人は何のために生きているのか?死んだ後はどうなるのか?その明確な答えが「シルバーバーチの霊訓」の中にありました。本当の自分とは魂です。この世を生きるたった1つの目的は、魂を成長させるためです。人生で出会う障害や苦難を乗り越えること、人や動物そして社会のために奉仕することで、魂は成長していきます。死んだ後、魂は次の世界に移り、この世を振り返る時が必ず来ます。悔いのない様に、失敗を怖れず、今を大切にして生きましょう。
2012年9月14日金曜日
霊的真理を伝える その2
今週も障害者施設に行き、気になるM君のところに顔を出しました。
相変わらず1人で部屋に残り、ビデオを観ていました。
やはり、現状に対する不満と将来への失望が強く、「あーあ」とか「どうせ」という言葉が口から出ます。
自分では寝返りをすることもできない不自由な身体ですが、彼には「話す」というすばらしい機能があります。
同じ施設に、小学生の時に交通事故に会い、脳の損傷により、軽度の知的障害と下半身麻痺と左目の失明、そして言語機能を失ったY君がいます。
元気で明るく、優しい子です。
時々、お父さんが昼食を一緒に食べに訪ねてきてきます。
自分の持ってきた弁当をY君に食べさせているお父さんの姿を見ていると、わが子に対する愛情をひしひしと感じます。
ある時、Y君に「お父さんにありがとうって伝えたいよね」と言うと、涙を流しながら何回もうなずいていました。
自分の気持ちを伝えられないということはつらいことだと思いましたので、「あと何十年先かわからないけど、お父さんに思いっきり気持ちを伝えられるよ」、そして「本当のY君は身体ではなく心だよ」、「身体は思うとおりに動かなくても心は自由だよ」と言いました。
最初はポカンとしていましたが、しばらくすると満面の笑顔に変わりました。
次に会った時に「この前の話、わかった?」と聞くと大きく右手を上げて「はい」と笑顔で返事をしてくれました。
「この前、話したことの続き、もっと聞きたい?」と尋ねると静かにうなづきましたので、また霊的真理の話をしました。
一方、M君の所へは毎週お母さんが訪ねてきます。
そこで「Y君はお父さんへありがとうと言いたくても言えないけど、M君は言うことが出来るよね。恥ずかしいけどありがとうと言ってみれば、お母さんすごく喜ぶよ」と言いました。
黙って聞いています。
「ありがとうって神様の言葉なんだよ、言われて嫌に思う人はいないよ」と言葉がでてきました。
「M君があーあって言っているのは聞きたくないけど、ありがとうって言葉はみんな大好きで聞きたいよ」、「みんなにありがとうってたくさん言ってみたら、何か変わってくると思うよ」と言いました。1
点を見つめて真剣に聞いてくれていました。
「今、どんなことしたいの?」と聞くと「AKBみたいなかわいい女の子に会いたい」と言われました。
いたって健全な若い男の子です。
かわいい女の子に「M君、頑張ってね!」と言ってもらうのがいいのかもしれませんが、これからも繰り返し、大切なことを伝えていきたいと思います。
2012年9月4日火曜日
神について
霊訓を繰り返し読み、辛い思いをして、そしてヒーリングを重ねていくうちに、霊的真理の理解が少しずつ深まっていきました。
シルバーバーチが説く、因果律、愛、苦しみ、この世で生きている意味など、そのどれもが計り知れない重みがあり、考え方、生き方を根底から変えていきました。
ただ、多くの真理を受け入れていく中で、神についての理解が取り残されていました。
神とは宗教が創り出す精神的産物であり、信じるものだけに存在するものと思っていた私にとって、無縁なものであり、何かにすがりたい弱い人が求めるものとさえ考えていました。
唯物的な考えが強かったため、五感に触れることのない神の存在を否定していたと思います。
シルバーバーチは、私達人間のすべてが神の子であると言っています。
真実しか語らないと分かっていても、神は私とはかけ離れた存在に思えてしまい、しばらく素直に受け入れることが出来ませんでした。
しかし、こんなことをふと考えてみました。
赤ちゃんが可愛く思える心、動物に対する親愛の気持ち、花が美しいと感じる心はどこからくるのか?
