地球温暖化が進んで、北極海の氷が溶け出してしまい、餌を求めて氷上を移動しているクマが、行く手を阻まれています。
このまま地球温暖化が進んでいくと、近い将来、ホッキョクグマは絶滅してしまうかもしれません。
もちろん、ホッキョクグマに何の落ち度もなく、すべての責任は温室効果ガス(二酸化炭素)を出し続けた人間にあります。
人間の暮らしは、自動車やコンピュータを初めとした発明により、とても快適で便利になりました。
しかし、その恩恵は人間に限られていて、年々深刻さを増す環境破壊により、地球上の動物や植物は大きな損害を被っています。
しかし、その恩恵は人間に限られていて、年々深刻さを増す環境破壊により、地球上の動物や植物は大きな損害を被っています。
動物たちには、環境を修復する知性や自由を与えられていません。
この先の運命は、全て人間に委ねられています。
このまま突き進んで、多くの生命を絶滅の危機に追いやるのか、生命を尊重して軌道修正を図るのか、重大な岐路に立たされていると思います。
この先の運命は、全て人間に委ねられています。
このまま突き進んで、多くの生命を絶滅の危機に追いやるのか、生命を尊重して軌道修正を図るのか、重大な岐路に立たされていると思います。
人間同士の間でも、争いが絶えません。
人種や宗教、文化などの相違から争いは絶えることなく、多くの人が傷ついています。
一握りの権力のある者、富のある者が強者となり、多数の弱者が虐げられています。
十分な食べ物が行き渡らず、適切な医療が受けられないために、多くの子供たちが亡くなっています。
思うのですが、もし宇宙の彼方から知的生命体が訪ねて来て、環境が破壊され、強者が弱者を傷つけている地球の現状を見たならば、この美しい星に住む人間は、何て愚かで野蛮な生き物なのかと、思うに違いありません。
地球上には、人間だけでなく、多種多様の生命が存在しています。
人の身体は1つ1つの細胞が集まり組織を形成し、組織は何らかの役割があって、他の組織と密接に関係しながら存在しています。
身体に1つとして無駄な細胞はないように、地球を1つの共同体と考えると、無意味な生命は存在しないと思われます。
1つ1つの役割は私には判りませんが、どの生命も全体を構成する一部として欠かせない存在であり、その価値に上下はないと思っています。
人種や宗教、文化などの相違から争いは絶えることなく、多くの人が傷ついています。
一握りの権力のある者、富のある者が強者となり、多数の弱者が虐げられています。
十分な食べ物が行き渡らず、適切な医療が受けられないために、多くの子供たちが亡くなっています。
思うのですが、もし宇宙の彼方から知的生命体が訪ねて来て、環境が破壊され、強者が弱者を傷つけている地球の現状を見たならば、この美しい星に住む人間は、何て愚かで野蛮な生き物なのかと、思うに違いありません。
地球上には、人間だけでなく、多種多様の生命が存在しています。
人の身体は1つ1つの細胞が集まり組織を形成し、組織は何らかの役割があって、他の組織と密接に関係しながら存在しています。
身体に1つとして無駄な細胞はないように、地球を1つの共同体と考えると、無意味な生命は存在しないと思われます。
1つ1つの役割は私には判りませんが、どの生命も全体を構成する一部として欠かせない存在であり、その価値に上下はないと思っています。
価値に上下はありませんが、生命の進化の程度はさまざまです。
最も進化しているのは、もちろん人間です。
シルバーバーチの霊訓を読むまでは、進化とは知性の発達と思っていましたが、実は霊性の向上を指します。
生命の本質は、頭脳でなく魂(霊)なので、当然かもしれません。
最も進化しているのは、もちろん人間です。
シルバーバーチの霊訓を読むまでは、進化とは知性の発達と思っていましたが、実は霊性の向上を指します。
生命の本質は、頭脳でなく魂(霊)なので、当然かもしれません。
霊性とは神性であり、愛を表現しようとする心と言えるのかもしれません。
そのため、自己を犠牲にして、他者のために尽くせる者ほど、霊性が高いと言えます。
そして、霊性が高くなると、ふさわしい高い知性と、より大きな自由が与えられると考えられます。
そのため、自己を犠牲にして、他者のために尽くせる者ほど、霊性が高いと言えます。
そして、霊性が高くなると、ふさわしい高い知性と、より大きな自由が与えられると考えられます。
ふさわしい高い知性と、大きな自由が与えられるのは、全体のために尽くし、共に繁栄するためなのですが、人間は自分たちの利益のためにしか活用していない様に見えます。
罪のない動物たちを窮地に追いやっていて、人間は地球上で最も進化した生命とは言えないと思います。
同胞間で、いたずらに傷つけ合っている動物は人間以外に存在しません。
罪のない動物たちを窮地に追いやっていて、人間は地球上で最も進化した生命とは言えないと思います。
同胞間で、いたずらに傷つけ合っている動物は人間以外に存在しません。
なぜ、このような事態になってしまったのでしょうか?
