2013年11月14日木曜日

ガンを愛する



少年の時、私も宇宙飛行士になりたいと思っていました。

宇宙空間から地球を眺めたかったからです。

スペースシャトルに搭乗した宇宙飛行士の方も、きっと皆そうだと思います。

船窓から地球を眺めて国境線がどこにも見えないことに感慨を覚えるそうです。

地球は限りなく美しい1つの生命体だと言われた方もいます。



地球には多種多様の生物がいて、周りの環境に調和して生きています。

人にはそれぞれ住む国があり、文化や宗教も様々です。肌の色や顔つきも違いますが、広大な宇宙から見れば大した差ではありません。

同じ仲間です。



しかし、地上では争いが絶えることがありません。

お互いを認め合わず、敵対し、さらに好戦的な組織が次々と生まれていきます。

組織を構成している個々の人間は、初めから敵意を抱いていたのではなく、過去に侮辱を受けたり、家族や友人を傷つけられたり殺されたりして、怒りや憎しみの気持ちが生まれて、銃を手にしたのかもしれません。

いかに過激な組織であっても、彼らは彼らなりの理由があります。

9.11テロは赦しがたい非人道的な行為です。

米国は首謀した組織を壊滅させるべく、中東の国々に侵攻して、圧倒的な武力により鎮圧させようとしました。

結果はどうでしょう。

平和は生まれず、混迷が深まるばかりです。

原因は組織ではなく、怒りや恨みそして憎しみにあるからです。

組織を消滅させても、あらたな憎しみを生み出すだけであり、争いが治まることはありません。



力ずくで問題を解決しようとすると一旦は静かになりますが、根本的な原因は依然としてそのままであり、さらに大きな争いが起きることになります。

お互いを認めあい、同じ人間という同胞精神のもと憎しみや怖れを抱かなくなれば、傷つけあうことはなくなるでしょう。

相手と共に生きようとする気持ちを持つことが、平和への第一歩だと考えられます。



話は変わりますが、からだの中にも様々な組織があり、それぞれが欠かすことの出来ない存在として調和して働き、肉体を維持しています。

組織の細胞は絶えず新生していますが、時に細胞分裂が正常に行われず、ガン細胞を造り出してしまいます。

免疫システムの監視をくぐり抜けたガン細胞は増殖を続け病気として発症し、多くの人は恐怖を感じ、それを異端な組織として手術をして肉体から取り除こうとします。



取り除けば肉体上の健康を取り戻しますが、しばらくの期間を経て再発してしまうことがあります。

残された治療法として、抗ガン剤の投与が開始され、終わりのないガン細胞との徹底抗戦が始まります。

敵であるガン細胞は、薬の攻撃を受け撤退していきますが、味方である正常細胞も大きなダメージを受け、強い副作用として現れます。

薬という援軍により、劣勢に回ったかに見えたガン細胞は、耐性という戦略をとり、失地を回復していきます。

より強くなったガン細胞を攻撃するために、さらに強い薬がを投入されることになりますが、強い薬ほど副作用も強くなるのが一般的です。

薬によりガンは強力になっていくのに対し、身体は副作用により徐々に衰弱していきます。

そんな戦争みたいなことが繰り返されていくうちに、身体は傷つき、消耗して力尽きていきます。

そして両者が負ける引き分けとなります。



戦争が生み出すものは、平和ではなく憎しみであり、新たな戦争です。

神の摂理である因果律が働いて、そうならざるを得ないのです。

ガンという病気も、同じに思えてなりません。



薬でガンを攻撃すれば因果律が働き、結果として強く攻撃性を増したガン細胞が生まれてくると考えられます。

根本的な原因は肉体次元ではなく霊的次元にあり、平和、協調、調和を欠いた魂が肉体上に顕れたものがガンであると考えられるからです。

もし、魂が平和、協調、調和を取り戻したなら、肉体のガンも鎮まっていくはずです。

戦争も人々が平和、協調、調和の心を取り戻したのなら、治まってくるでしょう。

すべてを解決することができるのは、「愛」しかありません。

遠い昔、ユダヤの地で「汝の敵を愛せよ」と言った人がいました。

実に難しいことですがそれしかありません。

できたのならすべてが好転します。



ガンは、自らの原因で作り出した、自らの体の一部です。

敵対して攻撃するのではなく、自らの一部として受け入れ、共に生きていこうとし、愛の心でガンさえも包み込むことができたなら、因果律の結果としてガンの存在理由はなくなり、身体に平和が訪れるのかもしれません。





