30年近く前、都内の道路を車で走っていた時のことです。
前の車が赤信号で停まったので、私も停車しました。
何気なくバックミラーに目をやると、かなりのスピードで後ろから迫って来る1台の車が見えました。
これはぶつかるなと思い、身構えた瞬間、大きな衝撃と共に追突されました。
私の車は、はじき飛ばされて、前に停まっていた車に追突をしました。
いわゆる3重衝突事故です。
車は壊れましたが、幸いにしてケガはありませんでした。
もし、バックミラーに目をやらなかったら、むち打ち等のケガは免れなかったでしょう。
当たる前に気付くことが出来て良かったと、ホッと胸をなでおろしましたが、今は、私を守るために知らせてくれたと思っています。
ふと何かに気付いて、大事に至らずに済んだ経験は、多くの人が持っていると思います。
そんな時は、目に視えない存在の働きかけがあったのかもしれません。
健やかで、悔いのない人生を送るために、目に視えない存在(守護霊)が守り導いていると信じていた方が賢明だと思います。
では、守護霊は誰がなるのでしょうか?
守護霊は、自分と良く似た魂の集団である類魂の中で、自分より上位の霊がなると言われています。
類魂同士であれば霊的な波長が合っているので、肉体があるため霊的感受性が鈍っている地上の人でも、思念が伝わりやすいと考えられます。
また、導く立場であれば、自分より上位の霊でなければ都合が悪いと考えられます。
守護霊は、何のために付いているのでしょうか?
私たちは、教訓を学び、魂を成長させるために、地上に生まれて来ています。
そのために予め用意された、人生のシナリオがあります。
それに沿って生きることで、大切なことを学びながら、霊的に成長して行きます。
また、過去生での過ちを償うために、生まれて来ることもあります。
いざ生まれてしまうと、そのことをすっかり忘れてしまうので、目的をしっかりと果たすために、人生の水先案内人として守護霊は付いています。
守護霊は、霊的な存在です。
従って、五感に触れることはありません。
そんなものはいないと否定されても、客観的な根拠を示して反論することは出来ません。
しかしながら、地上の人に多大な影響力を持って、存在しているのは厳然たる事実です。
私が事故に遭った時も、追突されることを予見して、バックミラーを確認するように思念を送って、その結果としてバックミラーに目をやったと思います。
もし、事故により肉体が損傷を受けたら、予定されている学びや成長に支障が出てしまう可能性があるので、被害を最小限にするように、働きかけていたと考えられます。
予期せぬ災難や事故に遭わないように、生まれてから今までの間に、知らずにどれほど守られていたのか想像も付きません。
それ以外にも、進路決定や就職、結婚などの重要なライフイベントでも、予定されていた方向、あるいは成長する方向に進んで行くように導かれていたと考えられます。
何気なく思い付いて取った行動の多くは、実は守護霊の働きかけによるものだったと感じています。
視えざる守護霊の働きかけにより、今の自分がいると言っても、決して過言ではありません。
地上の人の意識に上がって来ることのない辿るべき人生が、守護霊には判っています。
しかし、その通りに行くとは限りません。
人には自由意思があるため、守護霊が望んでいない方向に進んでしまうこともあります。
人は霊的に成長するために、この世に生まれて来ています。
人生で遭遇する困難や障害を乗り越えて行くこと、人や動物や社会のために奉仕をすることによって目的は成就されます。
いざ目の前に、高い壁のような困難や障害が立ちはだかったらどうでしょう?
