「終活」と言う言葉を、良く聞くようになりました。
一昔前は、死は忌まわしいものとタブー視されて、なるべく考えないようにしていたのに、随分変わったものです。
死も1つのライフイベントとして捉え、自分なりに人生のけじめを付けたいと考える人が増えていると思います。
旅先を訪れる前に、本やインターネットで現地の情報を集める人は多いです。
終活の後に訪れる世界についてはどうでしょう?
情報を集めようとする人は、あまりいません。
あるかどうかも判らないものを、考えても仕方がないと思っているのでしょうか。
死後の世界がなければ、それで良いのですが、あった場合には戸惑ってしまいます。
リスクを回避するために、知識を身に付けておいて損はありません。
地上での目的を果たした人が、生まれる前にいた世界に戻る現象が死です。
ところで、地上での目的とは何なのでしょうか?
それぞれ目的があって生まれて来ているのですが、残念ながら分かりません。
しかし、何かをきっかけにして表に出て来る時があります。
ある番組で、最も権威のある国際コンクールで優勝した女性ヴァイオリニストが、幼い時のことを話していました。
彼女は、3歳くらいの時にピアノを習い始めたそうです。
親の期待とは裏腹に、どうしても好きになれなかったそうです。
ある日のこと、おじいさんが子供用の小さなヴァイオリンを買って来ました。
それを持って、テーブルの上に立った瞬間に「私はこの楽器のソリストになる」と、大きな声で叫んだそうです。
こんな形で、地上での目的を思い出す人もいるのかと思いました。
目的に出会っても、なかなか気付かない人もいます。
野球の神様と言われるベーブルースは、幼い頃は手を付けられない、悪い子供のようでした。
親に見放されて、カトリック系の矯正施設に預けられたそうです。
自立するために洋服の仕立てを教わりましたが、そこで尊敬の出来る神父との出会いがありました。
人として大切なことを教えてもらうのと同時に、布を縫ったボールの様なものを使って野球の手ほどきを受けます。
その神父はとても体格が良く、遠くまでボールを飛ばすことが出来たそうです。
その姿に憧れたのでしょうか、ベーブルースは熱心に野球をするようになり、めきめきと上達して行きます。
噂を聞きつけたメジャーリーグの関係者が彼の元を訪れ、入団するように勧めますが、洋服の仕立て職人になると、1度は断ったそうです。
前置きが長くなりましたが、目的と出会ったとしても、その人を取り巻く環境や性格によって、直ぐに気付かない時もあるようです。
地上での目的とは、出会うべくして出会います。
運命的な出会いと感じるかもしれませんが、霊界の導きがあってのことです。
努力を厭わず、投げ出さないで続けようとするのは、生まれる前に約束していたことだからです。
多くの人は、ベーブルースは野球をするため生まれて来たと思っています。
彼にとって野球をする本来の目的は、富や名声を得るためではありません。
野球をしている自分の姿を見てもらうことで、たくさんの人に元気や勇気や夢を与えるためです。
人の役に立つ手段が、野球だったと考えられます。
才能を人のために活かすことで、自らの成長にもつながります。
もちろん、全ての人がベーブルースのように才能が与えられ、華々しい活躍をするわけではありません。
多くの人は、何らかの形で人の役に立ちながら、さまざまな出来事を経験することによって、生まれて来た目的を果たして行きます。
人生には、うれしい出来事もあれば、つらい出来事もあります。
出来事の1つ1つが、魂に何らかの影響を及ぼしています。
例えば、誰もが避けたい病気です。
ある日突然、原因も見当たらずに病気になったのであれば、予め決められていたのかもしれません。
病気の苦痛や障害に耐えて、克服しようとする中で、大切なことを学び、自分を成長させるために、その経験がどうしても必要だったのかもしれません。
地上で起きることには、霊的な目的が包含されていて、そのほとんどは自分の成長に関わっていると考えられます。
同じ成長をするならば、華々しい活躍をする人生を望む人がいるかもしれません。
人は人の表に出ている部分しか判りません。
もし、その人の全てを知ることが出来たなら、栄光の陰で苦労や犠牲がたくさんあり、今の人生で良かったと思うかもしれません。
歩む道が違うのは、必要とする経験がそれぞれ違うからです。
従って、人と比べても全く意味がありません。
自分のためであり、そのことを決めたのも自分です。
何故、そこまでして私たちは成長しようとするのでしょうか?
