今から20数年前のことです。
仕事でアメリカに行き、フロリダからボストンまで飛行機で移動しました。
国内線であり、周囲を見渡したところ、日本人はおろかアジア人もいませんでした。
離陸してしばらくすると食事の時間になり、30代位の女性CAが後席から配り始めました。
直ぐ後ろまで来て、次だと思っていたら、私の横を素通りして、1つ前の人に食事を配ろうとしていました。
慌てて、自分のところがまだだと伝えたところ、謝りもせずに、何事もなかったかのように食事を手渡しました。
これはもしかしたら「差別」ではないかと思いました。
生まれて初めての体験で、あっけに取られていました。
こんなにも平然と、表情も変えずにするのかと驚くと共に、心の闇のようなものを感じて、うすら恐かった覚えがあります。
アメリカは自由で平等な国と思っていましたが、嘘だと思いました。
もちろん、そんな人たちばかりがいるのではありません。
多くの人たちは気持ち良く歓待してくれました。
最近は、人種差別と言う言葉を聞く機会が少なくなったと思っていましたが、想像している以上に根深いものがあるようです。
いったい差別とは何なのでしょうか?
人は、肌の色が白い、黒い、黄色いと、その違いを識別しています。
そこに、優劣の意識が入った瞬間、差別が生まれると考えられます。
差別とは地上的な概念です。
私たちが死んだ後に行く霊的な世界には、差別など存在しません。
肌の色などなく、周囲には同類の人しかいないために、優劣など存在しないからです。
地上は、霊的な世界とは大きく異なります。
自分と違う人たちばかりがいます。
同類の人だけしかいない霊的な世界の生活は、お互いが深く判り合えているので、快適そのものです。
しかし、地上にいる私たちは、自分と違う人たちに囲まれながら生きています。
そのため、判り合えないために生じる苦痛を味わうことになります。
そんな地上にわざわざ生まれて来るのは、苦痛から大切なことを学び、魂を成長させるためです。
違う者同士が、互いを認め合い、許し合うことに、大きな意味があると考えられます。
自分と違う人たちの中で暮らすのは、肉体によって思念が隠されてしまうために、何を考えているのか判りません。
何をされるのか判らないと、怖れを感じます。
そのため、自分を守りたい欲求がどうしても生じてしまいます。
守りたい欲求が高じると、自分と違う人が傍にいると安心できなくなります。
出来れば傍にいて欲しくないと思うようになります。
安心を得たいために、違う人を排除しようとする気持ちが生まれる時があります。
その気持ちが、差別的行為の原因になっていると考えられます。
地上に生まれると、自分を表現するため、そして守るために、地上だけに存在する自我(以下自我)が形成されます。
成長するのに従い、自我の働きは強くなって行きますが、それは正常な発達と考えられます。
幼い子供は、自我が発達していません。
自分を守るものがない無防備な状態ですが、その代わりに差別的な意識もありません。
自分を守るものがない無防備な状態ですが、その代わりに差別的な意識もありません。
差別的な意識は、違う人を排除しようとする過程で生まれ、自分を守ろうとする自我の働きが強い人ほど生じやすくなると考えられます。
日本は単一民族なので、人種差別は少ないと言われています。
実際は、様々な差別が存在しています。
良く聞くのは、女性差別や障がい者差別ですが、分かりずらい、見えにくい差別もたくさんあります。
若い女性が良く「キモイ」と言っているのを見かけますが、これも一種の差別です。
言葉の中に、排除の意識が感じられるからです。
見た目で判断し、気嫌いしてしまう傾向は誰にでもありますが、その延長線上に差別が存在していると思います。
人が差別をする、もう1つの理由は何でしょうか?
優劣をつけて、自分が優れていると思いたいからです。
自分は優れていると思うことで、自我が満足するからです。
一般的に優劣は、頭が良い悪い、文化程度が高い低い、容姿が美しい醜いなど、比較対象とされるものに存在します。
相手が劣っていると思うと、自分が優れていると錯覚し、それにより自我の満足が得られます。
優れていると思いたい自我の働きにより、相手が劣っていると言う差別的な意識が自動的に生み出される時があります。
それは、劣っていることを認めたくない、自我の裏返しなのかもしれません。
自分は優れていると思うことで、自我が満足するからです。
一般的に優劣は、頭が良い悪い、文化程度が高い低い、容姿が美しい醜いなど、比較対象とされるものに存在します。
相手が劣っていると思うと、自分が優れていると錯覚し、それにより自我の満足が得られます。
優れていると思いたい自我の働きにより、相手が劣っていると言う差別的な意識が自動的に生み出される時があります。
それは、劣っていることを認めたくない、自我の裏返しなのかもしれません。
けれども、優劣を認識する対象のほとんどは地上的なものです。
死んで霊的な世界に行けば、学歴、肩書き、貧富など優劣の存在するものは、跡形もなく消えてなくなってしまいます。
差別的な意識を持っていた人が霊的な世界に行くと、その対象を失ってしまいます。
自分が優れているのは錯覚であり、真の自分の姿を目の当たりにして愕然とします。
魂に染み付いてしまったその習性は、直ぐに改めることは出来ません。
差別的な意識は、神の心に反するものです。
自然法則の働きによって、その意識に自らが苦しむことになります。
優劣が存在しない世界で、差別的な意識を持つこと自体、自然法則に適っていないからです。
周囲との調和を乱して、孤立することになります。
結局は、同じ意識を持つ人たちに引き付けられ、その界層に赴くことになるでしょう。
そこは、自分の方が優れていると主張し合い、互いを蔑み合う世界と考えられます。