人は霊的な存在であることを、すっかり忘れてしまったからだと思います。
目に見えるものだけを信じてしまい、魂の存在を無視し続けたためと思います。
さらに言えば、魂から生まれている想いに気付かなくなってしまったためだと思います。
目に見えるものだけを信じてしまい、魂の存在を無視し続けたためと思います。
さらに言えば、魂から生まれている想いに気付かなくなってしまったためだと思います。
多くの人は、目に見えて触れられる肉体が、自分と確信しています。
存在を実感できるので無理はありませんが、本当の自分とは、実感できない魂です。
存在を実感できるので無理はありませんが、本当の自分とは、実感できない魂です。
10年前の私がそうだったように、実感できない魂の存在を、頭ごなしに信じろと言っても、それは無理な話です。
人間は、霊的な力(生命力)を魂が受け取って生かされているのですが、残念ながらこの世では感得できません。
しかし、霊的な力の働きにより、常識では考えられない現象が引き起こされる時があります。
長い間、病気で苦しんでいた人が、霊的な力により癒される現象は、聖書の中だけの話ではなく、現代においても起きています。
愛する人を喪い、深い悲しみの最中にいる人が、霊の働きにより、故人の想いを知らされ、癒される現象が現実に起きています。
そんな経験をした人の多くは、霊的な世界が実在していることを知り、魂の存在を信じるようになります。
魂の存在を信じる人たちが、まだ信じていない人たちに、真実を広めて行けば、世の中は確実に変わって行きます。
人間は、霊的な力(生命力)を魂が受け取って生かされているのですが、残念ながらこの世では感得できません。
しかし、霊的な力の働きにより、常識では考えられない現象が引き起こされる時があります。
長い間、病気で苦しんでいた人が、霊的な力により癒される現象は、聖書の中だけの話ではなく、現代においても起きています。
愛する人を喪い、深い悲しみの最中にいる人が、霊の働きにより、故人の想いを知らされ、癒される現象が現実に起きています。
そんな経験をした人の多くは、霊的な世界が実在していることを知り、魂の存在を信じるようになります。
魂の存在を信じる人たちが、まだ信じていない人たちに、真実を広めて行けば、世の中は確実に変わって行きます。
人間を含め、地上の生物は、次元の異なる魂と肉体から構成される、2元的な存在と言えます。
魂が上位に位置し、肉体は魂の表現媒体(道具)に過ぎません。
精神は魂と肉体の間に介在し、両者の橋渡しの役割を担っていると思われます。
次元が異なると言うと、全く別の隔絶された世界に思えてしまいますが、両者には連続性があるので、バイブレーションの違う世界と言った方が、適切なのかもしれません。
当たり前のことですが、AMラジオの受信機でFM放送は聴けません。
周波数と言うバイブレーションが違うからです。
紫外線や赤外線は、目に見えません。
目に見える光線のバイブレーションから、外れているからです。
同じく、バイブレーションの高い魂(霊)は、バイブレーションの低い肉体(物質)では感知できません。
魂は存在しないのではなく、肉体(眼)で認識されないだけです。
魂が上位に位置し、肉体は魂の表現媒体(道具)に過ぎません。
精神は魂と肉体の間に介在し、両者の橋渡しの役割を担っていると思われます。
次元が異なると言うと、全く別の隔絶された世界に思えてしまいますが、両者には連続性があるので、バイブレーションの違う世界と言った方が、適切なのかもしれません。
当たり前のことですが、AMラジオの受信機でFM放送は聴けません。
周波数と言うバイブレーションが違うからです。
紫外線や赤外線は、目に見えません。
目に見える光線のバイブレーションから、外れているからです。
同じく、バイブレーションの高い魂(霊)は、バイブレーションの低い肉体(物質)では感知できません。
魂は存在しないのではなく、肉体(眼)で認識されないだけです。
人と人は、言葉でコミュニケーションをしています。
物事を詳細に伝えるためには、言葉が介在しなければいけません。
言葉なしには、社会生活は成り立ちません。
物事を詳細に伝えるためには、言葉が介在しなければいけません。
言葉なしには、社会生活は成り立ちません。
伝えているのは、物事だけではありません。
自分の想い(感情)を周囲に伝えなければ、円滑に生活が出来なくなります。
赤ちゃんは一人では生きて行けないので、全身で想いを表現して、親に伝えています。
私の家の犬は、自分の想いを、しっぽや表情、鳴き声などで表現して、周囲に伝えています。
この世は、魂から生じた想いを、肉体を使って表現して伝える世界と言えます。
人間は成長するのに従い、身体ではなく言葉により、想いを表現するようになっていきます。
喜びを言葉で表現するのは、比較的簡単かもしれませんが、怒りを相手の気分を害さずに、上手に言葉で伝えるのは至難の技です。
嫉妬の想いを、表現して伝える言葉はあるのでしょうか?