成長とは進化です。
生きている目的は進化することです。
進化するほど神の心、愛が表現されるようになります。
愛を表現することで、ばらばらになった個々の生命が再び1つになって行きます。
生命が1つになり、完全な調和の中で生きるようになるのが、神が立てた計画と考えています。
魂には神が宿っています。
成長しようとするのは、神の意思だからです。
私たちが表現しようとする愛には、2つの側面があると考えています。
1つは強さであり、もう1つは(次元の)高さです。
強い表現であっても、そこに愛が表現されてなければ何の意味もありません。
高い愛であっても、強さがなければ表現することは出来ません。
高さを求めるのか、強さを求めるのかによって、自ずと必要な経験は違って来ます。
高さを求めるのであれば、それに相応しい経験、例えば、自分が好ましく思わない人のために尽くすようになるのかもしれません。
強さを求めるのであれば、魂が鍛えられる経験、例えば、頼るものがなくなり、自力で生きる状況に追い込まれるかもしれません。
アスリートが成績を残すためには、厳しい練習を積まなければなりません。
何かを得るには、それなりの対価を払わなければならないのが、世の常です。
自らの成長のために、それに相応しい経験が必要です。
安楽な状況で、人間が変わるのは困難です。
変わる必要がないからです。
経験がもたらす苦しみや痛みによって人は変わろうとします。
同じではいられないからです。
地上に生まれる人の多くは、精神的、肉体的な苦痛を通して、変化して行くように定められていると思います。
その変化こそが、求めていた成長と考えられます。
自分が求める資質を身に付けるために必要な出来事が、神の裁量によって計画され、自然法則の働きによって生じていると考えられます。
その出来事は、不幸や凶事と言われるものかもしれません。
しかし、最悪に思えたことが、その人の成長にとって最善の出来事だったことが往々にしてあると考えられます。
シルバーバーチの霊訓には、こう書かれています。
「苦難は人間から見ればいやなものでしょうが、私たち霊の立場から見れば実にありがたいことです。凶事に出会うと人間は万事休すと思いますが、私たちの目から見ると、それが新たな人生の始まりであることがあります。」
地上にいる私たちと、霊界にいる人では、出来事の捉え方が全く逆のようです。
華々しい活躍を続け、オリンピックでは金メダルが有望なアスリートが、大会を前にして生命を脅かす病気になりました。
そして、病気をほぼ克服し、選手として復活しています。
もし、病気にならずにオリンピックで金メダルを取れたならば、もちろん応援している人たちは喜ぶでしょう。
本人の挑戦や努力は、自らの成長として報われます。
それよりもずっと大切に思えることがあります。
病気を克服して復活している姿は、今苦しんでいる人たちに、どれほどの生きる力、勇気と希望を与えているのでしょうか?
そして、夢を諦めてはいけないことを教えているのでしょうか?
その貢献度は計り知れません。
彼女は無宗教でしょうが、2年前の1番つらい時にこんなことを言っています。
「私は、神様は乗り越えられない試練は与えない、自分に乗り越えられない壁はないと思っています。」
病気にならなければ、この叡智は与えられなかったのかもしれません。
東京オリンピックの開催は、日に日に難しくなっていると感じています。
彼女があの舞台に立つことがあるならば、その姿を見て魂に響くものを感じる人が、たくさんいるでしょう。
人に勇気と希望と生きる力を与えるのが、地上での目的だと思います。
魂の成長とは、平たく言えば、強く優しくなることだと思います。
地上を去った後、人生を振り返る時が来ます。
最もつらく、苦しかったあの時が、自分を1番強く、優しくさせていたことに気付くでしょう。
神の公正は完全です。
8 件のコメント:
イクミさん、
素晴らしい言葉です。本当に、素晴らしい。。
ありがとうございます。
私が、心から求めていた言葉でした。
書籍のシルバーバーチの霊訓も何度も何度も読んでいますが、こうして、それを自らの試練で体験され深く理解された方の言葉として読ませていただけるのは、格別に心に染み入ります。
ありがとうございます。
ラッパ吹き
ラッパ吹き様
こんばんは。
いつもブログを読んでいただき、ありがとうございます。
何か心に届く言葉があったのならば、私もうれしいです。
アップした数時間後に、池江選手が優勝したことを知りました。
すごいことです。
絶頂から奈落の底に突き落とされる人生を選択したのならば、相当に向上した魂だと思います。
自分のためだけでなく、病気で苦しんでいる人のために、活躍している姿を見せたいと言う想いがあったのでしょう。
その想いに応えて、霊界からの援助も強力なものがあり、予想以上の力が出せたと思います。
AK様
お久しぶりです。
慣れない海外での生活で、コロナ禍もあり、大変ご苦労されているとお察しします。
つらい時は、いつもお母様に連絡して、声を聞けば安心し、前に進む力をもらえたと思いますが、亡くなってしまい、心の拠り所がなくなってしまいましたね。
ご主人だけが頼りでしょうが、ケンカした時などは話を聞いてもらえる人がおらず、そんな時ほど、お母様に生きていて欲しかったと思ってしまうのでしょう。
義姉様のあなたへの態度が変わったのは残念ですが、元々、その様な性格の人なのでしょう。
お母様の前で、良い素振りを見せていたのかもしれません。
