2015年7月3日金曜日

向こうにいる人の想い



数年前になりますが、高校時代の友人の家を訪れた時に、ある小学生の女の子とそのおばあさんと知り合う機会がありました。

友人は、奥さんを30代後半の若さで病気で亡くし、二人の子供の子育てに奮闘中です。

女の子のお母さんは、亡くなった友人の奥さんと学生時代からの親友で、家に良く遊びに来ていたようです。



女の子には、やや重度の知的及び身体的な障害がありました。

障害は生まれながらのものであり、改善は難しいと思われましたが、少しでも良くなればと思いヒーリングを行いました。

しばらくすると、女の子の表情が穏やかになるのが見て取れました。

後日、女の子のお母さんから連絡があり、続けてヒーリングをして欲しいと言われましたので、日曜の午前中にお会いする約束をしました。



お母さんにお会いすると、快活で明るい性格でしたが、女の子の対応に追われ、とても気を張っているように見えました。

女の子は、言葉をしゃべることが出来ず、小さくうなるような声で、何かの意思表示をお母さんにしています。

その想いを、お母さんが必死に汲み取ろうとしています。

言葉で伝えられない想いを、かろうじて判ってやれるのは、世界中でお母さんしかいないと思いました。

数週間おきに、ヒーリングを続けて行いましたが、その時にお子さんの障害と今お母さんがされている苦労の意味について話をして、シルバーバーチの霊訓の書籍を差し上げました。

気のせいでしょうか、お母さんのピンと張つめていた心が、少し緩んできた様に思えました。



ある日、何故だか亡くなって向こうにいる友人の奥さんに、こう想いを向けてみたくなりました。

「(親友のお母さんに)何か伝えたいことはありますか?」と。

すると、向こうからメッセージのようなものが伝わってきました。

まず、亡くなった奥さんと親友であるお母さんが、他校の文化祭に出かけて楽しそうにしている高校時代のイメージが見え、その時のお母さんの想いも同時に伝わってきました。

そして、こんなメッセージが伝わってきました。

「こちらは、思ってたよりも楽しいところで、こちらに来た時にいろいろ連れて行ってあげる。」

いくつかのメッセージの中で、特に印象的なものがありました。

それは、「子供と想いを通い合わせられないのが、どれほど大変なものなのか良く判った。」と言うものでした。

障害のある子供と言葉で意思疎通が出来ない親友の気持ちが、向こうに行って(死んで)初めて判ったということでした。

お母さんが来た時に、書き留めたメッセージを手渡しました。



夫である友人と2人の育ち盛りの子供を残して、若くして向こうに行った奥さんは、今どうしているのでしょうか?