深い悲しみを表現する妥当な言葉は、見つけられるのでしょうか?
この世は、自分の想いを、正確に相手に伝たえるのが困難な世界と言えます。
自分の想い(感情)を周囲に伝えなければ、円滑に生活が出来なくなります。
赤ちゃんは一人では生きて行けないので、全身で想いを表現して、親に伝えています。
私の家の犬は、自分の想いを、しっぽや表情、鳴き声などで表現して、周囲に伝えています。
この世は、魂から生じた想いを、肉体を使って表現して伝える世界と言えます。
人間は成長するのに従い、身体ではなく言葉により、想いを表現するようになっていきます。
喜びを言葉で表現するのは、比較的簡単かもしれませんが、怒りを相手の気分を害さずに、上手に言葉で伝えるのは至難の技です。
嫉妬の想いを、表現して伝える言葉はあるのでしょうか?
深い悲しみを表現する妥当な言葉は、見つけられるのでしょうか?
この世は、自分の想いを、正確に相手に伝たえるのが困難な世界と言えます。
相手に正確な想い(気持ち)が伝わらなければ、お互いの認識にズレが生じます。
ズレが大きくなると、誤解が生じ易くなります。
誤解が積み重なっていくと、苛立ちが生まれ、怒りとなってしまうかもしれません。
怒りが大きくなり、限界を超えると、争いとなってしまう可能性があります。
私たちは、お互いの想いを理解するのが難しい世界に生きて、争いを回避するには、お互いの想いを理解しようとする姿勢が必要なのかもしれません。
さらに人間は、大脳を働かせた生活を強いられています。
私の1日の行動を振り返ってみても、朝から晩まで、頭(大脳)を使った生活をしています。
パソコンに向かって事務的な作業をしたり、スマホでメールをしたり、文字や数字を追いかけながら書類を書いたり、何気なく毎日している仕事でも、常に頭が働いています。
大脳が活発に働いている時は、人の想いを感受している魂は、ほぼ休眠状態となっています。
現代に生きる人は、1日中、大脳ばかりを働かせている生活をしているために、人の想いに気付けなくなっていると思います。
私の1日の行動を振り返ってみても、朝から晩まで、頭(大脳)を使った生活をしています。
パソコンに向かって事務的な作業をしたり、スマホでメールをしたり、文字や数字を追いかけながら書類を書いたり、何気なく毎日している仕事でも、常に頭が働いています。
大脳が活発に働いている時は、人の想いを感受している魂は、ほぼ休眠状態となっています。
現代に生きる人は、1日中、大脳ばかりを働かせている生活をしているために、人の想いに気付けなくなっていると思います。
日常生活において、習慣となっている動作や、事務的な思考などは、精神と肉体の活動で行われていると考えられます。
しかし、深刻な出来事が身に起きると、魂にまで響いて、何かしらの想いが生まれているはずです。
そんな時、人は頭を働かせて対処しようとするために、生じている想いになかなか気付きません。
しかし、深刻な出来事が身に起きると、魂にまで響いて、何かしらの想いが生まれているはずです。
そんな時、人は頭を働かせて対処しようとするために、生じている想いになかなか気付きません。
さらに、科学は目に見えない、非物質である魂の存在を、否定し続けています。
ところで、目に見える物質とは何なのでしょうか?