中には、親や周囲から差別的な行為を、善悪の判断がつかないまま、無意識の内に受け継いでしまう場合もあります。
当り前のようにしている行為に対しても因果律は正確に働いて、その結果に対して責任を負わなければいけません。
差別的な行為をして、相手を悲しませたり、傷つけてしまうようなことがあれば、魂に罪が刻み込まれます。
その先で、相応の償いをすることになりますが、自分が蔑まれ、排除されるような出来事を経験することになるかもしれません。
罪が積もりに積もってしまえば、今度は逆の立場となって生まれ変わらなければならないかもしれません。
相手がどう感じているのか判らないのであれば、受ける立場になって、苦痛の経験を通して学ぶしかありません。
黒人男性を押さえつけている白人警官の姿は、あまりにも残酷で正視できません。
しかし、私たちの心の中にも、多かれ少なかれ警官と同じ思いが存在しているのではないでしょうか。
自分と違う人間に対し怖れを抱いて排除しようとする気持ちや、優れている人間だと思いたい気持ちが存在しています。
それによって、差別的な意識が生まれたとしても、おかしくはありません。
差別的な意識があっても行為に移さないのは、良心と言う神の監視装置が働いているからです。
神の摂理に反した行為をしようとする時に、良心の声がして止めさせようとしています。
生まれて初めて差別的な行為をする瞬間、良心が咎めているのを感じたはずです。
しかし、無視して行為に移してしまったと考えられます。
その後も、良心の声を無視し続けてしまったために、終いには何も感じなくなってしまったと考えられます。
1つ1つの差別的な行為は、自らの魂を貶めていることになります。
常態化すると魂の様相まで変えてしまい(霊性を下げてしまい)、この様な残酷な行為をするまでに至ってしまったと考えられます。
人の痛みが判らないから、差別的な行為をしてしまいます。
同じことをされたとしたら、どう感じるのか想像すれば良いのですが、自分にしか意識が向いていないので判りません。
差別主義者は、一種の利己主義者と考えられます。
差別する対象は人間とは限りません。
動物を見て、人間よりも劣っていると思うのであれば、それは立派な「異種差別」です。
劣っているから食べても良いと思うのも、明らかな差別です。
差別的な意識があるので、動物が感じている苦痛や恐怖や悲しみを判ろうとしないのです。
以上の様に、怖れによる排除の意識、優れていると思いたい気持ち、無意識に身に付いてしまった習慣、それらが単独あるいは複合して差別的な行為に至ると考えられます。
その全てが、相手を思いやる気持ちの欠如、想像力の欠如から生まれています。
愛の対極にあるのは憎しみです。
差別的な意識も対極にあると思います。
愛を表現すれば世界は1つになって行きますが、差別的な意識を表現すれば、個と個は分断され、1つになるのを妨げてしまうからです。
それぞれに違いがあるのが地上です。
違いがあるのは偶然ではなく、それぞれ理由があります。
目的があって予め決められていたことです。
差異はあっても、優劣などありません。
外側ではなく内側を見なくてはいけません。
魂がどのような光(想い)を放っているかが全てです。
最も高貴で美しい光が愛です。
どうすれば差別がなくなるのでしょうか?
結局は、人間の霊性が高まるのを待つしかないのかもしれません。
しかし、それでは遅いので、差別がいかに罪な行為なのかを、知識として広めて行く必要があります。
霊的真理が広まった分だけ、差別のない世界も広がるでしょう。
49 件のコメント:
イクミさん、
私も、差別されてショックを受けたことがあります。パリのオペラ座でした。
街中のパン屋さんなどでは、私を無視して割り込む客に対してお店のマダムが「こっちのムッシュが先だから、あなたは待って。」と諌めてくれて嬉しかったのですが、期待に胸膨らませて行ったガルニエのクロークで若いマドモアゼルは順に進んで目の前に来た私を無視して後ろのムッシュやマダムに、私の肩越しに声をかけてコートを受けとりました、それも一人や二人ではなく何人も。私はフランス語もできないのでどうして良いか途方にくれてコートを持ったままでつっ立っていました。
馬鹿みたいに立っていた私をみかねた別の人がぞんざいに受けてくれたのだと思いますが、覚えていません。
そのシンデレラのオペラでは、楽しく会話しながらみていたメキシコからの二人の年配のレディーを刺々しく頻繁に睨みつけて会場のスタッフにまでケチをつけたイタリア系の顔をした男と、そのレディーふたりを弁護して口喧嘩までしました。その男のお母様らしき女性はなんども彼をなだめていましたが。。
バスチーユでもクロークです。
私がコートを持って行くと、他に誰もいないのにふたりの男性職員が薄笑いを浮かべて言い合いをはじめました。5分くらいか10分だったか。。
何を言っているのかフランス語はわからりませんでしたが、俺かお前かどっちが受けとる、と押し付けあっていたように見えました。
さらに悲しかったのは、フランスに頻繁に行っているがそんなことを私は受けたことがない、と日本人からバッシングされたことです。
オペラ座も、他のスタッフや幕間に飲みもののサービスをしてくれた人たちも私を差別はしませんでした。ガルニエのチケットカウンターでは、バスチーユのチケットも変えることを丁寧に教えてもくれましたし。
イクミさんのご経験と同じく、このイエローモンキーをすべてのフランス人が差別したわけじゃありません。気さくな人たちも、紳士もレディーもいました。
でも、パリのオペラ座にさえ、差別があり、日本にはそれを上回る酷い差別があります。
コロナの被害が少ないことを日本人の美点だとする論調もありますが、私はとてもそうは思えません。数値からみると、東アジアではおしなべて被害が軽微で、東アジアの国々の中で日本はむしろ被害が大きいことを看破して数値ベースで実証して書いていた方がいます。
