「何のために生きているのだろう?」
若い時に、自分に問いかける時がありました。
慌ただしく生きて行く中で、そんなことなど考えなくなりました。
17年前に人生を変えるような出来事が起こりました。
そして、シルバーバーチの霊訓(霊的真理)に出会いました.
その本の中に、若い時の問いに対する答えを見つけました。
私たちは、肉体を失っても生き続けます。
これは変えようのない事実です。
生きている目的は、地上でしか経験できないことを経験し、そこから大切な教訓を学び、成長するためです。
そのために、地上ではさまざまな出来事が起きるようになっています。
出来事が起きると、自分なりに対応します。
けれども、後になって「こうすれば良かった」「あんなことをしなければ良かった」と思うことも少なくありません。
人は皆、後悔のない人生を送ろうと思っていますが、後悔するような行動を取ってしまいます。
そんな未熟なところがあるからこそ、この世に生まれて来ているのかもしれません。
後悔しないように生きるのには、どうすれば良いのでしょうか?
自分に正直に生きることが大切と考えられます。
自分に正直に生きるとは、どういうことなのでしょうか?
心の奥から発せられている「本当の自分の声」に従うことだと思います。
声と言っても耳で聴こえるものではありません。
心の奥底で湧き上がる「想い」あるいは「衝動」と言って良いのかもしれません。
良心も、その声の一部です。
自分の進むべき方向を、その声は指し示しています。
けれども、その方向は困難や障害やリスクを伴うことが多いです。
人間は、「魂」「精神」「肉体」の複合体です。
本当の自分の声は、魂から発せられています。
魂から生じている思念を、肉体で表現するための媒体として精神が存在しています。
精神上に、パーソナリティーと言える「地上的な自我」(以下自我)が形成されていると考えられます。
地上では本当の自分の声だけでなく、自我の声も聴こえます。
自我の声は、本当の自分の声とは違う方向に進んで行かせようとすることがあります。
それは、決まって安全で楽な方向です。
自我と肉体が密接な関係にあるため、自分の身を守ろうとする傾向があるからです。
「きっと上手く行かない」
「(上手く行かなかったら)恥をかくのでやめておこう」
そんなことを考えては、本当の自分の声に抗おうとする時があります。
自分に正直に生きようとするならば、そんな自我の声に負けないようにしなければいけません。
通勤の時、駅の階段でうずくまっていた人を見かけたとします。
心の中で「助けよう」と声がします。
その後に「関わっている暇はない」と声がします。
助けるのか、立ち去るのか、葛藤する時があります。
日常の生活でも、葛藤を感じる時があります。
先日も、他者の不利益になるかもしれない行動をしようとする自分に、それで良いのかと咎める声がしました。
その後に、もっともらしい言い訳を考えて、咎める声を打ち消そうとする声がしました。
初めにした(咎める)声に従うと、後戻りしなければいけません。
大変になりそうなので、後からした声の方に従いたくなりました。
それでも、初めにした声に素直に従いました。
後悔しなくて済んだので、それで良かったと思います。
自我が強くなり過ぎて、本当の自分の声が聴こえなくなっている時があります。(強くなり過ぎた自我をエゴと呼んでいるものかもしれません)
成長を妨げているのであれば、因果律が働いて、苦しみや痛みを伴う出来事が起きる可能性があります。
人によっては病気になり、苦痛を経験することになります。
苦痛によって魂が目覚め、本当の自分の声が聴こえるようになり、再び成長が始まる人もいるでしょう。
後悔しないためには、今を真剣に生きなければいけません。
しかしながら、人は過去や未来に捉われてしまいがちです。
過去は完全に閉じられていて、変えることはできせん。
考えてもどうしようもない過去のことを、つい考えてしまいます。
そして、どうなるのか分からない未来のことを予測しては、怖れや不安を抱いたりします。
それらの情動も、自我の働きによるものと考えられます。
過去や将来に捉われるのがいけないのは、今を生きる力が奪われてしまうからです。
私たちがどうにかすることができるのは、今しかありません。
今をどう生きるかによって、未来の自分が決まります。
過去や未来ではなく、今に意識を向ける不断の努力が必要です。
不安や怖れを克服して行くことは、地上に生まれた大きな目的の1つだと考えられます。
元にいた世界は、(地上的な)自我は存在しないので、不安や怖れが生じません。
聴こえるのは本当の自分の声だけです。
自分の意志がなければ、何も始まらない思念の世界です。
自我から生じているさまざまな想いを克服して行くことは、元いた世界に戻った時に、より強い意志を持って生きることにつながると考えられます。
今を強く生きるために、こう思うようにしています。
出来事に偶然はなく、目の前の事象は因果律の働きによって起きている。
学び成長するために起きているので、必ず乗り越えられる。