数十年前、私の学生時代には、物質は原子と電子から成り立っていると教えられました。
物理学に詳しいわけではありませんが、物質は素粒子という、これ以上細分化できない粒子が振動して、形態として認識されるという、難解な理論が、今では定説となっているようです。
どうやら物質は、私たちがイメージしているものとは大きく異なり、振動しているエネルギーの一種のようです。
難しいことを書くつもりはありませんが、科学的な常識は、時と共に覆されているのは確かなようです。
もしかしたら、目に見える物質と、目に見えない魂の間には、大きな隔たりはないのかもしれません。
ところで、目に見える物質とは何なのでしょうか?
数十年前、私の学生時代には、物質は原子と電子から成り立っていると教えられました。
物理学に詳しいわけではありませんが、物質は素粒子という、これ以上細分化できない粒子が振動して、形態として認識されるという、難解な理論が、今では定説となっているようです。
どうやら物質は、私たちがイメージしているものとは大きく異なり、振動しているエネルギーの一種のようです。
難しいことを書くつもりはありませんが、科学的な常識は、時と共に覆されているのは確かなようです。
もしかしたら、目に見える物質と、目に見えない魂の間には、大きな隔たりはないのかもしれません。
生命とは何なのでしょうか?
活動し、個を維持し、種を後世に残していくものには違いありませんが、最先端の科学をもってしても、生命の実体は見出されていません。
多くの優秀な科学者が、日々研究しているにもかかわらず、糸口さえも掴めていません。
その理由は、科学の対象となる肉体(物質)の中には、生命の本質は存在していないからだと思います。
活動し、個を維持し、種を後世に残していくものには違いありませんが、最先端の科学をもってしても、生命の実体は見出されていません。
多くの優秀な科学者が、日々研究しているにもかかわらず、糸口さえも掴めていません。
その理由は、科学の対象となる肉体(物質)の中には、生命の本質は存在していないからだと思います。
魂(霊)こそが、生命です。
この事実を認めない限り、人を悩まし続けている死や病気を、理解するのは不可能です。
多くの人は、死後の世界を夢物語のように感じています。
しかし、この世から消えてなくなってしまった人が、次の世界で生きているのは、明白な事実です。
現代医学で原因不明とされる病気は、このままでは解明されないと思っています。
なぜならば、多くの病気の原因は霊的次元にあり、研究対象である物質(肉体)を調べても、無意味と思われるからです。
物質の概念が時代と共に大きく変化してきたように、どれ位先になるかは分りませんが、生命の概念も大きく変化する日が必ず来ます。
物質という枠が取り払われ、魂の存在が公然の事実となり、死も病気も怖れるものではなくなる日が来ると思います。
この事実を認めない限り、人を悩まし続けている死や病気を、理解するのは不可能です。
多くの人は、死後の世界を夢物語のように感じています。
しかし、この世から消えてなくなってしまった人が、次の世界で生きているのは、明白な事実です。
現代医学で原因不明とされる病気は、このままでは解明されないと思っています。
なぜならば、多くの病気の原因は霊的次元にあり、研究対象である物質(肉体)を調べても、無意味と思われるからです。
物質の概念が時代と共に大きく変化してきたように、どれ位先になるかは分りませんが、生命の概念も大きく変化する日が必ず来ます。
物質という枠が取り払われ、魂の存在が公然の事実となり、死も病気も怖れるものではなくなる日が来ると思います。
科学は、心や感情を、全て大脳の働きで説明しようとして、頓挫しています。
魂が投影され認識されたものが心(精神)であり、想いが表在化したものが感情と、私は思っています。
もしそうであれば、魂の存在を否定すれば、そこから生まれている言葉にならない想いを無視してしまうことにつながるのではないかと思います。
この世は、元々想いが伝わりにくい世界であるのに、現代の生活は頭を使った生活を強いられ、科学は魂の存在を否定しているために、他者の想いに極めて鈍感になってしまったと思います。
魂が投影され認識されたものが心(精神)であり、想いが表在化したものが感情と、私は思っています。
もしそうであれば、魂の存在を否定すれば、そこから生まれている言葉にならない想いを無視してしまうことにつながるのではないかと思います。
