やっている人がいるのでしょうか?

子供が怪我をすると、お母さんが手を当てて「ちちんぷいぷい~」と、お呪いをしていました。

そんなの効くはずはないと思っていましたが、中には痛みが確かに引いたと言う人もいました。

動揺した子供が、そうやってもらうと心が落ち着いて、痛みを感じにくくなるのかもしれません。



怪我や病気になった時に、「手当て」をすると言います。

一般的に、消毒して薬を塗るなど医学的処置のことを指します。

それ以外に、昔の人は、人の手から未知の力が出ていて、当てると傷の治りが早くなったり、痛みが少なくなるのを経験的に知っていたと考えています。

人は痛いところに無意識に手を当てますが、そのためかもしれません。


そう考えると、お母さんが傷口に手を当てながらお呪いを言うのは迷信でななく、実際に効力があるのかもしれません。




ところで、怪我や病気が治るのはどうしてでしょう?

自然治癒力と言う、身体を元通りにする力が働いているからです。

もし、その力が存在しなかったとしたら、細菌やウィルスに感染しても免疫機能が働かないために死んでしまうかもしれません。

傷口が塞がることはなく、医者は身体にメスを入れることは出来ません。




自然治癒力とは生命力の一種です。

その力は大始源である神から発せられていると考えられます。




人間や動物を含め、宇宙のあらゆる生命は、神によって創造されています。

それぞれの生命は物質的に独立した存在ですが、神を通して霊的につながっています。

神とのつながりを通して生命力が流れ込み、私たちは生かされています。

生命が永遠と言われるのは、神を構成する一部であり、つながりが断たれることがないからです。




しかしながら、神とのつながりが強くなる時もあれば、弱くなる時もあります。

それでは、どんな時に神とのつながりが強くなるのでしょうか?

神の心を表現している時と考えられます。




神の心とは愛です。

愛を表現しようとする時、神の心と同調し、生命力が流れ込みます。

人や動物を助けたり、社会のために奉仕するなど、他者のために何かをしている時に、生命力が流れ込み、目的を成就させて行きます。

予期した以上の結果がもたらされた時には、神との同調が成立し、より多くの力を授かっていたのかもしれません。

反対に、神の心に反した行いをしている時、つながりは弱くなります。

人や動物に危害を与える行為をしたり、世の中の平穏や秩序を乱している時に、神とのつながりは弱くなります。




そして、精神状態にも大きく影響されます。

自分を信じている時に、つながりは強くなります。

逆に、恐怖や不安を感じている時に、弱くなります。

生きていると、恐怖や不安を感じることがあります。

恐怖や不安を克服して、自分を信じることが、地上に生きている私たちに求められていると思います。




神の心に反した、悪と言われる行為をする時も、神の力は流れています。

何故と思ってしまいますが、私たちには自由意思が授けられていて、神の心を表現するのも、反した行いをするのも許されているからです。

ただし、自由には責任が伴います。

自分の行いの1つ1つに、自然法則が働いています。

神の心を表現すれば、自分が成長して、霊的な悦びを感じます。

反した行いをすれば、負の成長をして、苦痛を味わいます。

人は苦痛ではなく、悦びの中を生きたいものです。

結局は、神の心を表現するようになり、成長する方向に進んで行くことになります。




地上に生きていると、心が傷つけられてしまう時があります。

深い傷を負ったとしても、目に視えるものではないので、他の人には判りません。




その傷は、一生治らないのでしょうか?