もちろん親や先生から教わったことではありません。
本能と言われるものであるならば、他者へ向けてではなく自己へのための欲求であるはずです。
それは、肉体を超越したものではじめから全ての人にあるのではないか。
また、人を傷つけた、裏切ったり、悲しませたりさせてはいけないと思う良心とは一体何なのか。
これに逆らってしまうと、必ず自責の念にかられます。
霊訓の中に、神の監視装置(モニター)と明快に表現しており、確かに私に中にも存在している。
そんなことを考えながら、神の存在を徐々に受け入れていきました。
また、人の物的身体は(地球の物質から創られているので)地球の一部です。
そして、地球は広大な宇宙の一部です。
その宇宙は137億年前ビックバンで誕生したと言われていますが、そのエネルギーは果たしてどこからきたのか?
最先端の物理学、あるいは天文学でも、答えを見出しておらず、ある時偶発的に発生したと考えるのは、あまりにも不自然です。
もし1台の自動車が目の前にあったとしたら、偶発的に発生したと思うでしょうか。
人間が設計し、どこかの工場で作られたと誰もが考えます。
それと同じ様に、人間も宇宙もそれを支配する物理法則も、計り知れない知性がデザインし創りだしたと考えて良いはずです。
その知性、エネルギーとは何なのか。
宗教を信じなくても、自然科学を突き詰めていくと、やはり神にたどり着かざるをえないと思います。
私は神によって創られた神の一部である。
そう考えると深い安堵感に包まれます。
すべてが佳きに計られている、と思えてきます。
自分以外の人も同じく神の一部であると考えると、憎むことは出来なくなります。
それは、神を憎むことになるからです。
同様に、他者を愛することは、神を愛することになります。
霊訓と出会い、神の存在を確信するに至りましたが、摂理に適った生き方をして、より理解を深めていきたいと思います。
2012年9月2日日曜日
霊的真理を伝える
霊的真理は、地上で起こりうる全てのことに、明確な回答を出します。
世の中では、多くの人が苦悩を抱えながら、生きています。
そして、絶望的になったり、時に死を考えたりします。
私は、数年前から仕事が休みの日に、障害者施設でボランティアをしています。
入所者は主に20代の若者であり、 知的障害者、身体障害者、その両者を抱えている者など様々です。
家族と離れて他の障害者と共に寝食を共に しています。
医師、看護師、介護士をはじめ、その他手厚いサポートを受けて、皆さん明るく生活しています。
その中に1人気になる 子がいます。
年齢は20代前半の男性で、重度の身体障害があり、1日の大半をベットの上で過ごしています。
ただ、知的障害はなく、普通に会話が出来ます。先日、訪ねた時も、他の入所者と離れベットの上で1人テレビを 見ていました。
右腕に包帯が巻かれていたので理由を尋ねると、思うようにならないことが多くイライラして自分で噛んだ ということでした。
そして、死にたいともらします。
不平、不満の思いに身体の苦痛と将来への悲観が重なってこの様な言葉が出たのでしょう。
以前から、頭痛や耳鳴りがすることが多く、他の人に気付かれない様にヒーリングをしていました。
「どう良くなった」と尋ねると、うんうんと首を縦に振って教えてくれました。
何回かその様な機会があり、「あなた伝わっているこの力は次の世界からくるのだよ」と言うと、静かに頷いていましたが、納得しているのか定かではありませんでした。
「死にたい」ともらした時に、痛みが強い背中に手を当てながら、本当に死んで(自殺)しまったたら、困難な状況から逃げたことに対する、ものすごい後悔が待っているので乗り越えなければいけないことを、伝えました。
そして、「本当のあなたは心の奥にある魂で、この不自由な身体ではない」こと、「この不自由な体に生まれて苦しい思いをするのは、あなたの向上にとって意味のあること」であり、「いつかはこの身体から開放されて自由になる」と伝えて、最後に「これで終わりじゃない」と繰り返し言いました。
静かに耳を傾けていました。
以前の私でしたら、ただ同情するばかりで掛ける言葉も見つからなかったと思いますが、迷うことなく言葉が出てきました。
霊的真理は慰めではなく、真実ですから、こんな場面で力強く伝えられることが、すごくうれしいのです。
たとえ、今は信じてもらえなくても、いつか真理の種が芽を出してくれると思います。
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