小学校6年生の時です。
担任の先生が、自由に好きなことを書いて良いと、1冊の大学ノートを生徒に手渡しました。
生徒が書いた文章に対し先生がコメントをして、また別の生徒に渡すことを繰り返し、クラス全員を把握しながら親睦を図ろうとしていたようです。
しばらくして、私のところに回って来ました。
書いた内容はすっかり忘れてしまいましたが、何を思ったのか、他の子が書いた文章の一部に、クラスメートのあだなをいたずら書きをしてしまいました。
後日、それが先生の目に留まりました。
ホームルームの時、普段は温和な先生が、一転して険しい表情になり「誰が落書きをしたんだ、名乗り出なさい!」と、厳しい口調で言いました。
いつもと違う張り詰めた雰囲気が教室中に漂い、怖くなってしまった私は、手を挙げそびれてしまいました。
そして、先生は名乗りでるまで授業を受けさせないと告げて、別室に集められました。
自分のせいで、えらいことになったと、大いに焦りました。
みんなは授業を受けなくて良くなったので楽しそうにしていたのですが、私はそれどころではありません。
後悔やら懺悔やら、苦しい心境に徐々に追い込まれ行きました。
どれ位の時間が経過したでのしょうか、いたたまれなくなり、ついに先生の所に「ごめんなさい。私が書きました。」と告白しに行きました。
怒られるのは判っているのに、何故かホッと安心したのを覚えています。
悪いことをして、しらばっくれていても苦しいだけ、そんなことを学んだと思います。
もし、告白しなかったとしたらどうでしょう。
確たる証拠がないので、先生も諦めざるを得なかったと考えられます。
その時は、上手く切り抜けられたとホッとしたでしょうが、悪いことをしても、言わなければ何とかなる、そう思ってしまったかもしれません。
このままではいけないと、何かが訴えていました。
悪いことをしたら、苦しい思いや痛い思いをして正す、これは神の法則である「因果律」の働きによるものです。
全ての言動は、神の摂理(自然法則)に照らし合わされ、その善悪が判断されています。
神の摂理は、道徳や法律とは全く違い普遍的であり、正確無比に働きます。
善因善果、悪因悪果、全て自分に返って来るのは紛れもない事実です。
しかし、全部が小学生の時の私のように、直ぐに返って来るわけではありません。
それまでの間、カルマ(業)と言う形で、魂に刻まれたままの状態となっています。
自分の意思とは関係なく、その人にとって最善のタイミングで、「結果」となって返って来ます。
人生では、降って湧いたような出来事が起こります。
記憶をたどり、原因がどうしても見つからなければ、偶然として片付けてしまうことが多いです。
そんな時は、この世に生まれる前(過去生)に原因があるのかもしれません。
過去生の原因が判れば、少しは納得出来るのでしょうが、無限の叡智の働きによって、明かされていないと考えられます。
もし、過去生で何らか過ちを犯して、今生で償うために出来事が起きているのであれば、それは思い出したくない事象であるのに違いありません。
どうしても認めたくない人もいるでしょう。
明かされるところまで、まだ人間は進化していないと考えられます。
明かされなくても、多少の推測は可能かもしれません。
もし、自分のことだけしか考えずに、我がまま放題で、差別的なことを繰り返す人生を歩んだ人がいたとします。
利己的な言動は、神の摂理に反しているためカルマとなります。
この世で神の摂理の働きが判らなくても、死んで次の世界に行くと、如実に感じられるようになります。
自分の人生は間違っていたと気付き、深く後悔をするでしょう。
そんな人は、後悔を晴らし、積もり積もったカルマを償うために、もう1度地上に生まれて来ることになると思います。
今度は差別を受ける環境に生まれ、自分がした行為を他者から受ける、そんな人生を選ぶ可能性が高いと考えられます。
利己的な言動は他者を苦しめ、差別をすると人が傷つくことが、否応なしに判るからです。
その様な人生を拒否する自由も残されています。
しかし、償いをせず、カルマが魂に刻まれたままでは、成長することは許されません。
成長して行くのは、人間の根源的欲求です。
それが許されないのは、生きる意味が大きく損なわれていることになり、耐え難い苦痛を感じると考えられます。
学校で自分だけが同じ学年に留まり、周りの友達が進級して行くのを、傍観しているような気持ちなのかもしれません。
牢獄に入れられ、身体の自由を奪われるよりも、堪えるのかもしれません。
過酷な人生になると判っていても、後悔を晴らし、成長して行くために、覚悟を決めて生まれて来るのでしょう。
償いは、同時に魂の学びとなっています。
苦痛を伴う経験によって、カルマに代わって神の摂理(自然法則)の働きが魂に刻み込まれて、それ以降、背くことはなくなるでしょう。
本を読むより、人から諭されるより、実体験した方がはるかに身に付きます。
カルマによる苦痛は、自分の歪みを根本から正すためにあります。
相応の償いが終わり、カルマが消滅したのなら、苦痛から解放されると考えられます。
人間のすることには限度があり、償ない切れない罪を犯すことはありません。
従って、終わりのない苦痛は存在しません。
カルマは神の摂理に反する行い、言い方を変えると愛に反する行いによって生じます。
全ての人に良心が備わっています。
良心とは、自由意思のある人間に無用なカルマを生じさせないようにする、神の監視装置です。
私が小学生の時、怒られるのが判っていても告白したのは、良心の働きによるものであり、その先で、もっと大きな過ちを犯すのを防いでくれたと思います。
さらに、地上の人には守護霊が付いています。
守護霊は、地上の人の霊的な成長を願っているので、カルマを作りそうになると阻止するように働きかけていると考えられます。
「やってはいけない!」
心の中にこんな声が響いたら、素直に従うべきです。
カルマは、霊的な負債です。
現実社会で、負債を背負ったのであれば、何とかして返さなければいけません。
もし、たくさんの負債があり、それを返して行けば、生活が苦しくなるのは当然です。
返済期間を短くするために、苦しくてもたくさんの負債を返す人もいるでしょう。
霊的な負債に利息は付きませんが、今、とても苦しい思いをしている人は、カルマの返済を少しでも早く済ませようとしているのかもしれません。
神の摂理は、機械的に働いており、その公平さは完全です。
余分に苦しめたり、罪が減免されることはありません。
よって、苦しみから逃れられるために、神に願ったとしても叶いません。
けれども、こうは考えられます。
もし、摂理に反する行いで苦しみが生じているのであれば、摂理に適った行いをすることにより相償われるのではないかと。
神の摂理に適った行いとは、神の心を表現することです。
人や動物、あるいは社会が喜ぶような行いをしたのならば、等価の罪が償われ、償いの期間は短くなると思います。
しかし、行為には常に動機が問われています。
苦しみから逃れるための行いであれば、その動機は利己的なので、純粋な奉仕として数えられないと考えられます。
苦しみや痛みの経験を通して、他者に対し哀れみや同情が生まれて、何とかしてやろうと思い行動したのであれば、それは神の摂理に適っていると思います。
他者を想う気持ちが込められていれば良いと思います。
日常生活の中でも、ごく自然に親切にしたり、優しくしたり、助けたりするのも、カルマの返済につながっていると思います。
言ったこと、行ったこと以外に、想ったことにも神の摂理は働いています。
人や動物や社会の幸福や平和を心から祈るのも、決して無駄にはならないと思います。
ある宗教の教えを信じれば、カルマがなくなるようなことはありません。
祈祷により、カルマが消滅することもありません。
自分で作ったものは、自分で返すしかありません。
カルマを解消するために、この世に生まれて来た人は少なくないようです。
この世で作った借りは、この世でしか返せないのだと思います。
霊的なことに興味がなかった私がこんな文章を書いているのも、何か理由があるはずです。
今生の役目として志願していたのかもしれませんが、過去生で何か間違ったこと伝えてしまいカルマを作り、その償いをしているのかもしれません。
それぞれの人生に、窺い知れない原因(目的)があるのは確かです。
私がボランティアで通っていた障害者施設には、身体を全く動かせないを人がいました。
身じろぎもせず、ベッドの上で一生を過ごすことになります。
その姿を見て、前世で過ちを犯したから、償いのためにこの様な身体が与えられたと思う人がいるかもしれません。
しかし、そうとは限りません。
過酷な人生を選んで、敢えて向上した魂が宿る場合もあります。
どちらにせよ、自らの学びや成長と深く関わっているのは間違いありません。
また、幼い時に交通事故に遭い、心身に重い障害が残った人がいました。
事故は因果律の働きによって起きたのは間違いありませんが、霊的次元に原因があるとは限りません。
カルマによって事故が引き起こされたと考えるのは、余りにも失礼で強引な考えです。
自分に過失のない出来事により、時に大きな苦痛が生じることがありますが、それに対して霊的な埋め合わせがあります。
原因のない苦痛は存在しません。
他者や世の中のせいにしても、怒りや恨みの想いが生まれて、余計に苦しむだけです。
不運を嘆いても、ため息が出るだけです。
現在の自分は、これまでの人生の結果です。
納得する原因がこれまでの人生にあり、いづれ明らかになります。
今は判らなくても、この苦痛は自分のためにあり、終わる時が必ず来ると、強く信じて下さい。
地上の人は未熟なため、大小さまざまなカルマを作りながら生きています。
それにより生じた苦痛が学びとなり、成長へとつながっています。
未熟なもの同士が、苦しみや痛みを共有しながら、助け合い、励まし合って生きることに、地上に存在する大きな意味があると思います。
70 件のコメント:
イクミ様
今、つわりが重症化して入院しています。妹はいてくれますが、体調が悪すぎてあまりキャッチできないのが正直なところです。
いつでも良いのでヒーリングお願いできないでしょうか?調子が悪く、簡単な文章で申し訳ありません。
きりんの長女様
こんばんは。
入院するほど、つわりが酷いのですね。
今晩10時では遅いでしょうか?
イクミ様
お忙しい中ありがとうございます。よろしくお願いします。
きりんの長女様
了解しました。
早く良くなることを祈っています。
イクミ様
昨日はありがとうございました。昨日より少し体調良く過ごせていますが、まだまだ辛い渦中です。
また、お時間ある時で構いませんのでヒーリングして頂けるとありがたいです。
お忙しい中本当に申し訳ありませんが、よろしくお願いします。
きりんの長女様
こんにちは。
昨晩は予定通りヒーリングを行いました。
まだ、おつらいのですね。
つわりは医学的に病的なものではなく、生理的なものと考えられますので、その効果は限定的になるのかもしれません。
ヒーリングは、あなたではなく赤ちゃんに向けられていたような感じがしました。
赤ちゃんの脳が少しずつ形成され、音などの外界の刺激を認識し始め、何か想いのようなものが生れて、それをあなたのオーラが感じ取り、肉体的な変化が起きている、そんな気がしました。
赤ちゃんの具合が悪いのではなく、不安を感じないように、向けられていたのかなと思いました。
お力になれるのか判りませんが、今晩10時、明晩は10時30分から行いたいと思いますが、いかがでしょうか?
イクミ様
丁寧なお返事ありがとうございます。
ヒーリングは赤ちゃんに向けてして頂けたのですね。赤ちゃんが健康に成長していることにより、私の体調に変化が起きているのならば頑張って耐えるしかないと思います。私は体調不良で気持ちが落ち込んでしまうこともありますが、不安や心配に陥ることは今のところありません。しかし、赤ちゃんは何か不安に思うことがあるのでしょうか?
