人生は、選択の連続です。
小さなことでは、着る服を選んだり、ご飯を選んだり、読む本を選んだりしています。
大きなことでは、学校を選んだり、職業を選んだり、結婚相手も選んでいます。
こんな選択もあると思います。
思いもよらぬ役回りが巡って来た時に、引き受けるのか、辞退するのか。
壁が立ちはだかった時に、乗り越えて行こうとするのか、避けるのか。
そんな時に、相反する自分がいることに気付きます。
失敗を怖れ、無難で安全な選択をしようとする自分と、難しいけど挑戦してみようとする自分がいます。
両者のせめぎ合いがしばらくあり、最終的に優った方の行動を取ることになります。
失敗を怖れているのは、「地上的な自我」と考えています。
一方、挑戦しようとしているのは「霊的な自我」と考えています。
地上的な自我は、本当の自分である霊的自我と表現媒体である肉体との間に介在していて、霊的な自我から生まれた思念を、表現するべきかどうか、どう表現すれば良いのかを、頭を使って考えています。
「失敗したらどうしよう」と心配しているのは、地上的な自我です。
地上の自我は、自分の立場が悪くなったり、人から非難されるを嫌うので、挑戦を避けようとします。
「どうせ~だから」と言い訳を考えて、霊的な自我から生じている本当の自分の想いを否定しようとします。
そんな時に取るべき態度について、シルバーバーチの霊訓にはこんなことが書かれています。
「困難との闘いを前にして逃げ出すよりも堂々と戦って負ける方が立派です。」
判っていても、進むのをためらう時はありますが、後悔しないために挑戦した方が良さそうです。
この世に生まれて来たのは、自分を成長させるためです。
困難を乗り越えることで、成長するようになっています。
負荷がかかり、緊張を強いられ、苦しいのに決まっていますが、成長するためには挑戦する方を選んだ方が良いのです。
失敗したり、挫折したり、期待したほどの成果が得られない時もあります。
たとえ、結果が出なかったとしても、奮闘努力する中で霊的な成長が得られます。
地上的な結果よりも、霊的な成長の方が永続的な価値があります。
人一倍奮闘努力して挑戦しても、自分の望んでいる結果が得られない人もいます。
しかし、その姿を見て、勇気付けられ、元気をもらった人は、たくさんいます。
多くの魂に生きる力が与えられたので、努力以上に霊的な成長が得られていると思います。
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ソチ五輪の浅田真央選手
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私たちには、例外なく守護霊が付いています。
その目的は、地上の人が予定されていた人生を歩んで、学び成長するためです。
様々な手法を用いて、訴えかけ、時に警告を発して、導こうとしています。
ひとりぼっちで生きているように思えますが、それは大きな間違いです。
霊界から無形の援助を受けながら、私たちは生きています。
守護霊と二人三脚で、この世界を生きていると言っても過言ではありません。
人には自由意思が与えられています。
自由に決めることが出来ますが、その代わりに結果責任を取らなければなりません。
全責任は地上の人にあるので、守護霊は決定に干渉出来ないと考えられます。
地上の人の目の前に困難が生じた時、乗り越える方向に進んで行くことを、守護霊は切望しています。
乗り越えられないことは、この世で起きないことを知っているからです。
避けないで前に進むように、意念を送り促しているのですが、最終的に決めるのは地上の人です。
固唾を飲んで、地上の人の決定を見守っています。
もし、避ける方向に進んでしまったのなら、学びや成長の機会を失ったことになり、残念に思っているでしょう。
首尾よく、挑戦する方向、乗り越える方向に進んで行ったのなら、大いに喜んでいるでしょう。
難しい方を選んだ瞬間から、地上の人に意念という力を送り続けていると思います。
その意念を地上の人が受け取ると、内から力が湧き出て来て、前に進んで行けるような感覚になると考えられます。
挑戦しようとする意志が鮮明になると思います。
霊界から届く意念によって、地上の人の意志は強固で、新たなものになります。
「大丈夫だろうか?」と言う気持ちが、「何とかなる」と前向きな気持ちになります。
視界がパッと明るくなったり、心が急に軽くなって、前に進んで行こうとする気持ちになるのは、霊界から意念と言う力が届いたせいかもしれません。
せっかくの霊界からの援助の力を妨げてしまうものがあります。
それは、怖れであり、不安であり、心配であり、取り越し苦労です。
そんな気持ちが地上の人を支配してしまうと、援助の力が届き難くなってしまいます。
挑戦しようとする時に、どうしても不安や心配が生じてしまいます。
そんな時は、自分一人ではなく、霊界にいる人たちと一緒に挑戦していると思うことが大切です。
そうすることで、両者のつながりが再び強くなり、援助の力が届きやすくなります。
落ち込んでいる時に、人から励まされたり、勇気づけられたりすると元気になったり、気持ちが前向きになったりします。
それは、言葉や行動を介して、目に視えない力を人からもらっているためと考えられます。
励まそう、勇気付けようとする気持ちの根底にあるのは愛であり、それが相手に伝わると生きる力に変わると考えられます。
霊界にいる人も、地上にいる人と同じことが出来ます。
言葉や行動を介さずとも、意念という力を、地上にいる人の魂に伝えることが出来ます。
伝わった意念は、地上の人に生きる力を与え、気持ちを変容させます。
魂の存在を信じていない人でも、霊界の援助を受けています。
ふと思い付いて行動したり、無意識の内に行動したりする時は、霊界からの意念に促されていることが多いと思います。
逆に、何となく気が進まない、やってはいけないと胸騒ぎがする時は、霊界から止めさせるような意念が届いている可能性があります。
霊界からの援助は、明確な線引きがされていると考えられます。
地上の人が予定通りに学び、成長をしていくために守護霊が付いています。
守護霊が、無闇に助けてしまえば、その人の成長を妨げてしまうことになりますので、何にもなりません。
そうであれば、何かあった時に「助けて下さい」と祈るよりも、「乗り越えるための力を与えて下さい」と祈った方が効力があるはずです。
もちろん、お金や地位を手に入れるような、地上的な願望実現のための祈りは聞き届けられることはありません。
自らの学びや成長を望む祈りが霊界に届くのは、それがこの世に生まれていた目的そのものだからです。
全ての起点が、思念です。
思念から肉体的表現が生まれます。
動機が神の摂理に適っている、または成長させるものであれば、その時から霊界からの働きかけが始まり、表現するための援助が得られます。
人や動物や社会のためになることであれば、迷わずにやる方を選んで下さい。
地上的な努力と、霊界の援助によって、良い結果が必ず生まれます。
直ぐに結果が得られなかったとしても、当初の想いを持ち続けていれば、最終的に目的は成就されます。
1人で成し遂げようとするのではなく、霊界との共同作業と思って下さい。
難しく思えても、霊界からの援助があるので、そちらに進んで行けば大丈夫です。
想いを持ち続け、霊界とのつながりを信じていれば、それで良いのです。
振り返ってみると、どうなるだろうかと案じていたことが、何とかなっていることに気付きます。
自分を信じて取り組んだ時は上手く行き、失敗した時は決まって不安や心配が先行し、自分を信じられなかった時のようです。
それは、霊界からの援助を上手く受け取れたかどうかの、差なのかもしれません