2022年8月28日日曜日

愛する人を亡くした苦しみ


このブログには、今までにたくさんの方からコメントを送っていただいています。

その中には、大切な人を亡くされて、深い悲しみの中にいる方もいます。



そんな方に、繰り返しお伝えして来たことがあります。

「亡くなった人は生きていて、また会える」と言うことです。



ボールを空に向かって投げたら、地面に向かって落ちて来ます。

この当たり前の自然現象は、万有引力の法則の働きによるものです。



死とは、身体機能の永久的な停止です。

実態は、生命体(肉体)から生命(魂)が完全に分離する現象です。

死と言う自然現象は、自然法則の働きによって起きています。



空に向かって投げられたボールは、目に視えない引力によって、地面に引き寄せられるように、目に視えない愛という力によって、魂は引き寄せられます。

世の中には絶対はないと言われますが、自然法則の働きは絶対です。

肉体から分離した生命(魂)は、変わりなく存在しています。

次の世界に行った時に、親愛の想いがあれば、両者は引き寄せられます。

自然法則の働きにより、100%会えるのです。



目の前から、大切な人がいなくなってしまえば、悲しくなるのは当然です。

悲しいだけでなく、苦しい思いをしている人がいます。

「こうしておけば良かった」、「あんなこと言わなければ良かった」と思い出しては後悔し、苦しんでいる人も少なくありません。



2度と会えないのであれば、そう思っても仕方がないでしょう。

現実はそうではありません。

悔やんでいることがあれば、再会した時に謝ることもできます。

伝えられなかった想いも伝えられます。



でも、その必要もないのかもしれません。

伝えられなかった想いは、もう伝わっているからです。

謝らなくても、とっくに許されているのかもしれません。



大切な人を失うと、さまざまな想いが生まれます。

時には、ぶつけようのない怒りが高じて、神を恨んでしまう人もいます。

運命を呪ってしまう人もいます。

妬んでしまう人もいるでしょう。

それらの想いに因果律が働いて苦しみが生じてしまいます。



私たちが生まれて来た目的は、霊的に成長するためです。

足りない資質を身に付け、自分(魂)を強くさせるためです。

そのための最善の計画が立てられます。



目的を成就するために、相応しい出来事を経験することになります。

足りない資質は人によって違うので、経験する出来事も違って来ます。

人生がそれぞれ違うのは当然であり、比べても意味がありません。



生まれる前の自分は、人生の計画を了承しています。

自分の意志で決めていたことに、因果律が働いて、目的を成就するための出来事が起こります。




見ず知らずの人が死んだとしても、涙は流れません。

悲しみが生まれるのは、親愛の想いがあるからです。

別れによって、お互いの想いを伝えられなくなります。

行き場を失った愛が、深い悲しみとなり、涙となって表現されているような気がします。

悲しみを通して愛を学ぶために、最も相応しい経験が別れなのかもしれません。

この世界で最も大切で価値のあるものは何かを、魂に刻み込んで行きます。



眩しい日差しの中では、キャンドルが灯っていても気付きません。

周りが暗くなると、光り輝いています。

変えようのない現実が突き付けられ、明日をも知れない真っ暗闇の日々の中で見つけられる真実があります。

悲しみの極みで、大切なものは全く失われておらず、永遠であることに気付きます。



以前、長年連れ添った奥様を亡くされた方からコメントをいただきました。

そこに「肉体と精神を持った自分と、精神だけの妻と一緒に生きていると言う気持ちでいる」と書かれていました。

「魂」と言う言葉は使われていませんが、姿は視えなくても奥様は生きていて、傍にいることを確信されています。

1人暮らしをされていますが、存在を感じながら、話しかけているそうです。

寂しい時や、悲しい時はあるでしょうが、真実を知っているので、苦しみからは解放されていると思いました。




一方、この世が全てであり、死んだら無になると思っている人は、大切な人を亡くすと、ひどく苦しんでしまうように思います

全てが終わったと思って、絶望してしまうからです。

この世は理不尽で、不公平な世界に思えてしまいます。




苦しみの多くは、真実を知らない、あるいは信じられないことから生じています。

魂の存在は証明されていないので、信じられないと言う人もいるでしょう。

証明されていないものは、本当に存在しないのでしょうか?

愛の存在は客観的に証明されていません。

魂の存在を信じられない人は、愛も存在していないと思っているのでしょうか?



