2023年2月26日日曜日

夢想 ~この戦争の終わらせ方~


全国で大学入試が行われています。

神社に行き、合格祈願をする人は少なくありません。

祈ることで、不安な気持ちが和らぐような気がしますが、点数を取れば合格し、取れなければ不合格となる現実は変わりません。

もし、結果が変わってしまうのであれば、公正とは言えません。



この世界は、目に視えない自然法則(因果律)の働きにより、完全な公正が保たれています。

自然法則の働きに適った行いは成就し、反した行いは頓挫するようになっています。



読売新聞オンラインより
ロシアのウクライナへの侵攻が始まり、1年が過ぎました。

その動機は利己的です。

人を傷つけ、国土を破壊する行為は、自然法則の働きに反しています。

始めた時点で、頓挫する運命にあります。



今、私たちが生きているのは物質的な世界です。

そのため結果が直ぐに現れるとは限りません。

不公正がまかり通っているように見える時があります。

けれども、頓挫させる事象(結果)がどこかで生じます。

過ちに気付き、悔い改めることになり、公正さを取り戻すようになっています。



今の状況はロシアにとって想定外です。

自然法則の働きによるものでしょうが、そんなことなど知る由もありません。

思い描いていた通りになりそうもないと感じ始めています。

しかしながら、引くに引けません。

撤退すれば国家の威信は失われ、罪を問われることになるからです。

負けることが許されす、勝つこともできない、出口の見えないこの戦争を終わりにする方策は見当たりません。



トルコの地震で倒壊した建物 © Sputnik / Sertaç Kayar
トルコで大地震が起きました。

たくさんの建物が倒壊し、5万人以上の人が亡くなりました。

今もたくさんの人たちが助けを求めています。



今すぐに、ロシアはこう宣言したらどうでしょうか。

「隣国であるトルコを助けることを最優先する。」

ウクライナからロシア軍を直ちに撤収させて、その足で黒海の対岸にあるトルコの被災地に向かわせます。

銃をスコップに持ち替えさせ、戦車から重機に乗り替えさせて、瓦礫の前で助けを求めている人たちのために働きます。



復興には、膨大な人力を必要とします。

数十万の兵士の力は頼りになるでしょう。

たとえ本心からではなかったとしても、負けを認められないロシアの事情を察して、トルコの人たちは快く受け入れてくれるかもしれません。



人を傷つけ、街を壊す行為は、事態を悪化させるだけです。

これ以上戦況が悪くなると、(核兵器の使用など)起きてはならないことが起きてしまうかもしれません。

人を助け、街を建て直す行為は、自然法則に適っているので、事態を好転させます。

失墜した信用を、少しでも回復させることにつながります。

夢みたいな話だと笑われてしまうかもしれませんが、これが最善の方策だと私は思います。



自然法則の働きは完璧です。

犯した罪から逃れることはできません。

それぞれの人に、過不足のない償いが待っています。



償いをしている時、その人の魂の成長は止まります。

戦争で殺された人たちは、この世で予定されていた成長ができません。

大切な人を奪われた人たちには、怒りや憎しみや失望が生まれて、成長の妨げとなります。

良心の声を無視して引き金を引いた人は心に深い傷を負い、成長が妨げられてしまいます。

多くの人の成長を妨げてしまう愚かな行為が戦争です。



人は物的にばらばらです。

けれども、霊的に1つです。

人を傷つけるのは、自分を傷つけているのと同じです。

一蓮托生なのです。

人類の進化の妨げてしまう戦争を、一刻も早く終わりにしなければいけません。






2023年2月19日日曜日

頂(死)に向かって歩み続ける


小学校5年生の夏休みに、父親に連れられて富士登山をしました。

富士吉田側の五合目から登り始めましたが、八合目を過ぎてから急に節々が痛くなり始めました。

吐き気も催してしまい、動けなくなってしまいました。

高山病に罹ったようで、登山を断念せざるを得なくなりました。