お時間を割いて頂き本当にありがとうございます。よろしくお願いします。
きりんの長女様
これは、あくまでも私が感じたことです。
赤ちゃんが不安を感じていると言うよりも、初めて外界から刺激を認識して驚いていると言った方が良いのかもしれません。
地上への順応の一環と考えています。
元気な赤ちゃんの方が、つわりが強いと聞いたことがあります。
心配なさらないで下さい。
それでは今晩10時に行います。
いつも素敵なブログをありがとうございます。
最近、カルマ……業のことについて考えています。
人から非難されたことは、今、思い当たらなくても、過去に自分がしでかしたことが全て返ってきてるのではないのだろうか。それであるなら、辛いことは致し方ないことだ。耐えてなにかを見いだし、仕方がないことなんだと受け入れることが救いになるのかなと。
たとえそれが、悪いことでなかったとしても、非難されるだけの理由があるのだと。
立派な行いであったにも関わらず、時代が許さなかったシンドラーさんや杉原千畝さんのような方々は別ですが、大半の一般人は、やはり非難はしようがないのでしょうね。
動機が大事。私もそう思います。
それが本当に伝えたい人には伝わったけれど、周りからは歪んで見えてしまったこと。
それは苦しい話ですが、真実を話せば誰にでもわかってもらえると思うのは、おこがましい話なのかもしれないですね。
伝えたい人にさえ伝わったのだからよい、それでも非難の言葉を思い出しては、時おり心を自傷しています。
非難された当時は他人が、それがいつからか自分がその言葉を自分に向けています。弱っているときほど。
過去世で人の悲しい気持ちに手を差し伸べられなかったから、今世で困難の中チャレンジを選んだのか。
それとも、手を差し伸べた人に対して、過去世の私がその人を責めたのか。
例えばズルをしてる人に勇気を持って注意、手を貸しても、その人が変わらなかったから、自分には手に負えないと離れるのは、カルマになるのか。
そんなようなことを次々と考え、何が業で、何を解消せねばいけないのか。
そんなループ思考よりも故人との約束を果たすのが先なのに、何をしているのだろうと自己嫌悪に陥ったり。
……なんだか、とりとめない上に日記のようなコメントになってしまって申し訳ありません。
大事なことが見えなくなって苦しくなってしまったのかもしれないです(^_^;)
カルマや目標とは一体なんでしょうね。
ゆらり
いつもブログ更新楽しみにしております。
毎回毎回、勉強・励みになります。
そしてキリンの長女さん、妊娠おめでとうございます。
ものすごい体験を今されていますが、つわり必ず終わりますからファイトです。
健康な人でも出産は大変なのに。わたしも、出産経験がありまして、つわり・切迫いろいろしました(笑)だから、頑張ってください。
つわりのときは、先輩方からアメをなめたり(ミント味)、ハイレモン?(お菓子のラムネみたいなもの)がいいよと言われ口にふくんで仕事をしていました。味は、いろいろ試してみてください。きっと個人差があると思いますので。
それと、今の時期、というよりも夏場もそうなのですが、現代女性は冷えがすごいと思うんです。頭では暖かいと思っていても、下半身って意外に冷えているので。足首にはレックウォーマーをつけ、太もも温められる(巻きスカートのようなもので)とよろしいかと思います。おなかまわりは、腹帯?腹巻などで温められてはいるかと思いますがもしよろしければ下半身を温めてみてください。
子供を持つって本当に魂が磨かれますよね。
なんだかコメントしたくなりまして、差し出がましいことを言いまして申し訳ございません。
もも
ゆらり様
いつもブログを読んでいただき、ありがとうございます。
最近、カルマについて考えているのですね。
本文中にも書きましたが、今起きていることが、カルマに因果律が働いたものなのか、自分が挑戦した課題なのか、他人の自由意思の行使(過ち)によるものなのか、判りません。
判っているのは、そのどれもが学びや成長につながっていることです。
あなたの取った行動は、霊的には許される、むしろ推奨されると考えていますが、地上(社会)的なことしか眼に入らない人たちがたくさんいます。
例に挙げられた、シンドラーや杉原千畝は、社会から見れば法律を犯す罪人です。
社会的な規範と霊的摂理のどちらに従うべきかは、言わずと知れています。
霊的に正しいことをしないと、良心の呵責に苛まれますが、正しいことをしても評価されずに、逆に人や社会から非難されることが、現実としてあります。
この世を生きるのは、本当に大変だと言わざるを得ません。
人や社会から非難されれば、心は傷つくでしょうが、悔やむことはありません。
しかし、正しいことをしなかった時は、後に後悔が生じることになります。
カルマではなく、ご自分の良心に従い行動したと考えていますが、もしかしたら、周りの目を気にして、大切な人を見捨ててしまった経験があり、そのことを深く後悔し、今生でその想いを晴らすために、この試練が与えられた可能性も否定はできません。
過去生は知る由もありませんが、いずれにせよ、あの時自分が取った行動は正しかったと、ホッと胸を撫で下ろす時が来ると思います。
謂れのないことで非難されるのは本当におつらいでしょうが、自分の想い(良心)に忠実に生きて、後悔をすることはありません。
ズルをしてる人を注意し、手を貸しても変わらなかったので、手に負えないと離れるのは、カルマになるのか?
人には自由意思があり、変わるべきところを変わらない選択をすることも許されています。
注意したのに変わらないのであれば、その責任は当人にありますので、カルマになるとは思えません。
あまり深く考えずに、自分らしく、正直に生きていれば良いのではないでしょうか。
もも様
おはようございます。
いつもブログを読んでいただき、きりんの長女様への温かいアドバイスのコメント、ありがとうございます。
カルマのお話、参考になります。
イクミさんの口調はいつもお優しくてホッとします。
「あまり深く考えずに、自分らしく、正直に生きていれば良い」大賛成です。
カルマは、蒔いた種を刈り取る法則でもありますが、神様はみんなのたましいが成長してほしいという愛の法則でもあると書かれてあったように思いましたが。人の役に立てることで、これは消えていくらしいので、自分ができることを日常努力していれば大丈夫なはず。真理にしがみつき、努力あるのみです。とはいえ、毎日失敗だらけです(笑)
「ズルをしてる人に勇気を持って注意、手を貸しても、その人が変わらなかったから、自分には手に負えないと離れる」…地上はいろんな人が集まっている場所であり、注意してもだめならそれはそれで「この人も早く真理に目覚める日が来ますように」と心の中で祈るのが良いと思います。まわりの人がいくら言っても本人の魂が目覚めなければどうにもならないのですから。(自分の子供には、しつこいくらい言い聞かせていますが。)結局、自分を救えるのは自分でしかありませんよ。他人の責任を引き受けることはできませんとシルバーバーチも言っていたような気がします。
大丈夫です。みんな同じですから、いつかどこかで目覚めるはずです。他人のことよりも、自分の行動・言動に目を見張り、次はこれに気をつけようとか考えたほうがお得だと思います。注意するのがいけないとか言っているのではありません。他人の責任を肩代わりしてあげることはできないということです。
カルマにこだわるよりだったら、日々、人の役になるようなことをしたほうがいいと私は思っています。なんだかんだいって、自分もカルマって…と思っていた時期もあります。霊的真理を知っていても、私は残念ながら、毎日反省会ですよ。ひび学びだらけです。そういう日々をこなしているうちに、こうすればよかったのかって目に見えない人が思念を送ってくれますよ!!!(⇔特にそのような力はありませんが、自分でそう思っているだけかもしれませんが。)人助けって難しいですが、他人様を救うことができて、なおかつ自分の魂も成長させることができるっていうことを知っているって、とってもお得なことだと思いませんか?
お互いが助け合う世界…楽しみですね!!!
こんな感じで考えていますが、イクミさん、何かおかしいところがありましたら、訂正してください。何度もコメントしてしまいすみません。
もも
もも様
シルバーバーチの霊訓を良く読まれているので、あなたの考えていることと、大きな相違はないと思います。
比較的若い時期に真理と出会い、お子さんにも教えていると聞いて、羨ましく感じます。
確かに、口で言うほど人助けは簡単ではありません。
必要としている人に、真理を伝えることは、価値のある人助けだと考えています。
言われるように、それが成長にもつながります。
たくさんのことを経験し、失敗から多くのことを学び、真理の理解を深めながら、多くの人に伝えて行って下さい。
イクミ様
はじめまして。
昨年末にシルバーバーチの霊訓と出会えた新米です。
先日イクミ様のブログにたどり着き、とても分かりやすく、また優しいお気持ちのこもった文章に感動しつつ拝読させていただいてます。
一月前から背中の張りがあり気になっております。
原因は食べ過ぎです。
肉主霊従となっていました。
せっかくシルバーバーチに出会っていながら実践できてない事に反省しております。
利己的な行動の結果にヒーリングをお願いできるものでしょうか。
ルイ母様
はじめまして、イクミです。
ブログを読んでいただき、ありがとうございます。
シルバーバーチの霊訓に出会えて良かったですね。
1ヶ月前から背中の張りが気になり、原因は食べ過ぎにあるのですね。
まず、原因を取り除かなければ、いけません。
張りがあって苦しいのは、食生活を正しなさいという、神の摂理(因果律)の働きによるものです。
ただ、あなたが食べ過ぎてしまうのは、精神的、霊的次元に何か原因があるのかもしれません。
お力になれるのか判りませんが、今晩11時からヒーリングを行ってみましょう。
これから数時間、所用があり返信が出来ないので、ご了承下さい。
イクミさんへ
お忙しいところ、返信をありがとうございました。
とても優しく温かみのある言葉に涙が出ました。
何がどうしてこのような因果が発生したのは、誰にもわからないことですね。
もしかしたら、相手となった故人にはすでに見えている答えがあるかもしれません。
私もいつかわかる日がくるのでしょうか、そうだとありがたいです。
いまだに後悔は全くありませんが、後悔がないということは反省が出来ていないに等しいことなのかと悩みます。この感情は何に値するのかなと考えてしまいます。
注意した相手のカルマは相手のもの、私は手を離しても問題なさそうだというのは、ホッとしました。
人を変えるより自分を変える、もう相手の問題なのだから自分は気にしない、それが一番みたいですね。
自分らしく正直に。
故人が私の良いところとして褒めてくださったことでした。
久しぶりにそのことを思い出して泣きました。
本当にありがとうございました。
ゆらり
ゆらり様
おはようございます。
彼は因果が視えていると思います。
そして、地上の人の真の想いも視えています。
後悔がないのは、自分に正直に生きたからです。
自分らしく正直に生きていれば、何も恥じることはない、これは向こうにいる彼が、あなたに1番伝えたいことだと思います。
イクミ様
ヒーリングありがとうございます。
私のコメントへの返信を読んだら体が温かくなり背中が柔らかくなる感じがしました。
ヒーリングの時間は就寝しておりましたので分かりませんでしたが、
今は昨夜の張りがとても楽になりました。
本当にありがとうございます。
お粥等の固形物を食べると痛くなるので甘酒を作りいただいてます。
数年前も同じような状態になり苦しんだのに、懲りずに内蔵を酷使してしまい反省してます。
人より食べることに執着があります。
これが私の清算すべきカルマかもしれません。
明日は寒くなるとの事ですので、イクミ様もご自愛ください。
イクミ様
文章を読んでいて、私も小学校3年生の時にやってしまった過ちを思い出しました。
しかも興味深いことに、その失敗をしてから暫くして、私が相手にやってしまった仕打ちと同じ仕打ちを友達から受けたんです。
もちろん悲しかったですが、自分がそういう仕打ちを受けた原因を考えてみると、見事に自分がやってしまった過ちが原因だと分かりました。
当時、私はカルマという言葉は知らなかったのですが、子供心に悪い事って繋がるのだなと思いました。。
人間って不思議なもので、時が経ってから、あの時自分が相手にしてしまった仕打ちを思い出して、「あぁ、あの時は悪いことしたなぁ。。あの人に今謝りたいなぁ」と思い出すこともあります。
大学生になってから私はこの経験を1度しました。
シルバーバーチは時間には過去も未来も存在しないと言っていましたが、このように心の観点から考えてみると、少しだけそうかもなぁと思います。
イクミさんへ
ご返信をありがとうございました。
故人が伝えたいことを教えてくださり、感謝しかありません。
感じたことをそのまま受けとめ、思いをまた伝えていきたいと思います。
そしてそれを形にして行きます。
ルイ母様
おはようございます。
背中の張りが良くなって良かったです。
ヒーリングは予め決めていた時間だけでなく、霊界が良いと判断したタイミングでも行われているようです。
人より食べることに執着があるそうですが、もしカルマだとすれば、それを克服するように努めなければいけません。
あるいは、精神的、霊的飢餓感を、食べることで代償的に満たそうとしている可能性もあります。
何か満たされていない部分がないか、見つめ直して下さい。
また、自分の想い描いていた通りに生きていないことから、生じている場合もあると思います。
ナオヤ様
おはようございます。
あなたも小学生の時に、因果律の働きを感じるような経験をしたのですね。
子供の頃は、自我の働きが弱いので、過ちであったことを、魂が素直に感じ取ることが出来ます。
大人になるのに従い、自我の働きが強くなり、相対的に霊的な感覚が弱くなってしまうために因果律の働きが判らず、相手のせいにしてしまうことも多くなります。
あなたが近い将来なる医者にとって大切なのは、因果の関係を見極めて、適切に対処すること、それに尽きると思います。
そのための知識であり、スキルであると思います。
イクミ様
ヒーリングありがとうございました。イクミさんのおっしゃる通り、つわりは生理的なものなので仕方ないと思いつつも、嘔吐が続く日々に心がどんどん荒んでいきます。ステロイドを内服している人はつわりが酷いと、今日医師からお話を聞きました。先の見えない状況が辛いです。それに、妹のこともよくわからないのです。私が体調不良に伴い感じることができなくなっているのか、今は1人で頑張るべきところだからなのか…。ネガティブな文章で申し訳ありません。神と霊界の方々への感謝は忘れないようにしたいと思います。
もも様
温かいアドバイス本当にありがとうございます。もも様を含め、世の中のお母さんは本当にすごいと思う毎日です。私はちゃんとこの課題を乗り越えて、お母さんになれるのか…と思うこともありますが、1日1日を頑張りたいと思います。
きりんの長女様
おはようございます。
まだ、つわりがひどいのですね。
嘔吐が続く状態では、どうしても肉体に意識が行ってしまい、霊界とのつながりが希薄になってしまうと思います。
いつまでも続かないので今は耐えて欲しい、いつも通り傍で見守っているからと安心してと、伝えたいのだと思います。
イクミ様
お世話になっております。
今日は薬の使用の是非と動物実験について質問させて下さい。
私には霊訓の中で特に受け入れがたい部分があります。「苦痛を和らげるためであっても薬の使用には反対です」とシルバーバーチが述べている箇所です。
これを実践するなら、イクミ様の御仕事でいうと、神経を麻酔なしで処置するということになりますのでしょうか?無知にてお恥ずかしいですが、それでしたら、大変恐ろしい事のように思います。
また、末期がんの患者さんの緩和ケアなども出来なくなると思います。患者さんは見るに堪えない姿となるのではないかと。
「好んで冷たい態度を取るわけではない」とシルバーバーチは言いますが、流石に私には受け入れられません。私自身、苦しむ人や動物を黙って見ていたいとは思わないですし、当事者の立場だったとしても、苦痛は緩和してほしいです。
イクミ様はこのような、霊訓の中でも極論と思える部分についてどうお考えになっておられますでしょうか?
