今から、20年前の自分を振り返ってみると、一人よがりな生き方をしていたと思います。
何かをして上手く行った時には、自分の実力の結果と過信をしていたようです。
多くのことは、自分の力だけではなく、周りの協力があって成し遂げられます。
周りに感謝することによって、私の様な傲慢な考えを持つのを防げます。
地球にたった一人だけ取り残されたとしたら、どうでしょう?
人間らしく生きて行くことは、とても出来ません。
人は人によって生かされています。
それゆえに、日頃から周りに感謝しなければならないと思います。
周りに感謝すれば、温かい気持ちで満たされ、幸せを感じられると思います。
実は、私たちは周りにいる人以外からも、多大な援助を受けています。
援助している存在は、「守護霊」とか「背後霊」と呼ばれていますが、この世の存在ではないので、当然ですが五感では認識されません。
認識している、していないに関わらず、私たちの人生に深く関わっているのは、紛れもない事実です。
なぜ、守護霊は付いていてくれるのでしょうか?
盲導犬は、目の視えないご主人の目の代わりになって、危険を回避させています。
守護霊は、物質的な世界で霊的に物事を判断できなくなっている地上の人に、無用な禍が降りかからずに、生まれて来た目的を成就させるために付いています。
親は子供を守り育てますが、大人になり独立すれば、その役目は終わります。
友達は自分の思いを聞いてくれて、助言をしてくれますが、いつでもいるわけではありません。
どんなに親しい間柄の人でも、肉体を介在した関係なので、距離や時間の制約を受けますが、守護霊にはそれがありません。
一生涯に渡り、私たちの傍に寄り添い、導き、援助の力を与え続けています。
では、どんな時に導いているのでしょうか?
私たちは、さまざまなことを決定しながら生きています。
予定されていた方向、霊的に成長する方向に進んで行くように、守護霊は導いています。
地上の人が道を踏み外しそうになった時に、「それはいけない」と思わせる思念を送って、制止するように働きかけています。
霊的な成長は、人や社会のために奉仕をすること、困難や障害を乗り越えることで得られます。
その機会が訪れた時に、後ろから背中を押してくれているのが守護霊です。
地上の人に「やってみよう!」と思わせる思念を送って、決断を促していると考えられます。
守護霊から届く思念は、耳から人の声として聴こえるものではありません。
心の中に突然、概念やイメージや言葉となって生まれます。
自分の思考と識別するのは容易ではありませんが、思考の場合はコンピューターと同じで入力があるはずです。
入力されたものが、知識や経験を元に大脳で計算(思考)されて、答えとして出力されます。
1+1と入力がなければ、2は出力されません。
霊界から届く思念は、大脳での思考とは全く関係ない、無から生まれるインスピレーションと考えられます。
思念によって導いているのなら、はっきり判るようにして欲しいと思ってしまいます。
しかし、はっきりと判ってしまえば、何でも守護霊に頼りたくなってしまうかもしれません。
決断をして、結果責任を負うのは、あくまでも地上の人ですが、不本意な結果に終わったら、守護霊のせいにしてしまうかもしれません。
地上の人は未熟なので、明確に判らない形で導いていると考えられます。
何かに挑戦する時に、多くの人は不安や心配に駆られます。
自分の前に現れる事象は、全て乗り越えられるはずですが、失敗した時のことをつい考えてしまいます。
そんな時に、守護霊は思念を送って、不安や心配を吹き飛ばし、前に向かって進んで行かせようとしています。
決めるのはあくまでも地上の人であり、霊界の人は干渉できません。
前に進んで行く決断を促し、いざ決断したら成就できるように、励ましたり、勇気付けたりしていると考えられます。
時に、自我(エゴ)が出しゃばり過ぎると、霊界から届く思念が受け取れず、横道に逸れてしまうこともあるでしょうが、今の自分があるのは、守護霊の導きのお蔭と思って間違いありません。
悩みや不安が大きくなり、心が暗くなっている時、何もしていないのに、急に目の前が明るくなった経験はないでしょうか?
