2025年2月16日日曜日

病気を癒す


仕事で毎日のように虫歯や歯周病になった患者さんを診ています。

病気には必ず原因があります。

虫歯や歯周病は、プラークと言う細菌の塊によって引き起こされます。

従って、ブラッシングを丁寧に行って、プラークを取り除いてしまえば、病気になることはありません。


人間は肉体、精神、霊(魂)から成り立っています。

全ての病気は、肉体(物質)的、精神的、霊的、どこかの次元に原因が存在しています。

細菌は(顕微鏡下で)目に見えるものなので、虫歯や歯周病は物質的次元に原因があると言えます。



虫歯や歯周病でなくても、歯を抜かなければいけない人が多くなって来ました。

それは、歯根破折と言って歯の根が真っ二つに割れてしまった時です。

歯に持続的に力が加わることによって、歯根破折は起こります。

その大きな原因となっているのは就寝時の歯ぎしりです。

歯ぎしりは昼間のストレスを発散するために行われ、食事をする時の5~10倍の力が歯にかかると言われています。

また、甘い物を食べることでストレスを解消しようとする人がいて、すぐ虫歯になってしまう人もいます。

私の医院を訪れる患者さんは、ストレスと言う精神的次元に原因がある人が多いと感じています。



胃潰瘍やうつ病もそうです。

精神的次元に原因があり、肉体(脳)に異常を引き起こしている病気は少なくありません。

けれども、医学の対象はあくまでも肉体(物質的次元)です。

根本的に治すのには、精神的次元に踏み込まなければいけないのですが、それができないために対処療法に終始することになります。


人生において、さまざまな出来事が起きます。

その時に、さまざまな感情が生じています。

うれしいことが起きれば微笑み、腹立たしいことが起きれば眉間にしわを寄せ怒り、悲しいことが起きれば目から涙が出ます。

生じた感情は、肉体で表現されることによって完結しています。

感情は肉体に変化を起こすエネルギーと言えます。



ところが現代社会では、感情を表に出せない局面が多くあります。

上司から理不尽なことを言われても、怒ることはできません。

部下の態度が悪くても、安易に怒れない時代になっています。

いわゆる感情が抑圧された状態になることが多いです。

感情が表現できずに溜まっている状態を、ストレスとして感じていると考えられます。

運動したり、お酒を飲んだりして、ストレスを発散しようとする人は少なくありません。

これは内に溜まっているエネルギーを、別の形で解放させようとしていると考えられます。



感情の中には、恐怖や不安など解放されにくいものもあります。

2016年のカナダの研究では、幼児期に虐待を受けた人は、成人後にがんを発症するリスクが約47%高いと報告しています。(2020年のアメリカの研究でも同様な結果が出ています)