次に動物実験についてです。医療や薬で動物実験の恩恵を被っておきながら誠に勝手千万な話ではありますが、やはり実験動物のことを知ると可哀想でたまらない。
それも、ペットショップで売れ残った子や保健所の子が、引き取られていくようなのです。せめて犬や猫だけでも実験使用は止めて欲しいと願わずにはいられません。動物はそんな事のために生まれたんじゃない!と思います。
シルバーバーチは「動物に苦痛を与える方法で本当の解決策は見つからない。自然の中に神が用意した治療法がちゃんとある」的な話をしています。この言葉については、私も、そうあって欲しいと願っています。
海外では実際に動物実験を減らす動きもあると聞きました。
しかし、現実問題としては、どんな薬でもまずはマウスで安全性を実験しているからこそ世に出せているのだと思いますし、動物実験がなくなったら医療の進歩など有り得ないんじゃないか?と。無論、誰も動物を好んで犠牲にしたいわけではないと思います。研究者の方々だけに罪を負わせ、薬の恩恵だけをのうのうと受けている、身勝手な私の戯れ言なのかも知れません。
でも、動物実験は廃止されて欲しいです。
イクミ様は、動物実験ゼロの医療が実現可能だと思われますか?
きりんの長女さま
不安に思う気持ち、お察しします。
体調が思わしくないと、気分がふさいでいきますよね。
つわり=気持ち悪いから思うように行動できないもどかしさ、どうにかして欲しい、早くお家に帰りたいなどいろいろあると思います。
体調の悪い時、今日の体調はどうだろう?とついつい考え、今日も昨日と同じで気持ち悪いと思い、ガッカリしたりしませんか?私はこんな感じです。不安感満載。心配はいけないことも知っていますが、考えてしまいます。
思い切って、「つわりで何もできない自分でもいいんじゃない?」って考えてみませんか?だって、今の自分って、ものすごく耐えていて、充分頑張ってるんだもの。わたしは、イクミさんのような霊力はないですが、何の力にもなれませんが励ましたいです。落ち込んでるときに言葉をかけてもらうのって、なんだか安心するじゃないですか。
それと、旦那さんに手を繋いでもらってもいいかなって思っています。よく子供は手をつないであげると安心するよっていうと思うんです。大人だって人間だから、不安なときに手をつないでもらえばいくらかは安心できるはず。目に見えない方々がたくさん守ってくれてはいますが、少しでも不安材料がなくなればと思います。
イクミさんがいつもおっしゃっられているように、乗り越えられないことは起きない!だから、大丈夫。
「私はちゃんとこの課題を乗り越えて、お母さんになれるのか…」とありますが、お腹にお子さんがいらっしゃるんですから、もうすでに立派なお母さんですよ(^^)自信を持ってください。
もも
tomoko様
こんばんは。
引き続き、ブログを読んでいただき、ありがとうございます。
ご質問の件ですが、私の記憶では「苦痛を和らげるためであっても薬の使用には反対です」とは書かれていなかったと思います。
私は仕事上、毎日のように麻酔をしています。
もし、外科的な処置を麻酔なしですれば、それは拷問に近いものがあります。
麻酔や痛み止めは、医学上の最も有益な発見であり、その使用は摂理に何ら反していないと思います。
動物実験については、シルバーバーチはあなたが書かれている通りのことを言っています。
全面的に否定していて、悪魔的な行為とさえ言っています。
残念ながら、開発される薬で動物実験なしで作られるものはないと思います。
しかし、動物実験ゼロの医療は可能だと思います。
一部でiPS細胞から病態を示す細胞を誘導し治験をする動きも出ていますが、動物実験に代わる方法を見つけ出すだけの英知が、人間には与えられていると考えるからです。
あなたと同じ様に、私も動物実験には本当に胸を痛めています。
何とかならないかと、いつも思っています。
ペットショップで売れ残った犬や猫が保健所に収容され、里親を装った悪質な業者の手に渡り、実験用動物となる現実があり、看過できるものではありません。
私の家では微力ながら、保健所にいる犬や収容されそうになった犬を保護し、飼い主を探して譲渡する活動を行っています。
「犬や猫を飼いたいと思ったらペットショップではなく保健所(愛護センター)に行く」それが当たり前の世の中になるよう努力するのも大切だと考えています。
無力感がありますが、今出来ることは、それ位しかなさそうです。
今朝、家内からペットショップの現状を表しているアニメの動画を教えてもらいました。
よろしければシェアして下さい。
https://gooddo.jp/video/?p=4948
動物にも魂があり、感情があり、殺さ殺される恐怖や痛みを感じている。
霊的真理が普及すれば、そんな事実を多くの人が知ることになり、動物実験は淘汰されて行くでしょう。
イクミ様
https://gooddo.jp/video/?p=4948
見ました。これつくった人、天才だなと思いました。
ペットショップでペットを買う人が、自分の見えないところで負のサイクルに加担しているということがよく分かりました。
音楽がなんだか不吉で、より一層印象に残ります。
麻酔や痛み止めを使うことは私も賛成です。シルバーバーチも"苦しみは無くてはならない大事なものですが、患者が苦しまないようにしてあげることも大切です"と言っていたように思います。
動物実験が行われる原因は、薬の開発者、処方する医師、処方される患者の動機の問題であったり、現代の社会構造であったり、現代人の霊性であったりと色々と複雑に絡み合っているように思います。
しかし、状況は少しずつ良くなっているように思います。皆少しずつ、現在の過剰医療に疑問を持ちつつあるように感じます。
医療費が増大しすぎ、この問題を真剣に考えねばならない時代となっています。
ナオヤ様
早速、動画を見てくれたのですね。
悪質なブリーダーは、動物をお金を産み出す物とかしか見ていません。
子犬を産めなくなった母犬を、平気で保健所に持ち込みます。
愛情を全く受けずに生きていた犬が、人間の手によって殺される、こんな悲劇があってはならないと思っています。
シルバーバーチはそうも言っていたことを思い出しました。
書いていただき、ありがとうございます。
イクミ様
いつも心が温まるブログをありがとうございます。
今日は一番大好きで大切な方の命日でした。
少し前からどう過ごそうかと考え、彼の為に写経をして心静かに過ごそうと思っていました。
でも今朝になり「あなたが楽しく過ごしてほしい。」と彼から言われた気がして、一時間ほど電車に揺られ、以前行ったことのある観光地に行ってみました。
寒い日でしたが、小物を買ったり美味しいものを食べたりして、とても楽しくすごしました。
生前彼はいつも私に、「頑張っているんだから自分にご褒美をあげてね。」と言ってくれて、私が自分の為に楽しくしている様子を、本当に喜んで見ていました。
だから今日は、私が楽しんでいる姿を見て、嬉しく思っているんだと感じました。
「肉体を離れてからのこの一年をよく頑張って過ごしたね。本当に頑張ったね。」と何度も何度も褒めてくれているのもはっきり感じました。
優しくて大きな愛情をいつも与えてくれた彼が今も変わらず存在しているのがよくわかります。
物理的なやり取りはありませんが、変わらぬ愛情はいただいています。
何にも変わってない彼の姿が嬉しくて、ありがたくて、幸せに感じた一日でした。
イクミ様
ご返事と動画のURL、有り難うございます。これまでもペット業界の闇や、悪徳ブリーダー、アニマルホーダーなど、動物にまつわる問題の動画を何度もYoutubeで見ていますが、耐えられないです。
日本は行政が何もしないですから。ドイツは世界大戦の反省から、命あるものを
人為的に殺さない国に生まれ変わるという目標を掲げていたらしいです。
ティアハイムという清潔で美しいシェルターがあり、
週末に家族で犬を貰いに行けるような場所なのだそうです。
民間の募金だけで行政並みの予算が集まって、運営出来ていると聞きました。すごいことですね。
日本の動物愛護団体の方々も活動されていると思いますが、行政が「不要犬猫」の蛇口を
いっこうに閉めてくれないので、いくらでも溢れてきます。
末端の民間人が「処理」しているという事なのだと思います。
ワクチンや乱繁殖防止の問題も含めて、行政が手を打つべきだと思います。
ODAで海外に見栄を張っている場合ではないと思うのですが・・・。ペット税なら喜んで払うので
公金投入して欲しいですね。
>「苦痛を和らげるためであっても薬の使用には反対です」
すみません、この引用は若干記憶違いしていたようです。
改めて調べたところ、『シルバーバーチの新たなる啓示』六章 「薬物の使用は禁物」の項目に次のように書かれていました。
■質問「───ある種の薬物を使用することで一時的に心霊能力が覚醒した状態となります。私はこのことに関心を持っています。これは将来の霊的能力の開発の新しい方法として一考の価値があると思うのですが、いかがでしょうか。」
シルバーバーチ「断じて、そして真っ向から、私は薬物の使用には反対です。(中略)あくまでも鍛錬と正しい心掛けと生き方の中ではぐくまれるべきものであって、不自然な促進剤の使用によって行なうべきものではありません。(中略)さらに、それ以前の問題として、私は、たとえ健康のためであっても薬剤を使用するのは間違いであると考えます」
健康のための薬剤という表現は、かなり広い意味に取れます。病気の辛い症状を抑えるものなのか、苦痛を緩和するものなのか、あるいは精力を増強するようなものなのか、サプリメントなのか。
シルバーバーチが反対している薬剤使用についてもっと具体的に分かる箇所として、
もう一箇所引用させて下さい、
『シルバーバーチ最後の啓示』の「進化と発展」の章に、次のような部分がありました。
■───鎮痛剤や麻酔薬の使用は好ましくないと、どの霊も言うのですが、ひどい苦痛にさいなまれている者にも絶対に使用してはいけないのでしょうか。
「それは、その時の事情と動機によりけりです。痛みを和らげてあげるのであれば、悪いことではありません。それ自体は私は反対しません。私が反対しているのは、スタミナの増進のために薬物を使用することです。 地上の人間として心掛けるべき優先課題というものがあるはずです。すなわち霊と精神と肉体の調和です。その基本を踏まえた上で、苦しみ喘いでいる人に一時的に特殊な処方をするのは、決して悪いことではありません」
スタミナの増進のための薬物ってどんな物なんでしょう??
レッドブルのようなカフェイン飲料でしょうか?疲れが飛ぶ覚醒剤のようなものでしょうか?
