2014年7月3日木曜日

ガンの正体を知る

今まで、ガンという病気について、度々書いてきました。

ガン細胞には、遺伝子の変異が認められます。

しかし、変異を起こす主因は、未だ突き止められていません。

細胞分裂は、人の意志とは関係のない、自然の営み、神の営みにより行われます。

ガンが細胞分裂時のコピーミスということであれば、神の営みにミスがあったということになります。

もし、神の営みのミスということであれば、1つの受精卵から、細胞分裂を繰り返し、精緻な人体を造り上げていくことは、とても不可能です。

神の営みのミスではなく、神の営みの一環、神の摂理として、遺伝子に変異が生じたと考えた方が正しいと思います。

ガンの原因として、タール、ベンツピレン、ニトロソアミン等の発ガン物質、また放射線の被爆があります。遺伝的素因も確実に影響しているでしょう。

しかし、私の祖父はヘビースモーカーでしたが、ガンにはなりませんでした。

私の友人の奥さんは、タバコも吸わず、健康的な生活をしていましたが、ガンになりました。

それだけでは説明できない、何らかの要因があるのは明白です。


悲しければ泣き、うれしければ笑う、絶え間なく、内(魂)にあるものが、外(肉体)に表現されています。

魂のありさまの変化が、肉体の変化として表れているのが、ガンと考えられます。

魂のありさまを変えてしまったのは、過去のつらい出来事から生じた、表現されなかった想いと考えられます。


ここで、疑問がわきました。

魂のありさまを変えてしまうような出来事とは、どんなことだろうか?

1つの答えが、1冊の本の中にありました。

リズ・ブルボ‐というカナダ人が書いた、「ガン ‐希望の書」(ハート出版)という本です。出版されたばかりです。

その出来事とは、「同性の親からの拒絶」と言うことです。

30年にわたって、多くのガン患者さんを治癒に導いてきたので、書かれている内容は確信に満ちていて、きわめて納得のいくものでした。

「ガンを含めたあらゆる病気の背後には、肉体を超えた原因が存在する」、「ガンを人生における大切な〈学び〉の機会とみなす」と、述べられています。

表現は違っていても、同じことを伝えようとしているのがわかり、すごく安心しました。


そして、こんな疑問もわきます。

どうして、つらい想いを過去にして、(それを表現できずに)我慢した人がガンとなり、さらにつらい思いをしなければならないのか。

それは、本当はもっとたくさんの愛を表現できる人なのに、その出来事から生じた想いに縛られているために、できなくなってしまっているからなのかもしれません。

本当は愛を表現することに喜びを感じる人なのに、愛を表現するのを避けてしまっているからなのかもしれません。

ありのままの自分を認めていないために、ありのままの自分を表現できなくなってしまっているからなのかもしれません。

愛を表現することは、生きている意味そのものなので、自分を変えていかなければいけません。

変えていくためには、その出来事を許し、想いを手放さなければいけません。

その出来事を許し、想いを手放すためには、大きな愛の力が必要です。

愛の力は、自分で作るものではなく、神からの流れ込む(生命)力です。

他者に愛を表現することで、神からの(生命)力は、魂に流れ込みます。

愛することで、愛されます。

愛することで、癒されます。

人を、もっと愛するためには、自らの魂が向上していかなければいけません。

魂を向上させるためには、苦難を乗り越えていく経験と、愛の大切さに気付く経験が必要となります。

ガンによる肉体的、精神的苦痛は、経験した人でなければわからないほど、つらいものだと思われます。

つらい苦痛に耐え、不安や恐怖との闘いの中で、少しずつ魂は向上していきます。

そして、追い詰められて、逃げ場がなくなった時に、眠っていた魂がようやく目覚めます。

つらいでしょうが、それが神の摂理です。

魂は生命そのものであり、神の一部であるため、魂に目覚めると(神の心である)愛の大切さに気付き、しきりに表現したくなります。

感謝の思いも、形を変えた愛の表現です。

愛を表現していくことで、神から愛が流れ込み、その愛の力により、出来事が許されて、想いが手放されます。



魂に深く突き刺さっている矢に、本人も気付かずにいることがあります。

魂に矢が突き刺さっていることを知らせているのが、ガンという病気の正体であり、矢を引き抜くためには、相応の苦痛が伴います。

魂に矢を打ち放った人を許すことで、矢を引き抜くことができ、魂の傷は癒やされていきます。

許すことで、許されます。



人生がこの世で終わると考えると、つらい想いをして、つらい病気になるのは、きわめて不公平、不平等と思われますが、生命は魂であり、次元をまたいで生き続けます。

向こうの世界は、魂の世界であり、想いがすべてです。

魂が、愛の想いを放っていることが、最も大切です。

もっとも美しく、眩しい光を放っているのは、愛に満ちた魂です。

向こうの世界に行けば、誰もが愛の想いを放つことができるわけではありません。

憎しみを抱いたまま死ねば、向こうの世界でも憎しみをいだいたままです。

病気にならずに、怒り、憎しみ、恨みを抱いたままよりも、病気になり、たとえ苦しい思いをしても、愛の大切さに気付いて、愛の想いを抱き、表現しながら、この世を去っていった方が、生まれてた意味を成就しています。

周りに感謝し、生きている喜びを噛みしめ、愛の想いを表現するほど、幸福を感じることはありません。

神の摂理に適っているからです。

怒り、憎しみ、恨みの想いを、できるだけ愛の想いに変えるために、悩み、苦しみ、痛みを感じながらも、弛まぬ努力をしていくのが、この世に生まれてきた大きな目的だと思います。


もし、ガンにならずにいたのなら、生命や愛の意味を、これほどまでに知ろうとしたでしょうか。

生命や愛の意味を知ることは、この世の命をかけてまでも、大切だと言うことになります。

生命は神の愛を表現するために存在し、より高く、純粋な愛を表現するために、生き続けています。


この世のさまざまな経験は、愛の大切さに気付き、愛を深く知り、より高い愛を表現するためにあります。

ガンは、苦痛の末に死に至らせる病ではなく、さまざまな経験の中の1つです。

ガンの正体を知り、受け入れることは、治癒に導くために、不可欠だと考えています。




参考ページ: 「ガンは愛により癒される」



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