若い時は、死は遠い先のことと考えていました。
60才になった今、そう遠くない出来事であり、もしかしたら数年後になるかもしれないと思うようになりました。
霊的真理により、死の理解が深まりました。
およその寿命は決まっているようです。
人生には予め決めていた計画があるからです。
決めていた通りに生まれて、決めていた通りの出来事を経験し、決めていた通りに死んで行きます。
もし、計画がなかったとしたらどうなるでしょう?
行き当たりばったりで、混沌とした人生になるはずです。
我欲のままに、生きようとするかもしれません。
そうならないのは計画が存在するからであり、そのことを奥底にいる自分が自覚しているからと思います。
生まれて来た目的は、自分を成長させるためです。
人間は、肉体、精神、霊(魂)から成り立っています。
肉体的な成長は20才前後で終わりますが、霊的な成長に終わりはありません。
さまざまな出来事を経験することで、多くのことを学び、人は成長して行きます。
本でいくら学んでも、自転車に乗れるようにはなれません。
実際に、自転車にまたがって、転んで痛い思いをしながら、乗れるようになります。
人生における学びも同じです。
自らが経験しなければいけません。
知っているのと、経験するのでは大きく違います。
病気がつらいのは誰もが知っています。
どれくらいつらいのかは、病気になって初めて判ります。
戦争はいけないと誰もが口にします。
けれども、爆撃や銃撃を受けて命の危険に晒された人でなければ、本当の恐さは判らないと思います。
経験しなければ判らないこと、学べないことがいくらでもあるようです。
小学校で、計算や漢字を教わりました。
教わったことは、その後の日常生活で活かされています。
将来のために、苦労して学んでいたと言えます。
いくら苦労して学んだとしても、死んでしまえば意味がないように思えます。
死後も人生は続いています。
次の世界で、この世で学んだことが活かされます。
正確に言えば、次の世界で自分をより活かすために、この世に生まれて、さまざまな経験をしています。
こんな疑問を持つ人がいるかもしれません。
もし、次の世界があるのならば、そこで学べば良いのではないか?
この世に生まれて来る必要があるのか?
この世では、自分と違う人たちに囲まれながら生きています。
自分の想いを言葉や行動に変換して、肉体によって伝えています。
想っていることが違う上に、正確に伝わらない世界に、私たちは今います。
そのために、誤解や軋轢が生じやすくなります。
時に、それが争いに発展することもあります。
争いを避けるためには、互いを認め合い、許し合わなければいけません。
意識していなくても、この世で協調や寛容の精神を学んでいます。
次の世界に行くと、周囲にいるのは自分と霊的に似通った人たちばかりです。
想っていることが、そのまま相手に伝わります。
誤解や軋轢が生じる原因が、完全に取り払われています。
人間関係においてストレスフリーな世界であるがゆえに、この世より寛容や協調の精神を学ぶことが難しくなります。
戦争もありません。
平和な世界であるがゆえに、平和の意味や価値を学ぶのが難しくなります。
戦争と平和、病気と健康、等々、この世には両方が存在しています。
両方が存在しているために、平和や自由(健康)の意味や価値がはっきりと判ります。
比較対象するものがない次の世界では、霊的に大切なことが際立たないのです。
生まれて来たのは、この世でしか学べないことがあったからです。
魂に必要なことを、効率よく学ぶために、最適な計画が立案されます。
もし、計画がなければどうなるのでしょう?