当然のことながら、家族のことが何より心配で、生きていた時と同じ様に、家の中で過ごしていると思います。

子供たちの様子を見ていて、「こうした方がいいのに!」、「それじゃだめでしょ!」、「何でそうするの!」と、気を揉んだりしているでしょう。

時には、「良く頑張ったね」、「えらかったね」と、褒めたりしていると思われます。

もちろん、肉体がないために耳で聴こえる声は出せません。

亡くなったお母さんは、子供たちの魂に向かって、想いを必死に投げかけていると思います。



残念なことに、この世にいる友人と子供たちは、お母さんは死んでいなくなってしまったと思い込んでいます。

「お母さんはいつも傍にいてくれるよ」と、声をかけてくれる人はいるでしょうが、言った人が本当に信じていなければ、子供たちは慰めとしか思わないでしょう。

自分の目で姿を確認しない限り、傍にいるとは思わないのは、大人も子供も変わりありません。

見えないからいないのではなく、見えないけれどもいることに気付くのは、とても難しいことです。

数年前の私もそうでしたが、ほとんどの人は死んだ後の世界について何も知りません。

臨死体験者は、垣間見た向こうの世界について語りますが、多くの人はおとぎ話のような世界に思えてしまい、現実のものとは考えないかもしれません。



世界中の全ての科学者が否定しようと、肉体は死んでも魂は生きています。

生前と変わらぬ性格のままで意識は存在し、愛する人の傍にいるのは、紛れもない事実です。



お母さんの魂が投げかけた想いを、子供たちは心の奥でフッと湧く「思いつき」みたいなものとして感じていますが、無視してしまっていると思われます。

すぐ傍にいて、必死に想いを伝えようとしていることに、悲しいことに全く気付かないでいます。

愛する子供に、想いが上手く伝わらない母親の、もどかしさ、つらさはどれほどのものでしょうか。



そんな子供たちでも、悩んだり、迷ったり、助けてもらいたい時に、こんなことを思う瞬間がきっとあるはずです。

「お母さんだったら、何て言うだろう?」

「お母さんだったら、どう思うだろう?」

傍で見守っているお母さんは、この時とばかりに、子供たちの魂に自分の想いを吹き込みます。

子供たちは、心の奥でフッと湧く想いを、あの世からのものだとは思っていませんが、お母さんが言いそうなことなので、素直に受け入れていると思います。



例えば、仲の良い友達と学校でケンカをして帰って来ます。

一人家の中でポツンとしていて、急に少し寂しくなり、お母さんのことを思い浮かべます。

その時、心の中で「今すぐ会って、仲直りしなさい」と、誰かに言われたような気がします。

「やっぱり!そうしよう!」と思い、仲直りしに友達のところに会いに行きます。

お母さんの想いが、上手く伝わった瞬間です。

向こうで喜んでいるのは間違いありません。



この世とあの世は次元が違うために、言葉でのコミュニケーションは不可能です。

この世の人は肉体を携えた魂であり、あの世の人は肉体のない魂ですが、魂と魂は同じ次元に存在しているため、そこから生まれる想いは、本来は自由に伝えられるはずです。



しかし現実には、あの世にいるお母さんの想いは、この世にいる子供にきわめて伝わり難くなっています。

学校で勉強するのは仕方ありませんが、家に帰ってきたらテレビを見たり、ゲームやスマホなどをしている時間が多く、頭を使うことばかりしています。

頭脳が活発に働いている時は、魂は活動していません。

頭脳が起きている時は魂は眠っていて、頭脳が眠っている時に魂は起きていると言えます。

太陽が西の空に沈み、群青色に染まってくると、それまで見えなかった星は輝き始めます。

頭脳が休止し、穏やかな心境になると、魂が活動を始めます。

何も考えず、あらゆる感情から解放され、頭が空っぽの時に、向こうからの想いを受け取る魂のアンテナが張られ、受信感度は良くなっています。



そして、少し難しいけれど、お母さんからの想いを受け取りたいと欲してはいけないのです。

無欲無心で、受け身でいなければいけません。



お母さんの魂と子供たちの魂の間に、隔てるものは何ひとつありません。

そこにあるのは、愛のみです。

お母さんの姿を思い浮かべ、隣にいるように語りかければいいだけです。

お母さんは、それをしっかりと受けとめ、子供の魂に自分の想いを吹き込んでくるはずです。

目を閉じ、心の目をいっぱいに開き、大空に向かって両手を広げるように、心で両手を広げて、思い浮かぶ言葉やイメージを、ただ受け取ればいいだけです。

考えてもいないのに、ふっと何か思い浮かぶはずなどありません。

それは、お母さんからの想い(メッセージ)です。



お母さんから受け取った想いに、素直に従えば、きっと上手く行くはずです。

お母さんは1つ高い次元から見ているので、この世の人よりも視野が高く、広く見渡せるために、どのような結果になるのか良く判るからです。

正しい方向に進んで行こうとするならば、後押しするような想いを投げかけ、誤った方向に進みそうになれば、思い留まらせるような想いを投げかけます。

あの世は想いの世界であり、この世にいる子供に想いを伝えて導こうとしています。



親であれば、自分の想いを子供に伝えたいし、子供の想いを知りたいと思うのは当然です。

子供のことを誰よりも愛し、より良く生きて欲しいと願っているのは、生前と何も変わりありません。

変わったのは肉体がないところだけです。

この世にいる子供たちは、お母さんの姿が見えず、声も聞けず、からだにも触れられない寂しさや悲しみがあります。

あの世のお母さんは、肉体がないため声は出せません。

肉体を失ったお母さんが、この世にいる子供に想いを伝えるには、耳を介してではなく、魂に想いを伝えるしかありません。

思うように想いを伝えられないもどかしさを、覚えていると思われます。



心身に障害があり、言葉で伝えられない子供の想いを、お母さんが察知するのは、きわめて難しいことです。

言葉で意志疎通できない子供を持つお母さんの悩みは、向こうから子供に想いを伝えられないお母さんの悩みの裏返しです。

向こうに行って初めて、親友である女の子のお母さんと、同じ想いを共有出来たのだと思います。



メッセージを受け取ったお母さんは、どう思ったのでしょうか?