尻切れご容赦ください。
頭が回らず、つらい内容なので、、
校正もできていませんが、このままで、、
ラッパ吹き
いくみ様
お久しぶりです。ブログは何時も読ませていただいています。
夫が逝ってから一年8ヶ月になりますが、未だに毎日会いたくて?涙が出てきます。
見えないけどきっとそばに居てくれていると思います。そう思っていないと生きていけないような気持ちになるので。
夫はとても旅行が好きで、退職してからは年に何度も海外旅行に二人で行きました。
ツアーではなく飛行機とホテルかモーテルを予約しレンタカーであちこち回ります。
アメリカもあちこち、人種差別がある南部の田舎町にも行きました。
事前に治安の悪いところは調べて立ち入らないようにはしますが、あとは現地のスーパーなどで食材を買ったり、地元の旅行者と同じような旅行をしていました。アフリカは行けませんでしたが、不思議なことに、あちこちいった先で、差別を感じたことがないのです。
不思議だと思います。そして思いました。
夫はありがとうというときの笑顔がとても爽やかなのです。
言葉はたどたどしくても、にこっとして、ありがとうと言うのです。言葉をかけるときもにこっとして、気後れすることなく、現地の言葉で話しかけるんです。そのあとはたどたどしい英語です。
ニコニコしているだけなのに、そのせいなんてしょうか!何十箇所も行ったのに、差別されたと言う経験がないし、その場かぎりですが友達のように話せる。言葉が上手く通じないところでも、なんとなく友達みたいになる。
きっと笑顔なんでしょうね。
私も早く笑顔にならないとと考えさせられました。いくみ様のブログのおかげです。
ありがとうございました。
ラッパ吹き様
こんばんは。
更新したブログを早速読んでいただき、ありがとうござます。
その国を代表するような施設で、差別的な行為を受けるとは思わなかったでしょう。
差別はあくまでも個人的なものであり、多くの人は行動に移すほどのものは持っていないと思います。
しかし、個人の行為により、国全体の印象が悪くなってしまうのは否めません。
なので、いかなる国から来た人でも、差別的な意識を持たないのは当然ですが、出来るだけ温かく接して行きたいものです。
日本には日本独特の外から見えにくい差別があると思います。
学校のいじめも、根本には差別的な意識があって、自分たちと違う人間を排除したり、攻撃していることも多いと思います。
子供の時に親が、差別は恥ずべき行為で、罪であると教えることで大分違って来るでしょう。
おっしゃる通り、コロナの被害は日本は東アジアでは大きい方です。
大きな被害を出さなかったのは、美徳だけでは片付けられない、何か要因があるのでしょう。
ありがとうございました。
お体をお大事にして下さい。
何度が匿名で書かせて頂いております。私も親日と言われる国へ何十年も前に留学したことがありますが、差別はどこにでもあると思います。確かに楽しい思い出もありますが、意外に現地に長くいる日本人が新米の日本人を差別してくることがあってそれが驚きでした。そしてやはりその国の言葉を理解することが一番重要だと感じました。私の場合は、英語で相手を論破するくらいの力量があったら、おそらく馬鹿にされず差別も気にするほど受けなかったかもしれません。言葉の壁はその国の文化も理解しなくてはいけませんのでたいへんハードルの高いものです。たまに流暢な日本語を話す外国の方に出会うことがありますが、それだけで素晴らしいと感動してしまいます。きっと大変な努力があったに違いありません。この世を捨て去る時が来てもその努力はきっと実を結び、魂は差別のない公平な美しい世界に行かれることと思います。
kazu様
こんばんは。
ブログを何時も読んでいただき、ありがとうござます。
ご主人が亡くなって1年8ヶ月なのですね。
傍にいてくれると思わないと生きて行けないそうですが、あなたとご主人の生前の仲睦まじい様子をお伺いすると、傍にいてくれないわけがないと思ってしまいます。
何度も言っていることですが、愛し合う者同士が死によって離れ離れになることは決してありません。
もっとご主人の存在を感じられるようになればと思ってしまいます。
お2人で、いろいろなところに行かれていたのですね。
一度も差別的な行為を受けたことがないのは、ご主人が現地の言葉でありがとうと笑顔で言うからではないかと言うことですが、それは確かにあると思います。
笑顔は人の警戒心を解き、ありがとうと言われて悪い気がする人はいません。
私にはその習慣がなかったので、その差が出てしまったのかもしれません。
そして、ご主人は相手に差別的な意識を生じさせない雰囲気を持っていたのだと思います。
笑顔でいると、人生が良い方向に進んで行くことを、ご主人は教えてくれていたのではないでしょうか。
今もご主人は笑顔でいると思いますので、あなたも出来るだけ笑顔でいるようにしましょう。
匿名様
こんばんは。
コメントを度々送っていただき、ありがとうございます。
差別はどこにでもあるのですね。
差別をする人は、どこにでもいると言うことなのでしょう。
そうですね。現地の言葉でコミュニケーション出来れば、お互いを理解することにつながるので、差別は受けにくくなるでしょう。
コミュニケーションが出来ないと誤解が生じ、行き違いが起こり、それを差別と感じてしまうこともあると思います。
相手を理解しようとする努力は大切であり、きっと報われると思います。
イクミさま
いつもブログ記事を、ありがとうございます。
先日はヒーリングもありがとうございました。以前より体調良いです。
差別のこと、考えさせられました。優劣のことも、考えさせられました。