ほとんどの人は、愛を実感しています。

魂の存在も、確かめられるものではなく、実感するものです。

魂が存在しないのであれば、愛も存在しません。

なぜなら、愛は魂から生まれている霊的な力だからです。

愛を実感しているのは、魂だからです。



証明できないものは、信じるしかありません。

亡くなった人は、五感で感じられないだけであり、生きています。

地上の人の想いを受け取ることもできます。



人は、愛することができないことに、大きな苦しみを感じます。

愛することは生きる意味そのものであり、魂の成長と深くかかわっているからです。



苦しんでいるのであれば、大切な人は今も生きている、想いは届いていると、強く信じましょう。

心から信じられたのならば、苦しみが和らぐはずです。

信じることで、愛することができるからです。

愛することができない苦しみから、解放されるからです。



信じることで、つながりを取り戻しましょう。

向こうから届いている愛により、魂は癒されて、苦しみは和らぐでしょう。




2022年8月21日日曜日

霊的真理を伝える その2


今から十数年前のことです。

顎が痛いと、中学生の女の子が私の医院を訪れました。

その付き添いでお母さんが来ていました。

診療台の傍で、「少し前にこの子の父親が亡くなった」と話されました。

突然死だったそうです。

そして、以前、ご主人が私の甥にピアノを教えていたと話されました。

お父さんがいなくなったストレスで歯ぎしりをして、その負担が顎の関節にかかり、痛みを出している可能性があると考えました。



いつものような歯医者と患者さんとの会話ですが、霊的な意味が隠されていました。

初対面で、ご主人が亡くなったことを話すのはあり得ないことではありません。

けれども、どうしても私に伝えたかったことのように、私には感じられました。

別な目的があって。ここに来ているのではないかと感じました。

もしかしたら、ご主人が伝えたいことがあるのかもしれないと思いました。



その時は、向こうに行った人からのメッセージを受け取ったことはありませんでした。

それから、数日後の朝のことです。

起きかけでまどろんでいる時に、何の脈絡もなくある単語が心の中に生まれました。

ご主人に関係するものと、なぜだか判りました。

その言葉は専門的な言い回しであり、偶然、思い付くような類のものではありません。

何回も心の中で復唱して記憶しました。



この単語を、奥様に伝えなくてはならないと思いました。

甥がお世話になった関係で、義姉がお線香を上げに行くと聞いたので、その単語を伝えてもらうことにしました。



それから数日後のことです。

「何か伝えたいことがあれば、私でよろしければ伝えて下さい」と、ご主人に向かって心の中で言いました。

すると、メッセージが次から次へと心の中に浮かんで来ました。

それを書き留めて行くと、短い手紙のようになりました。



先にお伝えした単語は、ご主人からのものと確信を得るのに足るものだったようです。

次にお会いした時の奥様の眼差しは、生を確信しているように見えました。

お子さんが治療が終わった後、受け取ったメッセージを読み上げる形でご家族にお伝えしました。



そのメッセージは、お子さんに向けられたものでしたが、自分にもお子さんにも厳しいお人柄のようなものを感じられました。

ボロボロと涙を流しながら、お子さんは聞いていました。



どんな内容だったのか、今となっては思い出せませんが、その時にはっきりと判ったことがあります。

死によって、生前の関係はいささかも失われていません。

肉体がなくなっても、変わりなくお父さんであり、ご主人です。

向こうに行っても、大切な家族に変わりはありません。



後日、奥様とお会いする機会があり、興味深い話をされていました。

海外でご主人と出会ったそうですが、会った瞬間、この人と結婚すると思ったそうです。

そして、ご主人は亡くなる数ヶ月前から「時間がない」としきりに言っていたそうです。