参考ページ: 「ガンは愛により癒される」 




 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2013年11月13日水曜日

ガンの治療について



以前に、「抗ガン剤と自然治癒力」というタイトルでブログを書きましたが、いろいろなことが整理されつつありますので、改めて書きたいと思います。

個人的な意見として、ご覧下さい。



ガンという病気には様々な治療法がありますが、手術をして根治を目指す患者さんがほとんどだと思います。

しかし、手術によりガン組織が、体から取り除かれたかに見えても、ガン細胞は体のどこかで生き残り、年月を経てまた姿を現すことがあります。

人は肉体、精神、霊から成り立っているため、病気には肉体的、精神的、霊的次元での原因があります。



外傷などは、物理的な侵襲が体に加わり起こるので、原因は肉体的次元のものです。

精神(心)的次元に原因がある病気として、胃潰瘍があり、強いストレスを感じることにより、肉体に変化(病変)を起こします。

現代医学により原因が解明されていない多くの病気は、霊的次元で原因が存在すると推察されます。



ガンは、平和、協調、調和を欠いた魂のありさまが、病気として肉体に顕れたものと考えています。

神の御心は愛であり、平和、協調、調和の心も愛から生まれます。

それらを欠くことをは、摂理に背いたことになり、病気などを通し相応の苦痛を経験することになります。

ガンという苦難を通して、生命や愛の大切さに気付けば、心は平和、協調、調和を取り戻し、生き方も摂理に適ったものに変わっていくと思われます。

つらく苦しい経験であっても、魂のありさまが変わり、摂理に適った生活をし始めることができたなら、ガンという病気になったことに重大な意味があったことになります。



しかし、病気になったのは運が悪かっただけ、取り去ってしまえばお終いと思ってしまうと、大切なことに気付くことはありません。

手術で肉体上の病気はなくなったように見えても、霊的次元での原因は存在し続け、肉体上に再び顕れることもあるでしょう。

再発はガン患者さんにとっ、て最も避けたかった事態です。

その心境は経験したものでなければ、とても分からないと思います。

この過酷で深甚な経験は、魂にまで響くことになり、生命というものを強く意識させるとともに、愛こそがもっとも大切だと気付かせることになります。

これらすべてのことは、内在する魂を目覚めさせるためにある、神の摂理です。



ただ、患者さんには家族があり、仕事があり、その先の人生がありますので、何とか生きていたいと強く願うのは当たり前のことです。

そんな時に、医者から提示されるのが抗ガン剤治療であり、少しでも良くなって欲しいという思いから受け入れます。

周知のことですが、抗ガン剤はガン細胞の増殖を抑制すると同時に、数々の副作用があり、患者さんを容赦なく苦しめることになります。

病気の苦痛は神が創った摂理であり、大切ものに気付き、魂を目覚めさせるという大きな意味を持ちます。

しかし、副作用の苦しみは人間が作った薬から生み出されるものであり、病気の苦痛とは違い何ら意味を持たないと考えています。

そればかりか、大切なものに気付く機会を奪い、愛する者とすばらしい時を過ごす大きな妨げになっていると思われます。

全く不必要な苦痛であり、貴重な時間が奪われていると思えてなりません。

また、薬を研究開発のため、罪のない動物たちを実験材料にしていることも、摂理に大きく背いた行為です。



そして、抗ガン剤には、骨髄機能の抑制という大きな副作用があります。

骨髄は血液を造り出し、その中にガンなどの異物を排除してくれる免疫細胞が含まれます。

免疫細胞が少なくなれば免疫機能は低下します。

つまり、抗ガン剤はガン細胞の増殖を一時的に抑えることになりますが、免疫機能を低下させることにもなります。

例えて言えば、皿の汚れをガン、洗剤は抗ガン剤、そして流水は治癒(免疫)力とすると、水道の蛇口を絞ってしまう様なものです。

洗剤をいくら使って皿から汚れを排除したとしても、流水が少なくなってしまえば皿から汚れは流れ落ちず、きれいになりません。

神が創った免疫システムの働きを、人間が作った薬により抑制されてしまうことが許されるのでしょうか。



再発したガン組織はある程度の大きさになっていて、全身に転移していることもありますので、免疫力ですべて消滅させることは難しいのかもしれません。

