人は何のために生きているのか?死んだ後はどうなるのか?その明確な答えが「シルバーバーチの霊訓」の中にありました。本当の自分とは魂です。この世を生きるたった1つの目的は、魂を成長させるためです。人生で出会う障害や苦難を乗り越えること、人や動物そして社会のために奉仕することで、魂は成長していきます。死んだ後、魂は次の世界に移り、この世を振り返る時が必ず来ます。悔いのない様に、失敗を怖れず、今を大切にして生きましょう。
2014年3月31日月曜日
ガンという病気について思うこと
多くの人に共感してもらえるかどうかわかりませんが、今までのまとめとして書いていきます。病気で苦しむ人にとって失礼になるかもしれませんが、良くなってもらいたい気持ちからですので、どうかご容赦下さい。
すべての病気は、それぞれに原因があって生じます。偶然、病気になることはありません。ガンという病気も厳然とした原因があり、肉体上の病変はその結果を見ているだけです。ガンという病気は、かかりやすさを決める遺伝的要因や、発ガン物質や放射線、食事や生活習慣などの環境的要因が深くかかわっているとされています。しかし、膨大な医学的研究にもかかわらず、はっきりとした原因は、いまだ分かっていません。
人は肉体と精神により成り立っていると、多くの人は考えていますが、肉体と精神の上位にあり、生命そのものである魂(霊)の存在を認める人は、まだわずかです。見えるものではないですし、普段は意識することもありません。
しかし、よく考えてみて下さい。愛を感じるのはどこでしょうか?美を感じるのはどこでしょうか?困っている人を助けるようとする気持ちは、どこからくるのでしょうか?嘘をついてはいけない、悪いことをしてはいけないという良心はどこからくるのでしょうか?頭脳を超えた魂が存在して、愛や美や良心を内在していると考える方が自然ではないでしょうか。魂は、精神(心)のさらに奥にある、本当の自分であり、偽らざる自分です。肉体ではなく、魂こそが真の自分であり、肉体は魂(の想い)を表現するためにあります。したがって魂がなければ、肉体の存在理由はありません。
肉体上の変化は、人の目に見えるためすぐ気付きます。しかし、本当の自分である魂の変化は、自覚さえもされていないため、気付くことはまずありません。肉体は魂を表現するためにあるので、魂の変化が肉体の病気として表現されることがあります。従って、ガンは魂の変化が、誰にでも見える肉体の変化として表されたものと考えられます。魂が平和、調和、協調を欠いてしまったことが原因で、肉体上に平和、調和、協調を欠いたガンが結果として表れます。魂の変化が肉体にガンとして表れ、苦痛を通して、神の摂理に反した想いや行いを償い、正して、魂を向上させる方向に軌道修正させるためにあります。大切なことに気付き、生き方を変えるためです。運が悪くガンになったのではなく、何らかの原因があってガンになったのであり、取り除いて治るのではなく、摂理に適った考え方や生き方に変わることで、治ると考えられます。
もしそうであれば、もっと多くの人のガンは治ってもいいはずです。なぜ、そうならないのか?ガンになると誰しも恐怖に怯えてしまいます。世の中では、依然として、死にいたる病という認識が根強く残っていますので、当然のことであり、一刻も早く、ガンを身体から取り除きたいと考えます。ほとんどの人は、医者に治療を委ね、医療で治すものと考えています。第1選択として手術が選択され、ガン組織を取り除き、病巣が消失すれば治癒ということになります。再発すれば抗ガン剤や放射線で縮小させようとします。
多くの人に治癒が得られないのは、肉体上に表れたガンという結果を消滅させることにこだわりすぎて、原因の除去ができていないためと考えています。もし、ガンが肉体だけの病気であれば、医学の進歩に伴い、ガンで亡くなる人はもっと減少してもいいはずです。しかし、現実には日本において35万人以上の人がガンで亡くなっています。医学は物理(肉体)的次元を対象としているため、リスク要因しか究明できておらず、根本原因は未だ不明のままです。他にも原因不明の病気は数多くありますが、もしかしたら現代の医学では認められていない、精神的、霊的な次元に原因があると考えることは愚かでしょうか。目に見えないところ、認知されていない魂に原因があり、その結果として肉体に病変が表れていると考えることに、無理があるのでしょうか。
人は悲しければ、涙を流します。おかしければ、声に出して笑います。また想いや考えを言葉にして表現します。生きていることは、想いや考えを、言葉や肉体で表現することと言ってもいいのかもしれません。ところが、つらいことがあっても、その想いを言葉や肉体で表現できずにいることがあります。また、つらい出来事自体を封印してしまうこともあり、知らないうちに表現されなかった想いが少しずつ蓄積していくことになります。その想いが、摂理に反した怒りや憎しみ、恨みや嫉妬、あるいは強い欲であれば、魂のありさまが変わってしまうことになります。想いが蓄積していくと、うっ積した想いのしこりとなり、それが肉体上にガンとして表れるかもしれません。肉体のガンを手術で取り除いても、想いのしこりが在リ続ければ、肉体に反映され、いずれ表れてきます。従って、ガンの根本的な治癒には、魂が癒されなければいけないと考えます。魂が癒されるためには、つらい出来事と正面から向かい合い、受け入れて、許し、表現できずにいた、うっ積した想いを手放さなければいけません。