もし、メッセージを信じてもらえたなら、向こうにいる親友の気持ちは痛いほどわかるはずです。

そして、苦労は絶えないけれども、子供と一緒にいられる幸せを、十分に噛みしめなければならないと思ったかもしれません。

もっと子供に触れて、たくさん声をかけて、抱きしめてやらなければと思ったかもしれません。



死んだ人がいるあの世は、遠い所のように思えますが、そうではありません。

この世にいる人次第で、遠くにもなれば、近くにもなります。

頭を使った、慌しい生活をしていると、魂は眠ったままとなり、霊的な世界は感じられません。

雑念を払い、感情を鎮め、思考が停止すると、眠っていた魂は目を覚まして、愛する人がいる世界は身近に感じられると思います。

その世界を身近に感じられたなら、愛する人の魂がすぐ傍にいるのが判るかもしれません。

傍にいるのが判れば、愛する人から想いを受け取るのは、それほど難しくありません。



この世の人は、死んで見えなくなってしまうと、いなくなってしまったか、どこか遠い所に行ってしまったと思っています。

しかし、あの世にいる人は全く逆で、肉体と言う障壁がなくなり、この世の人をより身近に感じています。

両者の認識に、とても大きな隔たりがあります。



この世の人は肉眼で見るため、肉体(物質)は良く見えますが、網膜に映らない魂(霊体)は全く見えません。

あの世の人に肉眼はないため、この世の人の肉体は見えませんが、魂(霊体)とそこから生まれる想いは、はっきりと判かります。



この世の人は、肉体が見えなくなり、それぞれが隔絶された世界にいると錯覚しています。

あの世の人は、肉体がない分、愛する人の魂に寄り添うことが出来ます。



この世の人は、愛する人との間に、無限の距離を感じているかもしれません。

あの世の人は、愛する人との間に、距離を全く感じていません。



あの世の人が引き付けられるのは、この世の人が放つ自分へ向けた愛の想いです。

この世の誰が自分に愛の想いを向けているのか一目瞭然であり、愛する想いは引力のように、あの世の人を一瞬にして引き付けます。



愛する人が、一人涙を流しているのを見ていられません。

傍に寄り添って抱きしめているのに、自分の(霊体の)腕は、この世の身体と波長が違うために、素通りしてしまいます。

しっかりと抱きしめているのに、悲しいことにこの世の人は何も感じません。

悲しみにより、向こうからの愛を受け付けなくなっています。

こちらからの愛は、向こうの魂とつながり、喜びとなりますが、こちらの悲しみは、向こうの魂の障壁となり、むなしさとなります。



それでも、あの世の人は、この世にいる人よりも、はるかに楽観的です。

なぜなら、いずれ再会できることが、はっきりと分かっているからです。

今の、悲しみ、寂しさ、苦しさはやがて終焉を迎え、一瞬にして喜びに変わることを知っているからです。



残して来た人の、今の悲しみ、苦しみに意味があることも、判っています。

判っているからこそ、向こうから励ましています。



望んでいることは、頑張って生きることではなく、その人らしく生きることです。

つらい時は休んでいい、悲しければ泣けばいい、無理をして欲しくないと望んでいます。



意志の疎通は、魂と魂の間で出来るはずです。

悲しくならずに、思い出す時間を作って欲しいと願っています。

その時が、想いを向こうから伝えるチャンスになります。

心を鎮め、魂を研ぎ澄まし、こちらの想いに気付いて欲しいと願っています。



愛は、消えてなくなるものではありません。

死んで消えてしまうどころか、一層強くなっているはずです。

愛は死によって滅びずに、つながりを深めていく力となっています。

愛する想いが続いていることは、魂が生きている何よりの証です。

もし、存在が消えてしまったのであれば、愛はとっくに消滅しています。

魂と魂がつながっていて、お互いの愛を感じ合っています。