山頂からご来光を見れなかったのは残念でしたが、その夜はたまたま流星群の日だったようで、満天の星空にいくつもの流れ星を観ることができ、良い思い出となっています。



富士山もそうですが、一般的に山の麓はなだらかです。

標高が高くなるのに従い、勾配がきつくなります。

気温は低下し、酸素も薄くなるので、登る人にとって大変です。



人生も同じような気がします。

年を重ねるのに従い、背負うものが重くなります。

さまざまな経験を積み重ねながら、魂が成長して行きます。

成長に応じた難度の高い出来事が、その先で起きるようになっているので、大変さが増しているように感じるのかもしれません。



登り坂がようやく終わります。

楽になると思ったら、目の前にまた登り坂が現れます。

いつになったら平坦な道になるのかと思いつつ、息を切らしながら登って行きます。


                                                

突如、絶壁が立ちはだかる時もあります。

見上げると、険しくてとても自分には登れないと思ってしまいます。

登ることができるからこそ、自分の前にこの絶壁が現れたはずです。

そう言い聞かせ、勇気を出して一歩を踏み出すしかありません。


途中で、楽しそうに遊んでいる人たちの姿が見えます。

こんな疑問が頭の中に湧きます。

「何でこんな苦しい思いをしてまで、登らなければならないのか?」



登ろうと思わなければ、山にいるはずがありません。

自分自身で決めたので、今、こうして登っているのです。

楽しそうにしている人を見て羨ましがったり、嘆いてしまうのは、そのことをすっかり忘れているからです。


道が樹木で覆われている時もあります。

その先がどうなっているのかは分かりません。

目の前に道が続いているだけです。


霧に包まれて、道に迷ってしまいそうになる時もあります。

私たちは1人で登っているのではありません。

迷わないように、専属のガイド’(背後霊)が付いています。

直感(導き)を信じて、登って行くしかありません。


道は険しさを増して行きます。

けれども、1度登り始めたら、退路は断たれ、後戻りはできません。

one-wayです。



ずり落ちながら、這いつくばりながらでも、何とかして登ろうとします。

そこまでして登ろうとするのは、自分で自分に約束をしていたからです。

自分にした「登る」という約束を破りたくないからです。



肉体は限界に達しつつあります。

終わりが近づいています。





最後の力を振り絞って上に登ると、一気に視界が開けます。

山頂です。

今までの苦しみが嘘のようになくなっています。




あの苦しかった登り坂が、より高みへと導いていたのです。

いくつもの急坂を苦しい思いをして登って来た人ほど、山頂で待っている光景はすばらしいものになります。




地上での苦しみは、霊的な成長として報われています。

成長した悦びへと変わります。

そんな慈愛に満ちた法則を創った偉大なる存在に深く感謝します。






どれくらい経ってからでしょうか、もっと高い山に登りたくなります。

人間にとって、成長する以上に大切なものはないからです。

生きる意味そのものだからです。

再び山の麓に立ち、はるか先にある頂を目指します。










2023年2月12日日曜日

神性に意識を向ける



私たちは自分とは違う人たちに囲まれながら生活しています。

違う人たちと接することで、自分にはない良いところを学ぶことができますが、時に腹立たしい思いをする時もあります。



死んであの世に行くと、周囲には自分と同じような人間しかいません。

腹立たしさを感じる要素が取り払われ、平穏に過ごすことができる反面、周囲から学ぶことも少なくなります。

地上でしか学べないことがあったので、生まれて来たと考えられます。



ところで、人に騙されたとしたらどうでしょう?

腹立たしくなります。

騙したり、嘘を付くのは、自然法則に反した行いです。

自分の中にある「良心」が反応して、過ちを質したくなる衝動が生まれます。



人と意見が対立したらどうでしょう?