難題が降りかかり途方にくれた時に、理由もないのに、何とかなりそうな気持ちになったことはないでしょうか?
そんな時は、守護霊から援助の力が届いていたのかもしれません。
守護霊は、物質的次元の存在ではありませんので、五感を通してではなく、魂に想いを伝えています。
想いは、地上の人の心境を一瞬にして変化させる力があると考えられます。
私たちは、一人で生きているのではありません。
目に視えませんが、背後にいる霊と共に生きています。
大切なのは、そのことを信じて、意識しながら生きることです。
意識した方が、より援助を受け取ることが出来て、安心して人生を歩んで行けます。
背後にいる霊の共通した願いは、地上の人が学ぶべきことを学び、予定通りに成長して、この世に生まれて来た目的を成就させることです。
ヒーリングや故人のメッセージを伝えるなど霊的な奉仕は、背後に霊がいなければ成り立ちません。
仕事や家事や育児も奉仕の一環であり、魂の成長に関わっているので、援助を受けていると考えられます。
芸術家は、背後の霊から受け取ったインスピレーションを、物質的次元に変換して表現していますが、霊的な成長に伴い、より高い界層の霊からのインスピレーションを受け取れるようになると考えられます。
以前、アメリカ在住の日本人脳神経外科医の仕事ぶりがテレビで紹介されましたが、神業とも言われる精緻な手術を見て、地上時代に卓越した技術を持っていた霊界の人と同調し、インスピレーションを受けながら、メスを動かしているのではないかと思いました。
数年前に山の中で迷っていた幼い子供を、ボランティアに励む男性が発見しましたが、霊界からのインスピレーションに従って行動した結果のように思えました。
私たちは、守護霊や背後霊からのインスピレーションを受け取って、無意識に行動していることが多く、その結果として願望が成就されると考えられます。
思い付きやひらめきとして感じているものの多くは、霊界からのインスピレーションと考えています。
何か問題が生じた時に、こちらから霊界に尋ねる時があります。
応答は、尋ねた直後、または被るようにして返って来ることが多いです。
もし、私の思考の産物であるならば、答えを出すのに時間がかかるはずです。
少し前ですが、問題が生じて思案している時に「大丈夫」と心の中で声がしました。
根拠がないのに大丈夫と言われても信じられませんでしたが、霊界では問題(原因)が起きた時点で結果が視えているようであり、結局はその通りになりました。
安心させてくれる助言を、何度となく受け取りましたが、これまで外れたことはありません。
最近では、大丈夫と思念を送ってくれた上で、解決方法と思われるイメージを送ってくれました。
それが正しいのか、まだ判りませんが、素直に信じて実行したいと考えています。
何でも尋ねれば応えてくれるのではなく、地上の人の成長にとって有益だと判断された時だと思います。
物質的な欲望を満たすために尋ねても、応えてはくれないでしょう。
たくさんのお金が入れば、地上的な満足は得られるでしょうが、霊的な成長にとって好ましくないからです。
もし、返答があったとしたら、それは守護霊や背後霊からのものではないと考えられます。
地上の人は、取り越し苦労をすることが多いようです。
無闇に悩んだり心配すると、霊界とのつながりが弱くなってしまい、無形、無償の援助が受けにくくなってしまいます。
起きた事象は、必ず乗り越えられるはずです。
しかし、それは霊界からの援助も加味されてのことであり、出来なくなると予定通りに行かなくなるのかもしれません。
成長を妨げてしまう想いを払拭して、地上の人を安心させ、力付ける思念を送って自信を持たせて、目の前に立ちはだかる事象を乗り越えさせようとしています。
背後にいる霊からの援助を得るために(あくまでも個人的な見解です)
1、霊的真理を学び、実践する
2、魂の存在、背後にいる霊の存在を心から信じる
3、親愛の想いを向けて、一体化するように願う
4、成長して行くため、乗り越えるために、力を与えて下さいと願う
5、援助が得られたと感じたら感謝する
背後にいる霊は、地上に生きる私たちと愛で結ばれているので、いつでも力になりたいと思っています。