例えば、霊能者の方でも自分が人より優れていると思い、特別意識や自己顕示欲が強い人がいました(ご自分では気付いていないです)
会社員でも人を見下す人がいました。
私も子供の頃は気付かずに人を差別したことももしかしてあったのかもしれません。
この世から差別が少しでも少なくなれば良いとおもいます。そして差別を生むような状態も少なくなれば良いと思っています。
私のような一般人が、世の中のために出来ることはありますか?どうしても自分の悩みや体調不良ばかりに目が行ってしまう、自分を情けなくなってしまうときがあります。
ユーリ様
こんにちは。
ブログを読んでいただき、ありがとうございます。
体調も、以前より良くなったと聞き、うれしいです。
私は霊的真理を知り、差別はいけないことだと強く思いましたが、逆に(真理を)知っていることで、他の人たちよりも優れていると錯覚しそうになったのも事実です。
どこにでも潜んでいるものなので、気を付けなければいけないと思いました。
差別する人、見下す人はどこにでもいますが、シルバーバーチが言っているように、向こうに行って魂が丸裸になった時に、とても恥ずかしい想いをすると思います。
世の中のために出来ることは何か?というご質問ですが、仕事をされているのであれば、精一杯することもそうですし、家族のために家事をするのもそうだと思います。
困っている人がいたら助けたり、人に優しく、親切にしたり、何か喜ぶことをすれば、それは世の中のためになっていると思います。
必要としている人に霊的真理を伝えるのも、最も価値のある貢献の1つです。
世の中のために自分を役に立てて下さいと祈っていれば、今の自分に相応しい機会が訪れます。
イクミ様
こんにちは。
差別について、先日、考えさせられる事がありました。
息子の同級生に、半身の不自由な子がいます。
私が小学生の時にも、同じ学校に、足の不自由な子がいた経験があったので、息子には一年生の時に、「世の中には、色々な体の不自由なひとがいるんだよ。でも、それは、背が高い子も低い子も、勉強ができる子も苦手な子も、運動が苦手な子も得意な子もいるのと同じだよ。みんなそれぞれ違うけど、困っている時は助けたり助けてもらえばいいだけなんだよ」と話して聞かせました。
子供は正直で、時に残酷だと感じた為です。
その子に対して、これまでは、特に、トラブル等もなく過ごしてきたようでしたが、先日、ある子がその子に対して、「障害者だ」と言ってしまい、その子の親御さんから学校へ連絡がきたそうです。
先生は、子供達へ「障害者だと言うのは、差別だ。そういう差別はいけない」と話したそうです。
自分の家族や回りに、体の不自由な人がいなくて、そういう人と接する機会がなければ、普段から「差別はいけない」と子供に敢えて話して聞かせる機会は、実はなかなかないのが現実なのかもしれないと、考えさせられました。
しばらくコメントを控えると言っていましたが、読んでいたらコメントしたくなってしまったので、コメントします(。>﹏<。)
こういうのを見ると、私にできることって何かなぁと考えますが、結局は以下のようなことなのかなと思っています。
(以下、アドラー心理学の”幸せになる勇気”です。アドラーはあまり知られていないですが、軍医であり、精神科医でもあります。
本書は、青年と教師(哲人)の対話という形で展開します。)
哲人:
マザー・テレサは「世界平和のために、われわれはなにをすべきですか?」と問われ、こう答えました。「家に帰って、家族を大切にしてあげてください」。アドラーの共同体感覚も同じです。世界平和のためになにかをするのではなく、まずは目の前の人に、信頼を寄せる。目の前の人と、仲間になる。そうした日々の積み重ねが、いつか国家間の争いさえもなくしていくのです。
青年:
目の前のことだけを考えていればいいのですか!?
哲人:
いいも悪いも、そこからはじめるしかないのです。世界から争いをなくしたければ、まずは自分自身が争いから解放されなければならない。生徒たちに自分を信じてほしいと思うのならば、まずは自分が生徒たちを信じなければならない。自分を棚に上げて全体の話をするのではなく、全体の一部である自分が、最初の一歩を踏み出すのです。
青年:
・・・3年前にもおっしゃっていましたね。「あなたがはじめるべきだ」と。
哲人:
ええ。「誰かがはじめなければならない。他の人が協力的でないとしても、それはあなたには関係ない。私の助言はこうだ。あなたがはじめるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく」。共同体感覚の実効性を問われたときのアドラーの言葉です。
青年:
わたしの一歩で世界は変わりますか?
哲人:
変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。でも、結果がどうなるかなど、いま考えることではない。あなたにできることは、いちばん身近な人々に信頼を寄せること、それだけです。
人間にとっての試練、そして決断とは、受験や就職、結婚といったシンボリックなライフイベントのときにだけ訪れるのではありません。われわれにとっては、なんでもない日々が試練であり、「いま、ここ」の日常に、大きな決断を求められているのです。その試練を避けて通る人に、ほんとうの幸せは獲得できないでしょう。
青年:
ううむ。
哲人:
天下国家を論じる前に、自らの隣人に思いを寄せてください。なんでもない日々の対人関係に思いを寄せてください。われわれにできるのは、それだけです。
https://www.instagram.com/p/BPUQpFiAJr3/
(上の続き)
https://www.instagram.com/p/BPUQ9H4gjaf/
イクミさま
私は3歳のとき、何も考えずに悪気なく体の不自由な子にひとこと、差別的な発言をしてしまい、