シルバーバーチはこう言っています。

「自分と言う永遠の霊に傷を負わせる出来事も、害を及ぼす出来事も起こらないことを忘れてはいけません。」

「物的世界には自分を傷つけるもの、自分に影響を及ぼすものは何一つ存在しないことを魂が悟れば、真実、この世に克服できない困難は何一つありません。」

表現媒体である肉体は傷ついて、元に戻らないこともあるでしょう。

しかし、自分の本質である魂が、取り返しのつかない傷を負うことはなく、その出来事によって生きて行けなくなることもありません。




精神で対応できないほどの出来事であれば、その影響は魂にまで及ぶと考えられます。

肉体が侵襲を受けると血が出るように、魂が侵襲を受けると何らかの想いが生じます。

その多くは、怖れや不安、怒りや憎しみなどの感情となりますが、侵襲が強烈になるほど表現するのが困難になります。

表現されなかった想いは、精神下に滞ってしまうと考えられます。

成長を妨げるような想いであれば、それを苦痛として感じ、心の傷(トラウマ)として認識されると考えられます。




肉体の傷は、自然治癒力によって治って行きます。

心の傷にも、同じように自然治癒力が働いています。

時間の経過ではなく、神の力によって心の傷は癒され、苦痛が和らぎ、元に戻って行くはずです。




「完全なる愛は恐怖心を駆逐します」とシルバーバーチは言っています。

また「全き愛は怖れを締め出します」とイエス・キリストは言っています。

完全なる愛、全き愛とは神の愛ではないでしょうか。

自分の中にいる神を信じることが出来れば、怖れや不安は生じないと思われます。

そして、心の傷となっている、怖れや不安、怒りや憎しみなどの想いは、自らの愛によって、解放することが出来ると考えられます。




表現されなかった想いは、別の形となって表現されて、解放されます。

迷子になった子供は必死になってお母さんを探し、その姿を見つけたとたん泣き出すことがあります。

内に溜まっていた怖れや不安が、涙となって解放されたと考えられます。

迷子の子供を見つけたお母さんも、怖れや不安に隠されていた想いが、安堵して表に出て来て急に叱ったり、高じると涙となって表現されることもあります。

涙によって、想いが物質に昇華され、解放されています。




地上には様々な人がいます。

傷つける人もいれば、傷ついて助けを必要としている人、癒やしを求めている人もいます。

神性を発揮する機会に溢れ、成長する機会に恵まれているのが、地上と言えます。




全宇宙を動かしているのは、神的なエネルギーです。

私たちにも、神的なエネルギーが流れています。

良心あるいは道義心とは、何でしょうか?

私たちに内在している神です。

神的なエネルギーが、内在している神を通して流れているのです。

その力は愛を帯びているので、人を癒すことが出来ます。

傷ついている時に、慰めの言葉をかけられると心の痛みが和らぐ時があります。

それは言葉を通して愛が伝わって、魂が癒やされたからです。




内在する神は、しきりに愛を表現しようとします。

しかし、地上を生きている私たちには(地上的な)自我が存在し、その働きによって抑えられてしまいます。

溺れている人がいれば、内在している神(良心)は助けようとしますが、自我は自分が溺れてしまうと考えるために、それに負けると動けなくなります。

神の愛が流れているのですが、自我のために歪められて表現されてしまうのが地上です。




因果律の働きは正確無比であり、人を傷つければ、償いが生じます。

自らが傷つくような出来事が起こり、その苦痛によって過ちを知ることになります。

傷つけられた人には、埋め合わせがあります。

傷ついた心を癒すのは、愛しかありません。

他者に癒されることで、愛の存在を実感し、その意味を深く知ることになります。

誰にも癒されることはなかったとしても、その苦しみの中で魂の成長が促されます。

苦しみが触媒となり、魂が目覚めれば、より多くの神の力が流れ込むようになり、癒されると思います。




神の心は愛です。

神によって創られた自然法則を貫いているのも愛です。

不公正、不公平、不平等は一切ありません。

見捨てられることもありません。

見捨てられたと思えば、自らが見捨てたことになり、神とのつながりを弱めてしまいます。

信じて、つながりを強めた者が、その恩恵を享受することになります。





9 件のコメント:

もふもふ さんのコメント...