学びは偶然に支配されて、極めて非効率なものとなります。
創造者が意図した通りに、人間を完成して行くのは、極めて困難になります。
全てが完璧な叡智の働きにより計られています。
学ぶことがあれば、この世に何回でも生まれて来ます。
繰り返されるこの世の人生で、どこかで経験しなければならないことを、今しているのかもしれません。
今生で学んだ人は、もう同じ経験をする必要はありません。
未だの人は、次に生まれた時に経験するかもしれません。
完全な公正が保たれています。
楽しい経験ではなく、苦痛を伴う経験でなければ、霊的に目覚めません。
私は逃げ出したくなるような、屈辱的な経験をして目覚めました。
深刻な病気になったり、強烈な別れを経験して目覚める人もいます。
目覚めた魂が、霊的に大切な何かを見つけます。
それが学びです。
学びとは、魂に元々備わっている神の叡智が、経験によって表に出て来る自然現象なのかもしれません。
計画に従って人生は粛々と展開して行きます。
予定されていた出来事を経験することで、予定されていた学びを得て、成長したのならば、この世に生まれて来た意味が成就されたことになります。
13 件のコメント:
イクミ様
お久しぶりに書き込み失礼いたします。
2019年春のお彼岸の時期に父が突然に旅立った事を
こちらでお話させていただきました、ゆかりです。
仰る事、とても良くわかります。
計画された通りの事を経験する事、
知っているのと経験するのでは大きく違う事、
この世にいるからこそ学べる大切な事がある、
全ては叡智の働きである事。
あれからまた色々と起こりまして、
シルバーバーチの霊訓が改めて奥深くに沁み入っています。
20代半ば頃に身内がトラブルを起こして身内中が悲鳴を上げ
行政も助けてくれず、絶体絶命のピンチ、ただ絶望のみ、という
そんな時にシルバーバーチの霊訓に出会って救われ
魂が目を覚ました様な衝撃的な感覚に包まれて、
絶望と思われた状況を切り抜ける事ができました。
そこから色んな根深い家族の問題が年月をかけて解決していき
「ようやく安心して自分の事を考えていられる」と思った矢先に
人生初の手術、入院する事態になりました。
とても耐えがたい激痛が数ヶ月続いて通院しても改善されず、
病院を点々としてようやく治してくれるドクターに出会え救われましたが、
ここで二度目の「魂が覚醒した感覚」がきました。
今回の激痛と闘病期間で
「残りの人生、自分の身体と心を大切にしながら生きていく事」
が刻まれました。
これまで自分に無理をさせて、身を削るように生きてきてしまった事で
こんな事になってしまったんだと、激痛の中で何度も悔やみ涙しました。
初めて自分の身体を愛おしく思えました。
家族や友人たちが毎日、励ましの声をかけてくれました。
入院中はドクターや看護師さんたちに頼る事で
「人に頼る」事を体感し、自分に許可できました。
人に救われた体験をさせてもらえた事が特に大きく、
ドクターの内面性の高さから発せられる助言や言葉の数々が
退院した後も思い出され、涙が出るほど癒されて
人生をも救われた様な感覚を得られたのです。
神の叡智が全ての人に内在しているのを目の当たりにでき、
闘病によって素晴らしい光景に触れられました。
幼い頃から数々の辛く苦しい、孤独で悲しい試練を乗り越えてきましたが
ここまで生きてきてよかったと心から思えました。
シルバーバーチの言う「強烈な体験で魂が目を覚ます」は本当にその通りで、
困難と思える状況の中でこそ、内側の輝きが発揮される事も納得ですし、
見守られながら成長の為に生きられる事が幸せで、感謝が溢れて止まりません。
順調に回復している今、またシルバーバーチの霊訓を読み返しています。
ゆかり様
お久しぶりです。
引き続き読んでいたただいて、ありがとうございます。
あなたも絶望の中で、シルバーバーチの霊訓に出会ったのですね。
これ以上ない、絶妙なタイミングだったとお察ししますが、真理に辿り着かせるために、背後霊も必死に働きかけていたと思います。
以前、あなたの辿って来た人生をお聞きして、驚いたのを覚えています。
過酷な試練を経験されていましたが、若くして真理を手に入れるために必要だったのでしょう。
もちろん計画されていたことであり、今生に生まれた1つの目的を、無事果たされたと思います。
病気だったのですね。
順調に回復されているそうで良かったです。
私たちは自分の魂に足りない部分を、経験を通して学んでいます。
