若い時は、何で生きているのかが判りませんでした。
頑張って何かを成し遂げたとしても、死んでしまえば同じだろうと思っていました。
それでも、周りの人は頑張って生きているように見えました。
どうしてそんなに頑張れるのだろう?と、不思議に思った覚えがあります。
霊的真理を知り、生きている目的が判りました。
目的は1つであり、自分を成長させるためです。
本当の自分、生命の本質は目に視えない「魂」です。
頑張ろうとするのは、魂が成長しようとしているからだと思います。
ところで、魂の成長とは何でしょう?
平たく言えば、強く、優しくなることだと私は思っています。
魂の資質には、思いやり、優しさ、寛容、協調などがあると言われています。
全て、愛が形を変えたものです。
完全な人は、地上のどこにもいません。
誰もが、どこかに欠けている部分があるはずです。
欠けている部分を、身に付けるために、地上に生まれて来ます。
そのための計画が立てられ、およその人生が決まります。
欠けている部分や、身に付ける手段は、人それぞれ違います。
一人一人の人生が違うのは当然です。
例えば、優しさに欠けている人がいたとします。
そんな人は、地上に生まれて、自分の力ではどうすることもできない、窮地に追い込まれる経験をするかもしれません。
絶体絶命になった時に、救いの手が差し伸べられれば、優しさの意味が身に沁みて判ると思います。
自分がされたことを、今度は人にするようになるでしょう。
寛容さに欠けている人であれば、既に身に付けている人の元に生まれて、間近で学びながら、自らも実践して行くようになるかもしれません。
あるいは、不寛容な行いによって、苦痛を伴う結果が生じて、改めて行くかもしれません。
協調性に欠けている人であれば、自分勝手な行動により大失態を犯して、大変な思いをする中で、周りと足並みを揃えることを覚えるかもしれません。
十分な資質を身に付けているのに、それを表現する強さに欠けている人がいたとします。
そんな人は、逆境に生まれたり、逃げることのできない困難や障害に遭遇し、それを克服して行くことで、魂の強さを身に付けて行くのかもしれません。
欠けている部分を身に付けるために、最適な経験をすることになります。
人生のどの時点で、どんな経験をするのかは、誰にも判りません、
それは突然であり、思いもよらぬ出来事かもしれません。
出来事が起きた時に、何で自分がと思います。
原因を探しますが、生まれる前に計画していたことであれば、見つかるはずはなく、偶然としか思えません。
「(若い時の)苦労は買ってでもしろ」と言う諺があります。
その人の成長につながり、先で活かされるからです。
分岐点に差し掛かった時に、楽な方ではなく、敢えて苦しい方に進んで行くこともあります。
苦しい方を選ぶことが、計画されていたのかもしれません。
後で、成長する機会を逃したと、後悔したくないからだと思います。
人生は死後も続いています。
霊界に行くと、視点が全く違って来ます。
苦しくて仕方なかった出来事は、何かを学んで、自分を成長させるために起きていたことが判ります。
現実は変えられません。
周りを変えることもできません。
変えることができるのは自分だけです。
苦しみや痛みは、自分が変わるための触媒としての役割を果たしています。
もし、不運を嘆いたり、運命を呪ったり、怒りをぶつけているのであれば、変わろうとする力が奪われてしまっています。
いつまでも変われないために、苦しみが続いてしまいます。
苦しみは絶対的なものではなく、主観的なものです。
自分が成長することで、苦しみに対する閾値が高くなり、感じにくくなるはずです。
出来事が起きた目的が成就されたのならば、苦しみから解放されるはずです。
受け入れることが、変わるための前提条件です。
目的があって起きていると、強く信じて下さい。
起きた出来事を、どのように考えるのかは自由です。
偶然と思うのも、不幸と思うのも、不公平と思うのも自由です。
しかし、そう思うと様々な感情が生じて苦しむことになります。
その考えが間違っているのかもしれません。
間違いを正すために、苦しみが生じているのかもしれません。
偶然でも、不幸なことでもありません。
自分が変わるために、自分が了承した上で、起きている可能性があります。
不公平だと思うのは早合点です。
霊的な学びや成長が得られることで、完全な公平が保たれています。
成長することが、生きている目的そのものです。
死んだ後に、この世の人生が問われます。
自分が行ったこと、言ったこと、思ったことは、全てオーラに刻み込まれています。
生まれてから死ぬまでの全人生を振り返る時が来ます。
後悔したくないと思うのは、その時が来るからです。
不幸な出来事と決めつけ、いつまでも嘆き悲しんでいる自分、運命を呪っている自分を見て、いたたまれない気持ちになるかもしれません。
望ましい方向に変わると自分自身が決めていたのに、それを妨げてしまう感情に支配されて、計画通りに行かなかったことに愕然とするかもしれません。
全ての出来事は、自然法則の働きによって起きています。
自然法則は完全な叡智により創られ、完全な愛が表現されています。
全ての生命は、自然法則の働きによって、完全(神)に向かって進化しています。
完全(神)に程遠い、未熟な私たちが進化するために、苦しみや痛みを伴う出来事を経験することのできる地上に生まれる必要があったのです。
人生が変わるほどの出来事は、人間を変えるために起きているのかもしれません。