母から、人の痛みを分かりなさいとひどく叱られたことを思い出しました。
今は亡き優しい母から、唯一ひどく叱られた瞬間でした。
叱られて叩かれて、良かったと思っています。
あのときから人の痛みを自分の痛みのように感じられるようになったのではと思うからです。
自分に出来ること、隣人に思いを寄せること、まずはそこからですね。
てるさん、ナオヤさん、ユーリさんのコメントに深く同意します。
蒸し返すつもりはまったくないのですが、彼女の救いにもなるコメントだと信じます。
ラッパ吹き
てる様
こんばんは。
息子さんに、人として大切なことを教えていますね。
息子さんの友達に足の不自由な子がいて、ある子が障害者だと言って問題になったそうですが、言った子は身体の不自由な人を大人たちは障害者と呼んでいることを知っていて、悪気はなく使ったと思われます。
けれども、言われた子は差別的に感じてしまい、悲しかったのでしょう。
子供の正直さは時に残酷であり、傷つけてしまうことがありますね。
学校の先生が、相手が傷つく言葉であり、言ってはいけないと注意したことで、それを聞いた子供たちは以後気を付けると思います。
幼い時に、大人がいけないものはいけないと、はっきり言って自覚させるのが、最も効果的かもしれません。
余談ですが、道徳の時間に子供たちに霊的真理を教えれば、世の中が少し変わるような気がします。
その時は意味が判らなくても記憶に残り、大人になって思い出して、助けられる人がいると思います。
ナオヤ様
こんばんは。
アドラーについて、詳しくは知りませんでした。
世界は個人の意識の総和で出来ているのあり、まず個人が変わらなければ、世界を変えることが出来ないと言う意味に受け取りましたが、自分は変わらずに、世の中が変わることを望んでいる人は多いと思います。
急に大きく変わるのは無理であり、小さな変化を積み重ねて行くことで、大きな変化につながって行くと思います。
どちらの方向に人は変わるべきなのか、その絶対的な指針が霊的真理の中にあると考えています。
ユーリ様
3歳の時に、亡くなったお母様から叱られた一言で、人の痛みが感じられるようになったのですね。
人生を良い方向に導いてくれる、すばらしいお母様ですね。
お母様の真意を理解出来たあなたも、すばらしいと思いました。
ラッパ吹き様
こんばんは。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。
自分にも言い聞かせなければならない文章であると思っています。
イクミ様
このブログは、"シルバーバーチの霊訓"について述べるところなので、紹介するかどうか迷ったのですが、アドラー心理学も結局のところ、霊訓の内容の焼き直しに過ぎないと思います。(アドラー心理学の方が、容赦なく傷口に塩を塗ってきますが笑)
シルバーバーチも"すべての変革は、まず自分から始めなければならない。地上の人間たちは、自分を変えようとせずに、人を変えようとする者が多すぎる。神は、他人の責任をあなたに背負わせるようなことはしない"というようなことを言っていたように思います。
"よし、じゃあ、まずは自分から変わろう。本当の意味で「大人」になろう"と思い、日常生活で地道に頑張っていると、必ず、自分の中にある黒い部分が見えてきます。
"あ〜自分は所詮この程度か" 確かに残念ではあるのですが、それでも尚、努力していくこと。これは大変な試練だと思います。
霊訓の中で、"一つ一つの出来事から教訓を学ぶことです。様々な出来事を通じて性格が培われるのです"という言葉もあったかと思います。
生きていれば悲しいことや辛いことが起こることは避けられない。でも、その出来事の受け止め方やその後の行動を変えることはできる。二度と同じ失敗を繰り返さないように自分なりの教訓を学び、「こうなってよかった!」とあとで思えるように自分を変えることは可能だと信じます。人間は今が幸せであれば、過去がどんなに辛かったとしても、前を向いて生きていけると思います。
そして、それをシルバーバーチは望んでいると思います。それはアドラー心理学も同じです。
改めて、シルバーバーチの霊訓は、とても厳しいけれども、人間の可能性をどこまでも信じ、心から人類の幸せを願っている素晴らしい内容だと思います。
ナオヤ様
おはようございます。
詳しいことは判りませんが、アドラーは精神的な観点から、シルバーバーチは霊的な観点から、同じことを言っているのかもしれません。
人生で悲しいことやつらいことが起きた時の捉え方や対処法を書いた本はありますが、なぜ起きなければならなかったのか、その答えは霊的真理の中でしか見つけられません。
自分に起きる出来事は、全て自然法則の働きによって起きているので、良きに計られている、自分を良い方向に変えるものだと強く信じることが大切です。
真理(自然法則)は時に厳しく感じます。
しかし、最終的には神の優しさを感じるものだと思います。
イクミさま
おはようございます。
いつもお世話になっております。
小学6年の息子のヒーリングをおねがいしたく。
25日の朝から、喉が痛いといい、病院には行きましたが、その日の夜に熱がでまして、昨日から鼻水がものすごい状態なので、お願いしたく。
いつも、お願いばかりで、すみません。
えり
えり様
おはようございます。
学校が再開して、風邪が流行っているのではないでしょうか。
ヒーリングの件、了解しました。
今晩10時からでよろしいでしょうか?
イクミさま
いつも快く引き受けてくださり、ありがとうございます。よろしくお願いします。
えり
いくみ様
差別…
小さな事ですが
私も差別を受けた事があります
父が居ないと言うことから
多々…
主人が闘病中にも
でも 私…仕方ないと思い生きて来ました…
でもでも違うのですね
差別をする人間は霊性が低いのですね?