人に頼っても良いことを学んだのですね。
神の摂理を学んでいますが、全ての摂理を貫いているものは愛です。
病気の経験を通して、改めて愛の大切さを学ばれたのではないでしょうか。
より一層、人に与えられるようになっていると思います。
人に与えるように、自分にも与えられるようになっていると思います。
大切なことを学び、心から喜んでいるあなたの姿を見て、背後霊が1番喜んでいると思います。
これからも必要な経験をするように導かれ、真理の正しさを確信されて行くと思います。
イクミ様
かなりお久しぶりでしたのに、覚えていただいていて嬉しいです。
受け止めてくださり、本当にありがとうございます。
ご返信の背後から眩しい輝きが差し込んできて、涙がでました。
こういったやり取りをさせていただける事、心から幸せに思います。
シルバーバーチの霊訓に出会ったおかげで、自分の人生に強烈な体験が続く事を肯定でき、今でも大きな救いとなっています。
そしてこの度、自分自身が救われる体験ができたことで、愛の大きなエネルギーが一層深く入ってくるようになり、自分にも与えられるようになってきている実感があります。
真理に辿り着かせるために背後霊たちが必死に働きかけてくれていた事、その後もずっと導き、今一緒に喜んでいる事も、とてもよく分かります。
「あなたを助けたいのを踏みとどまなければならなかった事が何度もありました。よく乗り越えてくださいました。」
と涙ながらに励ましてくれるビジョンが降りてくるのですが、この辺りに、宇宙の大霊の法則や神の計画、地球浄化計画などうかがい知る事ができます。
愛が広がる通路の一つでいたいし、そうあれる事が私にとって幸せなのだと、確信に至りました。
これからも直感と導きを信頼し、日々出来る事をして、必要な経験へと導かれていく事を信じます。
イクミ様
私は今年の3月に18歳になる長男を亡くしました。
2月に風邪の症状から始まり2日目の夜に搬送した時には自分が誰だかも分からなくなっていました。
搬送直前まで、意識がはっきりしていたのに、原因不明の急性脳炎で1カ月の入院後亡くなりました。
母親として、子供の危機を第六感で感じていたのになぜか早急な対応ができなかったし、子供は私に不調を隠していたように感じます。
こんな残酷な別れ方をする意味が未だに分かりません。
子どもは、私の元に産まれてきて、何を学べたのか、幸せだったのか、孤独を感じていたのではないか。
私は、子供の為にもっともっといろんなことを経験させてあげたかったし、もっとたくさんの人と出逢って欲しかった。
ある人から、子供に先立たれるのは因果応報なのだと言われましたが、この苦しみに変わることなんて誰もしていないし、誰も悪くないと感じます。
イクミ様、このメールでヒーリングをしていただけないでしょうか。
私は、子供に伝えたいのです。独り立ちする応援はしていたけれど、本当は心配でずっと一緒にいたかった。もっといろんな話を聞かせてほしかった。
子供は、私のことをどう思っていたのでしょうか。
ヒロ様
こんにちは。
3月に息子さんを亡くされたのですね。
今まで元気にしていた息子さんが、突然具合が悪くなり、死んでしまう、今も悪い夢を見ているようなお気持ちではないかとお察しします。
現実が信じられないでしょう。
受け入れられないでしょう。
何で、死ななければならないのか、自問されていると思います。
どんなに突発的であっても、偶然はありません。
残酷と思える別れであっても、何かしらの意味があるはずです。
もしそうでなければ、運が悪かったと、諦めるしかありません。
これからたくさんの人と出会い、色々な経験をするはずだったと思うのも無理もありません。
親子として思い出も、これから作っていけることに、何の疑いもなかったと思います。
良く聞いて下さい。
息子さんの生命は失われていません。
次の世界に移っただけです。
五感で全く感じられなくなりましたが、変わりなく生きています。
親子の関係は失われていません。
息子さんは、母親としてあなたを選んで、生まれて来たのは間違いありません。
人生には計画があります。
およその寿命も決まっています。
この別れは、初めから決まっていた可能性があります。
あなたが対応ができなかったり、お子さんが不調を隠してしまうのも、そのためかもしれません。
何故、これほど早く逝ってしまうのかとお思いでしょう。
私たちはの生は果てしなく続いています。