シルバーバーチの霊訓に書いてあるように、人生にはおよそのシナリオ(青写真)があり、寿命も決まっている、そのことを魂は知っていると思いました。



この出来事を通して、奥様の魂が目覚めているような気がしました。

そこで、シルバーバーチの霊訓(1)をお渡しすることにしました。

しばらくしてから、家に電話がありました。

私は留守でしたが「本に書いてあることが良く判りましたと伝えて下さい」と言うことでした。

それを聞いて、真理を受け入れる時期が来ていたと思い、無性にうれしくなりました。

これが霊的真理が伝えられたと実感した初めての出来事です。

霊界の導きなしにはあり得ません。



霊的なことを書いた本は有り余るほどあります。

今は、インターネットで霊的な情報も簡単に手に入れることができます。

しかし、霊的な情報は、何が正しくて、何が間違っているのか、判断するのが困難です。

真偽を客観的に証明することができないことばかりなので、騙されやすいのです。



霊界の人たちは、真理を受け入れる時期が来た人が判っています。

いかにして、真理に辿り着かせるのかが問題です。

間違ったところに接触してしまうと、一生を棒に振ることになりかねないのは、昨今のニュースを観れば明らかです。

何としてでも真理に導こうとしているはずです。



私の場合、インターネットでスピリチュアリズム普及会(旧心の道場)さんのHPを見つけて出会うことができました。

綿密な計画の元に、導かれていたと思います。

「シルバーバーチの霊訓」に導いたのは、霊界で最も真理に近いと認識されているからと考えています。



導きとは、地上の人が霊界の意図した通りに行動に移すための働きかけと考えています。

真理を受け入れる時期が来た人が、真理の在りかに導かれます。



前述の奥様と面識はありませんでした。

甥とご主人との間に、先生と生徒という関係がありました。

お子さんの顎の痛みが生じたことにより、私との間に接点ができたことになります。

あとは、私がいる医院に導くだけです。



導きの多くは、インスピレーションにより行われています。

もしかしたら、こんな風に導いていたのかもしれません。

歯医者を探している時に、ご主人の生徒の一人であった私の甥のイメージを奥様に送り続けます。

そのイメージが認識されて、甥の父親が歯医者だったことを思い出します。

そこに行くのを促すようなインスピレーションを吹き込み、電話をかけさせます。



仕事場で、初めて私と会うことになります。

そこで、ご主人が亡くなったことを話したくなる衝動が生まれるインスピレーションを吹き込みます。

思わず話したくなり、そのことを伝えます。



初対面の人からこのような話を聞くとは、私も思っていませんでした。

それが逆に、何かあるのではと思うことにつながりました。

亡くなったご主人が伝えたいことがあるのではと思うのに、時間はかかりませんでした。

霊界からのインスピレーションによる働きかけが、私にもあったと思います。



導きとは「○○と会った方が良いよ」と言葉で言われるのとは全く違います。

特別な理由もなく、会いたくなったり、行きたくなったりした時には、それは導きによるものかもしれません。

霊界からインスピレーションが伝わって来ると、思考を介さずに、行動を起こす衝動が生まれるからです。



霊的真理の伝道は、霊界主導で行われます。

真理を受け入れる時期が来た人と真理を伝えられる人の両者を結びつけるために、霊界であらゆる可能性が模索されていると考えられます。



出会いは偶然ではなく、霊界の導きによるものかもしれないことを、伝える人は常に意識していなければいけないと思います。

何かの衝動に駆られるようにして自分の元を訪れ、身に起きた出来事を伝えようとしているのは、霊的な目的があってのことなのかもしれません。

そんな人がいたら、相応しい真理を伝えるようにしましょう。



真理を受け入れる時期が来ているのかどうかは、地上の人には判りません。