全ての現象は、自然法則(因果律)の働きによって起きています。

解放されない感情が溜まったことが原因となり、結果として肉体上に病気が生じることがあると考えています。

もし心当たりがあるのならば、目を閉じてその時の自分を心の中で思い浮かべて、優しく抱きしめて、親愛の言葉をかけてみましょう。

その時の感情が、涙となって解放されるかもしれません。




霊的次元にも病気の原因(目的)があります。

必要な霊的な資質を得るため、成長を促すための人もいるでしょう。

苦痛を通して、過去の過ちを償うための人もいるでしょう。

寿命が来て、次の世界に移行するための人もいるでしょう。



「いのちのポラリス」というNPO法人があります。

そこには、現代医療に頼らないでがんを自分で治した人たちが集っています。

治った人たちに共通しているのは、がんになり生き方や考え方が大きく変わったことです。

がんを治すためには、それまでの生き方や考え方を変える必要があると、異口同音に言っています。



それとは別のグループがあります。

末期がんの患者さんたちが富士登山を行って話題になりました。

リーダーの医師は、手の施しようのなくなった患者さんの中に自然治癒する人がいて、それらの人に共通するものを見つけたそうです。

それは「がんになってからの方が、がんになる前よりもずっと幸せを感じている」と言うことでした。



周囲の人たちには、がんになり人間が変わったように見えるでしょう。

そうではなく、幸せが感じられるような生き方や考え方に変わるために、自然法則(因果律)が働いて、がんになったと考えられます。

医学に頼らずに治ったのは、生き方や考え方が変わったこと、もっと言えば本来の自分の姿を取り戻したことで、がんになった目的が果たされたからと考えられます。



ほとんどの人にとって、病気は全く有り難くないものです。

けれども、霊的に見ると違います。

病気の苦痛は、それまで眠っていた魂を目覚めさせます。

霊的に目覚めることで、霊的に大切なものが分かるようになります。

大切なものが分かることによって、初めて生き方や考え方が変わります。



がんが生じるのは自然現象です。

自然現象は自然法則の働きによって起こります。

神の心が、自然法則の働きの中に込められています。



苦しみや痛みを感じさせるためではありません。

命を奪うためでもありません。

本当の自分を目覚めさせ、大切なものに気付かせるために存在している、神の御業(愛)です。



命の危機を感じなければ、目覚めなかったのです。

命や愛や人生について、思いを巡らすこともなかったのです。



荒唐無稽と思われるかもしれませんが、敢えて言います。

大切なことを教えてくれている、大切な自分の一部に、愛念を向けて下さい。

その想いが病気を癒すことにつながると信じています。





2025年2月9日日曜日

与えられた自由意志


人は1日に何回決断をしているのでしょうか?

ケンブリッジ大学の研究によると、何と3万5千回の決断をしているそうです。

朝、目が覚めたら、起きるか、もう少し布団の中にいるかに始まり、どんな服を着るか、何を食べるか、仕事が始まれば決断の連続です。

決断は労力を伴うものです。

アップルの創始者であるスティーブ・ジョブズは無駄な労力を使わないために、いつも同じ服を着ていたそうです。



さまざまなことを決められるのは、他の動物たちと違って人間に自由意志が与えられているからです。

自由意志があって良かったと思いますが、決めたことに対して責任が伴うことを忘れてはいけません。

20年以上前ですが、過った行いをして行政処分を受けて、大変苦しい思いをしました。

その時に霊的真理と出会い「因果律の働き」を思い知りました。

いっそのこと自由意志などなければ、過ちを犯さず、苦しい思いをしなくて済むのにと思いました。



けれども、自由意志がなければ、シルバーバーチが言うようにただの操り人形になってしまいます。

自由意志が与えられたのには、何か理由があるはずです。


宇宙を創造した神は完全です。

私たち人間は、神の心を表現する宇宙の一部として創られました。

けれども、極めて不完全な存在です。



シルバーバーチの霊訓にはこのように書かれています。

「完全が存在する一方には不完全も存在します。しかしその不完全も完全の種子を宿しております。完全も不完全から生まれるのです。完全は完全から生まれるのではありません。不完全から生まれるのです。」

不完全な私たちにも、完全(神)が宿っています。



別のところで、こうも書かれています。

「こう考えるとよろしい。光と鏡があって、鏡が光を反射している。鏡が粗末であれば光の全てを反射することはできない。その鏡を磨いて立派なものにすれば、それだけ多くの光を反射することになります。」

