ウクライナの首都キエフ(APより) |
戦争(侵略)が起きてしまいました。
どれほどの血や涙が流されるのでしょうか。
一刻も早い終結を強く望みます。
原因はいろいろ考えられますが、根本に「恐れ」があるのではないかと思います。
人は、自分の精神や肉体に危害を加えようとするものに対して恐れを感じます。
恐れは本能とも言えるものであり、地上を生きて行く上で、なくてはならない情動の1つと考えられます。
しかし、恐れが過剰に生じてしまうと、健全に生きて行くことができなくなります。
心に余裕がなくなってしまい、自分を護ることで頭が一杯になります。
高じてしまうと、周りが信じられなくなり、被害妄想的になってしまうこともあります。
過去に強い恐れを抱いた体験があるとトラウマとなり、後で現れることもあるでしょう。
あるいは、過去生での体験が現生で呼び覚まされ、得体の知れない恐ろしさを感じることもあるでしょう。
いずれにせよ、過去の体験が今の恐れと結びついているのは間違いありません。
シルバーバーチの霊訓には「あなた方には恐れるものは何1つありません。」と書かれています。
イエス・キリストは「からだを殺しても、たましいを殺せない人など恐れてはなりません」と言っています。
しかしながら、その境地まで至るのは、並大抵のことではありません。
賢人が恐れを戒めているのは、霊的な通路を塞いで、生きる力を奪ってしまうからです。
精神の活動が妨げられ、硬直化してしまうからです。
地上を生きて行く上で、恐れは必要なものですが、過剰にならないようにコントロールしなければいけません。
暗闇が恐い人がいます。
何かが潜んでいて、襲われるのではと想像をしてしまう人もいます。
何も見えなければ、人は恐れを抱いてしまいます。
昔の人は、雷を恐れていたようです。
天上で神様が怒っているように感じた人もいたようです。
今の人は、放電と言う自然現象が起きていると知っています。
何が起きているか判らないと、恐れを抱いてしまいます。
さまざまな人が、同じ平面で生きているのが地上です。
自分と違う人と交わり、判り合えないと、恐れを抱くことがあります。
また、地上では人の本質(魂)が、肉体により視えなくなっています。
どんな人なのか、何を考えているのか判らないと、恐れを抱いてしまいます。
地上ではさまざまな出来事が起こります。
いくら考えても、原因が全く判らない時もあります。
物質を介しているので、結果が直ぐに現れないのも、その一因として考えられます。
また、生まれる前に予め決めていたことが、何の前触れもなく起きることもあります。
因果関係が判らなければ、偶然として片付けるしかありません。
いつ、何が起きるのか判らないこの世界に、恐れを抱いてしまうこともあるでしょう。
このように、地上は判らないことだらけです。
そのために、どうしても恐れが生じてしまいます。
そんな世界に生きている私たちが、恐れをなくすためにはどうすれば良いのでしょう?
信じることが必要になって来ます。
何を信じれば良いのでしょうか?
