子供は親を選んで生まれて来ると言われていますが、本当なのでしょうか?
私は本当だと思っています。
もしそうであれば、どの子供も愛情深く、優しい親を選んで生まれて来るような気がします。
しかし、この世にはそんな親ばかりでないのは、昨今の子供をめぐる痛ましいニュースを見れば明らかです。
子供への愛情が不足した親の元に生まれれば、寂しい思いをするのは判っています。
しかし、そんな親に育てられた子供でも、同じ様な親になるわけではありません。
寂しい思いをしたので、自分の子供には同じ思いをさせたくないと、愛情深く育てている人はたくさんいます。
寂しく、つらい思いをした人の方が、人は何を求めているのか、何が大切なのかが、良く判っているのかもしれません。
自らが経験して大切なものを学び取るために、あえて望まない親を選んで生まれて来ることもあると思います。
私たちは、何度も地上に生まれて来ていますが、中には初めての人もいます。
初めてであれば、当然のことながら、人間としてまだ何も学んでおらず、成長度も低いと考えられます。
そんな人は、愛情深い親の元に生まれ、手厚く保護されながら、育てられるような気がします。
何度か生まれて来た人は、その分、人間として成長を重ねています。
成長した魂ほど難易度の高い人生を選びますが、それは易しい人生からは得るものが少ないからです。
さらなる成長をするために、望まない環境を志願して生まれて来る人も、少なからずいると思います。
学ぶことがなくなったのなら、地上に生まれて来る必要はなくなり、霊界で向上進化するようになります。
人生には、およそのシナリオがあります。
シナリオがある理由は、効率良く学び、成長するのに都合が良いからと考えられます。
この人生で果たすべきことは、生まれる前に決まっています。
同時に、この世を終える時も決まっています。
世の中には、100歳を超えても元気に生きている人もいます。
一方、幼くして亡くなってしまう子供もいます。
そんな子供を見て周囲の人たちは、これから先の人生で楽しいことも一杯あっただろうにと嘆き悲しみます。
親にとって、子供を失うことは、計り知れない衝撃をもたらします。
地上には、数多くの悲しみや苦しみが存在しますが、最も過酷な試練の1つであるのは間違いありません。
お腹に宿していたお母さんは、身も心も引きちぎられる思いになると察せられます。
早く地上を去ることが予め決まっていたのであれば、親になる人も決まっていたはずです。
何を基準に、親になる人が決められるのでしょうか?
その衝撃に耐えて、試練を乗り越えられる人でなければ、親になることは絶対にありません。
それでは、試練を乗り越えられる人であれば誰でも良いのでしょうか?
そうではないと思います。
大切な教訓を学ぶことを求めている親の元に生まれて来ると考えられます。
親自身に子供を亡くすシナリオが存在し、そのことを承知していたはずです。
そんな恐ろしいシナリオなど、承知するはずはないと思うかもしれません。
しかし、何よりも自由意思が優先されるこの世界で、本人の承知していないことが無理にシナリオに組み込まれるようなことはありません。
また、そんな記憶など、どこにもないと言う人もいるでしょう。
事前にそのシナリオを知っていて、平穏に生きられる人はまずいません。
地上に生まれる人はそこまで強くないので、神の配慮により、その記憶は意識に上って来ないようになっていると考えられます。
承知した理由は2つあると思います。
1つは、別れは永遠のものではなく、いづれまた再会するのが判っているからです。
もう1つは、別れている期間は、とても悲しく、生きているのも苦しいほどになりますが、それと引き換えに魂の成長を手に入れることが出来るからです。
こんなつらい想いをしてまで、魂の成長などしなくても良いと思うかもしれません。
しかし、私たちが生きている目的そのものが、魂を成長させることです。
成長しなくても良いのであれば、居心地の良い霊界でずっと過ごしていれば良いのであり、悲しみや苦しみの存在する地上にわざわざ生まれる必要などありません。
人は、さまざまな経験を通して、成長して行くように定められているので、地上に生まれて来るのです。
何度も生まれ変わり、地上での人生を過ごす中で、格段の成長を果たすため、そして最も大切なことを学ぶために、死んでしまいたくなるような過酷な経験に挑戦しているのが、今生なのかもしれません。
また、過去生で過ちがあり、一刻も早く償って、再び成長して行くために、この人生を歩んでいるのかもしれません。
いづれにしても、魂を成長させるためであり、奥深くの自分は承知しているはずです。
生まれる前に全く関係のない魂が子供となり、早く亡くなるとしたら、関わり合いはこの世を生きていた日々しかないことになります。
もし、失った悲しみがあまりにも深いのであれば、それ以上のつながりがあるのかもしれません。
血のつながりだけでなく、魂のつながりがあり、親子になる必要があったのかもしれません。
早すぎる死は、偶然起きたのではありません。
不運や不幸でもありません。
そこには霊的な目的が必ずあります。
けれども、その目的は今生では判らないかもしれません。
大切なのは、悲しく、苦しくても、自分なりに精一杯生きることです。
そうすれば、この別れの目的が成就されて行くはずです。
こんな目的のある親子もいるのではないかと思い書いてみました。