それはともかく鎮痛剤には(少なくともシルバーバーチは)反対ではないようでホッとしました&
記憶違いにて、すみませんでした。
上の②箇所が私の頭の中で合わさり、改変されていたようです。
全文載せているサイトで、「薬」「医療」といったキーワードで検索をかけて、シルバーバーチの
医療観を個人的にまとめ、学んでみたいと思いました。(パソコンは便利ですね・・・)
「動物実験」というキーワードはかなり多く
出てくるのでいかに強くシルバーバーチが反対しているのか分かります。
さくら様
おはようございます。
ブログを読んでいただき、ありがとうございます。
昨日が彼の命日だったのですね。
長いような、短いような、表現が難しい特別な1年だったとお察しします。
あなたは想いを上手く受け取り、彼が1番喜ぶ命日の過ごし方をされたと思います。
シルバーバーチの霊訓にはこんな一節があります。(少し長文です)
「みなさんは他界した人がぜひ告げたいことがあって地上に戻ってきても、有縁の人たちが何の反応も示してくれない時の無念の情を想像してみられたことがあるでしょうか。大ぜいの人が地上を去ってこちらへ来て意識の焦点が一変し、初めて人生を正しい視野で見つめるようになり、何とかして有縁の人々にうれしい便りを伝えたいと思う、その切々たる気持ちを察したことがおありでしょうか」
「ところが人間が一向に反応を示してくれません。聞く耳を持たず、見る目も持ちません。愚かにも人間の大半はこの粗末な五感が存在の全てでありそれ以外には何も存在しないと思い込んでおります。
私たちは大勢の霊が地上へ戻って来るのを見ております。彼らは何とかして自分が死後も生きていることを知らせたいと思い、あとに残した人々に両手を差しのべて近づこうとします。やがてその顔が無念さのこもった驚きの表情に変わります。もはや地上世界に何の影響も行使できないことを知って愕然とします。
どうあがいても、聞いてもらえず見てもらえず感じてもらえないことを知るのです。情愛に溢れた家庭においてもそうなのです。その段階になって私たちは、まことに気の毒なのですが、その方たちにこう告げざるを得なくなります。こうした霊的交流の場へお連れしないかぎりそうした努力は無駄ですよと」
以上が霊界における現実です。
自分の存在と、想いを送っていることを、あなたに信じてもらえている彼は、本当に幸せです。
あなたが昨日感じていたのは、彼の想いそのものだと思います。
1年で、今の心境に到達したことを、誇りに思っているでしょう。
あなたが信じ続けている限り、彼は想いを送り続け、人生を豊かで実りあるものになるよう、導いてくれるでしょう。
tomoko様
こんにちは。
あなたは細かいところまで、霊訓を読み込まれていますね。
シルバーバーチは、心霊的能力の発現のために薬物の使用を禁止しています。
あくまでも自然に発現するものだと考えているからです。
健康のためであっても薬剤を使用するのは間違いであると言っていますが、病気の原因は霊と精神と肉体の不調和から生じているので、薬剤の使用は根本的な解決にはならない(対処療法)と考えているからだと思います。
「私が反対しているのは、スタミナの増進のために薬物を使用することです。 地上の人間として心掛けるべき優先課題というものがあるはずです。すなわち霊と精神と肉体の調和です。その基本を踏まえた上で、苦しみ喘いでいる人に一時的に特殊な処方をするのは、決して悪いことではありません。」
緩和ケアで麻薬を使うのは、否定していないことになります。
スタミナ増進のための薬物とは何か、詳しいことはわかりませんが、第2次世界大戦前後の日本で「ヒロポン」と言う覚醒剤が体力の亢進という触れ込みで広く出回っていて、身分を証明すれば薬局で誰でも手に入れること出来たようです。(今も医療用として薬は残っています)
食糧難と関係していたと推察されますが、欧米でも同じ様なことが起きていて、警鐘を鳴らしていたのではないでしょうか。
イクミ様
有り難うございます。
>健康のためであっても薬剤を使用するのは間違いであると言っていますが、病気の原因は霊と精神と肉体の不調和から生じているので、薬剤の使用は根本的な解決にはならない(対処療法)と考えているからだと思います。
そうですね。「たとえ薬が必要な状態であっても、それは根本的解決ではない事を念頭において下さい。
地上の人間として心がけるべきなのは、あくまで、霊・精神・肉体の調和なのを
忘れないようにして下さい。」という趣旨でシルバーバーチは言ったのでしょうね。
>第2次世界大戦前後の日本で「ヒロポン」と言う覚醒剤が体力の亢進という触れ込みで広く出回っていて、身分を証明すれば薬局で誰でも手に入れること出来たようです。(今も医療用として薬は残っています)
霊訓がおろされた時代を考えると確かに、と思いました。
そういえば・・・戦時中は軍隊も覚醒剤で兵士の士気を高めていたと聞いた事があります。
ヒロポンって民間人でも簡単に買えるものだったんですね。今認可されている薬も相当恐ろしいです。
ロボトミーのようなあり得ない手術を精神科治療として行っていた時代から
100年経っていないのですからね。長い目で見たら薬物もなるべく少量がいいのかもしれません。
私は「動物実験をして作ったような薬は要りません」と重病でも投薬を拒否し、麻酔なしで手術するのが霊的な生き方なのかと強迫的に思い込んでいたのですが、イクミ様の解釈で楽になりました。そこまでは言っていないですよね。それと、どこに主眼をおいて捉えるかですね。でも、原理主義的に取れる言い方なので
私のように、思い詰める方が出るといけませんから、こうやって他の方の解釈を聞ける場があって
良かったと心から思いました・・・。
tomoko様
おはようございます。
霊的真理は、厳しい内容もありますが、基本的に心に安らぎを与えるものと考えています。
もし、怖れや不安を感じるものがあったのなら、解釈が間違っている可能性があります。
霊的な生き方にこだわっていらっしゃるかもしれませんが、肩の力を抜いて、自然に生きることも大切だと思います。
イクミ様
有り難うございます。高級霊が人を脅すはずがないですね。
>私の家では微力ながら、保健所にいる犬や収容されそうになった犬を保護し、
飼い主を探して譲渡する活動を行っています。
イクミ様のお宅がすでに愛護TEAMになっていたのですね。里親募集のサイトを見ると
これほど簡単に犬猫を手放すのかと呆れるほど、常時、大量に募集されており、いたたまれなく
なります。
私も政治家ではないので、何も出来ないのが悔しいです。
たまに、少額ながら、難病の犬を優先的に保護・譲渡している団体に募金しています。
地元の自治体に陳情・請願行おうと思い、市議の事務所に行ったこともあるのですが、
私の地域では、すでに殺処分ゼロのための行動指針が提出されていました。
一つ明るいニュースを。
大木トオルさんという、捨て犬をセラピードッグに育成されている方の、講演会に行ったことがあるの
ですが、この方は本業がブルースシンガーで、故美空ひばりの息子さんも信頼を置いている位、
業界では名の知れた方だという。政界とも強いコネクションがあるそうです。
その地位を生かし、政権与党に対し、殺処分ゼロを求める働きかけをずっと行ってきているそうです。
昨年、動物愛護法が少し改正されたのは、有志達と共にしてきた努力が実を結んだ結果。嬉しく
思っているが、まだまだだと仰っていました。でも、5年以内に殺処分全廃を目指してこれからも
活動し続けるそうです。「日本には犬猫のアウシュヴィッツがある。国際社会に顔向け
出来ない」と言われていたのが忘れられません。
イクミ様に教えて頂いた動画ですが、FACEBOOKでシェアさせて頂きます。
tomoko様
あなたも動物たちのために動いているのですね。
里親募集のサイトには、常時ものすごい数の犬や猫が登録されています。
その犬猫たちは、セーフティーネットに引っかかったので、命の保証はありますが、保健所にいる犬猫にはありません。
昔より、だいぶ数は減ってきましたが、まだ数万匹の犬猫が殺処分されています。(減った分、愛護団体が抱えている現実があります)
実現困難かもしれませんが、全国の小学校や中学校で殺処分されかけている動物を受け入れ、子供たちに飼育してもらえば、かなりの数が救えるのではないかと考えたりしています。
ショッキングな現実を子供たちに知ってもらえたなら、大人になってから動物を手放すことはしないでしょう。
自分たちの手で世話をすれば、優しさや連帯感も生まれます。
また、つらいことがあっても、犬猫たちが癒やしてくれるでしょう。
不登校の子も、学校に行くきっかけになるのかもしれません。
夜になると誰もいなくなるのは、動物たちにとって寂しいでしょうが、殺されるよりはましだと思います。
大木トオルさんのことは、以前テレビに出ていたので知っていました。
日本初のセラピー犬、チロリの話を観て感動しましたが、現在も愛護活動に尽力をされているのですね。
「日本には犬猫のアウシュビッツがある」言われてみればその通りです。
私の住む地域でも、人里離れた山奥にひっそりとありますが、ほとんどの人は存在すら知りません。
ガス室に入れられた動物たちの最期は、上を向いて苦しそうです。
こんなとんでもない施設が、一刻も早くなくなることを祈るばかりです。
先日の動画ですが、シェアしていただき、ありがとうございます。
イクミ様
最近は、小中学校の道徳教育で殺処分のビデオを見せているみたいです。
皇族の愛子さまが、「動物たちにも命があるのになぜ殺されなければならないのか、かわいそうに
思いました」と作文を書かれていました。先生に気に入られるように書くのが普通の子供ですが、
それでも立派だと思いました。
天皇一家は動物好きで、いま、愛子様が皇居で飼っているのも捨てられていた犬猫らしいです。
秋田の施設で天皇陛下も「殺処分なくなって欲しい」と言われていたそうです。
皇族が率先して捨て犬を飼っているのですし、国民も大いに見習って、生き物を大切にするのが
真理に適っていると思います。
私自身は、小中学生の頃、かなりの動物ぎらいでした。
毛やフンが汚いし、うるさいし、理性はないし、可愛くも何ともないし、大嫌いでしたね。
顔を見ると憎たらしくてイジメてやりたくなる。
好きこのんで動物なんてかわいがる人の気が知れないと思っていました。
自分が犬を飼うようになると、動物が思ったより感情豊かで、愛情深く、可愛いので、
考えが変わっただけです。
友達の犬が死んだ時も「なんでその程度の事が悲しいの?」と言ったと記憶しています。
友達は「TOMOKOらしいね。」と許してくれました(いま思い返すと、当時まだ中学生だった
友達が許してくれた事も凄いなと思う。)
ですから本当は動物を虐待する人の事を言えないのです。シルバーバーチの言うように
霊的に未熟な人の未熟な行為であり、善人とか悪人という人種がいるのではなく、悪い行いが
目立っているだけなのでしょうね。
だから、小学校で生き物を飼って授業で世話するのはいいですよね。
生き物への愛情を学べると思いますし、霊性が上がると思います。
ペットを飼っていた友達は精神が安定している子が多かったです。
私は相当苦労させられましたが、苦労する前は、人格的にはきわめて冷酷で、特に弱者には
手厳しかったと記憶しています。人を人とも思わぬ所がかなりありました。
今はだいぶ同情心などが湧くようになったと思います。
以前住んでいた地域で、いつも5匹以上犬を連れている人がいたのですが、その方は保健所の
獣医でした。ガス室で処分する仕事だそうで、こんなことのために獣医になったわけではないの
に・・・と言っていました。処分されるのは高齢の犬が多いが、あまりに若い犬が連れて来られると可哀想に
なって引き取るのだそうです。
tomoko様
おはようございます。
天皇、皇后がご結婚されて最初に飼った犬も、赤坂御所に迷い込んで来たみたいですね。
愛子様は、そんな犬たちと一緒に育って来たので、自然に動物愛護の気持ちが芽生えたのでしょう。
これから積極的に関わっていただければ、とても大きな力になると思います。
人間でも同じですが、相手のことを良く知らないと、偏見や誤解が生まれます。
実際に、自分で飼って、触れ合ってみないと、動物のことは良く判りません。
私も、犬を部屋の中で飼ってみて、人間の想いを察知して、落ち込んでいる時や疲れている時には癒そうとしていることを知りました。
自分がもらったもの以上のものを返そうとしている、人間を超えたところがあると感じています。
学校で、動物の殺処分のビデオを見せているのは知りませんでした。
鉄は熱いうちに打てではありませんが、子供の内に残酷な実態を知れば、その記憶は一生残り、間違いは犯さなくなると思います。
ビデオを観た子供たちが大人になる頃には、殺処分の数がゼロになっていることを願うばかりです。
保健所は犬を引き取る前に、手放す飼い主に対して、行く末を収めたビデオを観てもらうことを義務付けても良いのではないかと思います。
イクミ様
追記すると、私はまだ、
「人を人とも思わぬ弱者には手厳しい冷酷な人間」より「同情心の強い人間」のほうが
精神的には成長しているという考えに根拠を見いだせずにいます。イジメも同情も当人が
自由意志で好きでやってるだけで、善悪や優劣は後付けの価値観であるかのように思うからです。
というのはどうしてもシルバーバーチの教えは弱者道徳という感じが否めないからです。
また行きすぎるとプラトンの「クリトン」のように、悪法も法なりと
強迫観念のようになって、理不尽な死刑判決に無抵抗のまま死ぬのが道徳的だと
いう事にすらなりかねません。従って私は道徳的に生きるという事のメリットは
個人の信念にあるのではなくて、ただの処世術にすぎないのではないか。
道徳より社会的にうまくやる事を優先したほうが得なのではないか。
という考えを捨てきれません。強いとは道徳を蹂躙してもやっていけることで、
弱いとは道徳にすがらないと生きていけないことでもあるのではないでしょうか。
弱さゆえに道徳に固執する自称弱者(根は冷淡)も相当な数見てきました。
こういう時に「弱い人間ほど痛みを知ってるから優しくなれるんだー」と主張する
人もいますが、彼らが飯を食わせてくれるわけではないので、就活面接や受験で
ある程度人を蹴落として食い扶持を得るのは当然のことです。
弱者派の人は言うだけ言って、立身出世主義や能力偏重主義を否定しますが、その
責任は取らないのです。ゆとり教育を推進したひとびとがそうでした。
現にゆとりの高齢ひきこもりの生活の面倒など、今の政府はみていません。
8050問題でしたっけ、家から高齢ひきこもりを出そうとして腐心は
しているようですけど。無責任に弱者を持ち上げるひとびとは、ある側面においては、
弱者を蹴落とす人間より悪質に思えます。
イクミ様
私も天皇家の方々に動物愛護の啓発をしていただきたいです。でも、きっと政治は天皇陛下の立場を利用するだけして、お気持ちは無視なんでしょうね。
やはりイクミ様も動物の愛護問題をどうしたら良いのか、色々とお考えになっていらしたのですね。飼い主教育は必要だと思います。保健所のビデオ案は名案ですが、保健所に来る前に、ペットショップがしつけ教室や啓蒙活動、捨てられた犬猫の「リサイクル」を実施すればいいと思うのです。まずは飼い主になるときにビデオを見せるべきです。ドイツのように飼い主の講習会を実践して欲しい。狂犬病のワクチンは義務付けられているのですから、運転免許のように、動物の権利への啓発も義務化できると思います。
tomoko様
こんばんは。