永遠の生の中で、目的があって地上を生きています。
地上での目的を終えた時、つまり寿命が来たら、直ちに元いた霊界に戻るようになっています。
18才と言う年齢は、あまりにも短く感じます。
どんな目的を果たしたのか、どんなことを学べたのかと思うでしょう。
それでも、息子さんは次の世界に行くことを許されたから、逝ったのです。
もし、目的を果たせていなかったら、脳炎から回復し、この世を生きているはずです。
この世界を中心に考えるのはやめましょう。
息子さんが今いる世界が、真の世界です。
この世を生きている全ての人が、いづれ戻る世界です。
そこでの生活のために、この世に生まれて、様々なことを経験しているのです。
この人生最大の試練は、次の世界での幸せのためにあると言えます。
次の世界での幸せのためにあると言われても、こんなつらい経験などしたくないと思われるでしょう。
この世も、次の世界でも、生きる目的は1つであり、自分を成長させるためです。
次の世界では肉体がなく、衣食住で困ることはありません。
周りにいるのは、自分と同類の人ばかりです。
苦しみや痛みのない、快適な世界です。
そんな快適な世界を離れて、わざわざ生まれて来るのは、地上でしかできない経験があるからです。
その経験の一つとして、別れがあります。
これ以上ないつらい経験が、あなたの魂に深甚な影響を与えて、格段に成長させることになります。
信じられないでしょうが、ご自身の成長のために起きています。
どのような人生になるのかは、奥底にいる自分は知っていますが、表には出て来ません。
もし表に出て来たのなら、まともな精神状態ではいられません。
次の世界に息子さんは行きましたが、そこでも地上と同じような出会いがあり、学ぶこともできます。
生きる悦びは、地上とは比べ物にならないほど大きいです。
誰にも束縛されずに、自由に好きなことができるようになります。
そのような理由から、早く逝った息子さんを哀れむのは、大きな間違いです。
3月に亡くなったのであれば、徐々に次の世界に順応して来ているでしょうが、まだ住み慣れた我が家が1番居心地が良いと思っているのかもしれません。
息子さんに伝えたいことがあるのですね。
息子さんが家で良くいた場所で、言葉にして伝えて下さい。
想いは伝わります。
息子さんの想いですが、私が感じたことを書いてみます。
どこにも行っていない
希望に沿えなくてごめん
もっと判り合えたかった
以上です。失礼がありましたらお許し下さい。
息子さんの魂の存在と想いを、あなたが強く信じることが出来るならば、今からでも判り合えることができます。
ヒーリングを希望されていますが、ヒロ様ご自身にでしょうか?
イクミ様
早々の返信ありがとうございます。
そして、丁寧に教えて頂きありがとうございます。
最初の投稿では詳しく記述しませんでしたが、実は、長男との別れは私の中で潜在意識の中にありました。怖くて考えないようにしていたけれど、出産して長男を抱いた瞬間、「この子の死はいつ訪れるのだろう」と感じたのです。生を受けた日から、死に向かって歩むことは理屈で分かっていても、その瞬間に感じたことが不安だったのです。
救急車で搬送したあの瞬間に、子供と私を引き裂く大きな運命の流れが来たこともなぜか感じたけれど、怖くて振り払った。子どもが一瞬我に返って、右目から一粒の涙を流したのを私が拭った情景が忘れられなくて、最後の別れになることをお互い悟った瞬間だったのではないかと思います。
息子の思いを活字にしていただいて、はっきり分かりました。
「もっと判り合えたかった」とは、まさに今、母の私も感じていたことです。
それは、息子が書き残したたくさんの文や言葉から、家族に見せいていた顔と全く別の一面を発見して、今更ながら、ようやく息子に寄り添えることができています。
こんな残酷な別れを見せつけられても、その残された言葉が私を救い、癒し、そして私の人生を歩む活力にさせられています。私は今まで子供の一面しか見ていなかったけれど、息子は奥深くまで考えた人生を歩んでいて、高校三年間でよくここまで自分という存在を言葉で表現できたものだと感心してしまいました。
「希望に添えなくてごめん」とは、私の期待からくる言葉なのでしょうが、そこは私の思いが子供にきちんと伝わっていなかったのかもしれません。私が敷いたレールに乗ることなく、自由に自分の未来を力強く切り拓いて欲しかっただけなのです。18歳で命を堕とすことを想定はしていないので、生き抜くという意味では希望に添えなかったということでしょうか。