向こうから愛する想いを受け取り、それに呼応して自分の魂に愛が呼び覚まされています。

呼び覚まされた愛は、向けるべき対象を喪ってしまったと錯覚すると、一瞬にして悲しみに変わってしまいます。



「どうか、いなくなってしまったと思わないで。」

「こんなに近くにいるのだから。」



「生きている者は全て、こちらに来るの。」

「私が少し早くこちらに来ただけ。」

「どうしても、そのことは分って欲しい。」

「愛する人よ、あなたの傍にいて、見守っています。」



「あなたの気持ちは痛いほど判ります。」

「何も言えずに逝ってしまったのは、すまないと思っています。」

「愛する人よ、私はあなたの気持ちと全く同じ。」

「どれほど、耳に届けたいか。」

「残してきた愛する人よ。」

「二人はいつも一緒でした。」

「私も離れたくなかった。」

「しかし、どうしても先に来なければならなかった。」

「その訳を今聞いても、納得はしないし、余計悲しくなるだけだろう。」

「これだけは、約束できる。今の悲しみ、苦しみが二人のために必要であり、次に活かされることを。」

「私はあなたの想いが分かるから、1つも寂しくない、うれしいだけ。」

「何て伝えればいいのだろうか。」

「出会い、早く別れることは生まれる前から決まっていたこと。」

「運命を恨まないで、自分を責めないで、愛する人よ。」

「私が一番悲しいのは、いなくなってしまったと思われること。」

「いなくなったわけじゃない、こんなに近くにいるのに。」

「顔を上げて、両手を伸ばして、私の想いを抱きしめて。」

「その伸ばした手から、あなたの魂に想いは入り込んで行きます。」



「眠っているのだったら、起きてあなたの魂。」

「そうしなければ、想いは届かない。」

「悲しみは想いが外に溢れ出すだけで、こちらからの想いを受け取れなくなる。」

「私の好きだった歌を唄ってみて。」

「一緒に唄おう。涙を流さずに、笑って。」

「ほら、楽しく、大きな声で。」

「聞こえているよ。」

「こっちでも唄っているよ。」

「想いを一緒にしなければいけないんだ。」

「同じ想いにならなければ、伝えられないんだ。」

「伝えたいんだ。自分の想いを。正確に。直に。」



「愛する想いは、とても心地が良く、傍にいたくなるけれども、時々悲鳴のような助けを求める想いを感じる時は、為す術がなく、とても悲しくなってしまう。」

「いなくなったのだから仕方ないけど、あまり感じたくない。」



愛は向けるべき対象を見失ってしまうと、悲しみとなります。

しかし、向けるべき対象は、見えなくなっても、失われた訳ではありません。



こちらにいる人が前と同じ様に愛されたいように、向こうにいる人も前と同じ様に愛してもらいたいのです。

見えなくなってしまったけれども、愛する人はそばにいます。

前と同じ様に、ただ愛し合いたいだけです。

魂と魂で、愛し合いたいだけです。



どうか気付いて下さい。

本当の私は、魂であり、愛し合うことが出来ることを。





参考ページ: 「向こうにいる人を愛する」

                         「この世の出来事の意味を知る時」





















10 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

はじめまして
教えてください
私は死ぬほど動物が好きです
小さいころからずっと動物 鳥などが人間ではなく友人友達以上心のよりどころで霊能者ではないのに動物たちが私に愛をくれるのです これは不思議体験が多くあります
ペットはすぐ生まれ変わると聞いています
後死後人間界とは別枠で生きてるのかすぐ生まれ変わってしまったら私が死んだら愛する子達に会えないではありませんか?
もうそのことで死んでも会えないのはつらすぎて確信のある証明が何処かにないかと日々迷走しています
会えないことが苦痛なのです
愛する子達に

イクミ さんのコメント...

