霊界と地上の違いは何でしょう?
たくさんありますが、霊界では周りに自分と似通った人たちしかいないのに対して、地上では自分と違う人たちに囲まれている点を私は挙げます。
もう1つは、霊界では想ったことが直ぐに相手に伝わるのに対して、地上では伝えようとしなければ伝えられない点です。
地上では、自分とは違う生き方や考え方の人たちと接しながら生活をしています。
そんなことから、相手のことを理解できなかったり、自分のことを理解してもらえなかったりします。
また、何かを伝える時には、心の中にあるものを言葉に変換して、身体を使って表現しなければいけません。
言葉という媒体を介しているので、完全に伝えるのは不可能です。
たとえ上手く伝えられたとしても、相手に受け入れてもらえるとは限りません。
わかり合えるのが難しい世界に生きていると言えます。
私も時々失敗をします。
相手はこれを望んでいるだろうと思い行動すると違っていることがあり、意思の疎通が十分に取れていなかったと反省することがあります。
コミュニケーションをしなければわかり合えない世界にいることを忘れてはいけません。
今は、メールなどでコミュニケーションをすることが多くなっています。
文字だけでは、細かな想いや考えまで伝えられません。
便利にはなりましたが、意思の疎通は以前より難しくなっているように感じられます。
意思の疎通が取れなければ、相手を理解することはできません。
相手の意図が理解できないまま、自分に不利益な行動をされたらどうでしょう?
「どうしてこんなことをするのだろう?」と思います。
そんな時、地上的な自我(以下エゴ)が働き出すかもしれません。
エゴは自分を中心に考えます。
自分の思っている通りにならなかったり、考えていた行動を相手がしなかったりすると憤りが生まれる時がありますが、それはエゴの働きによるものです。
その感情をぶつけてしまうと、因果律の働きにより、相手から同じような感情が返って来る可能性があります。
するとエゴの働きがさらに強くなり、より強い感情をぶつけてしまうかもしれません。
些細なことからエゴの働きが徐々に強くなり、争いに発展してしまうことも、決して少なくありません。
そうならないために、どうすれば良いのでしょうか?
相手の意図が理解できなかったとしても、信じる必要があります。
そんな簡単には、人を信じられないと言う人もいるでしょう。
騙されたり、裏切られたりした経験のある人ならばなおさらです。
地上では、魂(本質)が肉体に隠されています。
本性は判らなくなり、嘘や裏表などが存在するようになります。
なので、信じられずに警戒をしてしまうのも、仕方がないような気もします。
それでも、信じようとしなければ、好ましい方向に向かって行くことはありません。
宇宙は神が顕現したものです。
私たち人間も、宇宙の極小の一部です。
神の心(神性)を表現しようとする存在です。
けれども、(表現媒体が)未熟なために、利己的になったり、嘘を付いたり、過ちを犯したりして、神の心とは程遠いことを表現しています。
地上では神性が表現されている人と、そうでない人がいますが、どんな人にも神が宿っているのは確かです。
神が宿っているからこそ、人を助けようとしたり、世の中のために役に立とうと思う気持ちが生まれます。
相手の神性を意識するようにしましょう。
エゴに意識を向けてしまうと、自分のエゴの働きも強くなり、好ましくない感情に支配されることになります。
被害妄想的になり、時に怒りが生じ、それが憎しみへと変わって行くかもしれません
相手の神性を信じることで、霊的な意識が強くなると同時にエゴの働きは弱くなり、良い方向へと向かうはずです。
信じなければ、接点は生まれません。
接点がなければ、互いを知ることができません。
お互い知ることができなければ、認め合うことはできません。
もちろん、許すことなどできません。
今、起きている戦争は、相手のことを許せなくなっています。
ひどいことをしておいて、許すことなど到底できないと言うでしょう。
許せないようなことをする人は、自分に宿っている神に裁かれ、相応の報いを受けることになります。
エゴに意識を向けるのではなく、神が宿っていると強く信じることで、許す方向へと向かって行くはずです。
自分にも神は宿っています。
どんな状況に置かれたとしても、相手を信じることは可能です。
なぜなら、神は信じることを望んでいるからです。
信じることなしに、神の心が表現されることはないからです。
多くの怖れ、不安、怒りが、信じられないことから生まれています。
相手にも神が宿っている、そして自分にも神が宿っていると信じることで、エゴの働きが抑えられ、それらの感情は鎮まって行くはずです。
霊界と違って、地上は完全に判り合えない世界です。
そんな世界に生きているからこそ、信じることが必要になります。
信じることで、物的な障壁が取り除かれて、人と人はつながることができます。
そのつながりを通して愛が行き渡り、神の意図した通りに、私たちは1つになることができます。