私たちは完全な光(神)を宿していますが、映し出す媒体(自我)が不完全なために、そこから放たれる光も不完全なものになってしまいます。

媒体(自我)が進化するのに従い、表現も完全になって行きます。



完全な神が、何故不完全な存在を創ったのかは分かりません。

それでも、こんな風に思えるのです。

完全(100%)は変化しようがありません。

不完全であればこそ、完全に向けて変化の余地が残されています。

完全へ向けての変化が進化であり、進化こそが生命創造の目的になっていると考えています。



変化しているのは生命だけではありません。

物質もミクロの原子からマクロの宇宙まで常に変化しています。

神の創ったもの全てが、自然法則の働きによって、進化して行きます。



生命(魂)には、完全に向けて進化しようとする根源的な欲求が存在しています。

けれども、人間には自由意志があります。

そのために、完全とは違う方向に行ってしまうこともあります。



自然法則の働きの中に、神の心が顕現しています。

自由意志により不完全さが表現されると、自然法則(因果律)が働いて、苦痛を伴う事象が生じます。

わがままばかりを言っていると、疎外されるのもそうです。

孤独という苦痛を経験して、不完全な表現(わがまま)を改めて、協調的な行いをするようになります。

自然法則の働きによって、神の心を学びながら、完全に近づいて行きます。



神の意図は完全です。

無駄なものは一切ありません。

全ての生命は、全体のために役割りがあって存在しています。

それぞれが役割りを果たすことによって、全体に調和が生まれ、美しくなって行きます。

そして個の進化が促されます。

個々が進化することで、全体が進化して、神の意図する世界となって行きます。



神は進むべき方向を、良心の声として示しています。

進化を妨げる行いをしようとすると、良心が咎めるようになっています。

いざ行ってしまうと、良心の呵責を感じるようになっています。



生れる前に決めていたことであれば、それを知っている霊的な自我(インディビジュアリティー)は、その方向へ進もうとします。

進化のために計画された人生であることを忘れてしまっている地上の人のために、守護霊が付いています。

目的を果たすために、生涯に渡って守り導いています。



見捨てられることがないのは、神は自然法則の働きとして顕現しているからです。

良心の声を無視したり、守護霊の働きかけに気付かず、進化を妨げる方向に行ったとしても、自然法則の働きにより苦痛を伴う事象が生じ、過ちに気付いて、進化を促す方向へと軌道修正されます。



明日も、たくさんのことを決めなければいけません。

大切な決断をする時は、直感を信じるようにしましょう。

直感とは、霊的なインスピレーションです。

霊的な自我(インディビジュアリティー)の訴え、内在する神(良心)の声、あるいは背後霊の働きかけを、インスピレーションとして受け取っていることがとても多いです。

自分の頭で考えたことよりも、広く、深く、先まで見渡せています。



時に直感は、難しい方、避けたい方、面倒な方向を指し示すかもしれません。

けれども、その方向は自らの学びや成長につながっているので、後悔することはありません。



進化を促す方向に行くのか、進化を妨げる方向に行くのかを決めているのは自分です。

決めたことに対する責任を地上の人に取らせるために、守護霊と言えども干渉できません。

無事に進化を促す方向に進んで行くことを決めたのなら、惜しみのない援助を始めるでしょう。



どんなに抗ったとしても、結局は神の心を表現する方向へと進んで行くことになります。

もしそうであるならば、遠回りをしないで、最初からそちらに行く方が良いのに決まっています。





2025年2月2日日曜日

良い種を蒔く

   
          