無理に思えたり、失敗を恐れたり、自分が可愛くなってしまい、つい適当な理由を付けて回避する方向に進んで行ってしまうかもしれません。
人は死んだ後に、この世の人生を振り返る時が訪れます。
回避してしまったことで、成長する機会を逸したことを知り、少なからず悔やんでしまうでしょう。
守護霊はそのことが判っているので、逃げたくなる気持ちを抑えて、正面から乗り越えさせようとします。
言葉にすれば「何とかなるので心配するな」、「大丈夫だから進んで行け」になるのでしょうか、そんな思念を送っていると考えられます。
地上の人がその思念を受け取ると、大きく心境が変わり、不安や心配は自然に消えて、「さあやってやるぞ!」と言った前向きな気持ちが生じると思います。
人は誰でも幸せになりたいと思っています。
地上の人は、物的な豊かさの中に、幸せを感じがちです。
もし、思わぬ大金が手に入ったら、多くの人は幸福を感じるでしょう。
しかし、守護霊は不幸の始まりと捉えているのかもしれません。
大金を手に入れたことで、生活が乱れ、怠けてしまい、霊的な成長を阻害してしまう可能性があるからです。
物的なものを追い求めても際限がなく、地上を去れば跡形もなく消えてしまいます。
そんな永続性のないものを追い求めても、真の幸せを感じることが出来ないばかりではなく、その先で人生を無駄に過ごした後悔が待っていることを、守護霊は知っています。
苦難や災難に遭うと、わが身の不幸を嘆く人も多いでしょう。
しかし、守護霊は大きく成長するための、絶好の機会と捉えているのかもしれません。
苦労のない安楽な人生に成長はなく、悪戦苦闘しながら乗り越えようとする中で眠っている魂が目を醒まし、そこから霊的な成長が始まることを知っているからです。
従って、地上の人が避けて通りたい苦難が待っている方向に、あえて導くこともあります。
地上の人と霊界の守護霊は、幸、不幸の捉え方が逆と言って良いのかも知れません。
真の幸せとは、苦難の経験を通して、学び成長して行く中にあると、守護霊は認識しています。
悲しいかな、地上の人はそんな霊的な真実をすっかり忘れてしまいます。
守護霊が付いているのであれば、もっとはっきりとした形で示してくれないのかと思う人がいるかもしれません。
私たちが地上に生まれて来たのも、守護霊が付いているのも、魂が未熟だからです。
未熟であるがゆえに、頼るものがあるとはっきりと判ってしまったら、頼り過ぎてしまうかもしれません。
助けてもらえるとはっきりと判ってしまったら、自分では何の努力もせずに、助けてもらおうとするかもしれません。
成長するために生まれて来たのに、それでは目的に反してしまいます。
地上の人の成長を妨げることのないよう、陰からそっと判らないように手を差し伸べるのが、神から与えられた守護霊の使命と考えられます。
どんなに守護霊が思念を送って導こうとしても、最終的に決めるのは地上の人です。
全ての責任は、自由意思を行使した地上の人にあります。
正しい方向に進んで行けば、守護霊は大いに喜ぶでしょう。
過った方向に進んで行けば、落胆し、嘆くでしょう。
守護霊との関係を緊密にすることは、正しい方向に進んで行くために、とても大切です。
しかし、魂の存在や死後の世界が信じられないのであれば、守護霊は存在しないことになります。
この世界を一人で生きているのであり、導きもなければ、援助も受けていないことになります。
守護霊からの働きかけがあったとしても、気のせいにしたり、思い付きだと勘違いしてしまうでしょう。
働きかけ(忠告)を無視して、誘惑に負けてしまったり、エゴの赴くままに進んで行ってしまえば、予定されていた成長が出来なくなってしまう可能性があります。
それでは守護霊との結びつきを強めるのには、どうすれば良いのでしょう?
守り導いてくれていることを、心から信じなければなりません。
地上の人とは、親愛の想いによって結びついていますので、こちらからも親愛の想いを向けましょう。
同じ想いで一体化している感覚になるように努めましょう。
一体化が進めば、心が平穏になり、得も言われぬ安心感に包まれるでしょう。
守護霊は、この世の人の霊的な成長だけを願っています。
従って、金持ちになることや出世などをお願いしても全く意味がありません。
その代わり、人生で遭遇する困難や障害を乗り越えて行く時や、人や動物や社会のために奉仕しようとする時には、惜しみない援助をしてくれると考えられます。
守護霊の援助は、地上の人の魂に思念(想い)と言う力を伝えることによって行われていると考えられます。
困難や障害に出会った時に、「乗り越えて行く力を与えて下さい」とお願いすれば、それに応えて、前に進んで行こうとする力が、心の奥から沸き上がって来るでしょう。
また、目に映るもの、耳にするものに、特別な印象を与えて、何かに気付かせたり、想いを伝えて来ることもあるでしょう。
物的な変化を生じさせて、五感を通して気付かせる時もあるかもしれません。
守護霊から伝わって来る思念は、繊細で微弱なものです。
自分の思考や感情と鑑別するためにも、雑念のない、穏やかな心でいるように、日頃から努めましょう。
瞑想をするのも非常に有効です。
守護霊が地上の人に想いを伝えた瞬間、ふと頭に浮かぶ言葉や概念になったり、ひらめく映像となって認識されるでしょう。
しかし、それが霊界から届いていると認識している人はわずかです。
思い付きや気のせいと片付けてしまう人がほとんどかもしれません。
無視されても、気付いてもらえなくても、弛むことなく守り導こうとしているのは、地上の人への深い愛があるからです。
24時間、365日、地上を去るその時まで、片時も離れることなく傍にいてくれる守護霊に、心から感謝の想いと、親愛の想いを伝えて下さい。
それが守護霊の安心と満足につながり、導くための原動力になると思います。
守護霊の存在を信じるほど、強い絆で結ばれ、それぞれの目的を果たしながら、互いに成長することが出来ます。