来ていない人に真理を伝えると、意外な顔をしたり、拒否をするかもしれません。

それで良いと思います。

種を蒔いたことになり、雨が降った時に芽を出すかもしれないからです。



とにかく霊界の導きを無駄にはしていけないのです。

真理を伝えて、そっと見守りましょう。

幸運にも受け入れられたなら、内面に変革が起きるはずです。



大切なことは知識の深さではなく想いです。

「真理を伝えたい」その想いが霊界に届き、相応しい人を導いて来ます。





2022年8月14日日曜日

世界を変えて行くもの


ある慈善団体からメールが届きました。

某国の難民キャンプで、女性や子供たちが安全に過ごせるための施設を作るための寄付のお願いでした。

このようなメールが毎日のように届きますが、見る度に、何とかしてやりたいと思う気持ちと、いくら寄付をしてもきりがないと思う気持ちが生まれます。



貧困は、お金で解決できる問題のはずです。

もし、世界中で余っているお金を、足りないところに回すようなシステムが構築されたのならば、たちどころに解決するでしょう。

それができないのは、お金を貯めようとする欲求が人間にあるからです。

お金を持っていないと不安を感じてしまう人が多いからです。



命の次に大切なものはお金と言う人は少なくありません。

確かに、お金があれば、食べるのに不自由はしないし、欲しいものは何でも買えます。

この世を生きて行く上で必要なものですが、必要以上に持とうとすることが、多くの問題を引き起こしているように見えます。

お金が偏在してしまうことで、貧困や飢餓が生まれていると思います。



地球温暖化は、物を所有していると幸福だと思う、人間の幻想から生まれているのかもしれません。

生きて行く上で必要なものは、それほど多くありません。

余分なものを持とうとすることで、地球環境は確実に悪化して行きます。



これからは物質ではなく、無形のものに価値を見い出す世界に変わって行くような気がします。

物質中心の社会に、違和感や戸惑いを覚える人が多くなっていると感じるからです。



「SDGs(持続可能な開発目標)」という言葉が良く聞かれるようになりました。

これは2015年の国連サミットで採択されたものであり、世界で起こっている重要な問題を併記したものです。

7つの大きな目標がありますが、上位の3つを挙げてみます。

1.貧困をなくそう

2.飢餓をゼロに

3.全ての人に健康と福祉を



霊界の人が、地上を見て憂いていることと同じだと感じました。

これらの問題は、今に始まったことではなく、私が子供の頃からありました。

一向になくならないのは、地上の人には自我(エゴ)があり、自分のことを優先してしまうためだと思います。

目に視えるものだけを信じてしまう地上の人たちを何とかしなければいけないと、霊界の人たちは強く思っているでしょう。



SDGs年代別意識調査

上記の調査結果から、若い世代の人たちほど意識が高いのが判ります。

10代は調査対象となっていませんが、恐らくは20代より高い数値だと思います。(別の調査で高校生を対象に行ったところ、知らないと答えた人はわずか14%でした)

上の世代とは、明らかに意識が違うような気がします。



若い世代の人たちの中には、現状に不満を感じて、何とかしなければならいと行動する人たちがいます。

グレタさん(ギズモード・ジャパンより)

写真は環境活動家のグレタさんです。

活動を始めたのは、わずか15才です。

この年齢で、これだけの影響力のある人を、私は見たことがありません。

地球環境の悪化を食い止めるという、大きな使命を持って彼女は生まれて来ていると思います。

共感する子供たち(フロントロウより)

1人の目立ちたがり屋のパフォーマンスでないことは、彼女の訴えに共鳴する子供たちがたくさんいることからも判ります。

多くの子供たちが感じていることを、彼女が代弁しているように見えます。

大人たちが変えられなかった世界を、自分たちが変えて行きたいのだと思います。

    