あなたはシルバーバーチの霊訓に触れる以前に、カトリックの信者であり神の存在を信じているので、コメントに書かれていた内容は意外でした。
もし、善悪が後付けの価値観であるならば、霊的法則など存在せず、法則に背いたことを行っても因果律は働かないことになります。
霊的法則が支配しているからこそ、私たちは安心して生きて行けるのであって、もしそうでなければ、世界は極めて無秩序で混沌としたものになってしまいます。
愛は妄想に過ぎず、物理的に力があるものが支配をする世界が永遠に続いてしまいます。
シルバーバーチの教えは弱者道徳の感があると言うことでしたが、弱者を助けようとするのは、人には良心があるからです。
道徳は人間が作り出した概念ですが、良心とは生まれながら自分の中にある神性です。
困っている人を助けるのも、溺れている人を助けるのも、道徳的に良いからではなく、良心に忠実に行動した結果です。
シルバーバーチは良心の訴えに素直に従うことを勧めています。
いろいろと疑問が生じているのですね。
少し強引かもしれませんが、「道徳」を同じ生活を律するものである「宗教」に置き換えると意味が通るような気がします。
道徳(宗教)的に生きるという事のメリットは個人の信念にあるのではなくて、ただの処世術にすぎないのではないか。
処世術として道徳(宗教)的に生きるのは、偽善者と変わりがないと思います。
道徳(宗教)より社会的にうまくやる事を優先したほうが得なのではないか。
霊的なもの、地上的なもの、そのどちらを優先するのかは、個人の判断に任されます。
弱いとは道徳(宗教)にすがらないと生きていけないことでもあるのではないでしょうか。
弱いからだけではなく、それが真理だと信じるから、すがるのだと思います。
弱者派の人は言うだけ言って、立身出世主義や能力偏重主義を否定しますが、その責任は取らないのです。
現にゆとりの高齢ひきこもりの生活の面倒など、今の政府はみていません。
ゆとり教育が、引きこもりを作ったわけではなく、個や社会の種々の原因が重なった結果として引きこもるようになったと考えられます。
どこかに過ちがあれば、自然法則の働きによって、正されて行くと思います。
自由意思によるものではなく、不可抗力の弱者であれば、やはり社会全体で助けるべきです。
動物は不可抗力の弱者なので、人間は無条件に助けるべきです。
犬猫は物ではないので、リサイクルという表現は適切ではありませんが、あなたのおっしゃている通りだと思います。
今週は、麻酔科での実習でした。
麻酔科の教授(世界的に有名な先生なのだそうです)に手術室の中を案内してもらいました。
そして、私たち学生に向かって言いました。
"君たちは、麻酔科のことなんて1週間もしたら忘れてしまうだろう? でも、絶対に覚えておいてほしいことがある。君たちがどの科に進もうが、医師1人にできることなんて限られているということだ。この手術室だって、執刀する外科医だけでなくて、看護師さん、エンジニア、掃除や術衣の洗濯をして下さる方、事務の方、そして我々麻酔科医の協力があるからこそ、まわっている。
そのことを忘れた時点でよい仕事は絶対に出来ない。なぜならはじめに言ったように、人間1人に出来ることなど限られているからだ。"
本当に凄い方なのですが、そういう方に言われたからこそ、身に染みました。
麻酔科はオピオイド等で疼痛緩和ケアも行っていました。
やはり疼痛コントロールは重要だなと実感しました。
ナオヤ様
おはようございます。
今週は麻酔科の実習だったのですね。
私も卒後3年ほど歯科麻酔科に残り、全身麻酔などをして研修しましたが、今となっては、若き日の良い思い出でもあります。
麻酔科の教授は、人間一人に出来ることは限られていると言っていたそうですが、あなたたちに常に謙虚であれと伝えたかったのでしょう。
ご自身がそうであったからこそ、たくさんの人に助けられ、業績を積むこと出来て、現在があると思います。
私が卒業したころは緩和ケアと言う言葉自体もなかったと記憶しています。
ある外科の先生が、ガンの再発や末期で痛みに苦しむ人を何とかしてやりたいと国内外で研修をしていましたが、同僚の先生に、それは敗北の医学だと言われたそうです。
今では、なくてはならないものになっています。
動機が正しければ、目的は成就されて行くと思います。
お返事有り難うございます。はい、道徳は宗教だと思います。「善の研究」もカントの道徳律も道徳教と呼んでよい内容ですし。ということは理性をさしはさむ余地がないという事でもあります。
>もし、善悪が後付けの価値観であるならば、霊的法則など存在せず、法則に背いたことを行っても因果律は働かないことになります。
霊的法則が支配しているからこそ、私たちは安心して生きて行けるのであって、もしそうでなければ、世界は極めて無秩序で混沌としたものになってしまいます。
愛は妄想に過ぎず、物理的に力があるものが支配をする世界が永遠に続いてしまいます。
残念ながら既に無秩序で混沌としたものになっていると私は思うのです。
因果律の働きも目に見えないですし、後から「あれはカルマだったんだ」と思うか思わないかだけの話に思えますし、あとからいくらでも解釈出来ますから。善悪もカルマも後付けでないという確固たる根拠はありません。愛は確かに存在していますから妄想ではないと思いますが、物理的に力があるものの支配でしたら古今東西ずっとそうなんじゃないでしょうか。
私は、世界にどうあって欲しいかではなく、「世界は実際にはどうあるのか」を、
自分自身が納得できるかできないかと区別して、まず、観察すべきだと考えています。
神はいます。人間が納得しようがしまいが。人間が信じるか信じないかで神がお困りに
なることは有りません。
では、カルマと霊的法則はどうなのか。今のところ、私には、分かっておりません。
「分からない」と言っているだけで、「ない」とは言っておりませんが、「ある」とも言えません。
>シルバーバーチの教えは弱者道徳の感があると言うことでしたが、弱者を助けようとするのは、人には良心があるからです。道徳は人間が作り出した概念ですが、良心とは生まれながら自分の中にある神性です。
困っている人を助けるのも、溺れている人を助けるのも、道徳的に良いからではなく、良心に忠実に行動した結果です。シルバーバーチは良心の訴えに素直に従うことを勧めています。
ではその良心が、まさにソクラテスの「クリトン」のように、自分に死ぬことを勧めてくる場合は
どうしたら良いのでしょうか。良心は誤作動します。私には良心こそが最大の妄想に思えます。
人間には同情心が備わってますが、同情心の赴くままに生きていたら身の破滅にならない
でしょうか。同情心につけこんだ詐欺も横行している世の中です。日本はまだ平和な部類ですが。
>道徳(宗教)より社会的にうまくやる事を優先したほうが得なのではないか。
霊的なもの、地上的なもの、そのどちらを優先するのかは、個人の判断に任されます。
霊的なものは目に見えないし、あるかないかも分からないのです。
>弱いとは道徳(宗教)にすがらないと生きていけないことでもあるのではないでしょうか。
弱いからだけではなく、それが真理だと信じるから、すがるのだと思います。
弱いからこそ幻想を真理だと信じないと生きていけないのです。まさにそれが弱さの証明です。
>処世術として道徳(宗教)的に生きるのは、偽善者と変わりがないと思います。
すべての善は偽善ではないでしょうか?人助けだって結局は自分の「助けたい」という欲を満たすためで、
苦しむ人を座して見ておれないからで、それは自分のためですから。
また、「偽善」が悪いとは私は思いません。人から見たら善なんですから、自分の受け取った善を
善か偽善か区別して得になるとも思えません。
やらない善よりやる偽善だ、とよく言いますが、
現実的に被災地の復興に必要なのは、善人の熱く真摯な思いではなく、偽善で募金された
かもしれない500万円です。
国際ボランティアのリーダー的な立場の医師も「信念はいらないからまず人命を助けろ」と
他の医師に言っていました。
信念では命は救えません。極悪人の医師だろうが、人格はともかく、命を救って貰わないと
困ります。したがって本当に困った時は相手の動機など問わないし、現実的な給付が何より大切だ
と思います。
真摯な善人の医師に見殺されるよりは偽善者の医師に命を救って欲しいです。
人間はゲンキンです・・・、私だって信じられない信じられないと言いながら、
体調が悪くなってくるとやっぱりイクミ様にヒーリング依頼してますし(汗)
無神論者だと豪語していた友人も、骨の手術の前は「神様!仏様!」と必死に祈っていました。
人間に良心があるのは事実ですが、
人間は善悪ではなく損得で動くというのもまた、政治的な真理ではないかと思うのですが。
>ゆとり教育が、引きこもりを作ったわけではなく、個や社会の種々の原因が重なった結果として引きこもるようになったと考えられます。
どこかに過ちがあれば、自然法則の働きによって、正されて行くと思います。
自由意思によるものではなく、不可抗力の弱者であれば、やはり社会全体で助けるべきです。
これはその通りだと思います。神の見えざる手は存在するでしょう・・・。
また100%の自由意志はありませんから、「自由意志による」ものだろうと弱者は支援したら良いと
思います。
前の読書会はこんな調子で反論していて追い出されました。私が、主宰者に攻撃を加えているみたいに
傍目には映るようです。しかしそんなつもりはありません.議論は議論であって敵意とか害意では
ないし喧嘩でもありません。
私は信じたいのです。信じたいのに矛盾や疑問が次々見つかるから信じられなくて困っているのです。
そして自分でも割り切っているのか割り切っていないのか分からなくなってきています。
誰か論破してください。 あとイクミ様を攻撃しているわけではないですし
むしろいつもコメント下さってヒーリングもして頂いて感謝しています。
これ読んでもどうかお気を悪くなさらないで下さい。
P.S ドストエフスキーの大審問官をお読みになった事がありますか?もし良かったら、お読みに
なって、ご感想をお聞かせ願えませんでしょうか? イエス様は私に黙って接吻なさるでしょうか(~_~;)
参考(このサイトだけ読めば概要書いてあります)
https://novella.works/lord-inquisitor
弱者道徳というのはニーチェの用語で、既存の社会のルールで勝てない人間が、道徳という別の体系にすがってその体系の中で自分を慰め、既存の社会のルールとは別のところで
「自分は優れた人間だ」と思い込もうとすることです。
強者への怨恨(ルサンチマン)から成立する弱者の道徳という意味が込められています。
シルバーバーチの霊訓の文脈で言えば、「私はこの世では弱い。だけど霊性は高い。だから今の苦境は霊性の高さゆえの試練なのだ。」と信じることです。
もっとみもふたもない表現をすれば「いじめられっ子が心を慰めるための思想」です。
つまり、私には、道徳にすがる事そのものが「社会から追い出された人」の証明に思えます。人が道徳的に生きれば強者も弱者もなくなるからで、それは弱者の望みだからです。
惨めなものは惨めなままに受け止めるのが知的な体力というものであり、道徳や宗教にすがるのは知性の放棄だという考えを私はどうしても捨てられないのです。
読書会に最初に行った時も、一体どんな不潔な引きこもりが来るんだろうと思っていました。実際の参加者は普通の人ばかりで、私の想像していたいじめられっ子ではなく、むしろ強者と呼べるぐらいの人が多かったのですけれど・・・。
したがって加藤一二三やパスカルのような、強者に見える人がカトリックの信者である事は、私にとって慰めになりました。今、テレビに伊沢なんちゃらとか、河野なんちゃらという頭脳の優秀な人が出てますが、なんでくだらないカルトクイズにばかり答えていて、あんな見世物小屋のびっくり人間晒しみたいな下品な番組に恥も外聞もなく出て、神に関する議論をしてくれないのかと不満に思います。
>自由意思によるものではなく、不可抗力の弱者であれば、やはり社会全体で助けるべきです。
私は自由意志による弱者すら助けるべきだと思いますが、(完全な自由意志は存在しないから)「なぜ弱者だからといって助けないといけないのか?」と言われたらちょっとよく分からないです。最近、読んだサイトの中に、人は普段は直感で善悪を判断していて、複雑なケースの時(それこそ死刑に瀕したソクラテスのような)になるとルールを参照しようとする、という話がありました。意外なことに、現代倫理学の中でも先端的な知見らしいです。
引用したいのですがリンクが見つかりません。その直感を「神性」と呼んでも間違いではないのかもしれません。こんなこと一人で考えていても議論する相手もいないし、ただの暇つぶしなんでしょうけど。
私は宗教を習俗としか思っていません。特定の宗教にだけ真理が降ろされているという考え方をしたことがないです。また、人生というゲームのチートが宗教思想だと考えています。
カトリックの体系を自己修練のために利用しているだけなので、教会や教会員は嫌いですし、信じていない教義も相当あります。シスターの中で好きなのは一人だけで、神父は大体嫌いです。とんでもない信者なのかもしれません。
ただし道徳的に振る舞うことの合理性を説かれたら納得行きます。
経済も数学もまるで分からないですが、この間、ナッシュ均衡という理論があるのを
聞きました。非協力的ゲームにおいて、「プレーヤーが互いに利他的に振る舞うことが、
結果的にはお互いの利益を最大にする」という場合があるらしいのです。
満足に理解出来ているか心許ないですが、そういう話と認識しています。
つまり道徳的に生きるのは自分の幸福を追い求める上でもすごく合理的って事になる。
動物のリサイクルは私も不適切な表現かと思うので「」を付けました。「いわばリサイクル」という意味を込めました。
私の考え方はカトリックよりも高校の時に出会ったトルストイの「人生論」の影響が大きいと思います。生命そのものへの信仰を説いた素晴らしい本で、人間というのは互いに助け合うように神に設計されている、個人的な個我の追求に本当の幸せはない。ひたすら利他的に生きることに幸せがある。それが生命の本質だという内容です。ただし死後の生命に言及しそうでしない点だけが残念です。書かれていることは、シルバーバーチと何一つ矛盾していない。薄い本ですし、真理を衝いていると思うので、僭越ですが、お勧めさせて頂きます。
私の話をまるで聞いていなかった精神科医にも、「トルストイの人生論を読んで「人間とは何か」真摯に考えなさい。」と説教しておきました。
支離滅裂でごめんなさい。唯物論と宗教の間で右往左往してます。
イクミさん、お久しぶりです。
副鼻腔炎で治療していただいた、えりです。
お礼が遅くなりまして申し訳ございません。
その節はありがとうございました。
そして、またお願いがあります。
毎度毎度、体調不良で、現在は百日咳と診断され、咳がなかなか収まりません。
もし可能でしたら、また、ヒーリングをしていただきたいのですが大丈夫でしょうか。
tomokoさんへ
ソクラテスがどうとか、すべての善は偽善だとか、弱者とかお言葉がたくさん出てきますが、
どれもこれもどうでもよいことだと私は思います。
もっと自分の言ったこと・思ったこと・行ったことに目を向けてください。
この世は、『お互いを助け合う世界です』ってイクミさんもおしゃっております。
わたしも納得です。他人のことをどうだこうだというよりは、
自分が世のため人のために出来ることをしていかれてはいかがでしょうか?
