私たちは、地上と霊界の間を行き来しながら、進化成長して行く存在です。
地上に生まれると、肉体によって自己表現するようになります。
それに伴って、地上の自我(以下自我)が生じます。
例えば、火事で建物中に取り残され、助けを求めている人がいたとします。
魂には神が内在しています。
そのため、助けようとする衝動が生まれます。
一方、自我は肉体と密接に関係しています。
そのため、肉体を守ろうとします。
魂からは助けようとする想い(愛)、自我からは死んでしまうかもしれないという怖れが生じて、両者の間で葛藤が起こります。
自我が勝ると助けるのを止めてしまいます。
このように、魂から生じている想いは、自我によって大きな制約を受けています。
自我に打ち克ち、自分の想いを表現するのは、地上に生まれて来た目的の1つと考えられます。
そのために必要になのは「勇気」です。
けれども、口で言うほど勇気を出すのは簡単ではありません。
不完全な物質の世界のため、上手く表現できる保証はなく、上手く表現できたとしても、受け入れられるかどうかも分かりません。
ヘレン・ケラー(1880-1968)出典:Wikipedia |
ご存知のように、ヘレン・ケラーは見えない、聴こえない、話せない3重の障がいを持っていました。
幼少期の様子をこう語っています。
「濃い霧の海を航海したことがありますか?まるで、立ちはだかる白い闇のような霧。その中を、大型船が緊張と不安の中、水深をはかる「測鉛」を頼りに、手探りで岸に向かって進む。」
外界と隔絶され、不安と孤独の中で生きていたヘレン・ケラーの元に、サリバン先生が現れます。
出会った日のことを「私の魂が誕生した日」と言っています。
ヘレン・ケラーはサリバン先生の口に手を当て唇の動きや振動から、そして口の中に指を入れて舌の動きから発音の仕方と単語をマスターして行きました。
7回目のレッスンの後、「I am not dumb now(私はもう聾唖者ではない)」という文章を話せるようになっていました。
ヘレン・ケラーの記録動画を観る機会がありましたが、聾唖者とは思えない見事な演説でした。
「人生は二つに一つ。迷った時こそ勇気を。」ヘレン・ケラーは言っています。
どれくらいの勇気を奮い立たせて、絶望的と思われる障がいを克服し、自己表現できるようになったのか想像も付きません。
勇気を出すためにどうすれば良いのでしょうか?
自分を信じなければいけません。
本当の自分とは魂です。
自分を信じることは、内在する神を信じることになります。
たとえ神の存在を信じていなくても、自分を信じることで神とのつながりが強くなり、物事を成し遂げる力が得られます。
多くの人は、自我(エゴ)の働きが強くなっています。
そのために、本当の自分の想いに気付けなくなったり、気付いたとしても蓋をしてしまいます。
自分を見失い、自分を信じられなり、勇気を出せずに物事を成し遂げる機会が奪われています。
私たちは、一人で生きているのではありません。
地上にいる私たちを見守っている存在がいます。
どうしても自分を信じられない時には、その存在を信じましょう。
インスピレーションや援助の力を届けて、怖れや不安を払拭させてくれるでしょう。
霊界では肉体がありません。
思念が直接伝わるので、自己表現に失敗することはありません。
周りには同類の人しかいないので、受け入れてもらえないこともありません。
地上のような勇気を必要としない世界と考えられます。
思念の世界である霊界において、何よりも大切なのは意志です。
意志がなければ、何も変わらず、自発的に成長することもできません。
勇気とは、物事を成し遂げるための意志を強くさせるものです。
地上で勇気を出して物事を成し遂げることによって、霊界で周りのための何かをしようとする意志が強固なものになると考えられます。
ヘレン・ケラーですが、12歳の時に幽体離脱をしてアテネを訪れるという霊的な体験をして、魂の存在を信じるようになりました。
そして、死んだ後に障がいから解放された世界が待ち受けていることを知ります。
「私は、自分の障がいを神に感謝しています。私が自分を見出し、生涯の仕事、そして神を見つけることができたのも、この障がいを通してだったからです。」(ヘレン・ケラー)
地上で不幸と言われる事象は、魂を目覚めさせ、生まれて来た目的を成就するために、神によって計画されたものと考えられます。
「乗り越えられない困難や障害は与えられない」
ヘレン・ケラーはこの霊的真理を実践して世界中の人に示した偉大なスピリチュアリストです。
私たちにも、彼女と同じ神が宿っています。
だめかもしれないと思った時は「神がいるので絶対に大丈夫」と強く信じて下さい。
そして、勇気を奮い立たせ、前に進んで行きましょう。
ヘレンケラーとサリバン先生 (出典:サライ jp) |