いつも投稿を楽しみにしています。ありがとうございます。

ご相談があり、コメントさせて頂きました。

会社の仲の良い同期が産休に数カ月前から入っているのですが、出産予定日を数カ月過ぎても、私にも会社にも出産報告がありません。
もしかしたら悲しい出来事があったのかもしれない…と心配しているのですが、先方から連絡が何もないのにもかかわらず、こちらから連絡してよいものか悩んでいます。

私が精神的に辛いときに力になってくれた同期なので、私も出来たら力になってあげたいのですが…今はそっとしておいてほしいのかもしれないとも思います。

今回の記事のタイトルのように、出来たら彼女を少しでも癒やしてあげたいのですが(そもそもまだ何かあったと決まった訳でもありませんが…)、どのようにすればよいでしょうか?

ご助言を頂けますと幸甚です。

イクミ さんのコメント...

もふもふ様

おはようございます。
会社の仲の良い同僚の方が、産休で休んでいて、その後出産の報告がないのですね。
出産手当や育児休業の申請したり、少なくても直属の上司への報告をするのは慣例のようです。
あなたがご心配していることが、実際に起きている可能性があります。

不測の事態が起きていたのであれば、言葉では言い表わせないような悲しみの中にあると思います。
今までに経験したことのない試練の最中にいるでしょう。
起きている現実を、誰にも語りたくない、あるいは、語る気力もないのかもしれません。

現実を受け入れていない可能性があります。
そんな時は、あなたが力になってあげたいお気持ちはうれしく感じるでしょうが、どんな言葉も心に入って行かないと思います。

どうしてもご心配であれば、「どうしたの?」と簡潔にメールかラインで尋ねてみてはどうでしょうか。
答えが返って来なければそのままにして、もし返って来るようなことがあれば、吐き出したい想いがあるのかもしれません。
想いを静かに聞いてさしあげれば、ほんの少しですが楽になると思います。

憶測の域を出ませんが、ご本人に何かあった可能性もあります。

お答えになっていなかったら、申し訳ありません。

もふもふ さんのコメント...

ありがとうございます。
彼女の魂の平穏を祈りながら、対応したいと思います。

mt さんのコメント...

イクミ様

どうにも心身が重いという事
妹が自死で逝ってしまってから、時間が経てば経つほど
波がやってきては去っていく、を繰り返しています。

思わぬことを言われて、ぼんやりと寝込んでしまって
でもそれは、傷ついた人にかける言葉
それを考える機会にもなりました。

「傷ついた心を癒すのは愛しかありません」

ということは本当だと思います。
しかも、きっと無条件の愛ですね。

傷ついているときにかけられたい言葉
わたしならば

「何かあったの?
わたしに出来ることがあればいつでも言ってね。
返事は気にしないでね」

という一言かなと思います。

そしてもし、心を開いてくれたら
「受容」の姿勢。
決して批判せず、判断せず、
そうだね、そう思ったんだね、の姿勢。

自我はつい、良かれと思って
注進、アドバイス、色々したくなりますね。

でも弱っている人には
その人を「受け入れる」ということが
とてもありがたいことなのだと感じています。

ですが、なかなか同じ思いをした人でないと
そうもいかない事もありますから
傷ついている方は、あまりは人に話さずに
まずは充分に心身を休ませる、ということをするのが大切だとも思います。

誰かが傷ついた場合は
その周りも痛手を受けている場合が多いと思います。

いま、一時的にせよ、心身のバランスを崩している全ての人
わたしには見えない向こう側の世界にいる妹と全ての人の心の傷も含めて
もともと持っている神の平安を取り戻しつつあるよう、
祈り願いたいと思います。

mt さんのコメント...