言葉でいうよりも、ものすごく大変なことです。
完璧な人なんていません。それでもお互いにできることをして、助け合っています。
今日着ている服・食べ物・身の回りのもの・・・自分一人では作れませんよね?
みなさん、誰かのために今日も役に立っております。
偽善・弱者といいますが、みんなそれぞれ自分の人生を必死に生きています。
他人がしたことはその人が責任を取るからいいんです。
もちろん、自分がしたことは自分が責任を取らなければならないのです。
良心についてもおっしゃっていましたが、
わたしは、自分がされてうれしいことを良心だと思っています。
だから、誤作動はしないと思います。
霊的真理は、何回も何回も読んで読んで読みまくり、
それを実践していかなければ自分のものとはならないと思っております。
自分が実践して、学びを深めていくものだと思います。(涙涙の連続です。)
私は、正直なところシルバーバーチの霊訓を理解できませんでした。
が、スピリチュアリズム普及会さんが出版されている「続スピリチュアリズム入門」
がものすごくわかりやすかったです。(手にお持ちでしたら、すみません。)
人に聞くよりも、自分で学んでいくしかないのだと思います。
みんな学びの最中です。
でも、みんな、遅かれ早かれ向かう先は一緒です。
わたしも未熟物の一人です。
まだまだ、自分を見張り、実践していかねばならないことだらけです。
地上にいる間は、わからないことだらけです。
でも、死を体験した後に、わかる日が来るとのことです。
わからないからこそ、霊的真理をたよりに、限られた魂の学びの時間を大切にして下さい。
えり
tomoko様
こんばんは。
返信が遅くなり、申し訳ありません。
あなたはとても勉強されていますが、答え(真理)を必死に探しているからだと思います。
残念ながら既に無秩序で混沌としたものになっていると私は思うのです。
確かに無秩序で混沌としてい部分はありますが、全部ではありません。
世界は自然法則の働きにより、確実に善の方向へ進んでいます。
物理的な力で支配されたいた時代から変わって来ているのは、数百年前の世界と比較すれば明らかです。
因果律の働きは目に視えませんし、起きた事象がカルマの働きなのかも判りません。
個人的には、因果律の働きは間違いなくあり、原因が直感的に判るようになって来るものだと思っています。
霊的なものがあるかどうかが判らないそうですが、あなたが確かに存在していると言っている愛も霊的なものです。
世界は実際にはどうあるのかを、自分自身が納得できるかできないかと区別して、まず観察すべきだと考えているそうですが、人生の時間は限られているので、良心に従って行動に移した方が後悔が少ないと思います。
ソクラテスの「クリトン「」は不勉強で知りませんでした。
良心が死ぬことを勧めてくることはありません。
良心とは自分の内なる神であり、神の摂理に摂理に反する指示をすることはありません。
良心は誤作動し、良心こそが最大の妄想に思えると言うことですが、あなたが良心と考えているのは、自我または観念のようなものかもしれません。
すべての善は偽善ではないでしょうか?人助けだって結局は自分の「助けたい」という欲を満たすためで、苦しむ人を座して見ておれないからで、それは自分のためですから。
あなたの命を救うために自分の命を落とした人がいて、自分の欲を満たすため、自分のためにやったと、割り切って考えられるでしょうか。
人を助けたいという欲自体が善です。
あなたが言うように、偽善者が寄付したお金であっても、受ける側はにとってはありがたいものです。
霊的価値は半減してしまうのも事実ですが、しないよりは良いと思います。
前にも書かれていた医者の件ですが、医療は結果が全てですから、あなたと同じ様な考え方の人が多いでしょう。
もしかしたら、極悪人に見えた医者には仕事を成功させると言う信念があり、真摯で善人に見えた医者は、その信念に欠けていたのかもしれません。
信念があれば、多くは良い結果が伴うと思います。
弱者道徳はニーチェの言葉で、自分が優れた人間だと思い込もうとすることなのですね。
いじめられっ子が心を慰めるための思想とは、厳しい表現ですが、その心境は少し理解できるような気がします。
霊的真理もそうですが、人の知らないことを知っていると、優越感に浸ったり、自分のコンプレックスの穴埋めにしたりする傾向は確かにあると思います。
道徳にすがる事そのものが「社会から追い出された人」の証明に思えます。人が道徳的に生きれば強者も弱者もなくなるからで、それは弱者の望みだからです。
道徳や宗教にすがっている人が、社会から追い出された人とは限らないと思います。
社会から追い出されていなくても、何かにすがらないと生きて行けないほどの過酷な経験は存在すると思います。
真理に辿り着き、すがることで、理解が深まることもあります。
私個人としては、真理を受け入れることで、勝ち負けや、社会的成功にこだわらなくなったと思います。
周りの人間にとって驚くべき変化だったでしょうが、生きている目的が、霊的成長にあるとはっきりと判ったからです。
強者とか弱者と言いますが、地上的に捉えるか、霊的に捉えるかで、大きく違って来ます。
霊的真理を知った人ならば、霊的な強者を目指すのではないでしょうか。
言葉が足らなかったかもしれませんが、自由意思によって弱者と思われる人になったのであれば、その苦境から学ぶべきものがあるので、無暗に助けるべきではないと言う意味です。
仕事では、自由意思により病気になった人の治療もしていますが、本人が痛い思いをして、過ちに気付かないと、同じことを繰り返します。
あなたは割り切って考えられない人だと思います。
完全に納得しないと、前に進んで行く気になれない人だと思います。
信憑性を知性で確かめるのは大切ですが、素直に信じることも大切だと考えています。
時間的制約で、答え切れていないところが多々あることをお許し下さい。
トルストイの「人生論」も面白そうですね。
ドストエフスキーの「大審問官」ですが、時間があれば読んでみたいと思います。
えり様
お久しぶりです。
tomoko様への、温かいアドバイスありがとうございます。
体調不良があり、百日咳で咳が止まらないのですね。
新型コロナウィルスのことがあり、人前で咳をするのもはばかれるようになり、2重におつらいですね。
ヒーリングの件、了解しました。
明晩10時に行いたいと思いますが、いかがでしょうか?
イクミ様
かなりの長文だったにも関わらずお時間割いて下さり、有り難うございます。
シルバーバーチ本人は、理性で徹底的に吟味して欲しい、盲目的に信じる事を要求していない
と言っているので、批判的態度を改めるつもりはまったくありません。
かなり傲慢に映る発言なのは重々承知ですが、ご無礼をお許し下さい。
>私たち霊は決してあなた方人間に “理知的に難しく考えず、ただ信じなさい” とは言いません。
逆に “神から与えられた理性を存分に使って、私たちを試しなさい。徹底的に吟味しなさい。その結果もし私たちが言うことの中に、低俗なこと、邪険なこと、道義に反することがあると思ったら、どうぞ拒否して下さい” と言っています。
>私が盲目的な受け入れをよろこばないことはご存知でしょう。
>私はかつて一度たりともあなた方を盲目的信仰へ誘導したことはありませんし、知性が反撥するような行為を要求したことはありません。
>単なる信仰、盲目的な信仰は烈しい嵐にひとたまりもなく崩れ去ることがあります。しかし立証された知識の土台の上に築かれた信仰はいかなる嵐にもびくともしません。
>全幅の信頼心───盲目的な信仰ではなく知識を土台とした完全なる信念は、人生のあらゆる体験に心配も迷いも不安もなく立ち向かわせます。
>私は信仰をもつこと自体は反対していません。それが理性を土台としていて、盲目的でなければ結構です。スピリチュアリズムの思想を正しく理解された方なら、手にされた真理は全体のほんの一かけらにすぎないことはご存知と思います。
> 皆さんは気落ちしたり悲観したりする必要はどこにもありません。信念に基づいた希望に胸をふくらませて、常に楽観的であらねばなりません。その信念が盲目的であってはなりません。
理性的検討を加えずに安直に信じているのではいけません。生命が永遠の霊的実在であるとの、もはや争う余地のない事実を基盤とした信念であらねばなりません。
闇雲に信じて、何かあった時に、信じていたものが崩れ去り、こんなはずではなかったと思わされるような霊的知識では、困ります。何があっても絶対的普遍的な真理であるという確信を持つためには、いかなる状況でも取りこぼしのない通暁的法則であるのかどうか、検証が必要だと考えます。
霊的知識は、知識であって、神様への信仰とは違うのですから、批判検証と相容れない性格のものではないと考えております。
えり様
コメント有り難うございます。
私は他人のことをどうだこうだと言った覚えはございません。失礼ですが、該当する箇所をお示し願えますでしょうか。また、「偽善」と「弱者」を批判した覚えもありません。社会に偽善は必要だと思っております。そして「弱者」がどうのではなくテーマは「弱者道徳」です。私の悩み事なんて、貴方様にとっては、どうでも良い話で関心も持てないですよね。そして、きっと、私に頭で考えるより行動することを勧めて、メッセージを書いて下さったのですよね。
でも、私にとっては非常に真剣そのものの疑問なのです。そう思う自由と疑問を持つ自由は、私に、あるはずです。
シルバーバーチの霊訓と現実の間で葛藤して、これほど悩んでいる事を、ただの知識のひけらかしや、観念のもてあそびのように受け取られて、ごちゃごちゃ理屈を並べるな!と言われてしまうと、とても悲しい思いが致します。
真剣に悩んでいて、かつ自分で考えても分からないことを人に聞くのが問題だとは、思いません。イクミ様は、疑問を受け付けてくれる寛大な方ですし、人生の先輩であり、シルバーバーチの霊訓の実践の先輩でもあり、器の広い、大人の男性なので、ここで質問させて頂いております。どうでもいいと仰いましたが、貴方様も、「大審問官」を実際にお読みになってから、ご判断頂いても遅くないと思います。釈迦に説法なのかも知れませんが、どうでも良いのかどうかは、それからご判断頂いても遅くないと思います、ご理解頂けるのならば。
良心は誤作動します。
良心にしたがってストーカーを放置していたら(妻子ある人だったので、親が警察に捕まったとあっては子供が可哀想だと思ったから通報しなかったのです)ストーカーは増長し
学校に押しかけてきて、周囲からも誤解を受け、大変な目に遇ったことがあります。
私はこの時、ああ良心って自分に損をさせるんだな、と痛感しました。
良心にしたがって都心の電車で痴漢を放置していたら、次の日から痴漢は4倍に増えました。
それも、その程度で、警察に連れて行っては可哀想だ、ストレスの溜まっている人達なんだろう減るもんじゃないから触らせてあげるのもボランティアの一環だろうと思っていたからです。たぶんですが、そういった人々の掲示板があって、いつも同じ号車に乗り、同じコートを着ていたので、マークされたものと思われます。気が狂うかと思いました。
誤作動した良心が自死を命じてくる可能性は確実に存在します。無私の奉仕とは、自死に等しいと私は考えます。「死ね」という良心の声が聞こえてくる可能性はある、と私は真剣に思ってます。
私は霊訓に書かれている事が日本語的に難しいとは思いません。
難しいのは内容を信用することです。
信用出来たらどんなにか素晴らしいとは思うんですけど、今のところ出来ません。
イクミ様
色々教えて下さって有り難うございます。
割り切れないですが、参考になりました。イクミ様は大変お忙しいと思うので、
この話題に関しましては、これ以上のご返信は、結構です。
お付き合い頂きまして、感謝致しております。
>あなたの命を救うために自分の命を落とした人がいて、自分の欲を満たすため、自分のためにやったと、割り切って考えられるでしょうか。
人を助けたいという欲自体が善です。
厳密に考えれば、それでも「人を助けたい」という自分の欲に従って行動したと言えると思います。
たとえば人の身代わりになって死ねば天に富を積むことになるから、死後に褒賞が手に入ると
説く宗教があります。それは自分の褒賞のために死ぬのだと思います。
また、人間関係に割って入ってくる迷惑でお節介で、結果的に前以上に場を引っかき回すやっかいな人はどこにでもいるものですが、彼らとて「人を助けたい」とは思っているのです。
常に良い結果を招くとは限らない事がひっかかります。悪気がないからといって
最初より人間関係をややこしくされたら困りますから。
そういう時にしゃしゃり出る人は大抵自分自身が別の問題を抱えてるんですけどね。
だから動機が本当に純粋かも分からないものなんですけどね。
私の場合は「あなたに光をもたらしたい」と言ってくる人は100%の確率で危ない人でした。
しかし、実際そんな行為をしてくれる人に本当に接したら、その時は、・・・確かに割り切ったとらえ方はしないと思います。人間として胸打たれるものを強く感じて、その後の人生が変わってしまうかも知れません。
>良心とは自分の内なる神であり、神の摂理に反する指示をすることはありません。
良心は誤作動し、良心こそが最大の妄想に思えると言うことですが、あなたが良心と考えているのは、自我または観念のようなものかもしれません。
良心が死ぬことを勧めてくることはありません。
どうしたら良心とそれ以外を識別できて良心の声だけを聞けるのかなぁ。と思いました。
そうなれたら良いのですが。
私が痴漢やストーカーの立場なら、「ああ無情」の神父様のように、警察に通報しないで
見逃して欲しいなと思ったから、自分のして欲しいように、相手にしたまでです。
これは良心の誤作動と言えるのでしょうか。
>霊的真理を知った人ならば、霊的な強者を目指すのではないでしょうか。
世俗の強者を目指せない人間が、別の価値体系の強者を目指す。これが弱者道徳です。
どっちにしたって強者を目指すのだから、やってる事は世俗の人間と同じです。
サッカーで勝てないから野球を始めただけじゃないですか。
霊的真理って頭と体の弱いいじめられっ子が自分を慰めるための幻想じゃないのか?