2月のことから、家族皆が、それぞれ大きな喪失感を抱き、それぞれの足でやっと立ち上がろうとしていますが、母親の私だけが日常生活に戻れずに打ちのめされています。
しかし、「肉体は失っても、魂は生き続ける」ことは、息子の残した文面のいろんなところから語りかけてきます。当の本人からのメッセージなので、信じざるを得ない状況なのです。
ヒーリングの希望とは、息子がこの世でやり残したことがあって無念さが残っているのではないかと考えていたため、息子の想いを教えていただきたいという意味でした。
小説も完成されていなかったり、着想が溢れていてたくさんプロットしたいという文面がでてきたためです。
私は、この残していった言葉たちを丁寧に搔き集めて、書籍化したいと考えていますが、息子はそれを望んでいるでしょうか。母親の私には、そうして欲しいと感じとれるのですが。
この作業は、私にとってものすごく苦しい時間にもなるのですが、でも子供と正面から向き合いたいと思うのです。
このことについて、息子がどう思っているか、ヒーリングをお願いできませんでしょうか。
ヒロ様
おはようございます。
生まれた瞬間、この子はいつ死ぬのだろうと思ったそうですね。
魂の奥に仕舞われていた人生のシナリオが表に出て来たと思います。
このブログにコメントを送っていただいた、お子さんを亡くされた方々が、あなたと同じ様に別れが来ると予感していたと言っています。
救急車で搬送した時に、息子さんの右目から涙が流れて、それを拭き取ったそうですね。
その涙には、たくさんの想いが込められています。
その意味を、一生をかけて理解して行くのが、この別れの目的の1つだと思います。
別のところでお子さんと別れの意味を書いていますので、よろしければご覧になって下さい。https://slverbirch.blogspot.com/2019/03/blog-post_31.html
「希望に添えなくてごめん」は、一緒に生きることができなくてと言う意味だと感じています。
あなたは息子さんの想いを、すでに感じ取っています。
姿は視えませんが、魂と魂はつながっています。
離れ離れではありません。
そのことを、しっかりと自覚されて下さい。
残した言葉に、伝わって来る想いを加えて、書籍を完成させることを望んでいます。
あなたならできると伝えたいようです。
息子さんとの共同作業です。
魂と魂のつながりを深め、お互いを判り合うことにつながります。
イクミ様
的確なお言葉をありがとうございます。
私が感じている事はただのエゴで自問自答をしているだけでかと不安でしたが、はっきり教えていただき自信が持てました。
棺桶に入った息子の亡骸を見た時に、強烈に書籍の事や、この世界で私がやる使命をぶつけられたのはやはり魂の声だったのだと気がつきました。
愛する子どもを亡くす事で、こんなに何か頭に冴えわたるものが出てくるなんて不思議なのですが、今後はこの直感を頼りに前へ進んでみたいと思います。
ありがとうございました。
イクミ様
今日はこどもの日ですが、納骨日でした。あれから、私は少しずつ冷静さを取り戻そうと生活してきましたが、墓石に書かれたものがどうしても許せなくて、もうこの家系の跡継ぎは私達の代で終わらせたいと思いました。
というのも、主人は次男で長男は20代で事故死しています。
去年の11月に義父が亡くなり、その4ヶ月後、今度は私たちの長男が18歳で亡くなりました。
義母はまだ健在で、私たちの子どもは次男がひとりです。
義父の姉夫婦も子どもが居らず、先日長男が亡くなる前にお墓を一緒にする事になったばかりでした。
男子2人兄弟で長男を亡くすような同じことを繰り返す家系は何かおかしいのではないかと感じます。
だから私は次男に跡を継がせたくないのです。
イクミ様のお話のように、子どもを亡くす事は私たち親子だけの話だと思いたいのですが、この事を思うとそれだけではないのではないかと感じてしまいます。
そして、同じ境遇に立った義母とは全く分かり合える事ができません。
立ち直り方や、考え方が違いすぎて、長男を亡くしてからずっと我慢していた気持ちも抑えきれず、頼れない存在どころか、重荷になっている存在なのです。
私の気持ちをどのように整理すれば良いか、教えていただけませんでしょうか
ヒロ様
こんにちは。
今日が息子さんの納骨の日で、石に書かれた息子さんの名前を見て、どうしても許せなくなったのですね。