また、摂理に反した想いを抱き、生活を続けていると、生きている目的である、魂の向上が図れなくなってしまいます。早く誤りに気付き、考えや生活を改めなければいけません。しかし、人はそう簡単に変われるわけではありません。そもそも、正しいと信じて、生きているのですから、変える必要があるなどと思っていません。どのようにしても変えられないところまで行き着くと、神の摂理である因果律が作動し、その結果、病気になります。ガンは否が応でも、休息を与え、自分を見つめさせる時をつくります。間違った生き方をしていたのか、追い求めていたものに価値はあったのか、そして本当に大切なものは何か、突きつけられた現実の前に、考えざるを得なくなります。そして、生命よりも大切なものはないことに気付きます。生命とは魂ですから、魂に気付き、本当の自分に気付くことになります。魂に目覚めれば、神の摂理である「愛」に気付くことになります。自分ひとりで生きてきたのではなく、多くの人に支えられて生きてきたこと、お互いがお互いのために存在すること、すべてが愛という力によるものです。ガンは肉体の死に至らせる病として存在するのではなく、生命の危機にさらされることにより、生命と正面から向き合い、本当に大切なことに気付かせるためにあると思います。
病気の治癒は、病変を消滅させることではありません。考え方や生き方が健全になることであり、魂が主導権を握り、摂理に適った考え方、生き方に変わることです。その結果として病変が消失すると思われます。
私は知りたいことがあります。それは、医学的治療に頼らず、ガンが治癒した人たちについてです。本当に必要な研究は、新たな抗ガン剤の開発ではなく、例外的に扱われている、ガンが治癒した人たちを対象にした研究です。なぜ自然治癒が起きたのか?その人たちに共通するものは何か?ガンになったことをきっかけに、考え方や生き方が変わったのか?です。きっと興味深い結果が得られるはずです。知る限りにおいては、偶然治癒したのではなく、今までの考え方や生き方とは決別して、治すという強い意志を持ち続け、その結果治癒している人が多いと思われます。医者に治してもらおうとする人でなく、自助努力で治そうとする人だと考えられます。医者は病気を治す人ではありません。プロとして治すのを手伝う人であり、物理的に修復を行なう人です。治すのはあくまで患者であり、治しているのは自然治癒力です。医学にはどうしても限界が有ります。その現実を忘れて、手術や薬で治そうとするのであれば、患者は大きな損失を被ることになります。あらゆる医学的データは病気の本質を表すものではありません。時として無用な恐怖心を生み、自然治癒力が働くのを妨げる方向に向かわせます。手術は病巣を除去することで、不安や恐怖心が少なくなり、自然治癒力が回復するのであれば有用だと考えます。しかし、神が与えた自然治癒力を損なわせるような治療、病気と正面から向かい合い、自己と向かい合う内省の時間を奪うような治療には賛同できません。なぜなら、ガンは大切なことに気付き、魂が目覚めるためにあり、その先に新しい「生」が待っていると思うからです。
ガンは肉体に現れた病巣との闘いではなく、不安や恐怖との闘いです。それは長く、厳しく、つらい、逃げ出したくなるような闘いかもしれません。待ち構えているかもしれない死や、ガンの進行にともなう痛みに対して、否が応でも不安や恐怖が生まれてしまいます。不安や恐怖に打ち克つためには、正しい知識も必要です。きわめて重要な知識は、死は肉体から魂が解き放たれる現象であり、死の後も生命(魂)は生き続け、意識は存続するということです。跡形もなく存在が消えてしまうのでは、決してありません。繰り返し言います。生命は魂であり、神の一部であるため、死のうにも死ねないのです。死とはどういうものなのか、経験すればはっきりと分かりますが、決して怖いものではありません。知らないから怖く思えるのであり、私の知る限りにおいては喜びです。
そして、痛みはからだの異常を知らせるシグナルであり、ガンの存在を痛みにより知らせています。ガンの活性状況を反映していて、ガンの活性が高まった時に、強く痛みを感じると考えられます。心が不安や恐怖に傾くと、ガンの活性は高まり、痛みが増強すると思われます。痛みから不安や恐怖が生まれ、それによりガンの活性が高まるため、痛みが強まり、さらに不安や恐怖が強くなり、ガンを活性化させるという、悪循環が生まれます。痛みはガンが存在しているというシグナルであるため避けられません。難しいことですが、痛みを感じても、出来るだけ心を平穏に保ち、不安や恐怖を抱かないようにした方が、賢明と思われます。ガンを活性化させると同時に、生命(治癒)力の流入を妨げてしまうからです。
不安や恐怖に立ち向かう最強の武器は、やはり愛です。支えてもらう、励まされる、涙を拭いてもらう、愚痴を聞いてもらう、つらい気持ちをぶつてもそばに居てくれる、すべてが愛あればこそです。霊的な力である愛により、不安や恐怖がどれだけ和らげられているかわかりません。周りから愛はもらえないという人がいるかもしれませんが、そうであれば、もう亡くなってしまった最愛の人に、愛念の想いを伝えて下さい。むこうから、不安や恐怖に打ち克たせる愛の想いが返ってくると思います。もし、そんな人もいないと言うのであれば、神に、「この不安や恐怖に打ち克つために、力を与えて下さい」と、祈って下さい。神の心は愛であり、つながりは永遠です。神の愛が、魂に伝わり、不安や恐怖が和らいでくるかもしれません。ガンを癒す力は愛だと思います。
こんなことを言うと叱られるかもしれませんが、怖れるのではなく、いろいろなことを気付かせて、教えてくれたガンに感謝して下さい。ガンを愛する想いを持てたならば、ガンの存在する意味はなくなると考えています。
神の愛により、魂が癒やされ、病が癒やされることを祈っています。
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