2024年4月28日日曜日

法則の働きを知る


30数年前から、同業者(歯科医師)が集まる研修会に所属しています。

入会した当初、主宰されていた恩師の先生から言われた言葉が、今も心に残っています。

それは「知らないものが1番強い」でした。

言われた時は、その意味が良く分かりませんでした。

今は、知識がない人ほど、恐いもの知らずで、間違ったこと(治療)を平気でしてしまうという意味であり、無知な私を戒めていたと思います。



世界を動かしている人たちは、豊富な知識を持っています。

しかし、その多くは経済的、政治的なものであり、偏っている人も少なくありません。



世の中にはさまざまな知識が存在しています。

中でも、霊的真理は最も重要と考えています。

その理由は、全ての人が深く関っている「法則」について書かれているからです。



アルコールを飲み過ぎると肝臓を壊してしまいます。

その行為が生物的な法則に反しているからです。

子供の頃、わがままばかりを言っていると仲間外れにされます。

わがままな言動に対して法則が働いています。

その結果として孤独になり、苦痛を味わうことになります。

生まれるのも、死ぬのも法則の働きによるものです。

起きている現象に、偶然はありません。



自分の言ったこと、行ったこと以外に、人に知られない自分の想いにまで、法則は働いています。

怒りの想いを抱くと血圧や脈拍は上昇し、悲しみの想いを抱くと涙が出るのも、法則の働きによるものです。

怒りなどの抱き続けると病気になることがあります。

それがいけないことだと、法則の働きによって知らされます。



世の中を動かしている人は、全体に貢献するために、その力が与えられています。

けれども、そのことを信じないどころか、力によって支配しようとする人もいます。



力によって支配できるのは形(外面)だけです。

人の内面まで支配することはできません。

それを知らない人は裸の王様のようです。



内面では、自我が働いています。

自我には、地上で自己表現するための自我(以下地上的な自我)と、霊界で自己表現するための自我(以下霊的な自我)が存在していると考えています。

自我からは、喜び、怒り、悲しみ、怖れなどの感情が生じています。

悲しみ、怒り、怖れは地上的な自我から生じていると考えられます。



喜びには、「地上的な自我」から生じているものと、「霊的な自我」から生じているものがあると考えています。

権力や富を得た時の喜びは、地上的な自我から生じています。

霊的な自我から生じている喜びとは、魂の成長にかかわるものです。

困難や障害を乗り越えた時、愛を表現すること、役に立つことに喜びを感じるのは、法則の働きによって、魂が成長する行いに対して、喜びが感じられるようになっているからです。

私たちは、喜びと痛みによって、成長する方向に導かれています。



愛は、魂から生じている霊的な力です。

地上的な自我(精神)から生じている感情とは次元が異なります。

魂は自我(精神)より高い次元にあるので、愛はあらゆる感情を支配する力を秘めています。



例えば、怒りの感情ですが、許すという自己犠牲(愛)によって鎮められます。

悲しみの感情も、愛によって慰められます。

怖れの感情も、愛によって和らぎます。

苦痛を伴うさまざまな感情を癒すものは愛です。



戦争がいつまで経っても終わらないのは、エゴから生まれた怒りや憎しみの感情を表現しているからです。

因果律の働きによって同じ感情が返って来るだけであり、解決に向かうことは決してありません。

エゴから生じた戦争は、次元の高い愛でしか解決できません。

私たちは苦しみや痛みを通して、そのことを学んでいます。


ところで、地上的なものを得ることに大きな喜びを感じていた人が、霊界に行くとどうなるのでしょう?