腹立たしさを覚えるかもしれませんが、その時は良心とは別のところが反応していると考えられます。



地上の人間には自我(エゴ)が存在します。

エゴは、自分と違うものを認ようとしないところがあります。

他者との違いに反応して、腹立たしさを覚えたり、排除しようとすることがあります。

差別的な行為が起きるのも、エゴがあるためです。



家庭内のいざこざも、世界で起きている戦争の多くも、元を正せばお互いの違いから起きています。

他者の意見や考え方を認められず、腹立たしさを感じるのであれば、それは自分のエゴが反応しています。

エゴから生まれた感情を表現してしまうと、相手に同様の感情が生じ、因果律の働きにより、一層、腹立たしさを感じる言動が返って来るでしょう。

エゴから生まれる感情の応酬をしているうちに、争いに発展してしまう可能性があります。



過去の自分が、原因を作っていることもあります。

私たちは無意識のうちに、エゴから生まれた感情を表現しています。

それが時を経て、自分に返って来ることがあります。



自分に原因はなく、相手のエゴから生じた言動を受けることもあります。

それにより、感情が高ぶってしまうこともあります。

そんな時は、エゴではなく、自らの中に存在する「神性」で対応するのが良いと考えられます。



神性とは、親切、同情、寛容、慈悲、哀れみ、友情、無私の愛を表現しようとする自分(魂)の中にある神の部分です。

生まれてから身に付けるものではなく、初めから備わっています。

助けたい、悪いことをしたくないと理屈なしに思うのも、私たちの生命(魂)の中に、良心と言う神性が組み込まれているからです。


エゴは、外部の環境に影響され、絶えず揺れ動いています。

神性は、何事にも動じず、何人にも侵されることはありません。

自分の中にある聖域です。



たとえ実感がなくても、そんな聖域があります。

不完全な自分の中にある、完全なる部分である神性を強く意識しましょう。

そうすることで、相対的にエゴから意識が逸れ、心が穏やかになって行くのを感じられるはずです。



他者のエゴを意識すると、自分のエゴが反応します。

他者の神性を意識することによって、自分の神性が意識されて、無用な感情が生じるのを抑えることができます。



神の力は無限です。

エゴから生まれる好ましくない感情を、自分の中にある神性によって鎮めることができます。

感情を抑圧するのとは違います。

神性に心を委ねることにより、エゴから感情が生じなくなります。

憎しみを哀れみに変えることができます。



全ての人に神性があります。

エゴにより埋もれてしまっているだけです。

エゴの働きが強くなり過ぎると、因果律が働いて、苦痛を伴う出来事が起きることがあります。

それにより、魂が目覚め、埋もれていた神性が顔を出すようになるのかもしれません。



親友が去年、悪性度の高いガンになり、命が危ぶまれました。

幸いにして、今は病状が落ち着いていますが、心境に変化がありました。

全く興味のなかったボランティア活動を始めようとしています。

また、保健所から犬を引き取り、飼い始めようとしています。

病気の苦痛により、友人の中にあった神性が顔を出して、そんな気持ちになったと思います。(ヒーリングに参加した下さった同志の方に、本人に代わり改めて御礼申し上げます。)



神性が発揮されると、時に奇跡のようなことが起こります。

2004年に新潟中越地震が起きました。

震源地に近いトンネル内で、親子3人が乗った車が岩盤崩落に巻き込まれました。



レスキュー隊が現場に到着した時「子供がいます」と、お母さんと思われる声を聞いたそうです。

そのため「3名の生存を確認」と長岡市の災害対策本部に連絡したそうです。

懸命な救助作業の末に、生存リミットを超えた4日後に、2歳の男の子だけが救出されました。

タイヤの下と岩盤の間に、男の子は紙おむつの姿でいたそうです。(下図)

お母さんとお姉さんは、崩れ落ちた岩盤の下敷きになり即死状態だったそうです。

出典:STORIES OF SURVIVORS

その後、お母さんの生存情報は誤報とされましたが、こんな緊迫した状況の中で、隊員が聞いた声は空耳だったのでしょうか?

(閉じ込められている時)怖くなかった?との問いかけに、お母さんが歌をうたってくれていたので怖くなかったと答えていたそうです。

2歳の子供が、車内からどうやってタイヤの下の狭い空間に移動したのでしょうか?