相続の事務的な手続きは確かに大変であり、お兄様から任されているのかもしれませんが、話がそれだけであれば、身内としては哀しい限りです。
あなたとは生き方、考え方の違う人間なのです。
何で生きているのだろうと、思ってしまうのですね。
がっかりする回答になるかもしれませんが、今のおつらい状況を乗り越えて行くのが、生きている1つの意味です。
成長する、かけがえのない機会となっています。
人生は楽しいことばかりあれば良いのですが、それでは人は成長しません。
シルバーバーチは、自分を1番成長させていたのは、嵐が吹きすさぶ時だったと表現しています。
言いたいことはたくさんあるでしょう。
しかし、義姉様に対して怒りの様な感情を持ってしまうと、因果律の働きで、あなた自身がさらに苦しくなっていまいます。
地上では、自分とは違う人たちと共に生きなければいけません。
そのために、理解できないこと、許せないことが、たびたび起こります。
良くない感情が湧き上がってしまいますが、理解すること、許すことが、求められているのです。
地上は、そのことで苦労しなければならない、修行の場だと割り切って下さい。
守護霊とお母様は、あなたをしっかりと見守っています。
あなたのことを、誰よりも愛しています。
神と霊界の存在に絶対的な信頼をおいて、心が穏やかいられるように、祈ってみて下さい。
祈りに応えて、霊力が伝わって来ると、波だった心が落ち着いて来るのを感じられるかもしれません。
明日午前中は勤務ですが、もうすぐ怒涛の1週間が終わります。
初めての8週間は麻酔科での研修で、何も分からない中で、いきなり、"はいじゃあ準備よろしくね"と先生に放り出されましたが^^; 先生に「教えて下さい、何も分からないんです」アピールと、「手伝いますよ、先生」を続けているうちに、教えてもらえるようになり、何とか業務の流れを覚えられました。
点滴のルートを取るのに失敗したり、人工呼吸に何度も失敗してめちゃくちゃに叱られ、泣きましたが、今は何とかやっていけそうだと思います。(失敗することはありますし、まだまだですが^^;)
叱られたり、誰かと誰かの板挟みに合って調整したり、すごく心が鍛えられている感じがします。
ナオヤ様
こんばんは。
臨床研修が始まって、1週間経つのですね。
何もかもが初めての経験で、大変ですね。
ドクターになると求められるものが違うので、プレッシャーを感じるでしょう。
麻酔科で研修されているそうですが、実は私も卒業して3年ほど歯科の麻酔科に残っていました。
全麻も300位しましたが、初めはルートの確保も挿管も失敗をして、途中交代させられる時もありました。
症例をこなしているうちに、少しずつ慣れて来て、出来るようになります。
手技的なものは、経験して身に付けるしかありません。
失敗するかもと思いながら臨むと、失敗してたような気がします。
思念は具現化する力があります。
成功するイメージを頭に描きながら、根拠がなくても自信を持って臨むと、上手く行く確率が高くなると思います。
今、感じていることですが、患者さんのためにと思って臨むと、何故か悪い結果にはなりません。
振り返ってみると、卒後数年間は覚える事ばかりで大変でしたが、日々新鮮で、プライベートも含めて、人生で最も充実していたと思います。
30年経つと、叱られた経験も、失敗した経験も、本当に良い思い出になっています。
一生に1度しかない日々を、存分に味わって下さい。
実は、研修している病院にも歯科の研修医の先生がいらっしゃいます。
300もされたんですね。凄いです。。。
手技はメンタル大事ですよね。そして何より経験が大事なんですね。
ルートを取るのに失敗して、とある先生に相談に行ったところ、その先生も“そんなもんだよ。最初はみんな”と同じようにおっしゃってくださりました。泣くつもりはなかったのですが、何故か涙が止まらず、でもそこから肩の力が抜けて、自信が無いとか言っている場合じゃなくてとにかくやるしか無いと思って頑張っています。
明日その先生とルート確保の練習をします。(優しい。。。涙)
とても悔しかったり、辛かったりしますが、でも確かに充実しています。
私は色々頭で考えがちですが、経験によってこんなにも視野が広がるのかぁと驚いています。
ありがとうございます。後悔のないよう精一杯頑張りますm(_ _)m
ナオヤ様
おはようございます。
今日、ルートの確保の練習をするのですね。
個人的には、血管選びで9割は決まると思っています。
末梢から見て二股に分かれているところが、血管が動きにくく、ねらい目です。
老人は血管が動きやすく、硬化を起こしている時もあるので、気を付けて下さい。
指導する先生の話を良く聞いて、思い切ってトライしてみて下さい。
AK様
割り切れないこともあるでしょうが、嫌な思いをさせる人は、因果律の働きで、自分が嫌な思いをすることになります。
神の絶対的な公正を信じて下さい。
お母様は、周りの人を変えてしまうほど、優しく、温かいオーラを放っていた人なのでしょう。
前にも書いたかもしれませんが、お母様にとって今あのあなたは生前よりもはるかに身近な存在となっています。
自分のことを想ってくれれば、直ぐに傍に寄り添ってくれます。
生前と同じ様に、優しいオーラであなたを包んでくれているはずです。
そうです。
愛するお母さんのレベルに近づくために、必要なことがあなたに起こっていると思って下さい。
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