しかし、神から与えられた免疫という治癒力を十分に発揮することができたなら、進行を遅らせたり、止めたりすることは十分可能だと思います。



治癒力を最大限に発揮させるには、心を穏やかに生活して、病気は必ず治るという強い信念を持つことだと思います。

すべてのものを慈しみ愛する気持ちも大切です。

つらい抗ガン剤の副作用により、心が不穏になり、信念が揺らいでしまって、治癒(免疫)力が低下することが何より心配です。






参考ページ: 「ガン(癌)は怖くない!」      

         
         「ガンの自然治癒」


       
         「ガンは愛により癒される」

        
         「ガンは魂のかさぶた」









2013年11月9日土曜日

ガンとは何なのか



子供の頃、ガンは怖い病気だけど、大人になる頃には医学が進歩して治療方法が見つかり、死んでしまうことはなくなっているだろうと漠然と考えていました。

大人になった今でも、残念ながら決定的な治療法は見つかっておらず、死因のトップはガンです。



近年の検査器機の進歩は目覚しく、より早期の発見が可能となり、手術方法も日々改良され、抗がん剤などの薬も多数開発されています。

それにもかかわらず、ここ数十年、ガンの死亡率に大きな変化は見られません。

また、ガンを発生させるリスク因子の究明も進み、発がん物質の使用を規制したり、個人においても健康志向の高まりとともに、禁煙する人や食事内容に気を遣う人が増えてきています。

ガンを予防する知識の普及にもかかわらず、ガンの罹患率は減少するどころか増加傾向にあります。これはどう解釈すればいいのでしょう。



結核などの細菌感染症で亡くなる方は、抗生物質の発見により激減しました。

原因は細菌という顕微鏡により目で確認できるものであり、それを消滅させれば治癒となります。

細菌感染症と同様に、ガンも手術により身体から取り除き、残っているガン細胞を抗がん剤で死滅させるという考えに則って治療は行われていますが、実際には日本で約30万人もの方がこの病気で亡くなっています。

ガンという病気は、そんな単純なものではないのかもしれません。

ガンの発生は、遺伝的要因や環境的要因など複数の因子が関係してると言われ、免疫力もガンの発症に強く関わっていると考えられます。

最近の研究で、強いストレスを感じるとNK細胞(免疫)の活性が低下することが分かっています。

NK細胞はウィルスやガン細胞を探知して攻撃する細胞ですから、ストレスによりNK細胞の活性が低下すれば、ガンが発生しやすくなると考えられます。



ストレスを感じているのは心ですから、心とガンは密接な関係があることは明白で、ガンの罹患率が年々増加してきているのは、ストレスを強く感じさせる世の中になってきているためと考えてもおかしくはありません。

経験的に、多くのストレスは人間関係や過労から生まれると思います。

そして、余裕のない社会や個人の心が、多くの人の心に新たなストレスを、次々と生み出していきます。

社会がゆとりを失い、気持ちに余裕がなくなると、他者のことまで考えなくなりがちです。

どうしても自分優先となり利己的になっていきます。

利己的な心は神の心である「愛」と対極にあり、摂理に反するものとなります。

摂理に反した利己的な考えを国が持てば、他国との友好が崩れ、戦争となるかもしれません。

個人が持てば、他者との協調は失われ、孤独になったり、時として病気を経験することになるかもしれません。



ガン細胞の発生は、細胞分裂時の遺伝子の複製ミスにより、起こると言われていますが、細胞分裂は自然の摂理により営まれています。

人がすることにはミスがありますが、摂理を創造した神がミスを起こしているとは考えられません。

1つ1つの細胞は、肉体の上位にある魂の支配下にあり、常に影響を受けていると思います。

利己的な心により平和、協調、調和を欠いてしまった魂が、細胞分裂という動的できわめて繊細な営みに影響を与えて複製ミスが起こり、平和、協調、調和を欠いたガン細胞を生じさせてしまっているのかもしれません。

複製ミスを起こすこと自体も、摂理の1つだと思います。

たとえガン細胞が生じたとしても、自然治癒力として与えられている免疫システムにより感知され、死滅させられるはずですが、不安や心配、恐怖などの心を持ち続けると、治癒力が十分に働かずガン細胞の増殖を許すことになり、病気として発症することになります。

