人は何のために生きているのか?死んだ後はどうなるのか?その明確な答えが「シルバーバーチの霊訓」の中にありました。本当の自分とは魂です。この世を生きるたった1つの目的は、魂を成長させるためです。人生で出会う障害や苦難を乗り越えること、人や動物そして社会のために奉仕することで、魂は成長していきます。死んだ後、魂は次の世界に移り、この世を振り返る時が必ず来ます。悔いのない様に、失敗を怖れず、今を大切にして生きましょう。
2014年6月20日金曜日
神の摂理に合わせて病気を治す
世の中には、病気で大変つらい思いをされている方がたくさんいます。
医療に携わる人は、患者さんの健康を回復するために、日々研鑽、努力しています。
その努力にもかかわらず、日本において、30万人以上がガンにより亡くなられています。
根本的な治療を確立するためには、ガンの原因について解明されなければいけません。
ガン発症のリスク要因(喫煙、飲酒、肥満等)についての研究データは豊富にありますが、残念ながら、主因については、未だ解っていません。
主因が解らないまま、目に見えるガンを消滅させようとする治療が、多くの人に不利益をもたらしているように思えます。
ガンの主因を見つけられないのは、医学が対象としているものの中には、ないからだと思います。
人は、肉体と精神から成り立っていると考えられています。
しかし、精神(心)はどこから生まれるのか、解っていません。
大脳皮質における化学伝達物質の反応により生じるという説明では、とても納得することはできません。
膨大な脳の研究によっても、人の性格や考え方の多様性を説明することは不可能です。
生命とは何か?という根源的な問いに対しても、科学は答えを見出せずにいます。
生命、心の正体を突き止められないのは、科学が対象としているものの中には、ないからだと思います。
未知の領域である、魂(霊)に踏み込んでいけば、説明は簡単となります。
生命とは肉体を超えた魂であり、心は大脳からではなく、魂から生じるものであり、そのために多様性を持ちます。
そう考える方が自然だと思いますが、残念ながら、医者や科学者は、霊(魂)の存在を、認めていません。
触れてはいけない、入ってはいけない領域だと思っています。
しかし、霊と肉体は不可分であり、健康と密接に関わっていることは、明白な事実です。
その(霊的な)知識なしに、病気の本質を理解することは、不可能だと断言します。
人は肉体を超えた存在であり、生命力で生かされています。
肉体は土に還っても、生命は存続します。
その厳粛な事実を、謙虚に認めることから、すべてが始まります。
私はシルバーバーチの霊訓から、崇高な霊的真理を学びました。
多くの病気の根本原因は魂にあり、神から生命力が流れ込むことにより、病気が癒やされることを知りました。
途切れることなく、神から生命力が流れ込んでいます。
しかし、その実感はありません。
そのため、生命力の存在を信じるのは容易ではありません。
約7年前に、思いもよらず、治癒力が出現しました。
病気の人に、私の左手を置くとエネルギーらしきものが上腕から前腕、そして指先に伝導していき、患者さんに流れていくのを、はっきりと感じます。
そのエネルギーらしきものは生命力であり、患者さんに治癒力として働いていることを、経験を通して確信するに至りました。
過去のブログにもある内容ですが、ガンで苦しんでいる患者さんが、少しでも良くなることを願って、あらためて書きます。
目には見えませんが、魂は間違いなく存在します。
生命の本体であり、意識の本体です。
魂は、神の一部であり、神とつながっています。
魂は、神からに流れ込む(生命)力により生かされています。
生命力は神の力であり、神の心である愛を表現しようとする力です。
魂は生命力により、愛を表現しようとしますが、表現するには媒体が必要となります。
肉体は、地上の人が魂を表現をするための媒体です。
間断なく、魂から想いは生じています。
想いは精神を経由して、肉体で表現されます。
人は、肉体を使い、言葉、表情、行動により、想いを表現します。
この世を生きている人の魂は、さまざまな進化の過程にあります。
進化した魂は、神の力である愛を忠実に表現しようとしますが、進化が足りなければ愛が歪められてしまう時もあります。
怒り、憎しみ、恨み、妬みなどの想いは、神の力である愛が歪められてしまった結果です。