匿名さんへ
はじめまして。イクミです。
小さい時から、いろいろな動物たちと心を通わせてきたのですね。動物とは会話はできませんが、想いを通い合わせることは出来ますよね。
動物たちに愛情を与えれば、力付けてくれたり、慰めてくれたり、心配してくれたりして、それ以上のものを私たちはもらっていると思います。
ペットはすぐ生まれ変わると聞いたそうですが、人には生まれ変わりがありますが、動物たちにはありません。人は目的を果たすため、言い方を変えると学びを得たり、前生の償いをするために、何度か生まれ変わりますが、動物はこの世の一回の生で目的は果たされます。そして、人に可愛がられた動物は、霊的に格段に進化すると言われています。
人も動物たちも本質は魂であり、死んだ後も生き続けていますので、あなたが愛した動物たちは、向こうで待っていて再会できます。「虹の橋」という詩があるのは、ご存知でしょうか?その世界が現実のものとなります。あなたには、待っていてくれる動物たちがたくさんいそうなので、とてもにぎやかになりそうですね。
確信できる証拠を探しているそうですが、残念ながらありません。もし、そんな証拠があれば、人生を中断して早く会いに行ってしまう人がたくさん出てきてしまうかもしれません。それは、とても大きな過ちになるので、あえて神様が見せないようにしていると私は考えています。
愛情で結ばれている限り、愛する子達には必ず会えますので、全く心配はいりません。


追記:「ペットは死後も生きている スピリチュアリズムが明かす動物愛」シルビア・バーバネル著(ハート出版)という本があります。中古になりますが良書ですので、よろしかったら参考にして下さい。

匿名 さんのコメント...

はじめまして。
記事の更新をいつも楽しみにしています。
私は去年の秋に娘を亡くしました。
うつ病でした…
娘は遠く離れて一人暮らしをしていたので、私は、病気の事も薬を服用している事も知りませんでした。
その事をひどく後悔し、自分を責め続ける日々を送っておりましたが、ある日縁あってある方から、シルバーバーチの霊訓の事を教えていただきました。
姿は見えなくなっても、娘の魂は生き続けていること。愛の念を送り続ければ、あの子といつでも一緒に居られること。
そのことを知ることにより、私は穏やかな心で健やかな気持ちを持って過ごせる日が、少しずつ増えてきたように思います。
また、そんな中で、イクミ様のこのブログにも出会うことが出来て、
私の生きていく上での心の支えのような存在になっています。
ありがとうございます。
前置きが長くなりました。
実は、亡くなった人のメッセージを受け取れるという方に、娘のメッセージをお願いしたら、
娘は、「お母さんはいつでも私とつながっているし、お母さんもそれを知ることが出来るのに、お母さんは自分には出来ないと思っている。もっと自分に自信を持って。」
と言われました。
イクミ様の前々回の記事で、亡くなった人の思いを受け取る…という記事がありましたが、あの記事を読んでから、ずっと、娘の想いに気付きたいと思って来ました。
でも、私のような凡人でも、そんなことが出来るのでしょうか?
私が娘の想いに気付けないと嘆いているように、娘も私に想いを気付いてもらえないと悲しんでいるのではないかと、今回の記事を拝見して思いました。
毎日、バタバタと過ごしているので、思考が停止することなんてないんですよね…
でも、少しでもそういう時間を持てるようになったら、気付けるようになるでしょうか…?

シルバーバーチの霊訓は、まだ五巻を読んでいるところです。まだまだこれからです。
これからも、記事の更新楽しみにしております。
よろしくお願いします。

イクミ さんのコメント...