ご主人のお兄様が20代で事故で亡くなり、今回息子さんが亡くなったことで、偶然とは思えず、家系的な因縁のようなものがあると感じたのですね。
以前の私でしたら、きっと私も同じことを感じたでしょう。
あなたは、そんな希薄な理由で亡くなっと、納得できるでしょうか。
息子さんが、この家系の長男として生まれたために、亡くなったとは到底思えません。
家系の因縁を、個人である息子さんが引き受ける必要はないからです。
個人が業(カルマ)を作れば、その個人が生まれ変わって償って解消しなければいけません。
息子さんが亡くなったのは結果であり、霊的な原因が必ずあります。
原因があれば結果が生じる、これは神の摂理である、因果律の働きです。
起きることの全責任は、最終的に神が負っています。
神の心は愛です。
因果律は、人を悲しませたり、苦しませたりするために、働いているのではありません。
全ての生命を成長させるためです。
より強く、より高い愛を表現させるためです。
家系の長男として生まれ、早く亡くなることに、どこにも意味は見つけられません。
親族という地上的な関係の中に、亡くなった意味はどこにもありません。
この世を生きている時に、その意味を見つけるのは難しいかもしれませんが、魂の学びや成長に関わる、もっと深遠な意味があるはずです。
あなたがこれだけつらい思いをしているのに、同じ経験をしているお義母様と全く判り合えないのは、悲しく残念なことです。
身近な存在であっても、魂はそれぞれです。
あなたと生き方や考え方、価値観も違います。
同じ経験をしても、同じ想いを共有しているとは限りません。
ただ、お義母様はご長男を亡くしてから数十年の年月が経っています。
過去の悲しい出来事の1つになっているだけであり、その時は同じ想いを味わっていたのかもしれません。
息子さんは、魂ひとつで、向こうに逝ったのです。
名前は家系は一切関係なくなっています。
血縁ではなく、愛情で魂と魂が結ばれています。
お墓は残された人にとって大切な場所です。
けれども、亡くなった人にとってはどうでも良い場所です。
そこで名前を見て、憤りのような思念を放つのは止めにしましょう。
愛念を向けて欲しいのです。
早く亡くなった理由は、息子さんには判っているでしょう。
あまり地上的なことにこだわって欲しくないと、望んでいると思います。
イクミ様
返信ありがとうございます。
家系の影響ではないと考える方が私もとても気持ちが楽になります。誰だか分からない先祖のせいにしても、長男は全然浮かばれませんね。
義母と分かり合えないと言うのは、私が嫁ぐ条件に、次男の夫が後を継ぎ同居をする事で、生まれた孫を自分の子の生写しのように可愛がっていました。名前を間違えたりする事や、亡くなった長男に孫の顔が似ているなど、横で聞いていてとても嫌な気持ちでした。可愛がられても、どこか違う愛情を感じ、複雑な気持ちのままずっと同居をしてきました。
でも、今回私の子どもが亡くなった時、義母は私にすがってきたのです。私はとても耐えられなかった。今回ばかりは私自身が一番大きなストレスを抱えていて、ひとりで立ち上がる事を考えるだけで精一杯でした。義母は20年以上前の長男を亡くしたことも、義父を亡くしたことも立ち直れていないように見えるのです。
亡くした子どもの話からそれてしまいましたが、長男に集中したいのに、義母の存在がとても重荷で苦しいのです。
それでも、長男の事と、前の代の長男の事は、因果律はないと思う事で、私の気持ちはわだかまりが消えました。
ヒロ様
お義母様は大変つらい思いをされています。
自分の子供をなくした錯覚に捉われているようですね。
生んで育てたあなたが1番つらいので、すがって来るのが耐えられなかったお気持ちは当然のように思えます。
それでも、息子さんはおばあちゃんのことが大好きで、今も気になっているでしょうから、お二人が仲良くすることを望んでいると思います。
先になるでしょうが、これから霊的真理を学んで、必要としている人に事実を伝えて下さい。
生きていること、また会えること、死の意味を知れば、心が癒されると思います。
イクミ様
ありがとうございます。
多分義母とは長い時間をかけないと本当の意味で理解し合える事はできないと思いますが、まずは私が学びたいと思います。
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