マララさん(国連広報センターのHPより)
パキスタン出身ののマララさんです。

彼女は10代で、タリバンによる女性教育弾圧に反対しました。

そのために15歳の時、下校中にタリバンから銃撃を受けました。

自分の命が脅かされる危険を冒してでも、信念を曲げずに訴え続けているのは、弾圧から女性を解放する使命を持って生まれて来たからだと思います。




大人たちは、ことの重大性に気付いていないように感じます。

いや、気付いているけれども、適当にごまかしていて、いつまで経っても変えようとしないのかもしれません。

それに業を煮やした人たちが、世界を変えようとして、続々と生まれて来ているように思います。

長く生きている人の方が、若い人たちよりも、世の中のことが良く判っていると思うのは大きな間違いです。




人類の霊性は、過去よりも現在、現在よりも未来の方が高まっているはずです。

今、生きている人たちよりも、霊性の高い人たちが生まれて来ると、現状に不満を持つことになります。

そして、変えようとする機運が高まり、やがて行動に移します。

行動に移す人が増えるのに従い、現状が少しずつ変わって行きます。

その営みを繰り返しながら、世界は変わり続けていると思います。




人生の途中で、大切なことに気付く人もいます。

救われない、つらい経験をしている時が、その好機となります。

苦しみや痛みや悲しみは、人間の奥深くにある霊的な部分に深甚な影響を与えています。




そこに外部から霊力の働きかけがあると、一気に目覚める時があります。

為すすべのない病気が癒されると、魂が目覚める時があります。

悲しみの極みにいる人が、亡き人からメッセージを受け取ると、魂が目覚める時があります。

目覚めた魂が、目に視えない大切なことに気付きます。




目に視えない大切なことを包摂しているのが、霊的真理です。

霊的真理とは霊的な法則であり、神の摂理です。

霊的な法則が働いていることを知らない人たちが、あまりにも多いのです。

そんな人たちが、次から次へと問題を起こしています。




死んで終わりになることはありません。

地上的なものを全て置いて、魂1つで次の世界に行くことになります。

生きている時に、想ったこと、言ったこと、行ったことに対して法則が働いています。

人を傷つけたり、社会に悪い影響を与えたのなら、相応の償いが生じることになります。

人や動物や社会のために貢献したのなら、その報いとして霊的成長がもたらされます。

もし、そのことが常識として受け入れられたのなら、愚かな過ちを犯す人は激減して、望ましい世界になるはずです。




霊界の願いは、地上世界に霊的真理が普及することです。

地上を悩ましている全ての問題が、霊的真理が実践されることにより、解決するからです。

現時点で、最も端的に霊的真理を著しているのが「シルバーバーチの霊訓」と考えています。

真理の在りかを知らない人たちに教えるのは、極めて重要な実践だと思います。






2022年8月7日日曜日

ヒーリングの目的


約17年前のことです。

ある朝、起きたら左手がしびれていました。

仕事で首を傾けていることが多いので、頚椎に障害が起こり、しびれが出たのかと思いました。



その感覚は、寒い冬の日に冷え切った体で風呂に入って温まって来た時に、手足がジンジンとしびれますが、それに近いものでした。

ところが、しびれは肩から上腕、上腕から前腕、前腕から手指の先へと、ゆっくりとした速さで移動して行きます。

何か力のようなものが流れていると感じました。



インターネットで調べてみて、これではと思ったのが「ヒーリング」でした。

ヒーリングに関しては、全く興味もなく、知識もありませんでした。

自分に何が起こっているのか、どうしても知りたくなり、辿り着いたのが「シルバーバーチの霊訓」でした。



手にした時、「霊訓」の響きにオカルト的な本ではないかと思いました。

その中に、「ヒーリングは魂を目覚めさせるためにある」と書かれていましたが、何の意味だかさっぱり分りませんでした。

ただ、本を広げては、目で文字を追っているだけでした。



そんな中、仕事で疑義が発生して、行政による指導の通知が送られて来ました。

何もやましいことはしていないので、直ぐに終わるだろうと思っていました。

ところが、予想に反して、事態は悪い方向へと進んで行きました。

徐々に、精神的に追い詰められて行くことになります。



同じ指導を受けて、過去に自殺した人がいることは知っていました。

まさか自分が当事者になるとは思ってもいませんでしたが、受けてみてその理由が良く判りました。

過去の行状が明らかにされて行くにつれて、今まで味わったことのない重圧、苦しみ、後悔の念が生じました。



後悔は、良心の訴えを無視したことから生じます。

心の中で、確かに良心は訴えていました。

それを「誰もがやっていることだから」と、いい加減な理由を付けて、無視してしまったのです。



無視し続けると、いつしか良心の声は聴こえなくなり、当たり前になってしまいます。

積み重なった過ちは、因果律の働きで、正確無比に結果をもたらします。

下された処分は想定された中で最も重いものであり、仕事を続けて行く上で、致命的なものでした。



それまで目で文字を追うだけのシルバーバーチの霊訓でしたが、窮地に追い込まれるのに従い、真実味を持って私の心に迫って来ました。

「原因があれば結果をもたらす」「結果には原因がある」という真理が、痛いほど判るようになりました。



こんなことも書かれていました。

「乗り越えられない困難は起こらない」