はじめまして、イクミです。

拙いブログを読んでいただき、ありがとうございます。
去年の秋に娘さんを亡くされたそうですが、言葉では言い尽くせぬほどの、つらく、悲しい日々を過ごされているとお察しします。このブログにも書きましたが、私の友人の一人が、一昨年の12月、交通事故で大学生の長男を亡くしました。仕事上の付き合いもあり、頻回に顔を合わせていましたが、それ以来、全くありません。子供を亡くすのは、この世で最も受け入れ難い、過酷な現実だと感じています。そんな、つらい思いをしている人たちに、このブログが少しでもお役に立てたのなら、うれしい限りです。

娘さんですが、肉体はもうありませんが、お母さんの傍に、子供の時のように、いつも寄り添っていると思います。
シルバーバーチの霊訓にも書かれているように、愛する者同士は離れることはありません。これは慰めでも何でもなく、愛はお互いを引き付ける力であり、自然の成り行きでそうなります。

娘さんの想いを受け取れるか?というご質問ですが、受け取れる日が来ると思います。
ただ、心の底から、魂として娘さんは生きていると、お母さんは信じているでしょうか?そう信じたいけれども、信じられないと心の中で思ってはいないでしょうか?
繰り返しになりますが、娘さんは肉体はありませんが、意識も心も存在しています。
間違いなく生きています。
お母さんの想いを感じることも、お母さんに想いを送ることもできます。

想いを受け取るのには、頭を空っぽにして、娘さんの楽しいそうな姿を思い浮かべ、(愛する)想いを伝え、悲しみや後悔の感情が湧き上がらないように、心静かにして待つだけです。
しばらくすると、何もないところから、フッと湧き上がってくる想いを感じ取ることができるかもしれません。メッセージは、具体的な言葉の時もありますし、一瞬の画像のような時もありますし、想いに共鳴して自分の魂が響くような感じの時もあります。そこまでいかなくても、最初は何かの気配、もしくは変化を感じ取れれば良いと思います。
朝の目覚めの直前に、想い(メッセージ)が届くこともあります。就寝前後が受け取り易いと思います。
受け取りたいと、気負ってはだめで、隣にいるような自然な気持ちでいて下さい。

バタバタと慌しく過ごしている時は、魂は活動していません。
寝に入る前の一時は、思考が停止し、大脳の活動が休止しかけているので、そんな時に、傍にいる娘さんに、言葉で語りかけてみてはどうでしょうか?
ただし、「ごめんね」とか「何で逝ってしまったの?」とか、娘さんが答えに窮するような言葉は避けて下さい。
突然いなくなって、お母さん自身が一番つらいのは承知の上ですが、向こうにいる目に見えない娘さんに向けて、「いつも一緒にいるから心配しないでね」「私はいつでも味方だからね」など、安心させたり、励ます声をかけて下さい。その想いは必ず伝わり、娘さんの心は楽になり、想いを伝えやすくなると思います。
もし、娘さんが自らの意志で命を絶ったのなら、今は、悔やんで、寂しい思いをしているかもしれません。
お母さんの愛の念は、娘さんにとって、とてもうれしく、明るい希望の光となり、大きな支えになると考えて下さい。

私は魂の存在を確信していますので、その分、同調しやすく受け取りやすいのだと思います。
お母さんも、娘さんは傍にいると確信して、悲しみではなく、愛の念を送り続けて下さい。
そうすれば、魂と魂が同調して、娘さんの想いを受け取る日が、きっと来ると思います。


コメントが遅くなり、申し訳ありませんでした。

よっこ さんのコメント...

はじめまして。
2年前に主人を病気で亡くしました。
子供もいませんので主人の生家を建て替えて一人暮らししております。
色々なことがあってとても不安で悲しくなった時、
こちらのページを見つけました。
主人が導いてくれたのだなと思います。
知りたいこと、私が求めていた答えが全部ありました。
是非本を読んでみたいと思いました。

主人と微笑みあって暮らしていけますように。

どうもありがとうございました。

イクミ さんのコメント...