先ほどのメールの追伸です。

母はいつも妹に寄り添っていたので
心中の辛さは計り知れないだろうと思います。

そんな母に、これから楽しい思い出もたくさん作って欲しいので
夫と、母の三人で時々日帰りや小さい旅をしています。

先日、出かけた先では、思わぬ場所で花火が上がりました。
今年は自粛で一度も見られなかったので
サプライズの花火がとても嬉しかったです。

これも、見えない世界からの応援だなあと、
ありがたく思いました。

イクミ さんのコメント...

mt様

こんにちは。
ご助言、ありがとうございます。

そうですね。
傷ついた心を癒やすのは、無条件の愛でなければならないと思います。
怖れや怒りを癒やすのも、赦すのも愛です。
地上は、目に視えない愛が、最も大切であることに気付く場所だと思います。

妹さんと仲の良かったお母様の心中は想像も出来ません。
あなたがいて、本当に良かったです。
お母様も妹さんも、救われていると思います。

ヒーリングの力も無条件の愛ですので、根本的な解決にはなりませんが、気持ちが苦しければ、遠慮なく言って下さい。

mt さんのコメント...

イクミ 様

温かいお言葉をいただき、心強く思います。
(ご親切に恐れ入ります。どうしても、という時はお言葉に甘えさせて下さい)
自分のバランスをとりながら、
自分も楽しくを忘れずに、周りに出来ることをやって行きたいと思います。
ありがとうございました。

てる さんのコメント...

イクミ様

おはようございます

朝晩の寒さと伴って、山々の紅葉も始まり、空気も景色もすっかり秋になりました。

私は小さい頃から、とても胃腸が弱く、よくお腹が痛くなっていました。
当時、祖母が一緒に住んでいたのですが、お腹が痛くなる度に、祖母にお腹をさすって貰うと、嘘みたいに治ってしまっていた事を思い出しました。
当時は「不思議だなあ。おばあちゃんの手は魔法の手だ」と(笑)

彼が病気になり、顔と手足がひどく浮腫む症状があったのですが、彼が肉体を離れる迄の1年間、ほぼ毎日、顔と手足をマッサージしたりさすったりしていました。
それで、浮腫が改善するわけではなかったのですが、さすっていると、彼が本当に安心したような気持ちの良さそうな表情になり、時には眠ってしまうこともあり………

よく二人で、「愛だねえ」「まさに手当て、だねえ」なんて冗談めかして言い合っていましたが、
「少しでもらくになって欲しい」
「少しでも安心してほしい」
という、言葉にはしなかった私の想いが、手を通して伝わっていたのかもしれないと、今感じています。

ずっと、身を引きちぎられるように生きてきたけれど、彼との最後の日々に、共に向き合い寄り添えた事で、ずっと探していた1番欲しかった「無条件の愛」と「無条件の赦し」を注がれ、私も、注ぐことが出来て、今は、何か、深い深い底にある絶望や悲しみが、浄化され始めた様な感覚があります。'

今もまだ、触れられない事に慣れなくて、寂しさと愛しさで泣いてしまう日もありますが、彼が笑顔で「ほら居るでしょ!泣かないの!」と言ってくれます。

私が、愛によって救われた様に、誰かに、癒しや安らぎや愛を注げるように生きていけたらと想います。

イクミ さんのコメント...

てる様

こんにちは。
子供の頃、お腹をさすってもらったら、嘘のように治ったのですね。
お祖母様は、ヒーリングをされていたと思います。
治って欲しいと言う意念と、あなたへの愛情が、癒やす力として作用していたと思います。
あなたが彼の顔と手足をマッサージしたら、気持ち良くなり眠ってしまったそうですが、それも全く同じです。
人間は霊的な存在であるため、霊的な能力が元々備わっています。
癒やす力も、メッセージを受け取る能力もあるのです。

彼は、あなたの傷ついた心を癒やしていました。
生前も癒やされていましたが、亡くなった後に信じることが出来たので、今も引き続き、愛によって癒されています。
生きている次元は違いますが、結ばれていることを実感されているので、本当に良かったです。

これから先、あなたの周りに悲しんでいる人が現れたら、ご自身の経験と霊的真理を伝えてやって下さい。
それはあなたができる、貴重な愛の表現です。