喜びを感じられる対象が消滅してしまうために、生きる喜びが感じられなくなります。

魂の成長を促す、霊的な喜びを見い出すために、再び地上に生まれて来ることになるでしょう。



エゴに翻弄されて、戦争を始めた人はさらに哀れです。

自分が与えた、苦しみや痛みや悲しみの1つ1つに、責任を負わなければいけません。

気の遠くなるほど膨大な償いをしなければならず、何度地上に生まれなければならないのか想像も付きません。

知らない人が、やはり1番強いのです。



優しさ、思いやり、友情、寛容、協調、博愛の精神を大切にしてきた人が霊界に行くと、同類の人たちに囲まれて、助け合うことに喜びを感じながら生きるようになります。

誰かが喜ぶことをすれば、自分の成長につながり、自らの喜びとなります。

目に視えない世界では、目に視えない愛に関わるものが何よりも大切になります。

愛が最大の力であることを知ります。



愛を帯びた法則が、宇宙の隅々まで行き渡っています。

法則の働きによって、生命はより高い愛を表現するように進化して行きます。

愛を表現することで、全体は調和しながら、霊的に1つになって行きます。


NGC1961:NASA公開画像より


2024年4月21日日曜日

親の成長を願う子


ある若い騎手が落馬事故で亡くなったと、ニュースで報じていました。

誰からも好かれていたようで、葬式の席では、皆、涙を流していました。

在りし日の写真を見て、若くして亡くなる人は、明るく清らかな輝きを放っている人が多いと改めて感じました。



「地上へ誕生してくる時、魂そのものは地上でどのような人生をたどるかをあらかじめ承知しております。潜在的大我の発達にとって必要な資質を身につける上でそのコースが一番効果的であることを得心して、その大我の自由意志によって選択します。その意味であなた方は自分がどんな人生を生きるかを覚悟の上で生まれてきているのです。その人生を生き抜き、困難を克服することが、内在する資質を開発して真の自我、より大きな自分に新たな神性を付加していくことになるのです。」と、シルバーバーチの霊訓には書かれています。