私 納得しました
いくみ様
霊的世界には差別はないのですね
あさよ様
こんにちは。
更新したブログを読んでいただき、ありがとうございます。
私が子供の頃は今と違って、両親がそろっていて当たり前のところがありました。
シングルマザー、ファザーには差別的なものを感じませんが、片親と言う言葉にはあったような気がします。
ご主人が闘病中に、どんなことをされたのかは判りませんが、あなたが傷ついたり、悲しんだりしたのであれば、その人の霊性は低いと言わざるを得ません。
差別をしない人が霊界に行けば、そこに差別はありません。
差別をする人は、その人に見合った境涯に赴くことになるので、受けることはないからです。
シルバーバーチの霊訓と共に歩む
イクミ様
初めまして、和也と申します。
私は8年程前にスピリチュアリズム普及会のホームページ・シルバーバーチの霊訓と出会ってから、人生の転機や困難が相次ぎ、神の摂理と日常の体験とを照らし合わせる中で、最終的には霊的真理を人生の指針としライフワークとして実践する意思が固まりました。
そこでシルバーバーチを検索していたらこちらのブログに辿り着くことが出来、御活躍されている先輩方の存在を知り、方向性に共感共鳴し、大変心強く、嬉しく思っております。
安心を得たい為に違う人を排除しようという氣持ちも、差別的意識の一因になっているとは、思いもしませんでした。
根底には自分を守りたい強い欲求が……これには心当たりがあります。(いきなり自己紹介で失礼します)
私は幼い頃から人見知りや対人での緊張が激しく(固まってしまう)、接触を避けてきた過去があります。思春期には突然左耳が聴こえなくなったこともあり、外に出ないで生きていく=ネットビジネスで成功するんだと、20代の殆どは引き篭もっていました。
自分と違う人とリアルに関わることでの困難と引き換えに霊的成長の機会を得られることを当時理解できず逃げていたのは、自ら作り上げた恐怖と不安の霧の中に自分を閉じ込めていたから。自分の事(苦悩と欲望)しか考えていない状態に活を入れる為、霊的真理との出会いが与えられたのだと思います。
そして人間的に未熟な私が霊訓(霊界からの導き)を比較的素直に受け入れられたのは、幼少期に丹波哲郎の大霊界という映画や死んだらどうなる?の絵本を母の影響で見ていて、頭の片隅に薄ぼんやりと「死後の世界はある、肉体は霊体の乗り物に過ぎない、この世は霊的修業の為にある」等のイメージ記憶が残っていたからだと考えられます。(この経験から、霊性教育の効果を実感しております)
3年前、路頭に迷いかけた時、福祉事業を立ち上げる女性実業家に偶然拾われ、幸運にもマンツーマンで宇宙の法則・氣配り心遣い・処世術などの教育指導を受けて社会復帰が出来ました。
仕事上役目として与えられているのは、慌ただしい状況かつ集団や対人の中で一人一人に氣を使いながらも全体が向上するように場面を読みながら臨機応変な対応をすることです。これは私にとっては大きな課題です。
左耳がほぼ聴こえないこと、緊張で思考が固まってしまうこと、他者の思考や感情を読み取りにくいことが障壁となり、成長の為のトレーニングだとは思いつつも、理想と現実のギャップに困難を感じています。
せめて左耳が聴こえるようになったら、もう少し理解力が備わりお役に立てるのではないかと、色んなサプリメントや代替療法、補聴器を試しましたが余り変化を感じられません。半年前にヒーラーグループにスピリット・ヒーリングをして頂きましたがその時は耳までは実感が無く、カルマの消滅に至る時期はこれから先で、その分解放された時の喜びは大きいだろうなと、自己努力を心掛けて愉しみに祈っています。
いずれスピリチュアリズム普及の道具としての活動(伝道・霊性教育)に全エネルギーを集中する際には、培った経験を役立てることが出来る。であればこそ、今、この上ない恩恵に浴していると思います。
記事と関係の無い内容を長々と失礼致しました。
貴ブログを通じて、色々と勉強させて頂ければ幸いです。
宜しくお願い申し上げます。
イクミさま
お世話になっております。
昨日は息子のためにヒーリングをしていただきありがとうございました。
鼻水は、いくらかましになりましたが、咳が頻繁で…。
明日、咳がひどいのでまた病院へ連れて行こうと思います。
木曜日から学校を休んで熱は下がったものの、明日は咳が気になるので休まざるおえない状況です。
もともと、風邪をひくと、いつも咳がひどくなるので、気をつけてはいたものの。
コロナになってから、風邪であっても学校を休まざる負えない状況に頭が痛いです。
息子が咳をするたびに、イライラしている自分にも嫌気がさします。
いつも、本当にありがとうございます。
えり
和也様
初めまして、イクミです。
8年前に、シルバーバーチの霊訓と出会ったのですね。
それから人生の転機や困難が相次いで、霊的真理を人生の指針として生きて行く決意をしたそうですが、私の経緯と似ていると思いました。
大変な出来事が起こる前に、真理と出会うようになっていたと考えられます。
方向性に共感共鳴して、心強く、うれしく思っていると言うことですが、私も同じです。
会ったことはなくても、同じ志を持った人たちがいることを知るのはうれしいものです。
幼い頃から、人見知りで対人関係で緊張してしまい、接触を避けるようにしていたそうですね。
そんな中で、霊的真理に会い、困難や苦難の意味を知り、抜け出すことが出来たのは、あなたを見守っている存在の計らいだと思います。
真理を受け入れる下地になっていたのは、丹波哲郎氏の映画と絵本だそうですが、あなたが言うように幼い時に知識に少しでも触れておくと、全然違うと思います。
真理を自信を持って伝え、実践していれば、子供は自然に受け入れてくれるでしょう。
3年前に出会った女性から、いろいろなことを教えてもらったそうですね。
要所で大切な出会いがあって、今に至っていますが、成長する方向にしっかりと導かれていると感じます。
与えられた仕事は、もしかしたらあなたが最も苦手とすることかもしれませんが、それだけに得るものが多く、大きく成長できると思います。
もし、真理を受け入れていなければ、もっとラクな道が与えられたと思います。
