人は何のために生きているのか?死んだ後はどうなるのか?その明確な答えが「シルバーバーチの霊訓」の中にありました。本当の自分とは魂です。この世を生きるたった1つの目的は、魂を成長させるためです。人生で出会う障害や苦難を乗り越えること、人や動物そして社会のために奉仕することで、魂は成長していきます。死んだ後、魂は次の世界に移り、この世を振り返る時が必ず来ます。悔いのない様に、失敗を怖れず、今を大切にして生きましょう。
2013年11月3日日曜日
病気の癒やし
ヒーリングについては、わからないことだらけです。
直接、触れて行なうこともあれば、遠く離れた場所にいる患者を思い描き治癒力を送ることもあります。
どちらも同等の効果があると言われており、私の経験からもそうだと思います。
ラジオの電波は、距離が遠くなったり、山が立ちはだかったりすると、受信しにくくなりますが、治癒力は距離や地形的な制約を全く受けないことからも、地上的(物理的)なものではないことが分かります。
しかも、一面識もない方であっても、正確に力は届きます。
ヒーラー側からの思念により患者との間にリンクが出来るということですが、リンクが出来たという実感はありません。
私がヒーリングの時にすることと言えば、穏やかな気持ちを保ちながら病気が癒されていくイメージを思い描き、あとは委ねるだけです。
しばらくすると、左腕から指先に向かってしびれが伝わっていく感覚が、次第に強くなっていき、どこかに向かって放散していきます。
会ったこともない方に力が届けられること自体、私の理解を超えていますから、今回はうまくいくのだろうかと気になります。
後で、ヒーリングしている時の様子を聞かせてもらうことにしていますが、多くの人が眠気を感じてうとうとしたり、患部がぴりぴりしたり、体が暖かくなるのを感じたりする様です。
痛みなどの症状がその場で改善していたり、あるいは症状の改善があったことを教えてもらうと、今回もうまく力が届けられたと安堵し、うれしくなります。
ただ、病気がどの様なメカニズムで癒やされるのか、私には分かりません。
シルバーバーチの霊訓の中に書かれているところがありますが、言語で説明しにくいことだけは確かな様です。
また、霊訓の中で病気について度々述べられていますが、その中に(患者自身で)「治せない病気はない」と言っているのが特に心に残ります。
肉体を支配している魂が、病気を追い出すよう命じればできるということなのです。
医学では魂(霊)の存在を否定してるので、ナンセンスなことと一蹴されてしまうでしょうが、魂をはっきりと自覚した上で、相応の段階まで進化していればきっと可能なのでしょう。
魂を表現しているのが肉体であれば、魂の不健全さは時として肉体に病気として顕れます。
熱心なキリスト教信者の肉体に現れる聖痕(スティグマ)も、魂のありようが肉体上に顕れた典型ではないかと考えています。
もしそうであれば、魂が浄化されていけば肉体も浄化されるということであり、病気も治癒していくことになります。
ただし、浄化されるには相応の期間、病気の苦痛を経験しなければいけません。
病気になったのは因果律の結果であり、手術をして病巣を取り除いても、薬で症状が改善しても、それは肉体次元での対処療法に過ぎず、根本原因に対する霊的な償いは必要となります。
原因となっているのは、摂理に背いた想いや価値観にとらわれた生き方と、不自然な生活習慣にあると考えられます。
もう1度、静かに見つめ直し、過ちに気付いたら素直に認め、改めることが何よりも大切です。
摂理を一言に集約すれば「愛」です。
摂理に背いた想いとは憎しみであり、恨みであり、妬みであり、生きているだけで幸せなことなのに、多くのものを求めようとする生き方です。
摂理に適った生き方は、他者の気持ちを察し、いたわり、やさしくすることから始まると思います。
許すことも「愛」の一つの表現です。
病気になった運命を恨んだりしてはいけません。
何かの意味を持って病気になったと受け止め、すべてを受け入れ、病気さえも許すことにより、心の平穏が保たれると思います。
その心の平穏さが、肉体の調和を乱している病気を、鎮めていくのではないでしょうか。
子供のころ私も、親や先生に良く叱られていました。
何か悪いことをして叱られることがほとんどであり、それに気付き、反省し、時に罰を受けて、最後は許してもらった記憶があります。
病気になるということは、人に代わって神に叱られているということであり、摂理に従うように促されているのだと思います。
つらくて、痛くて、苦しくて、耐えられない時を送っている方ほど、多くの償いをされているわけですから、許される時が近づいているはずです。
もしかしたら、明日の朝かもしれません。
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