そして「地上人生の期間、つまり寿命が切れる時期は、たいていの場合あらかじめ分かっています。」とも書かれています。

およその人生は予め決まっていて、承知していることになります。

偶発的としか思えない事故であっても、その人の寿命が来ていたのだと思います。



地上の人は亡くなった年齢を気にします。

若くして亡くなれば、これからだったのにと嘆き悲しむ人が多いでしょう。



死んで無になってしまうのであれば、そう思っても仕方ありません。

現実は全く違います。

新しい環境で、生命は変わりなく続いています。



さまざまな経験をして、霊的に成長するために、私たちは地上に生まれて来ています。

内在する資質を開発するため、言い方を変えると、より多くの神性を発揮できるようになるためです。

神性とは、親切、同情、寛容、慈愛、哀れみ、友情、情愛、無私の愛と、シルバーバーチの霊訓には書かれています。

一言で言えば「愛」です。



地上の年齢は、霊的な成長度の尺度とはなりません。

若くても、十分に神性が発揮されている人はいます。

一方、年を取っていても、それほど発揮されていない人もいます。



思い出せませんが、過去にも地上を生きています。

過去の地上での経験が、魂に反映されています。

神性がそれほど発揮されていない人は、地上に生まれて来た回数が少なく、経験が乏しいと思われます。

十分に発揮されている人は、これまでに何度も地上に生まれ、さまざまな経験をしていると思われます。




若くても、年を取った人よりも、霊的に成長している人がいるのはそのためです。

年齢で判断しようとするのは間違っています。



生まれて来た目的を果たすと、摂理に従って寿命が来ます。

肉体から完全に離れて、本来の住処に戻ることができます。

霊的に成長した人ほど、地上で開発すべき魂の資質が少なくなるので、早く戻れると考えられます。

優しく、思いやりがあり、「何でこんな良い人が」と言われるような人が、早く逝ってしまうのはそのためと考えられます。


生まれて間もなく、お母さんの胸の中で亡くなる子がいます。

ご両親は深い悲しみの中で、こんな問いを突き付けられます。

「何のために生まれて来たの」



学び成長するために、相応しい環境(親)を選んで生まれて来ます。

けれども、早くして亡くなる子供は少し違います。



親が子供を亡くすほど苛酷な試練はありません。

身を引き裂かれるような悲しみ苦しみの中で、霊的に目覚める人がいます。

目覚めた魂が、生命の真実を見つけます。

「視えなくても生きている」

「また会える」

無知から生じていた苦しみから解放されます。



親として選ばれるのには、いくつかの条件があります。

別れに耐えられる魂であること。

深く愛してくれる魂であること。

今生で大きく成長することを求めている魂であること。



選ばれたのであれば、耐えることができ、生き抜くことができます。

深く愛してくれる魂ほど、別れの悲しみが深くなるのは当然です。

この経験を通してでしか決して得られない、貴重な魂の資質を手にするために、生まれて来てくれたと考えられます。



自分のためではありません。

周りの人たちを成長させるために生まれ、そして逝ったと考えられます。

そのような人生を選択するのは、地上を生きる必要のない進化した魂のような気がしてなりません。



過去生から関わりがあって、今生で親子になることを決めてた来た人もいるでしょう。

そうであれば、霊的に親しい間柄(類魂)なのかもしれません。

本来の住処で、愛し合う悦びを、より深く感じながら共に生きるために、地上での別れを経験しています。



先に逝った子が何よりつらく感じているのは、目の前の現実に隠された真実が分からずに、自分を責めている親の姿を見る時です。

「そうじゃない」と必死に訴えているでしょう。



地上の子は、親の愛を一身に受けながら成長して行きます。

先に逝った子と残された親は、地上とは真逆の関係になっていると思われます。

子の愛や導きを受けながら、親が成長して行きます。



進化成長するために、神の計画として起きています。

そのことに、早く気付いて欲しいのです。

真実に気付くことで、先に逝った目的が成就されて行きます。








2024年4月14日日曜日

大丈夫と言い聞かせる


18年前に、突然ヒーリングの力が出現しました。

直後に、霊的真理(シルバーバーチの霊訓)と出会い、私の意識に変革が起こりました。

世の中が違って見えるようになり、ある言葉が妙に心に響くようになりました。

その言葉とは「大丈夫」です。



人のことが心配になった時に「大丈夫?」と声をかけます。

また、不安な時に自分に「大丈夫」と言い聞かせる時もあります。

なぜ心に響くようになったのか、当時は分かりませんでした。

今は、神や霊界の存在が、私たちに語りかけている言葉だと思うようになりました。



不治の病気になり、死が迫っている人がいたとします。

その人に向かって「大丈夫だよ」と言ったとしたらどうでしょう?

多くの人は、死に対して恐れや不安を持っています。

死が迫った人ならなおさらです。

「気休めなど言わないでくれ」と言われてしまうかもしれません。



死とは、生命の本質である魂が肉体から完全に分離する自然現象です。

死んでも、意識は変わりなく存続しています。

本来の住処に戻って、新たな生活が始まります。

地上の苦しみや痛みから解放されるので、本当に大丈夫なのです。



現実に打ちのめされている人、窮地に追い込まれた人に、「大丈夫」と言ったらどうでしょう?

「何を根拠にそんなことが言えるんだ」と怒られてしまうかもしれません。



あらゆる物は自然法則に働きによって支配されています。

あらゆる事象は自然法則の働きによって起きています。

そのことを、物理学者のアインシュタインは「神はサイコロを振らない」と表現しています。

「偶然・運命の気まぐれ・奇跡・偶発事故というものは存在しません。すべては整然とした犯すべからざる連鎖の法則にしたがって働く「因果律」の結果なのです。自然の摂理がこの宇宙全体を支配しており、どこで何が起きようとー昆虫であろうと人間であろうと天体であろうとーすべてにその法則が働いているのです」と、シルバーバーチの霊訓には書かれています。