今まで経験したことのない絶望の日々を、この一文にすがるようにして生きるようになりました。



過ちに気付いて、正すために最も有効な手段は、痛い思いをすること、この経験を通してそう思いました。

地上に生まれて来るのはそのためです。

誰かに教えてもらうよりも、自らが実際に経験して得た教訓の方が、しっかりと身に付きます。



霊的真理を少しずつ学んで行くと同時に、縁のある方にヒーリングをするようになりました。

病気や不調を来している人に、左手を当てると、力が流れ始めます。

終わるころには、不調が消え顔が明るくなる様子に、ささやかな喜びを感じました。



「ヒーリングを必要としている人は導かれて来る」

シルバーバーチの霊訓にはそう書かれていますが、その通りです。

出会いは偶然ではなく、時期が来た人が霊界によって導かれて、ヒーリングを受けることになります。

そんな人は、病気が治るだけでなく、生き方が変わります。



けれども、ヒーリングによって全ての人が癒されるわけではありません。

全ての病気や不調は、因果律の働きで起きています。

お酒を飲み過ぎて肝臓病になる人がいますが、それは生物学的法則を逸脱したことが原因です。

過ちに気付いて改めない限り、ヒーリングをいくら行っても治ることはありません。



原因が生まれる前に存在する人もいます。

過去生で何らかの過ちを犯して、その償いのために病気の苦痛を経験している人もいます。

あるいは、学びや成長を得るために、病気になることを予め決めて生まれて来た人もいます。

そんな人に、ヒーリングを行っても治ることはありません。



はっきりとした原因が見当たらないのに、病気や不調が生じることもあります。

地上の人間は魂(霊)、精神、肉体の複合体です。

魂で思念(想い)が生まれ、それが精神で具体化され、肉体で具現化されます。

思念(想い)は、肉体で具現化される素となるエネルギーと言えます。



本来は魂(霊)と精神と肉体が一直線で結ばれていて、思念が精神を経由し、円滑に肉体で表現されるはずです。

ところが、精神(自我)が抑制的に働いてしまい、思念が肉体によって具現化されない時があります。

心の底からやりたいことができない、あるいは心の底からやりたくないことをしなければいけない時がそれに当たります。

そうなると思念というエネルギーは発散されずに、内に滞ってしまいます。



生命エネルギーは、魂から精神、精神から肉体へと循環しています。

内に滞った思念は、その流れを妨げてしまうと考えられます。

生命エネルギーの流れが妨げられてしまうと、その下流に相当する肉体の部位に不調や障害や病気として現れることになると思います。



地上では様々な出来事が起きます。

その時に「感情」が生じます。

感情は精神的エネルギーの一種です。

感情は、言葉や行動などで表現されることによって、肉体(地上)的なエネルギーに変換されます。

悲しみが生まれたら、涙を流すことによって表現されて、外に向かって放たれます。

怒りなどは、言葉や行動によって表現すると社会生活に支障が出るために、内に溜まりやすい感情と言えます。



ストレスが溜まるとは、言葉や行動で表現できないエネルギー(感情)が溜まった状態を指すと考えています。

ストレスを発散するとは、そのエネルギーを別の形で表現して、外に出すことだと考えています。


心身の具合が悪い人の中には、さまざまな心のエネルギーが溜まってしまい、不調和を起こしている人が多いと考えられます。

心のエネルギーが内部に溜まった状態が続いてしまうと、生命エネルギーの循環は妨げられ、肉体上に変化が生じてしまうと考えられます。



それらの想いが生じなければ良いはずです。

例えば、怒りは寛容になるほど生じにくくなります。

そのためには魂の向上が伴わなければいけませんが、一朝一夕に行くものではありません。



自然法則の働きにより、苦しみを乗り越えて行く過程で、魂は向上します。

病気による苦を経験することによって魂が向上し、同じような出来事が起きたとしても、同じ感情は生じなくなります。

心身の苦痛から、魂が目覚める人もいます。

魂が目覚めると、生命力がふんだんに流れ込み、滞っていた心のエネルギー(負の感情)は解放されます。

魂から精神、精神から肉体へと流れるエネルギーの循環が回復し、内面が健全さを取り戻すと、それが外面に反映され肉体の病気が治ることになります。



ヒーリングとは、強制的に生命力を流入させる行為です。

霊界の人たちによって、力の最適化が執り行われていると思います。

その力によって、滞っていたエネルギーは心から切り離されて、解放されます。

気分が晴れやかになるのは、そのためと考えられます。

                                        

生命力は神的な力です。

そのために愛を帯びています。

滞っていた心のエネルギー(負の感情)は、愛を帯びたエネルギーによって解放されると考えられます。



病気だけではありません。

戦争、貧困など、人間を悩ましている全ての問題を解決するのも愛の力です。

苦しみや痛みのある地上に生まれて来るのは、愛の意味を深く学ぶためです。



「ヒーリングは魂を目覚めさせるためにある」

今はこの意味が、はっきりと判ります。

霊的な力が、人間の霊的な部分に働いて、霊的に目覚めさせる。

霊的に目覚めると、この世に生まれて来た目的を成就して行くようになります。



霊的な能力は、眠っている魂を目覚めさせるためにあります。

目覚めた魂が、霊的真理を受け入れます。



生まれて来た目的は、霊的真理を普及させるためです。

その目的を成就するために、出来事は計画された通りに起きています。