東京オリンピックが行われています。
コロナ禍で開催するのは、正直なところどうかと思いました。
しかし、全力で挑んでいる選手たちの姿を見ていると、心を動かされて、応援してしまいます。
オリンピックで結果を出すために、選手たちはどうしていたのでしょうか?
当然ですが、毎日のように厳しい練習をしていたはずです。
けれども、行き当たりばったりの練習をしている人はいません。
専属のコーチが付いて、目標を設定して、綿密な練習プログラムを立てて、実行していると思います。
人生も同じだと思います。
この世に生まれて来たのは、自分(魂)を成長させるためです
自分(魂)にない資質を獲得するため、あるいは既に持っている資質をさらに高めるためです。
魂の資質には、いろいろなものがあります。
シルバーバーチは慈悲、慈愛、寛容心、協調的精神、奉仕的精神などがあると言っていますが、勇気も資質に入ると考えています。
持っている資質が、人によってそれぞれ違うために、個性が生まれるのかもしれません。
例えば、優しいけれども、勇気がない人がいます。
その逆に、勇気はあるけれど、優しさがない人もいます。
優しさも勇気も大切な資質あり、神の心を表現するために必要です。
スポーツ選手が結果を出すためには、理に適った練習が必要です。
マラソン選手に、重いバーベルを持ち上げるような練習は必要ありません。
持久力をつけるために、走る練習をした方が良いに決まっています。
一方、ウェイトリフティングの選手が、毎日数十キロを走る練習をしても、あまり効果はないでしょう。
求めるものを手に入れるためには、それなりの対価を払わなければなりません。
自分にない資質を手に入れるためには、理に適った経験をしなければいけません。
勇気がなければ、何かに挑む経験が必要になるでしょう。
挑む時に、勇気を出さなければならないからです。
例えば、リスクを伴う難しい手術を受けなければならない病気になったとします。
そうすれば、否が応でも勇気を出すことを強いられます。
優しさがないのであれば、まず優しさの大切さに気付く経験が必要になります。
死ぬか生きるかの状況になり、もうダメだと諦めかけた時に、周囲から救いの手が差し伸べられたとしたらどうでしょう?
あるいは、自分一人で何もできない状態になり、周囲の助けが必要な人生を送ったらどうでしょう?
優しさの大切さが、痛いほど判るはずです。
本当に大切なことは、実体験を通して学ぶしかありません。
私たちの人生には、シナリオが存在します。
シナリオに沿って、ごく自然に人生が展開して行きます。
シナリオが存在する理由は、効率良く地上での目的を達成するためと考えられます。
勇気が十分にある人に、勇気を出す出来事が必要でしょうか?
優しさが十分にある人に、優しさの大切さを気付く出来事が必要でしょうか?
理に適った、最善の出来事が組み込まれた人生のシナリオが、無限の叡智の働きによって立案されます。
目的が違えば、相応しい経験は違い、そのため人生も違うのは当然です。
従って、自分と人の人生と比べても仕方がありません。
もし、出来事が偶然であれば、この世界は混沌としたものになります。
シナリオなど存在するはずもなく、人生は行き当たりばったりです。
全てが運に支配され、運の良いと悪い人に分かれます。
不公平極まりないものになり、不平不満が渦巻きます。
不運を嘆いてはいけません。
人を羨んではいけません。
この世で終わりではないからです。
死を通して、次の世界とつながっています。
私たちは、自分にない、あるいは足りない資質を身に付けるために、この世に生まれて来ました。
そこまでして身に付けるのは、より自分を活かせるようになり、全体に調和をもたらすためです。
それが生命に与えられた宿命です。
死んだ後に、この世の人生を振り返る時が来ます。
一部始終を目の当たりにして、一喜一憂することになります。
人生で起きた出来事に、どの様に対処したのかが問われ、自分で自分を裁定することになります。
何のために生まれたのかを思い出します。
その出来事が必要だったことを思い出します。
自分が了承していたことを思い出します。
不運を嘆いたり、運命を呪ったり、人や世の中を憎んだりして、人生が終わってしまえば、必ず後悔します。
自分が変わるために、その出来事が起きているのに、絶好のチャンスを逃してしまったことを知るからです。
何かのせいにした時点で、自分は変われなくなります。
自分のせいで、自分が変われなかったと悔やみます。
後悔が大きければ、地上にもう1度生まれて、晴らすチャンスが与えられます。
同じ状況になるシナリオが用意されて、今度こそは自分を変えると決意をして、相応しい母体に宿ります。
そんなことなどすっかり忘れて、同じ状況に向かって人生は展開して行きます。
ついに、その時が来ます。
どんなにつらくても、逃げたくない、乗り越えなければならないと、強く思えたとしたら、そんな理由があるのかもしれません。
同じ過ちを繰り返さないために、守護霊も全霊で働きかけているでしょう。
自分自身にした約束を果たしているのです。
自分の中で何かが変わったとしたら、既にその出来事を乗り越えていて、生まれた来た目的の1つを成就していることになります。
オリンピックですが、最高の栄誉はメダルを取ることです。
目的に向かって、アスリートたちは血のにじむような努力を重ねてきたと思いますが、その栄誉を勝ち取る人もいれば、一歩及ばなかった人もいます。
メダルはおまけみたいなものかもしれません。
その競技を通して、自分を変えることが、何よりも大切だからです。
メダルを取って満足してしまい、その後の人生を軽んじてしまう人もいるかもしれません。
一方、メダルが取れなかったので、それに代わる報償を手に入れようと、その後も奮闘努力を続ける人もいるでしょう。
死んだらメダルは地上において行かなければなりません。
けれども、得られた成長は、次の世界に持って行けます。
次の世界に行って何より悦びを感じるのは、つらかった、苦しかったけれども、霊的な資質を手に入れ、望んでいた自分に変われたのを知った時です。
次の世界で、その資質を全体のために活かすことで、さらなる悦びとなります、
新型コロナウィルスが変異したデルタ株の感染力は非常に強いです。
それにもかかわらず、危機的状況に慣れてしまって、脇が甘くなっています。
感染は一瞬です。
もう1度、初心に帰り、リスクを回避する行動を心がけて下さい。