乗り越えられない困難はないことを知るのは、その人の成長にとって、計り知れない意味を持ちます。
意思疎通が人よりも難しい上に、左耳がほぼ聴こえないのであれば、相互に誤解が生じてしまい、今までにたくさんのご苦労があったとお察しします。
霊界に行けば、障害は全て取り払われて、嘘のように楽にコミュニケーションが出来るようになりますが、今は限られた情報から相手の真意を汲み取る鍛錬をしているように思います。
相手の想いを深く知り、共感するように努めるのが、今生に生まれた目的の1つであるような気がしています。
ヒーリングによって改善を試みたそうですが、あまり変化がなかったそうですね。
言われた様に、カルマが解消していないのかもしれませんし、あなたが大切なことを学ぶために今は必要なのかもしれません。
いづれにしても意味があることです。
真理を実践して生きていれば、その時が訪れると思います。
真理の普及に、全エネルギーを集中できるようになると良いですね。
あなたの最終的な人生の目的は、そこにあると思います。
その時の準備ために、今のご苦労があり、障害があると思います。
えり様
こんばんは。
昨晩は予定通り、ヒーリングを行いました。
まだ咳がひどいのですね。
コロナがあるので、咳が鎮まらなければ学校に行けないそうですが、休校が続いて、これ以上休ませたくないお気持ちは判りますが、こればかっりはどうしようもありません。
咳と心は関係していることがありますので、あなたはイライラせずに穏やかな心でいるように努めて下さい。
あまりお力になれなかったようで、申し訳ありません。
また、何かありましたら連絡して下さい。
イクミさま
お世話になっております。
今日、息子と病院へ行ってきたところ、気管支炎と診断が出ました。
医師いわく、気管支炎だから学校へ行ってもいいんでしょうけれど、コロナがあるのでねとおっしゃられておりました。薬局でも、これから学校に行くんだよね?ともいわれ。
イクミさま、謝らないでください。
イクミ様の貴重なお時間を使用してヒーリングを受けさせていただいているわけですし、
病気になるのは本人の問題です。イクミ様は、いつも力になってくださいますし、
こうして、相談させていただくことによってほっとしたり、また、頑張ろうと思えるのですから。
また、新しい記事もアップしてくださって、ありがとうございます。
えり
えり様
こんにちは。
息子さんは、気管支炎と診断されたのですね。
学校に行っても何の問題もないと思いますが、心配される生徒や父兄もいるでしょうから、担任の先生にコロナでないことを、念を押してもらってはどうでしょうか。
よろしければ、咳が早く止まることを祈念して、今晩10時にもう1度ヒーリングを行ってみたいと思います。
イクミさま
お忙しいところ、ありがとうございます。
是非、おねがいします。
そして、勇気のでるお言葉、ありがとうございます。
えり
えり様
咳が出ていても、コロナとは全く関係ないことを、先生がしっかりと生徒に伝えてもらえれば問題はないと思います。
ひどく出るようでしたら、医師から咳止めを処方をしてもらい、飲んでから登校されるのも良いかもしれません。(周囲への配慮のためであり、個人的には対処療法的な薬はお勧めしません)
それでは、今晩10時にヒーリングを行ってみます。
イクミさま
心強いお言葉、ありがとうございます。
イクミ様に勇気をいただき、先程、担任の方に電話をしてみました。
校長先生にお伺いしてからとのことで、折り返しの電話をいただき、お医者さんも大丈夫と言っているならということで、学校へ行けることになりました。咳があるので、担任の方からまわりの生徒に言ってくださるということになりました。が、明日は、PTA参観の日でもあるので、若干不安でもあります。
風邪をひくといつも気管支炎になるので、コロナ禍は本当にいろんな面でストレスです。
とはいえ、自分を含め人間のしたことのつけが回ってきたわけだから、仕方ないのも事実。
お手数をおかけしますが、10時からよろしくお願いします。重ね重ね、ありがとうございます。
えり
えり様
それならば良かったです。
風邪でも大変なのに、喘息の人はどうなっているのか、このブログの内容ではありませんが、何も事情を知らない人から差別的な言動を受けているのかもしれません。
それでは、なるべく静かにしてお待ち下さい。
イクミ様
有難うございます。
返事が遅くなりましたが、
イクミさんのお言葉に、大変勇氣づけられました。
守護霊からの回答のように感じられました。辛い時に読み返しています。
乗り越えられない困難は無いことを、魂に深く刻み込んで行きたいと思っています。
和也様
おはようございます。
表には出しませんが、誰もが何かしらの苦難を抱えながら生きていると思います。
何があっても、守護霊が付いていてくれると強く信じて下さい。
もしよろしければ、私の方でもう1度ヒーリングを行ってみたいと思いますが、いかがでしょうか?
イクミ様
有難うございます。
どの様な状況にあっても、守護霊の存在を強く信じようと思います。
ヒーリングをして頂けるとのこと、大変嬉しく思います。
明日以降のお日にちの夜10時からで宜しければ是非、お願い致します。
和也様
こんにちは。
お力になれないかもしれませんが、明晩10時から行ってみます。
着替えて、リラックスしてお待ち下さい。
イクミ様
明日の22時から、畏まりました。
宜しくお願い致します。
イクミ様
おはようございます。
昨夜はお忙しい中ヒーリングをして頂き、有難うございました。
いつもより早く帰宅でき、リラックスした状態で受けることが出来ました。
開始から10分ほどして横になると、程なくして眠りにつきました。
朝目覚めると、目の輝き、嗅覚味覚の鋭さ、肌の質感の良さなど、心身の活性化を感じました。
左耳についてはこれからだと思いますが、愛の力に活かされていることを感じています。
有難うございます。
和也様
こんにちは。
昨晩は予定通り、ヒーリングを行いました。
残念ながら、左耳の聴力に変化はなかったようですね。
やはり、まだ時期が来ていないのかもしれませんが、今晩10時にもう一度行ってみたいと思います。いかがでしょうか?