ある子供が突然の事故で亡くなります。
その親は、気が狂わんばかりの悲しみに襲われます。
しかし、悲しみや苦しみに悶えながらも必死に生きる日々は、平穏無事に子供が生きている時よりも、はるかに大きな魂の成長をもたらしています。
寿命が来て次の世界に行った時に、人生で最悪の出来事が、自分を最も成長させていたことに気付きます。
死んでしばらくすると、生まれる前にいた住処に戻ります。
霊界は完全な界層社会であり、霊性の高さによって行くべき住処が自然に決まります。
前にいた住処には、親友や恋人(夫婦)よりもはるかに判り合える、親しい間柄の魂たちが想いを共有しながら暮らしています。
その中に、この世から帰って来るのを、首を長くして待っていた、親密度の高い魂がいます。
ところが、この世から帰って来た魂と自分との間に、霊的な隔たりが生じているのを感じます。
逃げ出したくなるようなつらいこの世を、必死で生き抜いたことによって大きく成長し、前にいた住処よりも、1つ高い界層に行けるだけの資質を身に付けていたようです。
霊的な隔たりを感じた魂は、早く追い付いて、同じ想いを共有するようになることを、強く望むようになります。
同じ想いを共有するためには、どうしても地上での経験が必要です。
神により創案されたのは、前世で子供を亡くした親が今度は子供として生まれて、追い付こうとする魂がその親となる人生です。
子供に与えられたシナリオは地上を早く去ることであり、親に与えられたのは子供を失うシナリオです。
この最も過酷なシナリオを承知したのは、魂を成長させるためであり、大切な教訓を身に付けて、その先で想いを共有しながら暮らすためです。
つまり、元々親しい間柄の魂が親子になったのであり、早く亡くなった子供は、親よりも成長していたと言うことになります。
子供なのに大人に感じられたり、自分よりも優しく、思いやりに溢れていたのは、そのせいなのかもしれません。
早く亡くなったのは、親を悲しませるためではなく、成長を願ってのことです。
親しい間柄の魂であれば、共に生きた日々は天国にいるような幸せに満ちたものになりますが、喪った時は形容しがたいほど強烈な悲しみとなります。
底の見えない深い悲しみ、悶えるような苦しみには、魂を目覚めさせ、大きく成長させるという、深甚な意味があります。
先に逝った子供は、生まれる前にしていた約束の記憶を完全に取り戻しています。
現実に打ちのめされている地上の親を見て、こう伝えているでしょう。
「約束していた通りにこっちに来ただけだよ!」
けれども、深い悲しみに包まれた親に、その想いが届くことはありません。
見守られて育った子供は、今度は地上にいる親を見守る立場になっています。
過去に同じ経験をしているので、想いを共有しながら、導くことが出来ます。
自分の死によって、どうしても学んでもらいたい大切なことがあったはずです。
もし、たった1つ願いを叶えさせてくれるとしたら、何を願うのでしょうか?
「もう1度会わせて下さい」ではないかと思います。
その願いが叶ったとしたら、力の限り愛しい我が子を抱きしめるでしょう。
今の悲しみは、この身体で抱きしめてやることが出来ない現実から生じています。
愛を表現することが出来ないのは、どうしてこれほどまでつらいのでしょうか?
それは、魂に神が宿っているからです。
神の心である愛を表現することを、魂がしきりに求めているからです。
人は、愛を表現することによって成長し、神の心に少しずつ近づいています。
悲しみを知らない親は、子供に多くを求めてしまいがちです。
しかし、深く知っている親はそんなことはありません。
子供に求めるものは一切なくなり、愛を与えることだけを望んでいます。
愛を与えられなくなったことが、これほどまでの悲しみや、苦しみを生み出すのは、この世界で最も大切なものが、愛を与えることだからです。
最も価値のある真実を手にするために、どうしてもこの経験が必要だったのです。
先に逝った子供は、もうその真実を手にしています。
子供がすでに持っていた資質を、自らが身に付けて想いを共有するために、地上でこの過酷な経験を今しています。
この世の死は、向こうの世界での誕生です。
夢にまで見ていた瞬間が訪れます。
あの日のままの姿で待っていた、最愛の我が子を力強く抱きしめます。
抱きしめた瞬間、今生の別れはこの時のためにあったことを悟ります。
そして、二人の間にあった約束を思い出し、無事に果たせた安堵感に包まれます。
今の二人は知っています。
愛することこそが、最高の悦びであることを。
生きる意味は、愛し合うことであることを。
過ぎて見ると、全てが懐かしく思えます。
地上の親子を超えた、霊的な絆で結ばれている魂が、お互いの成長のために、この選択をしていたのです。
身も心も引き裂かれるような別れは、悲しみを通して愛することの尊さを魂に刻み、次の世界でより強く結ばれるためにあったのです。
想いが共有された二つの魂は、それまでいた住処よりも1つ上の境涯に、手を取り合って向かいます。
新しい世界で、より高い愛で結ばれた、悦びの日々が始まります。
最大の試練を乗り越え、学び終えた二人に、悲しい別れはもう必要ありません。
参考ページ:「早世した子供たち」
「お母さんへ」
参考HP:「最愛の我が子やご家族をまた愛する人を亡くされた方へ~死の真実を求めて~」 一人息子さんを亡くされたお母さんのHPです