人を信じることが必要です。
他の人が何を考えているのか判りません。
歪んだ心の人がいるのも確かです。
そのため、不用意に傷つけられたり、騙されたり、裏切られたりします。
そんな人の中にも神がいます。
神は良心として顕現していますが、エゴ(地上的な自我)に負けてしまうと、過ちを犯すことになります。
良心とエゴのせめぎ合いの中で私たちは生きていて、そのどちらかを選ぶかで行動が決まります。
良心が負け続けると、次第に心が歪んで行きます。
けれども、結局は神の法則である因果律によって、痛い思いをしながら心の歪みは正されて行きます。
どんな人の中にも、神がいると信じて下さい。
すべての人は同胞であり、霊的につながっています。
学び成長することを目的に、地上に生まれて来た仲間なのです。
エゴに負けて、目的が果たせなくなっている人がいるだけです。
そして、この世界を信じることです。
全ての出来事は、自然法則の働きによって起きています。
自然法則を創ったのは神です。
私たちを悦びの世界に導くためです。
たとえ谷底に突き落とされるような出来事であっても、霊的には上へと引き上げられています。
這い上がって行く過程で、相応の成長が得られています。
出来事を経験することで、何かを学んでいます。
困難な問題が起きても、因果律の働きによって、いずれ解決されて行きます。
全てに渡って、神の意志が働いているからです。
良きに計らわれていると信じて下さい。
そして、自分を信じて下さい。
この世界も人間も、神が創った、神を構成する一部です。
私たちの魂には、神が宿っています。
自分を信じるとは、自分の中にいる神を信じることです。
困難や障害を乗り超えて行く力が秘められています。
自分を信じると、自分の中にいる神とのつながりが深まり、生命力が流れ込み、恐れや不安はどこかへ行ってしまいます。
乗り越えられない出来事は、決して起きないと信じて下さい。
人、世界、自分を信じるのは、口で言うほど簡単ではありません。
けれども、物質に覆われて本質が視えなくなっている地上で生きて行くために、どうしても必要です。
生まれて来た目的の1つは、霊的なものが全く視えなくなるこの地上で、信じることの意味と大切さを学ぶためと思われます。
信じることで恐れに打ち克ち、前に進んで行かなければいけません。
神は、慈しみ合い1つになることを望んでいます。
信じることなしにはつながらず、それは叶いません。
「信じる者は救われる」という言葉が聖書にあります。
意味を調べてみると、イエス・キリストを信じる者は天国に行けると書かれていました。
それは間違いであり、死後の生は全ての人に与えられたものであり、天国のような境涯に行けるのかどうかは、その人の魂で決まります。
信じることで、恐れから来る苦しみから救われると言いたかったのではないでしょうか。
この戦争(侵略)は、主謀者が人や世界が信じられなくなり、恐れが生じたために起きたのではないかと考えています。
自分しか信じられないために、相手を力によって屈服させ、恐れから逃れようとしているように見えます。
その行為は、明らかに神の摂理に反しています。
地上にいる人の良心(神)が許すはずはありません。
思うように行かなくなり、自分さえも信じられなくなった時、耐え難い恐れや不安に襲われるでしょう。
そこから逃れようとして、自らを破滅させようとする行動を取る可能性があります。
信じることで、全てが解決されるはずなのに、残念でたまりません。
こんな平和で美しい国を破壊している代償は、あまりに大き過ぎます。
ウクライナのリウネにある「愛のトンネル」(朝日新聞GLOBEより) |
2 件のコメント:
イクミさん、
私は、嫌われ非難され、自分を誰かと比べて自分を変えようとしていました。
神が造られた私を
このままありのままの自分でいい
このままの自分を許す
自分の味方でいる
緩める
委ねる
手放す
フッと力が抜けたとき、今、頭の中で声が聞こえた気がました。
「神よ、私は私を愛します。」と
私のものではない感覚で、それでいて他者ではない。不思議な感覚でした。
つい、ご報告したくなりました。
ありがとうございます。
ラッパ吹き
ラッパ吹き様
こんばんは。
あの世は、ありのままの自分でいられます。
しかし、この世はありのままでいるのは、難しい世界です。
周りには、自分と違う人たちがいるからです。
ラッパ吹き様は、ありのままの自分でしかいられない人だと思います。
地上的な自我が少ないからです。
自分を守るもの(自我)が薄いために傷つきやすいのです。
私も同じ傾向があります。
むき出しの自分(魂)で、地上を生きるのは、つらいものがあります。
頭の中でした声は、ラッパ吹き様が苦しみの中で見つけ出すべき、答えだったのかもしれません。
そうであって欲しいです。
傷つきやすいご自分を、愛してあげて下さい。
その前に、ご自分を信じて下さい。
ご自分の中にいる神と深くつながることができれば、今の苦しみから解放されると思います。
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