人は生きていると、思いもよらぬ、つらい出来事に遭うことがあります。
その出来事により、魂から様々な想いが生まれます。
想いは精神を経由し、感情となり、肉体(言葉や行動)で表現されますが、強い抑制がかかると、想いを表現できないことがあります。
つらい出来事から生じた、怒り、恨み、憎しみ、妬みなどの摂理に反する想いが、表現されずに留まると、やがて魂のありさまを変えていきます。
愛が歪められ、怒り、恨み、憎しみ、妬みを帯びた想いが、魂から生じるようになっていきます。
そのため、怒りやすくなったり、許せなくなったり、認めようとしなくなったり、協調しなくなったり、欲深くなったり、摂理に反した行いとして、表現されてしまいます。
摂理に反した想いを抱き、それを表現するのが習慣になってしまうと、過ちに気付き、自らの力で改めるのは困難になっていきます。
そして、神の摂理である因果律が作動します。
その結果として、病気が生じることがあります。
病気になれば、苦痛を経験しなければいけません。
苦痛の経験は、摂理に反した想いを抱き、表現した、相応の償いです。
償いであるとともに、魂を向上させていきます。
魂が向上すると、他者の想いを理解できるようになります。
愛の大切さに気付き、愛を表現するようになります。
神の愛を表現することは、魂を向上させることであり、生きている意味そのものです。
従って、病気は、生きている意味を取り戻すためにある、神の摂理と言うことになります。
ガンは、不運でも偶然でもなく、神の摂理によって生じます。
死に至らせるため、苦痛を与えるだけの病では、決してありません。
原因は魂にあり、肉体の病変はその結果を見ているに過ぎません。
魂のありさまの変化が、肉体のありさまの変化として表現されています。
もしかしたら、魂にありさまを変えてしまうような、とてもつらい出来事があったのではないでしょうか。
その記憶は薄れても、魂にはしっかりと刻まれています。
つらい出来事によって生じている想いは、固く、深く根を張り、魂にしこりとなっています。
想いを表現するのに、大きな障害となっています。
愛を素直に表現することが、どうしてもできなくなっています。
その人にふさわしい愛の表現ができるようになるために、魂にまで響く、深刻な事態が、神の摂理である因果律により生じます。
とてもつらいことですが、絶望の淵に立ち、耐え難い苦痛を味わい、頼るものは何もなくなり、観念しかけた時に、それまで眠っていた魂が、ようやく目を覚まします。
魂が目覚めると、生命が輝きだし、しきりに愛を表現しようとします。
愛を表現することで、神とのつながりがさらに深まり、より多くの生命力(神の愛)が魂に流れ込み、その力により、想いのしこりは徐々に消えていきます。
想いのしこりが消えていくととも、魂のありさまが変わり、やがて肉体のしこりも消えていきます。
想いを表すのに、さえぎるものは消えてなくなり、魂は本来の姿を取り戻し、その人にふさわしい愛を、素直に表現できるようになります。
病巣が消退していき、健康になり、前の生活を取り戻したいと望むのは当然です。
痛みとの闘い、恐怖と不安との闘いを、早く終わりにしたいと願うのは当然です。
愛の想いを抱き、愛の表現を出来るだけしていきましょう。
やさしくすること、思いやること、いたわること、慰めること、励ますことは、立派な愛の表現です。
許すこと、認めることも、自己を忘れた愛の表現です。
感謝の気持ちを表すのは、相手に喜びや満足を与えるので、大切な表現だと思います。しかし、慣れてしまうと忘れがちになりますので、注意して下さい。
笑顔も、人だけに許された、ささやかな愛の表現です。
しかし、病気になると、したくてもできないことが多くなってしまいます。
マザー・テレサは、こう言っています。
「私たちは、この世で大きいことはできません。小さなことを、大きな愛をもって行うだけです」と
感謝の想いを込めて、笑顔で「ありがとう」と言いましょう。もし、言えなければ感謝の想いを送りましょう。
自分なりに、自然に、素直に、愛を表現をしていきましょう。
神の摂理である愛を表現することで、より多くの生命力が魂に流れ込み、ありがたい自然治癒力となり働きます。
病気を治すために、からだを養生することは大切です。
それ以上に、神の摂理に合わせることは大切だと思います。
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