つまり、ガンという病気の発生、発症すべてに神の摂理が働いていて、霊的な原因は摂理に背いた心ということになります。



原因がわかれば対応は見えてきます。

摂理に適うように、他者を慈しみ愛する想いを持ち、表現しましょう。

生きていることに感謝して、心を穏やかにして過ごしましょう。

自分が作った病気なら、自分が病気を治すことも可能なはずです。

末期ガンというのは人が考えた概念です。

そんなものは存在しません。

ガンも自分の肉体の一部であり、魂の支配下にあります。

あなたの魂はすべてを乗り越えていく力を秘めています。

従って病気は治ります。

2013年11月3日日曜日

病気の癒やし



ヒーリングについては、わからないことだらけです。

直接、触れて行なうこともあれば、遠く離れた場所にいる患者を思い描き治癒力を送ることもあります。

どちらも同等の効果があると言われており、私の経験からもそうだと思います。



ラジオの電波は、距離が遠くなったり、山が立ちはだかったりすると、受信しにくくなりますが、治癒力は距離や地形的な制約を全く受けないことからも、地上的(物理的)なものではないことが分かります。

しかも、一面識もない方であっても、正確に力は届きます。

ヒーラー側からの思念により患者との間にリンクが出来るということですが、リンクが出来たという実感はありません。

私がヒーリングの時にすることと言えば、穏やかな気持ちを保ちながら病気が癒されていくイメージを思い描き、あとは委ねるだけです。

しばらくすると、左腕から指先に向かってしびれが伝わっていく感覚が、次第に強くなっていき、どこかに向かって放散していきます。



会ったこともない方に力が届けられること自体、私の理解を超えていますから、今回はうまくいくのだろうかと気になります。

後で、ヒーリングしている時の様子を聞かせてもらうことにしていますが、多くの人が眠気を感じてうとうとしたり、患部がぴりぴりしたり、体が暖かくなるのを感じたりする様です。

痛みなどの症状がその場で改善していたり、あるいは症状の改善があったことを教えてもらうと、今回もうまく力が届けられたと安堵し、うれしくなります。



ただ、病気がどの様なメカニズムで癒やされるのか、私には分かりません。

シルバーバーチの霊訓の中に書かれているところがありますが、言語で説明しにくいことだけは確かな様です。

また、霊訓の中で病気について度々述べられていますが、その中に(患者自身で)「治せない病気はない」と言っているのが特に心に残ります。

肉体を支配している魂が、病気を追い出すよう命じればできるということなのです。

医学では魂(霊)の存在を否定してるので、ナンセンスなことと一蹴されてしまうでしょうが、魂をはっきりと自覚した上で、相応の段階まで進化していればきっと可能なのでしょう。



魂を表現しているのが肉体であれば、魂の不健全さは時として肉体に病気として顕れます。

熱心なキリスト教信者の肉体に現れる聖痕(スティグマ)も、魂のありようが肉体上に顕れた典型ではないかと考えています。

もしそうであれば、魂が浄化されていけば肉体も浄化されるということであり、病気も治癒していくことになります。

ただし、浄化されるには相応の期間、病気の苦痛を経験しなければいけません。

病気になったのは因果律の結果であり、手術をして病巣を取り除いても、薬で症状が改善しても、それは肉体次元での対処療法に過ぎず、根本原因に対する霊的な償いは必要となります。

原因となっているのは、摂理に背いた想いや価値観にとらわれた生き方と、不自然な生活習慣にあると考えられます。

もう1度、静かに見つめ直し、過ちに気付いたら素直に認め、改めることが何よりも大切です。



摂理を一言に集約すれば「愛」です。

摂理に背いた想いとは憎しみであり、恨みであり、妬みであり、生きているだけで幸せなことなのに、多くのものを求めようとする生き方です。

摂理に適った生き方は、他者の気持ちを察し、いたわり、やさしくすることから始まると思います。

許すことも「愛」の一つの表現です。

病気になった運命を恨んだりしてはいけません。

何かの意味を持って病気になったと受け止め、すべてを受け入れ、病気さえも許すことにより、心の平穏が保たれると思います。

その心の平穏さが、肉体の調和を乱している病気を、鎮めていくのではないでしょうか。



子供のころ私も、親や先生に良く叱られていました。

何か悪いことをして叱られることがほとんどであり、それに気付き、反省し、時に罰を受けて、最後は許してもらった記憶があります。

病気になるということは、人に代わって神に叱られているということであり、摂理に従うように促されているのだと思います。

つらくて、痛くて、苦しくて、耐えられない時を送っている方ほど、多くの償いをされているわけですから、許される時が近づいているはずです。

もしかしたら、明日の朝かもしれません。