我が子を想うお母さんの神性が最大限に発揮され、その想いが霊界を動かして、数々の物理的な現象が起きたと考える方が明らかに自然です。




奇跡と呼ばれる現象は、神の力によって起きています。

しかし、その力は特別なものではありません。

私たちに秘められています。

エゴが完全に取り払われ、神性が存分に発現した時に引き出されると思います。




「あなたが地上に生まれたのは、その内部の神性を少しでも多く発現させるためです。」(シルバーバーチの霊訓より)

エゴではなく、自分の内部にある神性を常に意識して生きて行きたいものです。







2023年2月5日日曜日

真理を確かめる

 

30年に渡って、あるスタディーグループに所属しています。

スタディーグループとは、自分が普段行っている歯科治療を同業者の前で発表し、意見や批判を受けて、仕事の質の向上を計ろうとする集団です。

主宰している先生は、極めて高い技術とフィロソフィーをお持ちであり、今の自分があるのは指導のお陰と言っても過言ではありません。

その先生が良く言われていることに「知っているのとやっているのは違う」があります。


技術を学ぼうと思えば講習会があるので、いくらでも学ぶことができます。

けれども、いざ仕事で活かすには、労力が要り、リスクも伴います。

それでも、実際にやってみなければ、自分のものにはならないと、先生は伝えたいのでしょう



17年前、ヒーリングの力の出現をきっかけにして、霊的真理と出会いました。

直後に、経験したことのない災難のような出来事が起きました。

真っ暗闇の状況で「乗り越えられない困難や障害は起こらない」という真理が光り輝いていました。



は、何を持ってしても変えられません。

半ば盲目的でしたが、真理を信じることで、現実の受け止め方が大きく変わりました。

それに伴い私の心も変わり、苦しみや怖れは和らぎました。

押しつぶされそうになっていた自分を、どうにか持ちこたえさせることができました。




真理ならば、人生のいかなる局面においても、その通りになるはずです。

それを確かめる機会が巡って来ました。

ある日のこと、所属するスタディーグループを代表して、学会の座長を頼まれました。

メインのパートであり、大勢の聴衆がいる中で長時間しゃべらなければいけません。

以前の私であれば、人前に出て話すのが苦手なので、とんでもないと、直ぐに断っていたでしょう。

真理を知り、乗り越えられることしか自分に巡って来ないはずと思い、やってみることにしました。



とは言っても、初めてのことなので、不安が付きまといます。

そこで、こんな真理も信じるようにしました。

「背後にはあなたを絶対に見捨てることの無い霊が付き添っております。魂を鼓舞する力は霊界から送られているのです

自分を見守っている存在がいると思うと、心強くなります。

不安を感じた時のことです。

背後の存在に意識を向けてみると、不思議なことに内部から力のようなものが湧き出して来て、前向きな気持ちになるのを感じました。

背後の存在との一体化が図られ、そこから伝わって来る霊力により、心に変化が生じたと思います。

当日は、できる限りの準備をし、背後の存在を意識しながら臨みました。

見慣れない光景や雰囲気に、怖れや不安を感じることもなく、無事に役目を果たすことができました。

「背後の存在が乗り越えさせてくれた」そう思い、感謝の意念を向けました。

会場の様子

昨日の手術中にも、不測のアクシデントが起こりました。

背後の存在に意識を向けると心が落ち着き、冷静に対処することができました。



生まれる前に決めていた出来事が起きることがあります。

人間には自由意志が与えられているので、起きた出来事を乗り越えようとすることも、逃がれることもできます。

その決定には、誰も干渉できません。



学び、成長するために起きた出来事であれば、乗り越えようと決めた瞬間から、背後の存在から惜しみのない援助の力が送られて来ます。

逃がれようとするならば、援助のしようがありません。

目的を果たすことができないために、苦しみが続いてしまうことになります。



起きた出来事により、押しつぶされそうな時は、以下の2つの真理を思い出して下さい。

「解決できないほどの大きな問題、背負えないほどの重い荷を与えられることはありません。与えられたのは、それだけのものに耐え得る力があるからです。」

「背後霊に全幅の信頼を置きなさい。」

そう強く信じれば、援助の力が与えられ、何かが変わり始めます。



出来事を乗り越えるとは、自分の中で変化が起きることかもしれません。

苦しみや痛みはその触媒です。

変化を促すものが霊的真理です。



参考ページ:「自分を信じられない時は守護霊を信じる」