よっこ様

はじめまして。イクミです。
ブログを読んでいただき、ありがとうございます。
私がこのブログを通して伝えたいのは、生命とは魂(霊)であり、魂を成長させるために、この世を生きていることです。
シルバーバーチの霊訓に、全て書かれていますので、是非、読まれて下さい。

ご主人が亡くなり、2年が過ぎたのですか。
とても長く、おつらかったでしょう。
最愛の者が、目の前から消えてしまうほど、悲しいことは世の中にないと感じています。

消えて見えなくなっても、ご主人の本質である魂は存在しています。
意識、心はそのままであり、あなたと共にいるでしょう。
理解しがたいのですが、紛れもない事実です。

どれくらい先になるか判りませんが、再会できます。
ただし、条件があります。
その条件とは、あなたが肉体を還す時に、彼をまだ愛していることです。

大好きなご主人が、笑いながら、両手を広げて迎えてくれるでしょう。
寂しさ、孤独から、完全に解放される瞬間が、間違いなく訪れます。
今までの想いを忘れてしまうほど、悦びに満ちた生活が始まります。

それまでに過ごす時間は、決して無駄なものではなく、魂を成長させ、大切なことを学ぶためにあります。
すばらしいご主人と、想いを共有して、末永く次の世界で過ごすためにあると思います。
離れて、お互いの良さを知り、今度はそれを自分のものして行くのかもしれません。

ご主人の導きでここに来たのだと、私も思います。
生きていること、そばにいること、想いの全てが判っていることを、あなたに伝えるためだと思います。
愛する者は、決して離れ離れにはならない、死を乗り越えてつながることができることを証明したいのだと思います。

「この時を待っていた。
愛しくて、たまらない。
お前と、同じだ。
一人で過ごしている時に、いつも自分のことを考えてくれているのが判る。
そんな時は、そばに寄り添っている。
一人ではないんだ。
見えなくても、いるんだ。
テーブルで一人でお茶を飲んでいる時の、寂しそうな顔を見るのがつらい。
昔のことを思い出し、涙ぐんでいる姿を見るのが、たまらなくつらい。
楽しい思い出はたくさんあったが、これからもたくさん作れることを知っておいて欲しい。
1日中、誰とも話さない時には、視えないけれども自分に話しかけて欲しい。
相談には乗ってやれないけど、励ますことはできるんだ。
気付いてくれることも、できるはずだ。
お前が考えているより、身近にいるんだ。
別れたことも意味があるから、もう何も心配するな。
欲しいものなんて、何もないだろう。
それは1番大切なものが判ったからなんだ。
大切なものを、育てて行くために、生きるんだ。
あなたがいなくなったら、私には何も残らないなんて思わないでくれ。
お前が生きている世界にも、大切なものは見つけられるはずだ。
自分に向けていたものを、形を変えて、他に向けてやって欲しい。
お前なら、できるはずだ。

また、逢える。
本当は、いつも逢っている。
あたたかい気持ち、いつもありがとう。」

よっこ さんのコメント...

イクミ 様

お返事ありがとうございます。
今日は主人の月命日でしたので、尚更いただいたお言葉をかみしめております。

縁がありましてわんこ2匹と暮らしています。
まだ小さいのでてんやわんや、毎日がバタバタしてます。
この前めまぐるしいと感じ、ため息をついた時に
なぜか頭を撫でられた気がしました。
前に「よくがんばったね」と言いながら撫でられた時と同じように。

姿は見えませんが、ピリピリ感じることも数回ありました。
笑ってくしゃっとなった私の顔を好きだと言ってくれてましたので、
できるだけ前向きに、無理せず自然体でいけたらいいなと思ってます。

コーヒーとたばこが好きな人でしたので、
変わらずに主人の分もコーヒーを淹れてお線香とタバコをあげています。
時折主人に向かって冗談を言ったり、わんこのことを相談したり。

でもやっぱり寂しかったり思い出して涙ぐむこともあります。
そうした心のスキを突いてくる人も居て色々経験しました。
それも勉強させてもらったと思ってます。

心の中に一本芯を通して、
清らかで、静かで居たいと思っています。

今回こちらのサイトを訪問させていただきまして、
シルバーバーチの霊訓を知ることができて本当によかったと思ってます。
今の望みは主人が旅立ってから一貫して
「私が旅立つ時には迎えにきて」それだけです。

お言葉、大切にかみ締めていきます。
どうもありがとうございました。

イクミ さんのコメント...