種が地面に落ちます。

しばらくすると、地面から芽を出します。

そして陽を浴びながら生長して行きます。

そのどれもが自然現象です。



全ての自然現象は、自然法則の働きによって支配されています。

この世界の秩序は、自然法則の働きによって保たれています。



自然法則の根幹を為すのは「因果律」です。

原因があれば結果が生じ、結果には原因があります。



生命が誕生するのも自然現象です。

自然法則の働きによって、私たちは生まれて来ています。



(地上の)生命の誕生とは、受胎の瞬間です。

肉体と生命(魂)が結合し、地上の人生が始まります。

受胎という自然現象が結果ならば、その原因は受胎前にあるということになります。


病気には原因があります。

タバコを吸えば肺疾患に、お酒を飲み過ぎると肝疾患になるリスクは高くなります。

神経を遣い過ぎると、胃潰瘍になる時もあります。



多くの遺伝性疾患は原因不明とされています。

受胎時に遺伝性疾患は生じるので、原因は受胎前にあります。

ところが、医学では受胎前に生命は存在しないことになっています。

原因は物質的次元ではなく霊的次元にあると考えられるので、受胎前に生命が存在していることを認めない限り、医学で突き止めることは不可能です。



霊的次元の病気の原因(目的)は、自分に足りない資質を手に入れるためかもしれません。

持っている資質をより向上させるためかもしれません。

過去の人生で拵えた借りを返すためかもしれません。

いづれにせよ、霊的成長に関わっているのは間違いありません。



種には、生長と繁殖と言う目的(原因)が宿されています。

その結果として芽が出ますが、それには十分な水分、適度な温度、土壌が適しているなどの条件が整っていなければなりません。



人間も同じと考えられます。

成長という目的が存在しなければいけません。

それに適した環境がなければいけません。

少なくても、この2つの条件が整わない限り、生まれて来ることはないと考えています。





生まれる前にいたのは、ストレスフリーな世界です。

肉体がないので、食べて行くために働く必要もなく、病気の苦しみや痛みもありません。

周囲には自分と似た人しかいないので、人間関係で苦しんだり悩むこともありません。

争いはなく、平和で穏やかな世界です。




そんな世界を離れて、苦しみや痛みや争いが存在する地上に、どうして生まれて来たのでしょうか?

シルバーバーチの霊訓にはこう書いてあります。

「地上の人類はまだ痛みと苦しみ、困難と苦難の意義を理解しておりません。が、そうしたもの全てが霊的進化の道程で大切な役割を果たしているのです。過去を振り返ってごらんなさい。往々にして最大の危機に直面した時、最大の難問に遭遇した時、人生で最も暗かった時期がより大きな悟りへの踏み台となっていることを発見されるはずです。」

苦痛や困難を伴う出来事が起きる世界だからこそ、その経験を通して学べる大切なことがあるようです。




およその人生は、生まれる前に決まっています、

無限の叡智によって、個々の目的を果たすために最適な人生が立案されます。

その人生を了承して、私たちは母体に宿ります。

いざ生まれてしまうと、その時の記憶が上って来ることはありません。(一部の幼児などは除く)


小学生の時、休日に父に連れられて映画を観に行きました。

「007」シリーズの映画でしたが、父は時間がなかったのか、途中から館内に入りました。

その時スクリーンに映っていたのは、ジェームズ・ボンド(主人公)がカーチェイスをしているクライマックスシーンでした。

しばらくするとジェームズ・ボンドは敵に勝利し、映画が終わりました。

当然のことですが、その前を観ていないので、何でカーチェイスをしているのか、さっぱり分かりませんでした。



人生も同じような気がします。

今の人生は、過去からつながっています。

けれども、私たちが知ることができるのは、生まれてから現在までです。

何で起きているのか分からない出来事は、知ることができない過去の人生に原因(目的)があるのかもしれません。



分からなかった原因(目的)は、寿命が来て生まれる前にいた世界に戻ると分かるようになります。

全ての出来事が、因果律の働きによって連綿と続いていて、遠い過去から現在に至っているのが分かります。

偶然や不運ではなかったことが分かります。



途中から館内に入った父と私ですが、最初から観ることにしました。

何とつまらない時間だったでしょう。

感動も半減でした。

クライマックスシーンとその結果が分かっていたからです。

それまでの物語の展開は、クライマックスシーンに向けて準備されたもののように感じられました。



もし、計画されている「人生のシーン(出来事)」が分かっていたらどうでしょう?

映画と同じようにつまらなく、感動のないものになってしまうような気がします。

地上にいる私たちは、過去も未来も知る必要はなく、今を精一杯生きていれば良いのです。



この人生は過去の人生の結果と言えます。

同時に、未来の人生の原因となっています。

蒔いた種を刈り取りながら、種を蒔いているのです。



良い結果を収穫したいのであれば、良い種を蒔くしかありません。

良い種とは、神の心に叶った行いです。

それは難しいものではなく、誰かのために何かをすることです。

もっと簡単に言うと、よろこぶことをすれば良いのです。

許すことも含まれるでしょう。



よろこぶことをすれば、よろこびとなって返ってきます。

形を変えて返って来ることもあります。

今生ではなく、来世で返って来ることもあるでしょう。



因果律の働きは完璧です。

神の心に叶った生き方は、魂の成長となって結実します。