2014年11月21日金曜日

ガンは本当の自分に出会うためにある


ガンと言う病気を、医者から告知された時の気持ちは、経験した人でなければ分からないと思います。

目の前が真っ暗になり、心は真っ白になってしまい、その後の記憶が抜け落ちてしまっている人もいると聞きます。

それくらいの衝撃が患者さんを襲い、言い知れぬ恐怖に包み込まれてしまうのでしょう。

ガンから連想されるものが、限りない苦痛の末に待ち受けている死だとすれば、当然、そうなってしまいます。



ガンを人体に入ってきた侵入者と考えれば、異物であるため、取り除かれるべきです。

しかし、ガンは異物ではなく、変化して協調性を失った、生きている自分自身です。

自分の一部には変わりないので、排除のみを目的とした医学的処置には、疑問を感じざるを得ません。

少数ですが、(西洋)医学的治療に頼らずに治癒している人がいるのは、興味深い事実です。

変化した自分を排除するよりも、何が原因で自分(細胞)が変化してガンが生まれたのかを探る方が、根本的な治癒につながる可能性があり、より大切だと考えています。



人はガンを知っているようで、実は何も知らないのかもしれません。

血液検査、レントゲン検査、病理検査等からは、ガンの本質を知るための情報は、何も得られません。

知らないために、怖れや不安が生まれて、対応の仕方を誤ってしまう可能性があると考えています。

そのために、日本で年間30万人以上の人が、この病気で亡くなっていると思われます。



西洋医学は、病気を診断して治療を行いますが、診る対象は肉体に限られています。

近年になり、精神は病気に関係していると認めつつありますが、定量化できず、客観的評価も難しいために、治療の対象とはなっていません。

多くの病気は、客観的評価ができる物質(肉体)次元ではなく、内的で主観的な次元に根本的な原因があると思われます。



解剖学書を開くと、人体の隅々まで調べられ、細部まで名称が付けられているのが分かります。

しかし、人を成り立たせているのは、骨や筋肉、脳や臓器などで構成される、人体だけではありません。

医学書には書かれることのない、人体とは次元を異にする、魂が存在しています。

生命の本質であり、精神と人体を支配し活動させている、本当の自分です。

実に単純明快なのですが、唯物的な科学手法では、魂の存在を証明できないため、否定され続けています。

けれども、証明されなければ存在しないと結論付けるのは、大きな誤りです。

もしそうであれば、「生命」そして「心」の本質は、未だ証明されてないため、存在しないことになってしまいます。



科学はミクロの世界を探求し続け、物質は原子と電子から構成されるという概念からさらに進み、素粒子の振動という域にまで踏み込んでいます。

質量はヒッグス粒子が作り出す、動きの抵抗のようなものであることも分かってきました。

固体(物質)は中身がぎっしりと詰まっていようですが、実際はスカスカであり、素粒子の振動が作り出す錯覚により、そう見えているだけです。

質量が、素粒子により作り出されていると、誰が想像したでしょうか。

魂が存在する事実よりも、物質である人体は素粒子の振動により形態を作っているという事実の方が不可解であり、私の理解を超えています。



目に見える光粒子の振動を可視光線と呼びますが、目に見えない振動域に、赤外線や紫外線が存在しています。

肉体は低い振動をしているので目に見え、魂は高い振動をしているので目に見えないだけであり、現代科学ではその振動を検出できないと考えるのは、無理があるのでしょうか。

新たな事実は、その時代の理解の一歩先に在るために、容易に受け入れられないのは、歴史を振り返れば明白です。

人々を苦しめているガンについても、現時点で分っているのは一側面です。

全体像を知るためには、視点を変えて、視野を広くする必要があるのかもしれません。

きわめて重要な事実が、徐々に明かされていったとしても、残念ながら、受け入れられるのは、もう少し先になると考えられます。

今日、常識と思われていたことが、近い将来、非常識となる可能性があることを、十分に承知していなければいけません。



医学的に見たガンは、遺伝子のコピーミスにより無秩序に分裂を繰り返す細胞の集合体と言えます。

放置すれば、肉体は死の転帰を辿る病と考えられています。

ガンを肉体的次元から見ればそうなります。



私は、多くのガンの原因は、霊的次元の魂に存在していると思っています。

魂に存在する原因の結果として、ガンが生じていると思っています。

魂が癒されると、肉体上のガンも癒されると思っています。

ガンを作ったのは自分であるので、治していくのも自分だと考えています。

死に至らせる病ではなく、自分を変えるためにある病だと考えています。



人は何のために、生きているのでしょうか?