よっこ様

撫でられた気がしたり、ピリピリ感じたのは、ご主人の働きかけだと思います。
そこに込められた想いを、感じ取るようにして下さい。
心の中に一本芯を通して、清らかで、静かで居たいそうですが、シルバーバーチの霊訓(霊的真理)は、その大きな助けになると思います。
2匹のわんこは元気すぎて大変でしょうが、ご主人も可愛がっていると思いますので、大事に育てて下さい。

AK さんのコメント...

こんばんは。
以前、母がくも膜下出血で急死した際、イクミ様のブログに出会い返事も頂いたこと心から感謝しています。
あれからカナダに移住し家族で家探しから初めていますが、仕事も主人はいちから探し始めないといけないため、
私たちにとってなかなか審査が厳しくなって毎日落ち込むことも多々です。
この世に乗り越えられないものはないと頭では分かっていても、焦る気持ちが先走ってしまい、子供もいるのにこの世がつらい、お母さんと話したいと思ってしまいます。
死後の世界を信じていますが、
母と毎日話していた電話の声を聞きたいと初めのころは泣きじゃくっていました。すると、ある夜携帯を開くと「ファイルの空き容量が少なくなっています」と画面表示が突然されて、開くとなんと1時間にもおよぶ母との通話記録が録音されていました。
母が私の気持ちを汲み取って「お母さんはおるよ!」という、メッセージだったとしか思えません。
また、2歳の娘がいますが、
将来的に母の記憶を忘れてしまった場合、
お互い愛し合っていなければあの世での、再会はないというシルバーバーチの教えどおりでしたら、
一方が覚えていない場合再会はないのでしょうか?
母が孫のことをすごく愛していたので心配です。

イクミ さんのコメント...

AK様

こんばんは。
以前、お母様が亡くなられた時に、コメントでのやり取りをしたのですね。
カナダに移住されて、慣れない土地で大変な日々を過ごされているとお察しします。
そうですね。霊的真理では乗り越えられないものはないとありますが、実生活では困難や障害が次々と起こり、上手く行かないことも多く、落ち込んだり、焦ってしまうことが多いのですね。
私もそうです。

繰り返しになりますが、お母様の生命(魂)は変わりなく存在しています。
遠く離れた場所に引っ越しても、必要とあれば、すぐ傍に寄り添ってくれます。
携帯電話のファイルの空き容量が少なくなっていて、1時間の通話が録音されていたのですね。
常識では考えられませんが、あなたの言う通り、いつも傍にいることを伝えたかったのでしょう。

娘さんが覚えていなくても、お母様と間違いなく再会出来ます。
頭での記憶はなくなったとしても、魂には愛されていた記憶が刻み込まれているからです。

あなたが私にコメントを書きたくなったのは、お母様があなたに伝えたいことがあると考えました。
地上の雰囲気が不穏であり、条件が良くないため、上手く受け取れていない可能性がありますが、心の中に生まれた言葉を書いてみます。
失礼があったらお許し下さい。

「もう話は出来ないけれども、そばにいることは判っておくれ
随分、変なことを心配してるんだね
あの子のことは毎日のように見ているよ
遊んではやれないけど、いつも一緒にいると伝えておくれ
あなたたち2人が仲良くしなければダメだよ
あの子が寂しい想いをするからね
心の中でお母さんに話しかけておくれ、そうすれば答えてやるよ
何とかなる
今までもそうだったはず
お母さんがいなくても、自分を信じて生きて来たじゃない
これからもそうしなさい
壁に当たっても、どこかに必ず出口があるはずだよ
諦めずに探しなさい
もう帰るところがないなんて思わないで
あなたたちが住んでいる場所に、今度はお母さんがいさせてもらっているから
心配しないで
何とかなる」