自然法則の働きによって、この世界の秩序は保たれています。



魂には神が存在しています。

神が良心となって顕現しています。

助けを求めている人がいたら、何とかしてあげたいと思うのはそのためです。



全体を愛しむ無限の心(意識)が神と考えています。

神の心そのものである愛が、自然法則の働きの中に顕現しています。

私たちは、自然法則の働きによって、神に愛されているのです。



どのような事象であっても、神の愛により創られた自然法則の働きによって起きているので、最終的には良い方向に向かいます。

神が全責任を負っているので「大丈夫」なのです。



地上にいる時は、肉体があります。

五感が強くなり、相対的に霊的な感覚は弱くなります。

そのために、五感に触れない神の存在や自然法則の働きが分からなくなります。

次の世界に行くと、もう肉体はありません。

五感の障壁が取り払われ、神の存在と法則の働きが如実に感じられるようになります。

宇宙は神の愛により経綸されていることが分かり、地上で怖れるものは何もなかったと思うようになります。



シルバーバーチは「取り越し苦労をしてはいけない」と繰り返し言っています。

また「乗り越えられない困難や障害は起こらない」と言っています。

必要なことが自然法則の働きによって起きているので、何が起きたとしても大丈夫と、地上の人たちに伝えたいのだと思います。



幼い頃、怯えていると、親から「大丈夫だよ」と言われると安心できたものです。

「大丈夫」という言葉から、自分の想いを理解してくれて、気遣う気持ち(愛)が伝わるので、恐怖や不安が和らいだのだと思います。



先のことが、全く分からなくなるのが地上です。

不完全な世界のために、思う通りに生きられません。

失敗や挫折もあり、生きるのに疲れてしまう時もあるでしょう。



そんな時に、霊界にいる存在に意念を向けてみるのはどうでしょう。

間髪を入れずに、生きる力が出るような言葉やイメージが心の中に浮かび上がって来るかもしれません。

先のことが予見できる霊界の人たちは地上の人に、何とかなるから大丈夫だよと伝えていると思います。

きっと、その通りになるはずです。



私たちは、全体(神)の一部です。

全体(神)とつながっているので、全ての事象を乗り越える力が秘められています。

外にいる誰かが救ってくれるのではなく、自分の中にいる神によって自分が救われます。



「大丈夫」の語源を調べてみました。

仏教で言う「菩薩」のことを指すようです。

菩薩とは、自己の悟りを求める過程で、他者を救済しようとする精神を持つ者のことを言います。

華厳経の中に「もし諸の菩薩この法に安住すれば大丈夫の名号(みょうごう)を得ん」と書かれています。

(真理を求める人は)自然法則の働きを信じていれば大丈夫と解釈しています。

分殊菩薩像(焼山寺) 


新しいことに挑戦する際に怖れや不安を感じたり、困難や障害に遭遇して生きるのがつらくなったら、「必ず良い方向に向かうので絶対に大丈夫」と、強く自分に言い聞かせて前に進んで行きましょう。




2024年4月7日日曜日

戦争のない世界にするために


大きな戦争が始まって2年の月日が経ちました。

直接被害を被っているわけではないので、徐々に関心が薄れているのを感じます。

どうすることもできないと諦めている自分がいます。

そんな気持ちが、戦争を長引かせてしまっているような気がします。



戦争を終わりにするためには、どうすれば良いのでしょうか?