肉体が自分と考えると、その答えは見つけられません。

生まれて、生きて、死んでいくだけです。



魂が自分と考えると、答えは見つかります。

肉体は死んでも、生命は魂であるため、生き続けます。

死とは、肉体と魂の分離であり、魂の去った肉体は土に帰りますが、肉体から解き放たれた魂に、何も変化はありません。

宗教的概念ではなく、誰もが経験する自然現象であり、神の法則の働きによるものです。



この世を生きているのは、本当の自分を成長させるためです。

本当の自分は、鏡に写るその身体ではなく、その身体を見ている精神(心)のさらに奥にある、魂です。

この世で苦難に出会うのは、乗り越えていく中で、本当の自分を成長させるためです。

そして、「愛」という最も大切なことに気付くためです。

愛を表現していくことで、本当の自分は成長していきます。



この世では、魂から生じた想いを、肉体で表現しています。

想いは脳で作られるのではありません。

想いは魂から生まれ、精神に投影され、脳内で物質(電気)的に変換されて指令となり、肉体を動かして表現されます。

肉体を動かしているのは魂であり、肉体がひとりでに表現することはできません。

肉体は魂に従い、すべての肉体的表現は魂から生じる想いによるものです。



原因不明の多くの病気は、霊的次元(魂)に原因があり、魂のありさまが、肉体上に表現されたものと考えています。

平和、協調、調和を欠いてしまった魂のありさまが、平和、協調、調和を欠いたガン組織として肉体上に表現されています。

魂のありさまの変化は五感により知ることができませんが、肉体の変化として表現されれば、五感により知ることができます。



魂が平和、協調、調和を欠いてしまうのは、肉体により表現されることのなかった、たくさんの想いが滞っているためです。

その想いは、喜びではなく、怒り、憎しみ、恨み、妬み、貪欲といった、「愛」に反する想いです。

滞っている、想いのしこりがあるために、魂のありさまが変わってしまい、さらに摂理に反する想いが生じ続けています。



この世は、さまざまな出来事を経験するようになっており、それを正面から受け止め、乗り越えていかなければいけません。

それが自分を成長させることにつながり、この世を生きる意味そのものであるからです。

魂のありさまがかわってしまうと、人生で起きた出来事から生じる想いは、乗り越えようとするものではなく、怒ったり、憎んだり、恨んだり、妬んだりと言った、自分の成長を妨げる想いに転化されてしまいます。

その想いを、外に向かい表現してしまえば、人を傷つけてしまったり、憎しみの種を植えつけてしまうかもしれません。

これでは、魂が成長するどころか、新たに罪を背負ってしまいます。

しかし、表現されなければ、魂に滞り、さらに大きな想いのしこりとなっていきます。

そして、魂のありさまは、本来の姿は失われ、より異質なものとなっていきます。

肉体は魂を表現する媒体であるため、肉体上のガンは、魂に滞っている想いの反映ということになります。

ガン細胞が増殖しているは、表現されない想いがさらに大きくなっているからと考えられます。



不運を嘆いたり、将来を悲観するのはやめましょう。

つきまとう恐怖や不安を、追い払いましょう。

ガンは死に追いやる病ではありません。

想いを表現できずに、押し殺して生きてきた自分に気付くためにある、神の摂理です。

神の摂理が働き、ガンという病気にならない限り、本当の自分を取り戻すことは困難だったと思われます。

本当の自分に出会うために、必要だったのです。



人生のシナリオは、「本当の自分」を主役として書かれてます。

本当の自分が主役でなければ、シナリオ通りの成長は得られません。

周りを注意深く見ながら、合わせて、表面をなぞるように生きようとする、「この世を演じている自分」もいます。

この世を演じている自分と、本当の自分がいて、同じ肉体を通して、2つの表現をしています。

この世を演じている自分と、本当の自分の間に、埋められないほどの隔たりが、知らず知らずのうちに出来てしまっています。

人生の主役は、この世を演じている自分ではなく、本当の自分であるべきです。

残念なことに、この世を演じている自分が主役になってしまっていることが多いと思われます。

そうすると、本当の自分から生まれた想いを、この世を演じている自分は封印していまい、表現されなくなります。

本当の自分からは、絶え間なく想いが生まれていますが、この世を演じている自分は、その想いを無視して、主役を演じ続けます。

この世を演じている自分は、人生のシナリオ通りに出来事が生じた時に、怒りや憎しみや恨みや嫉妬の想いや、不平不満をまき散らすだけで、逃げようとします。

まき散らしたその想いは、別の出来事に形を変えて、この世を演じている自分に降りかかります。

その降りかかった出来事により、この世を演じている自分は耐え難い苦痛を感じます。

そして、頼るものは何もないところまで追い詰められ、この世を演じている自分は、ついに逃げ出します。

ひっそりと隠れていた、本当の自分が表舞台に出てきます。

本当の自分が、やっと人生の主役につきます。



本当の自分(魂)は、人生のシナリオのすべてを知っています。

人生のシナリオには、魂を成長させる、さまざまな出来事が散りばめられています。

その1つ1つの出来事を乗り越えながら、大切なことを学んで行きます。

自分(魂)を成長させるのは、楽しい出来事よりも、つらく、悲しい、悲劇や苦難とも言える出来事だと、本当の自分は知っています。



つらく、悲しい出来事にも、本当の自分は悠然と立ち向かい、無事に乗り越えて行けるようになっています。

なぜなら、人生のシナリオを考案したのは神であり、乗り越えられないほどの苦難は、決して生じないからです。

どんなに無理に思えても、必ず乗り越えて行けることを、本当の自分は知っています。









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