イクミ様
本日もして頂けるのですか❢
有難うございます🙇
是非、宜しくお願い致します。
和也様
了解しました。
少しでも良くなることを祈念して行ってみます。
イクミ様
おはようございます。
昨夜も有難うございました。
ヒーリング中、左手の平からブワッと温かなエネルギーが出ておりました。
以前から合掌すると熱氣を伴ったエネルギーが出ている感じがあり、身近な人が辛い時には手当てをしていたのですが、今回のヒーリングで一段と流れが強まったように感じました。
イクミさんのヒーリングやカルマの記事を拝読しまして
もっと心身を清らかに保ち、もし私も霊界の道具としてヒーリングを行うことが許されたなら、その道の先にも霊的成長とカルマの解消が待っているのではないかと、思いました。
耳の回復は見えないところで確実に早まっていると思います。
顔も見えない私にここまでのことをして下さり、誠に有難うございます。
和也様
こんにちは。
昨晩も予定通りヒーリングを行いました。
手からエネルギーの様なものが出ているのを感じているのですね。
私も最初は何か手から出ているのを感じ、それがヒーリングの力だと判りました。
あなたも同じかもしれません。
その力を、人のために活かすことが出来れば、霊的成長とカルマの解消につながると思います。
少し前ですが、あなたと同じ様な方がいました。
ブログでのコメントのやり取りが参考になるかもしれませんので、よろしければご覧になって下さい。(栗男様と言う方です)http://slverbirch.blogspot.com/2020/03/blog-post_15.html
もしかしたら、ヒーリングを始める時期が来ているのかもしれません。
イクミ様
お返事を下さり有難うございます。
ヒーリングを始める時期が来ているかもしれない、私もそう感じています。
過去に発展系レイキと言われるヒーリングを受けてから、スイッチが入ると左手から熱氣が出るようになりました。
節目節目で初対面の癒やし手から施術や指南を受けることがあり、その度に出る感じが増していきました。
身近な人に手当をするうち、エネルギーを感じる人と感じられない人、変化がある人ない人がいることを知りました。
中には自分の生命力が枯渇するような疲れを感じることもありました。恐らく生体エネルギーを消耗していたと考えられます(霊感のある人には、そのまま長時間やってると死ぬよと言われる)
今の自分には難しいことが分かってからは、目の前で苦しんでいる人がいたら手を当てる、という頻度でした。
近年、霊界の医者による高次元のスピリット・ヒーリングがあることと、ヒーラーになる条件を知り、レベルの高さに驚くと共に、癒やしの通路に徹したい、いつかは自分もそういった形で貢献できるようになりたいと憧れて、その時期が来るのを待っていました。
スピリチュアリズム普及の為の神聖なヒーリング。
今の私に道具としての資格があるかは分かりませんが、待っているだけでは無く、少しでも歩みだそうと思います。
「動機が問われる」記事での栗男様とのやり取り、拝見しました。
イクミさんの仰る様に、私にとって必要な情報と思います。参考にさせて頂きます。
栗男さんの「必要以上に力の入った体を緩めることで日常的な健康を保てる」のコメントを読んで
私も力みがあり人前で特に強まりますが、意識的に緊張を緩めてみようと思います。
イクミさんの栗男さんに向けてのメッセージですが、霊界の道具としての心構え、私にも響きました。(下記、引用させて頂きます)
「人のために役に立ちたいと思い続けて下さい。
霊界の道具、霊力の通路に過ぎないと言う謙虚さを持ち続けて下さい。
動機が正しいのか確かめ続けて下さい。
それが生命線です。
霊的な奉仕をするために、これまでの人生経験が必要だったのです。
その力は人を癒すためにあります。
魂を目覚めさせて、真理を伝えるためです。
〜
何より大切なのは、真理に適った生き方をすることです。
適った生き方をしていなければ、真理は伝えられません。
霊力の質が高まりません。
常に最善を目指して下さい。(パリッシュ氏やエドワーズ氏のように)」
イクミさん、栗男さん、霊界の方々、有難うございました。
地上の前線部隊として
霊的真理を先駆けて知ったからには、摂理を正しく理解し、真に実践してゆきたいと思います。
まずは身近な、耳鳴りと睡眠障害で苦しんでいる母の承諾を得たら、遠隔を試みようと思います。
和也様
こんばんは。
栗男様とのやり取りを、見ていただいたそうですが、参考になったのであれば良かったです。
あなたや栗男様から、人を癒したい、霊界の道具として役立ちたいと言う想いを感じました。
過去にレイキヒーリングを受けて、エネルギーが手から出るのを感じたそうですね。
言われているように、レイキヒーリングは自分の生体エネルギーを使うので、疲労感を伴います。
霊的なヒーリングは、何人行おうとその様なことはありませんので、その点で鑑別できると思います。
あまり力むと、自分のエネルギーが出てしまうので、注意して下さい。
「スピリチュアリズム普及の為の神聖なヒーリング。今の私に道具としての資格があるかは分かりませんが、待っているだけでは無く、少しでも歩みだそうと思います。」
あなたのその想いを、霊界が見逃すはずはなく、霊医との協調関係が生まれるはずです。
シルバーバーチは、「地上のヒーラーは身持ちを良くして下さい、後はこちらで何とかします」と言っています。
真理に適った生き方をして、あとは霊界に委ねれば良いと思います。
進展がありましたら、また連絡して下さい。
イクミ様
こんにちは。温かい御言葉、有難うございます。
霊的なヒーリングは、何人に行っても疲労感が無いのですね。
力まず、自分のエネルギーを出さないように氣を付けます。
霊界が見逃すはずはないとの、イクミさんの力強い言葉を受けて、
霊界の期待に添えるよう、
決して道を踏み外す事なく、真理に適った歩みをして行こうと決意しました。
昨晩母に行なったところ、いつもより凄く眠くなってそのまま寝たそうです。中途覚醒や耳鳴りなどは変わらないですが、継続していこうと思います。
また御連絡させて頂きます。
和也様
こんばんは。
今のお気持ちを忘れずに、焦らず力まず、奉仕をして下さい。
お母様には、ヒーリングの力が届いていたと思います。
あなたと同じで、治る時期が来たならば、ヒーリングは奏功すると思います。
イクミ様
有難うございます。
これからどんな困難が待ち受けようとも、焦らず力まず、努力して参ります。
時期が来た時には、直ぐに報告させて頂きます。
宜しくお願い申し上げます。
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