このブログには、今までにたくさんの方からコメントを送っていただいています。
その中には、大切な人を亡くされて、深い悲しみの中にいる方もいます。
そんな方に、繰り返しお伝えして来たことがあります。
「亡くなった人は生きていて、また会える」と言うことです。
ボールを空に向かって投げたら、地面に向かって落ちて来ます。
この当たり前の自然現象は、万有引力の法則の働きによるものです。
死とは、身体機能の永久的な停止です。
実態は、生命体(肉体)から生命(魂)が完全に分離する現象です。
死と言う自然現象は、自然法則の働きによって起きています。
空に向かって投げられたボールは、目に視えない引力によって、地面に引き寄せられるように、目に視えない愛という力によって、魂は引き寄せられます。
世の中には絶対はないと言われますが、自然法則の働きは絶対です。
肉体から分離した生命(魂)は、変わりなく存在しています。
次の世界に行った時に、親愛の想いがあれば、両者は引き寄せられます。
自然法則の働きにより、100%会えるのです。
目の前から、大切な人がいなくなってしまえば、悲しくなるのは当然です。
悲しいだけでなく、苦しい思いをしている人がいます。
「こうしておけば良かった」、「あんなこと言わなければ良かった」と思い出しては後悔し、苦しんでいる人も少なくありません。
2度と会えないのであれば、そう思っても仕方がないでしょう。
現実はそうではありません。
悔やんでいることがあれば、再会した時に謝ることもできます。
伝えられなかった想いも伝えられます。
でも、その必要もないのかもしれません。
伝えられなかった想いは、もう伝わっているからです。
謝らなくても、とっくに許されているのかもしれません。
大切な人を失うと、さまざまな想いが生まれます。
時には、ぶつけようのない怒りが高じて、神を恨んでしまう人もいます。
運命を呪ってしまう人もいます。
妬んでしまう人もいるでしょう。
それらの想いに因果律が働いて苦しみが生じてしまいます。
私たちが生まれて来た目的は、霊的に成長するためです。
足りない資質を身に付け、自分(魂)を強くさせるためです。
そのための最善の計画が立てられます。
目的を成就するために、相応しい出来事を経験することになります。
足りない資質は人によって違うので、経験する出来事も違って来ます。
人生がそれぞれ違うのは当然であり、比べても意味がありません。
生まれる前の自分は、人生の計画を了承しています。
自分の意志で決めていたことに、因果律が働いて、目的を成就するための出来事が起こります。
見ず知らずの人が死んだとしても、涙は流れません。
悲しみが生まれるのは、親愛の想いがあるからです。
別れによって、お互いの想いを伝えられなくなります。
行き場を失った愛が、深い悲しみとなり、涙となって表現されているような気がします。
悲しみを通して愛を学ぶために、最も相応しい経験が別れなのかもしれません。
この世界で最も大切で価値のあるものは何かを、魂に刻み込んで行きます。
眩しい日差しの中では、キャンドルが灯っていても気付きません。
周りが暗くなると、光り輝いています。
変えようのない現実が突き付けられ、明日をも知れない真っ暗闇の日々の中で見つけられる真実があります。
悲しみの極みで、大切なものは全く失われておらず、永遠であることに気付きます。
以前、長年連れ添った奥様を亡くされた方からコメントをいただきました。
そこに「肉体と精神を持った自分と、精神だけの妻と一緒に生きていると言う気持ちでいる」と書かれていました。
「魂」と言う言葉は使われていませんが、姿は視えなくても奥様は生きていて、傍にいることを確信されています。
1人暮らしをされていますが、存在を感じながら、話しかけているそうです。
寂しい時や、悲しい時はあるでしょうが、真実を知っているので、苦しみからは解放されていると思いました。
証明されていないものは、本当に存在しないのでしょうか?
愛の存在は客観的に証明されていません。
魂の存在を信じられない人は、愛も存在していないと思っているのでしょうか?
ほとんどの人は、愛を実感しています。
魂の存在も、確かめられるものではなく、実感するものです。
魂が存在しないのであれば、愛も存在しません。
なぜなら、愛は魂から生まれている霊的な力だからです。
愛を実感しているのは、魂だからです。
証明できないものは、信じるしかありません。
亡くなった人は、五感で感じられないだけであり、生きています。
地上の人の想いを受け取ることもできます。
人は、愛することができないことに、大きな苦しみを感じます。
愛することは生きる意味そのものであり、魂の成長と深くかかわっているからです。
苦しんでいるのであれば、大切な人は今も生きている、想いは届いていると、強く信じましょう。
心から信じられたのならば、苦しみが和らぐはずです。
信じることで、愛することができるからです。
愛することができない苦しみから、解放されるからです。
信じることで、つながりを取り戻しましょう。
向こうから届いている愛により、魂は癒されて、苦しみは和らぐでしょう。