地球上の全ての人に神が宿っています。

神が良心となって顕現しています。

地上は、思念を肉体を使って表現する世界です。

1人ひとりが、自分の良心に従って、何かを表現すれば良いはずです。

SNSなどを通じて、戦争に異を唱える人もいれば、反対運動に参加したり、署名をする人もいるでしょう。



マハトマ・ガンジーの非暴力運動も、当初はささやかなものでした。

徐々に周囲を巻き込んで国中に広がり、最終的にはインドの独立を勝ち取りました。

たとえ小さな表現であっても、それが周囲に影響を与えて、次第に大きなうねりとなって、世界を変えてしまうこともあります。



霊界に向かって祈るのも良いでしょう。

祈りを受け取った霊界の人たちが、同調する地上のキーマンに戦争を終わらせるよう、より強く働きかけてくれると思います。



出典:戸田記念国際平和研究所HP

人が死に、傷つき、家や街が破壊されています。

物的なもの以上に、霊的な被害も深刻かもしれません。

怒り、憎しみ、恨み、悲しみ、嘆きに支配されてしまいます。

予定されていた人生が送れなくなってしまいます。

多くの人に無用なカルマを作ってしまいます。

引いては、人類全体の霊的進化を遅らせることにつながります。



霊界では戦争は起こり得ません。

周りには同類の人間しかおらず、地上的な欲望もなくなるからです。

地上では、肌の色、言葉、性格などがそれぞれ違っていて、誰一人として同じ人間はいません。

肉体があるために、利己心も生れます。

国や組織の間で、互いの違いを認められず、利己的になってしまうと、戦争に発展してしまう可能性があります。



戦争が始まれば、大きな苦痛を味わうことになります。

苦痛を通して、お互いを認め合い、許し合い、信じ合うことの大切さに気付きます。

それは宇宙を支配している自然法則の働き(真理)を学んでいることに他なりません。

初めから真理を知っていて、実践していたのならば、戦争が起きることはありません。

もちろん、苦痛を経験する必要もありません。



進むべき目的地は同じです。

真理を実践して直線的に進んで行くのか、知らずに遠回りをして進んで行くのかのどちらかです。

無用な戦争を起こさせないために、真理を知っている人は、まだ知らない人に伝えるという、重大な責務を担っていることになります。



漠然としているもの、何となく感じていることを、はっきりとさせたものが、霊的真理(シルバーバーチの霊訓)だと考えています。

例えば善と悪です。

定義はあいまいで、人によって解釈は違います。

善とは自分の良心(神)の声に従うことであり、悪とは良心の声に背くことです。

自我(エゴ)の働きが強くなると、良心が顕現しにくくなります。

悲しいことに、世界を変える力(権力や富)を持った人ほど、エゴの働きが強い傾向にあります。

戦争を始めた人たちは、良心の声がエゴにかき消されてしまったか、聞こえていても蓋をして背いてしまったと考えられます。



悪いことをすれば、罪を償わなければならないと教えられました。

ところが、戦争で悪いことをしても、罪を問われず、償いをしない人もいます。

この事実を、子供たちにどう説明すれば良いのでしょうか?

法律から逃れられても、法則から逃れることはできません。

自然法則の働きによって間違いなく霊的な償いが果たされ、完全な公正が保たれることを併せて教えなければいけません。



同胞が傷つけられたと報復して、戦争が始まることがあります。

同胞とは何でしょう?

同じ国、同じ地域、同じ人種、同じ宗教に所属する者だけが同胞ではありません。

人類全体が同胞です。

目に視えない霊的なつながりのある関係が同胞です。

同胞を傷つけているのが戦争です。



戦争と言う大きな過ちを犯してしまうのは、そのことを知らないからです。

全世界に適応される法律はありません。

全宇宙を支配する不変の自然法則を絶対的な基準にして、戦争が過ちであることをはっきりと指摘し、罪を犯した者を追及することが望まれます。



「大自然の働きの基調は革命(レボリューション)ではなく、進化(イボリューション)です。進化の過程はゆっくりと、そして着実に進行します」とシルバーバーチは言っています。

まだ知らない人に真理を伝えることで、心の底から戦争に異を唱える人が増えて行きます。

そのようにして、ほんの少しずつですが、戦争のない平和な世界に変わって行くと信じています。


愛のトンネル(ウクライナ)


自分の住む地域で、ささやかですが真理を広める活動をしています。

然るべき時期が来たら、活動の場を広げて行きたいと考えています。