と私の中の「誰か」がささやきます。
>社会から追い出されていなくても、何かにすがらないと生きて行けないほどの過酷な経験は存在すると思います。
それはそう思いますが一定以上不幸な経験をすると「ふしあわせな人」とのレッテルを貼られます。
ヘンに同情されます。それはそれで弱者です。
>言葉が足らなかったかもしれませんが、自由意思によって弱者と思われる人になったのであれば、その苦境から学ぶべきものがあるので、無暗に助けるべきではないと言う意味です。
自由意志を誤用しないという事はすでに恵まれている人の証であり、
学ばない・成長しない相手は霊的に未熟な魂なので、助けても良いのではないかと思います。
たとえばお年寄り向けのパソコン教室の先生は、100回同じことを聞かれても怒らない人でないと
勤まらないそうですが、それと同じようなものです。
とはいえ、私が実際に全然歯磨きしない患者さんを何度も治療するような状況でしたらとても空しくなって
しまうと思います。治してもキリがないし患者さん本人にも学んで欲しいと、きっと思うはずです。
tomoko様
おはようございます。
あなたの言わんとしていることは良く判ります。
批判的だとは思っていません。
疑問点をなくした上で、受け入れたいだけだと思っています。
確かに、シルバーバーチは盲目的に信じるのではなく、理性で疑ってかかれと言っています。
ただ、知識に信仰を加える必要はあると思います。
霊的な知識は、証明するのが困難であるものがほとんどだからです。
イエスの弟子たちは証を見せつけられましたが、伝えられたことを検証することなく、他の人たちに伝えて行きました。
それはイエスという人間を、絶対的に信頼していたからだと思います。
私はシルバーバーチの霊訓に書いてある内容を、心から信じています。
自分でも盲目的と思うこともありますが、シルバーバーチと言う霊を絶対的に信頼しているからです。
確かめずに信じられる霊に出会ったのは、幸せなことだと思っています。
いかなる状況でも取りこぼしのない通暁的法則であるのかどうか、検証が必要だと考えているそうですが、全てを検証するのは不可能であり、検証している内に、人生が終わってしまうような気がします。
どうしても、信じることは必要になります。
繰り返しになりますが、良心が死ねと命じることは、絶対にありません。
もし、そんなことがあったとしても、無視して下さい。
イクミさんへ
おはようございます。お世話になります。
イクミさん、いつもお忙しい中、快く引き受けてくださりまして、ありがとうございます。
今晩、よろしくお願い申し上げます。
新型コロナ・・・早く終息されるといいのですが、これも神が許可したことであり、
学ぶべきことがたくさん秘められているように感じられる今日この頃です。
Tomokoさんへ
コメント、ご指摘ありがとうございます。
Tomokoさんの疑問をどうでもよいと言っているのではありません。
Tomokoさんの魂が成長するためにTomokoさんが引き寄せている事象だからです。
Tomokoさんが学んで乗り越えて、前に進むためのものだと思っております。
この場で、Tomokoさんと言い争うこともしたくはございませんし、
わたしが、とやかく言うことではありませんでした。誠に申し訳ございませんでした。
ただ、ただ、自分の思ったこと・行ったこと・言ったことに目を向けていただきたかっただけです。
わたしたちは、霊的な部分と肉的な部分を兼ね合わせておりますので、
たましいにとって大切だと思うことを選択していければ物事は解決していくように思われます。
たましいをみがく場所で、ともに向上していく仲間として、乗り越えられることを祈っております。
わたしもまだまだです。自分を正しい方向に近づけ、実践して真理をもっと深めてまいりたいと思います。
イクミさん、いつも学びの場所を提供してくだり、ありがとうございます。
また、Tomokoさんはじめこちらにコメントを寄せられる皆様がおっしゃられるように、
温かいお言葉で見守ってくださり、ありがとうございます。
えり
お世話になっております。
昨日は、お忙しい中、ヒーリングしてくだり、ありがとうございました。喉が痒くなり咳がまだ出ますが、昨日よりは鼻づまりもなく良いような気がします。
誠にありがとうございました。
えり
えり様
こんにちは。
昨晩は、予定通りヒーリングを行いました。
小さな良いことでも、続けて行くと大きなものになります。
自分が与えたものが、最善の活かされ方をするのを見ているほど、うれしいことはありません。
しつこそうな病気ですので、よろしければヒーリングを少し続けてみようと思います。
今晩10時30分と明晩10時ではいかがでしょうか?
ご都合が悪ければ、遠慮なくおっしゃって下さい。
イクミ様
お忙しい中、誠にありがとうございます。
いつも、コメントに勇気づけられ、励ましていただき、ありがとうございます。
人に喜んでいただけることって、ものすごくうれしいです。
かわいい・物がしっかりしているとか・(絵柄がいろいろありますので)わくわくするといわれます。
話は変わりますが、こちらのブログで、どなたか真理の冊子を作られていると見たことがあり、
去年の暮れあたりに私も作ってみました。スピリチュアリズム普及会さんにもお伺いをたてまして、
フリマアプリで物が売れたら、品物と一緒に冊子を入れさせていただいている今日この頃です。
時期が来た人の手元にわたらないと意味はないといわれてはいますが、
何もしないよりだったらと思いさせていただいております。
ヒーリング、イクミさまのお時間が許されるようでしたら、お願い申し上げます。
いつもながら、毎度毎度、自分にがっかりします。
それでも、イクミさまが以前、病気になりやすい体を選んできたのでしょうといってくださったおかげで、
自分の心の持ち方が悪いのもありますが、前に進んでいこうという気になります。
何卒よろしくお願い申し上げます。ありがとうございます。
えり
えり様
お母様も喜んでいると思います。
真理の冊子を、ご自分で作られていて、品物と一緒に渡しているのですね。
霊界は、あなたの想いと努力を見逃さないと思います。
導かれて、その冊子を手にする人も、いるのではないでしょうか。
それでは、今晩10時30分から始めたいと思います。
リラックスしてお待ち下さい。
イクミさま
おはようございます。
昨日も貴重なお時間を使用していただきまして、ありがとうございました。
今日は、調子がいいです。気にするくらいせき込んでいたことを忘れるくらい。
イクミさま・みなさまのおかげさまです。誠にありがとうございます。
温かいお言葉、ありがとうございます。
霊界のみなさまが協力してくださっている。頭が下がる思いです。
『霊界』という単語を目にすることが多い今日この頃。
今年に入り、再確認するように(忘れかけておりましたが)自分でやってうまくいっていることはすべて霊界の皆様が協力してくださることであると本で読みました。またスピリチュアリズム普及会さんで1月29日に「『シルバーバーチの霊訓』を中心とするスピリチュアリズムの確立を!」というタイトルで情報を更新されていたこと。そしてイクミ様が昨日のコメントに霊界の話を持ち出されたこと。もう、霊界の方々が協力してくださっている証拠に他ならないと思っております。イクミ様のご指摘通り、品物を出すときに、小冊子を必要とされている方が購入してくださればいいなと思いながらさせていただいております。自分でも不思議なことをしていると思っております。はじめは、真理に関するものを購入していただいた方に小冊子を入れさせていただいたのですが、この小冊子のタイトルが「生きているすべての人に~シルバーバーチの教え~」なのですが…。はっとしました。生きているすべての人にとしておきながら、特定の人だけに配っている自分がいて、これではだめだと思い現在はご縁のあった方にはお渡しさせていただいております。自分でやっていて、自分で忘れているという、なんともお恥ずかしい限りです。こんな調子なので、やはり、皆様のご協力のもと成り立っていると実感させていただいております。
イクミさまのブログで勉強させていただき、ヒーリングを受けさせていただいているのも
みんな目に見えない方々の援助なんですよね、きっと。
霊界の皆様方は、地上にいる皆様のことを応援してくださっているので、私もできる限りのことをしていきたいと思っております。感情的になることも多々ありますが、どうにかこうにか前に進んでいきたいです。
今日も、申し訳ございませんが、ヒーリングお願いいたします。
えり
えり様
おはようございます。
身体の調子が良いと聞き、うれしいです。
そうですね。
真理を普及しようとする地上の人には、霊界は惜しみのない援助をしています。
昨晩行ったヒーリングも、霊界の援助がなければ、私は何も出来ません。
地上の人に存在を示すために、繰り返し言葉や現象が現れたり、強調されることはあると思います。
ハッとして気付いたのも、霊界の働きかけではないでしょうか。
縁のある人に渡しておけば、その時は用はなくても、必要とする時が来て、思い出して辿り着くことになるかもしれません。
種をたくさん蒔いておくのに、越したことはありません。
真理を伝えようとする人が、求めている人に比べて、圧倒的に少ないので、霊界は待ち望んでいたと思います。
援助をしているので、安心して、もっと広めて行くようにと伝えるために、あなたにコメントを書かせて、この様なやり取りをしている様な気もしています。
それでは、早く良くなることを祈念して、今晩10時にヒーリングを行います。
イクミさま
お忙しい中、コメントありがとうございます。
励みになります。
どうにかこうにかしていると、霊界主導だということを忘れてしますので。
背中を押していただいて、ありがとうございます。
こう考えると、やはり、霊界にいても地上にいてもみんながお互いに助け合っている存在だらけなんだな~と。
なんだか、すごいことですね。
今晩もよろしくお願い申し上げます。感謝いたします。
今日は、本当に、ほとんど咳が出ません。うれしいです。
霊界の皆様と共に私を救ってくださり、ありがとうございます。
えり
イクミ様
こんばんは。
かなりお久しぶりになってしまいました。
2年位は前になります、その後のお礼もしないまま月日が経ってしまいました。ご無沙汰してしまいましたことお詫び致します。
2年程前に私は人間関係で悩んでいました。
その時に詳しくお話をしていなかったかもしれませんが同時に三人の方との関係に悩んでました。
内二人は職場の上司です、逆らえませんし同等の立場ではないためにいわゆるパワハラを受けていました。残りの一人は趣味を介した友人です。その友人は自分より10才以上年下なのに色々上から目線な物言いや理不尽な事を言われた事も何度かあり、友人付き合いをやめようかとしかも趣味のグループからも外そうか自分が離れようか悩んでました。
そんな時に亡くなった父親が夢枕に初めて現れました。かなりリアルな感触があるので単なる夢ではないと今もそう思っています。
父は若い頃本当に厳しい父親でした、年を取りましてからは優しいおじいさんになり孫も可愛がってくれましたが。やはり厳しい父親だったイメージの方がいまだに強く残っていますね、昭和のかみなりオヤジそのものでしたから。
そんな父親が悩んでいた自分の所にわざわざ来てくれて励ましてくれましたね。力一杯に抱き締めてくれて本当に痛いくらいでした。そして『愛をつたえるのだ』と唯その一言だけ残して。痛くされたのは本気で伝えたかったからなんだと今はそう思います。イクミ様にその話をこちらでさせて頂きまして、父の想いを噛み砕いて丁寧に説明してくださいました。お陰でその三人の方々と時間はかかりましたが1年位をかけて何とか和解しあって、今も與井関係を続けております。決して簡単では無かったです、しかし諦めず根気よく愛を伝え続けました。私は決して揉め事を好んだり人を貶めたり憎まれたりするようなことを好む人間ではないのですが、なぜか今までも時々とんでもない誤解を受けることがありました。きっかけは多分そんなことから始まったのだと思います。誤解を受けることはやはり自分にもなにかしら理由があるのでしょう。もしくはたまたま試練を与えられているのかもしれませんが。