この世は、元々想いが伝わりにくい世界であるのに、現代の生活は頭を使った生活を強いられ、科学は魂の存在を否定しているために、他者の想いに極めて鈍感になってしまったと思います。
動物も、当然ですが魂があり、想いは生じています。
動物は、進化の程度に応じた想い(感情)を持っていると思います。
人と共に生活している動物には、悲しみ、寂しさ、恐れ、喜び、同情、嫉妬と言った、人間のような想いが芽生えていると考えています。
動物たちは、魂に従って生きていますが、人間は頭でいろいろと考え、そこから多くの選択肢が生まれ、直観として魂が指し示す方向に進むとは限りません。
魂が指し示す方向に従って生きれば、他の生命と協調し、調和を保ちながら、平和な生活ができるのですが、自分たちのことだけを考えて生きれば、それは自然法則に反しているために、周囲との間に不調和が生じてしまいます。
環境破壊も、戦争も、自分たちのことばかりを考えて行動してしまったことが根本原因であり、他者や動物たちのことを考えて行動していれば、このような結果は生まれなかったでしょう。
動物は、進化の程度に応じた想い(感情)を持っていると思います。
人と共に生活している動物には、悲しみ、寂しさ、恐れ、喜び、同情、嫉妬と言った、人間のような想いが芽生えていると考えています。
ぼくはどうなるの? |
動物たちは、魂に従って生きていますが、人間は頭でいろいろと考え、そこから多くの選択肢が生まれ、直観として魂が指し示す方向に進むとは限りません。
魂が指し示す方向に従って生きれば、他の生命と協調し、調和を保ちながら、平和な生活ができるのですが、自分たちのことだけを考えて生きれば、それは自然法則に反しているために、周囲との間に不調和が生じてしまいます。
環境破壊も、戦争も、自分たちのことばかりを考えて行動してしまったことが根本原因であり、他者や動物たちのことを考えて行動していれば、このような結果は生まれなかったでしょう。
世の中で起きる全てのことは、自然法則の働きによるものです。
自然法則に逆らうと、苦痛を伴う出来事が生じて、その過ちを償わなければなりません。
問題なのは、原因を作った当事者が苦痛を感じているのではなく、何の罪もない人や動物が、苦痛を味わっていることです。
他人事のように感じてしまいますが、本来は当事者たちが味わなければならいものです。
私も車に乗り、パソコンを使い、恩恵を享受している当事者側にいるので、大きなことは言えません。
少なくても、人や動物の想いには、敏感でいたいと思っています。
自然法則に逆らうと、苦痛を伴う出来事が生じて、その過ちを償わなければなりません。
問題なのは、原因を作った当事者が苦痛を感じているのではなく、何の罪もない人や動物が、苦痛を味わっていることです。
他人事のように感じてしまいますが、本来は当事者たちが味わなければならいものです。
私も車に乗り、パソコンを使い、恩恵を享受している当事者側にいるので、大きなことは言えません。
少なくても、人や動物の想いには、敏感でいたいと思っています。
人や動物を不幸にしてまで、自分が幸せになりたいとは思いません。
自分だけの幸せは、ありえません。
本当の幸せは、他者の喜びの中にあります。
今の私に出来る事は限られていて、ささやかなものですが、継続していきたいと思っています。
自分だけの幸せは、ありえません。
本当の幸せは、他者の喜びの中にあります。
今の私に出来る事は限られていて、ささやかなものですが、継続していきたいと思っています。
魂が存在するか、しないのか論争する時間はありません。
疑う余地のない事実です。
魂に目覚めるとは、本当の自分に目覚めることです。
そして、人や動物たちの想いに気付くことです。
喜びだけでなく、悲しみや痛みも共有することです。
悲しみや痛みを共有することにより、そこから思いやる心が生まれ、言葉や行動を通して愛が伝わっていき、傷ついた者が癒されます。
疑う余地のない事実です。
魂に目覚めるとは、本当の自分に目覚めることです。
そして、人や動物たちの想いに気付くことです。
喜びだけでなく、悲しみや痛みも共有することです。
悲しみや痛みを共有することにより、そこから思いやる心が生まれ、言葉や行動を通して愛が伝わっていき、傷ついた者が癒されます。
より多くの人が、魂の存在、自分の霊性に気付けば、世の中は明るい方向に進んで行きます。
見えるものだけが全てだと思えば、悲惨な方向に進んでしまいます。
見えるものだけが全てだと思えば、悲惨な方向に進んでしまいます。