地上を生きていると、喜び、悲しみ、怒りなど、さまざまな感情が生まれます
できれば、笑顔になるような感情をずっと味わっていたいものです。
けれども、そんなわけに行かないのが地上です。
最も味わいたくないものの1つに「後悔」があります。
過去に戻れない、変えることのできない現実が、その想いを生じさせます。
人には神が宿っています。
神は良心となって顕現しています。
私たちが進むべき方向を、良心は瞬時に指し示めしています。
けれども、それに従わずに過った方向に進んでしまうことがあります。
過ちを犯してしまうと良心の呵責が生じます。
それが強いと後悔の念となり、因果律の働きにより、苦しみが生じます。
その苦しみは、過ちに対する償いにもなっていると思います。
人は誰でも苦しみを感じたくありません。
次からは、そのような行いをしないようになります。
悔い改めることで、学びを1つしたことになります。
過ちを犯したわけではないのに、後悔の念が生じる時があります。
望まない出来事が起きたり、良い結果が出なかったりすると、あの時こうすれば良かったと過去を振り返り、後悔しまうことがあります。
幼い我が子を、お母さんが気付かずに車で轢いてしまったという、痛ましいニュースが報道される時があります。
当事者のお母さんは、起きたことをしばらくの間、受け入れることはできないでしょう。
受け入れたとしても、自分が殺してしまったという強い罪悪感、注意していればという激しい後悔の念が待っていると想像されます。
運が悪かったと言う人も多くいるでしょう。
シルバーバーチの霊訓には、こんな問答があります。
アクシデント(偶発事故)というのはあるのでしょうか?という問いに対して
「非常に難しい問題です。というのは、アクシデントという言葉の解釈次第で、イエスともノーともなるからです。動機も目的もない、何か訳の分からぬ盲目的な力で、たまたまそうなったという意味であれば、そういうものは存在しません。宇宙間の万物は、寸分の狂いもなく作用する、原因と結果の法則によって支配されているからです。(中略) 従って、偶発事故の起きる余地はあり得ません。偶発のように見える事故にも、それなりの原因があるからです。ぜひ知っておいて頂きたいのは、法則の中にも法則があり、それぞれの次元での作用が入り組んでいるという事です。平面的な単純な法則ではないのです。よく人間は自由意志で動いているのか、それとも宿命によって操られているのかという質問を受けますが、どちらもイエスなのです。自由意志の法則と、宿命の法則とが入り組んで作用しているのです。」と、シルバーバーチは答えています。
偶然そうなることはないのであれば、運が悪かったと片付けるのは間違っています。
「法則の中にも法則があり、それぞれの次元での作用が入り組んでいる」とありますが、地上では知ることのできない、霊的次元の法則が働いて起きている可能性があります。
霊的次元の法則とはどんなものでしょうか?
前世で人を苦しめる行いをしていたから、因果律の働きににより、このような出来事が起きたと言う人がいるかもしれません。
それを否定はしませんが、私はこう思っています。
神の心が法則となって顕現しています。
神の心は愛です。
愛が法則を貫いています。
その出来事が、偶然ではなく法則の働きによって起きたのであれば、最後には悦びが感じられるようになっているはずです。
何でこんなことが起きてしまうのかと思いを巡らしていたところ、「契約」という言葉が心に浮かびました。
契約とは責任や義務を伴うものであり、約束より重い取り決めです。
お子さんはお母さんを選んで生まれて来ています。
地上に生まれる時に、どのような人生を辿るのかも承知しています。
寿命も決まっています。
過った自由意志を行使して起きた出来事ではありません。
以上のことから、にわかには信じられないのですが、こんなシナリオが導き出されます。
お母さんが関わる事故によって、お子さんが地上を卒業することが、予め決まっていた。
もし、そのことをお母さんに伝えたのなら、そんなことを私が承知するはずは絶対にないと、憤慨されるでしょう。
早く卒業するのは、私が知る限り霊性の高い人たちです。
病気だけでなく、突発的な事故でさえも、それは当てはまります。
早く霊界に戻ることが許された魂であり、愛と悦びに溢れた境涯に赴くことになると思われます。
お子さんとは対象的に、お母さんは地獄にいるような心境と察せられます。
生きていることが許されないと感じながら生きているお母さんもいるようです。
想像もつかない辛い日々を過ごす中で、生き方が変わった人もいるようです。
こう言っているお母さんがいるそうです。
「以前は“ちゃんとした母親”を演じていました。今は、弱い自分のまま人の前に立てます。それが、思っていた以上に強かった。」
この人は後に、事故防止講話やグリーフケアの語り部になったそうです。
こう言っているお母さんもいるそうです。
「もう、失うものがありません。だから逆に、失敗や人の評価が怖くなくなりました。」
この人は、人前で話すこと、自分の過去を語ることを避けなくなり、結果的に社会的な活動が広がったと語っているそうです。


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