いずれにしても結果は本当に良かったと、自分もよく忍耐強く頑張ってきたと思っています。この経験は必ず後々生かすことが出来るんだと思っています。父親の『愛を伝えるのだ』というシンプルな言葉には多くの意味が詰まっていたのですね。
あの時イクミ様に相談出来て本当に良かったです。深く感謝しております。本当にありがとうございました。
イクミ様
立て続けにお話したいことがあり、こちらに書き込ませて頂きます。
先程はお礼を申し上げたく書き込ませて頂いたのですが、実はここからが本題になります。
最近の世の中の動向についてです。
私達は確かに魂の存在であり肉体はこの世を生きる乗り物みたいなモノ、そしていつかは皆その肉体を脱ぎ捨て元の世界に戻ります。それは十分に分かっています。しかし肉体ある限りこの世が現実であり、この世に生きてる限り少しでも他人を思いやり他人の為にも自分の為にも精一杯生きて行くべきと思ってもいる訳ですが。
しかしこの世は本当に残酷に出来ています、だからこそ魂が磨かれる、それも理解しています。しかし例の新型コロナウイルスには本当に、今まで生きてきた人生で一番の危機感を感じています。調べれば調べる程、です。
自分の人生への危機感だけではなく地球規模の危機感です。
中国の幾つかの都市は壊滅状態です、いまだに毎日沢山の命が奪われています。
日本はまさかあんな風にはならないだろうと楽観視していましたはじめは。しかし今や感染経路もわからず、最早市中で人人感染、誰から誰に感染するか全くわからない状態となってしまいました。
発症しても風邪にかかった程度、たいした病気ではありません、と始めは政府も適当に対応していました。しかし中国の悲惨な状況調べましたが風邪程度などとんでもない。一度感染し発症して治っても再度かかります。二度めは死に至ることが多くなります。大概の病原菌は免疫が付いたりしますが、このウイルスはむしろ逆です。
風邪症状から始まり高熱が出て肺炎(重症呼吸器症候群)になり、腎不全、多臓器不全などで死に至たる方もいます。中国人では突然死で町中で人がバタバタ死んでいます。
これらもよくよく調べましたらSARSの症状やエボラ出血熱の症状やAIDS の症状が混合された症状なんです。つまりあきらかに混ぜた人工的生み出したハイブリッドなウイルスなんだと。ウイルス兵器なんだと思っていますし、実際にウイルス研究者の(表だっては言わないが)方々がネット上である程度根拠のある話をされています。
中国共産党は言論統制された隠蔽社会、それでも漏れ出てくる真実の情報があります。日本は共産主義ではないが中国に匹敵する隠蔽社会です。感染者数も隠蔽されています。しかし来月には恐ろしい程に感染者は増える見込みです。私が調べた情報だと数万人の感染者になると思われます。恐らく隠蔽しきれなくなります、会社も学校もあらゆる公共機関が閉鎖を余儀なくされると思われます。
いつ終息するのか先も全く見えません。ワクチンや特効薬はまだ手探り状態だし、日本の無能な政治家や行政機関はウイルスをわざわざ拡散させるやり方ばかりです。わざとなのかもしれません、人工的に作った人口削減ウイルスだから。
私は陰謀論者ではありません。そんな馬鹿げた話と言われてしまうことを好き好んで面白おかしく話す趣味などありません。
このウイルスが拡散されたのは一部の権力者によりわざと引き起これた、人類全て滅亡はしないと思ってますが、終息したころにはかなりの人々が亡くなるでしょう。半分以下になっているかもしれません。
私はこのウイルス兵器で命を落とすかもしれません、私も私の大事な家族や友人知人も。それ位危機感を持っています。今の状況で楽観視など到底できません。
私はいつ死んでもいいように何年も前から色々準備していますから、心の準備や後悔の無い生き方など。だから大丈夫です。しかし心の準備も出来ていない方々がこんな一部の権力者により命を奪われることが本当に納得いきません。この世に起きることは全て必然だと言われてますが、本当にそうなんでしょうか?悪魔がいて好き勝手にされているのならどうか皆さんの力を合わせ倒してやりたい何とか世の中のシステムを変えたい。そんなことすら考えてしまいます。
悪魔やら宇宙人やら次元が違う宇宙の話はシルバーバーチは考える必要も無いと言われてましたが、現実にそういう奴等に好き勝手支配されているのなら黙って従って命を奪われて…一体そこから何を一体學べと仰るのでしょうか…
私は私以外の罪の無い人々が殺されていくのが本当に辛いのです。
イクミ様はどう解釈されますか?
どうかご意見をお聞かせ頂けないでしょうか、宜しくお願い致します。
カツミ様
お久しぶりです。
2年前に、悩んでいた人間関係は、今は大分改善されているそうで、良かったです。
お父様があなたが悩んでいるのを見ていて、何とかしようと思って、1番大切なことを手短に伝えたのですが、解釈が不十分だったので、このブログに導いたのではないかと思っています。
この世に生まれて来た目的は、愛の意味を深く知るためと言っても良いでしょう。
人を愛すること、愛されることもそうでしょうが、人を認めること許すことも自己犠牲の上に成り立つので、広い意味での愛です。
愛を伝えることで、良い方向に進んで行くのを、身を持って経験されたのであれば、貴重な学びとなっていて、これからの人生で活かされると思います。
ご質問の件ですが、私も東日本大震災以来の危機的な状況という認識があるのは確かです。
新型コロナ、インフルエンザも含めて、全てのウィルスは自己増殖は出来ず、動物に感染して、その細胞を利用して増殖して行きます。
なぜ、こんな特殊なものを神が創ったのかは、私も判りません。
しかし、意味もなく創造されるものなどありません。
ウィルスが拡がるのも、自然法則に則ってのことです。
これは私見ですが、ウィルスはホスト(生物)にとって防御的な役割りを果たしているような気がします。
多くの動物はウィルスに感染をしていても、何の症状も出ずに共存しています。
しかし、他の動物が感染した食べると、たちまち症状が出て、酷ければ死に至ります。
捕食する動物は、経験則からその動物は食べないようになります。
つまり、捕食される動物にとって、ウィルスが外敵から守ってくれていることになります。
新型コロナウィルスの感染源は諸説ありますが、私は動物からだと思っています。
最大の原因は、人間が食べてはいけない動物を食べていたり、入ってはいけないところに入ったりすることにあると思います。
普通は食べた人だけが、ウィルスの感染の被害を受けますが、突然変異を起こし、人から人にうつる様になり、多くの人が感染して、甚大な被害を受けています。
この現象は、何らかの警鐘を鳴らしているような気がします。
人間は、最も下等な、こんな微小の生物に対して何もできません。
もしかしたら、人間の驕りや、傲慢さや、利己性を戒めるのも、ウィルスが存在する1つの理由なのかもしれません。
いま中国で、猛威を振るっています。
感染者数や死亡者数を隠ぺいすると、昔と違い国際社会が許さない状況になって来てますので、正確とは言えませんが、ある程度は信用できると考えています。(SARSの時に叩かれたようです)
それでも、最終的にはものすごい数字になると想像しています。
新型コロナウィルスの感染力はインフルエンザと同等であり、心配される致死率は2%程度と言われています。
しかし、死亡者の大多数は湖北省に集中しており、その理由は医療が追い付いていないためと考えられます。
他地域での死亡率は0.2%程度との報告もあり、流行した地域の医療事情により大きく左右されると考えられます。
楽観的過ぎるかもしれませんが、ウィルスが突然変異をして、感染力が強くなったり、病原性が増さない限り、日本においては大流行はなく、死亡者数が爆発的に増えることはないと信じています。
亡くなった人達は、今生ですることはまだあり、残して来た人のことは気がかりでしょう。
しかし、この様な状況で、半ば強制的に向こうに行った人たちには、埋め合わせの法則が働いて、神の絶対的な公平性は保たれています。
誰もが、こんなウィルスに感染して死にたくはありません。
未知であり、経験したことがないので、正直怖いです。
けれども、怖れや不安は、霊力の流入を妨げてしまいます。
霊力とは生きる力なので、こんな時にこそ、いろいろな情報に惑わされずに、平静な心を保つようにすることが大切だと思います。
とても難しいのですが、自分の命に関わるような深刻な事態になるほど、人を信じたり、思いやることが、真理を知った者に求められているような気がします。
イクミ様
早々の返答を有難うございました。
しかし私が知りたいのは悪魔や宇宙人に支配されているのかシルバーバーチさえも気にするな関係ないと言われそれに従うしかないのか疑問なんです。
あの世の真理を知り、愛を伝える者は色々な情報に惑わされるべきではない。
不安や恐れを持ちうろたえるべきではないのは十分理解していますからそれを出来るだけ実践しています。
しかし何かに騙されたり真実を知らないまま生きて行くことが納得いかないのです。
例え真実がそうであっても、死後にはそんなつまらいことは気にもしないのかもしれませんね。
つまらない話にお付き合い頂きまして有難うございました。ではまた。
返信は不要です。
イクミさま
お世話になっております。
ヒーリング、ありがとうございました。
少々、咳は続いておりますが、劇的によくなった感じです。
きのう、薬を飲むことを忘れたくらいです。
お忙しい中、誠に、ありがとうございました。
コロナのお話をされていますが、
うちの子供たちも小学生ながらニュースを見るたびに「どうなるんだろう?」と一言。
私は、「たとえこれで死んだとしても元居た場所に帰るだけだから大丈夫だよ。」と話しました。
息子は、「でも苦しんで死ぬのは嫌だよ~」っていってましたが。
何で見たかは覚えていませんが、
災害でたくさん亡くなられる方々・・・霊界にいるうちに災害で亡くなるのを承知して、まえもってそのことについての説明会らしきものについて出席されていると見たことがあります。
このことから、コロナで亡くなられる方々も(自分も含めて)説明会に出席し、現在生きているとも思われます。地上にいる限りは、わからないことがたくさんありますが、最終的にはみな救われると信じております。
霊界の皆様も休みなく働きかけてくださっていると思いますので、
現在自分ができる人の役に立てるような事柄を続けていきたいと思います。
ありがとございます。
えり
えり様
こんにちは。
症状が改善して何よりです。
コロナウィルスは心配ですね。
中国はとても心配な状況であり、感染のピークが過ぎていることを願うばかりです。
お子さんも社会の雰囲気から不安を感じてしまうでしょうが、あなたが明るくいれば安心していられると思います。
人に広めないためにも、(やれることは限られていますが)まず自分と家族が感染しないように注意しましょう。
ウィルス感染で亡くなくなるのも、自然災害でなくなるのも、自分に落ち度はほとんどなく、自然法則の働きによるものなので、最終的には救われ(良きに計らわれ)ます。
早く収束するように、霊界に祈りましょう。
イクミさま
お世話になっております。
お忙しいところすみません。
教えていただきたいことがあります。
シルバーバーチの霊訓とホワイトイーグルは何が違うのでしょうか?
ホワイトイーグルは、三大霊訓には入っていませんし…。
なんだかくだらない質問ですみません。
えり
えり様
こんばんは。
私はホワイトイーグルを読んでいませんので、お答えすることが出来ませんが、少し調べたところ、内容が似ているようです。
シルバーバーチはホワイトイーグルのことを同志と呼んでいるようであり、シルバーバーチを知っている人は、新たな知識は得られないのかもしれません。
お答えになっておらず、申し訳ありません。
イクミさま
お休みのところ、早々にありがとうございました。答えは、いただきました。誠にありがとうございます。いつも、ありがとうございます。
えり
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