私たちが死ぬ確率は100%です。
120歳を超えて生きている人は、誰一人としていません。
昔は、死ぬのが怖かったです。
死ぬと意識がなくなり、自分が消滅してしまうと思ったからです。
ところで、意識とはなんでしょう?
心であり、自分そのものだと思います。
もし、意識が脳から生じているのであれば、脳の活動が停止すれば意識も消滅するはずです。
しかし、それでは説明がつかない体験をしている人たちがいます。
病気により脳の活動が停止していたにもかかわらず、その間、夢のようなものを見ていたのです。
睡眠中に脳が活動して夢を見るとされているので、科学的に説明がつきません。
ある研究によると、心停止後に回復した人の18%が臨死体験をしているそうです。
臨死体験者の多くは、遠くで強烈に輝く光を見たり、既に亡くなった人たちと会話をしたり、謎めいた別世界への旅をしたなどと語っています。
科学者はそのような臨死体験を、脳内の神経伝達物質の作用による幻覚と説明しています。
ここで1つの疑問が生じます。
何故、似たような経験をしているのか?
幻覚だとすれば、内容はばらばらで良いはずです。
その問いに答えている科学者はいません。
物質的な脳からは、非物質的な意識が生まれるはずはありません。
脳は、意識から出されている指令を肉体に伝えるため、あるいは五感を通して入ってきた情報を意識に伝えるためにあります。
どんな現象も、脳内で起きているという強引なこじつけは、もう終わりにするべきです。
素直にこう考えてはどうでしょうか?
意識とは、脳の働きとは別次元のものである。
臨死体験者の意識は、肉体から一時的に離れて、似たような体験をしている。
亡くなった人たちと実際に会っているのであり、意識とはその人たちと同じ次元の存在である。
「魂」と言われる存在から意識は生じている。
霊的な知識を得てから、死は怖くなくなりました。
死んで肉体がなくなっても、意識は変わりなく存在し、自分が失われることはないと判ったからです。
死んだ後に行く世界は、穏やかで平和な世界だからです。
生命は続いているので、生き急ぐこともなくなりました。
そんな変化が私自身に起こりました。
このブログを開設して、初めて知ったことがあります。
それは最愛の人を失った人の、悲しみの深さ、苦しみの大きさです。
想像をはるかに超えるものであり、経験しなければ判らないと感じています。
そんな人たちにとって、死後に生命が続いているか否かは、極めて重要な意味を持っています。
また会えるのか、もう会えないのかが決まるからです。
それを知り、事実をどうしても伝えたくなりました。
姿が全く見えなくなり、声も聴こえなくなり、温もりも感じることができなくなったのは、不動の現実です。
何度でも言いますが、肉体が失われても、その人の本質(生命)は全く失われていません。
意識は存続していて、記憶も個性もそのままです。
けれども、五感を通して意思を伝える手段を失っているので、地上の人にそのことを伝えることができません。
亡くなった人がいる世界は、思念の世界です。
想ったことが電光石火、対象に伝わります。
完全なテレパシーの世界と言えます。
送った思念を遮るものは何もなく、受ける人にそのまま伝わります。
一方、地上にいる人は、肉体に備わっている視覚や聴覚などの五感を通して外部を認識しています。
そこから入る情報が圧倒的に多いために、意識の焦点は地上に向いています。
目に視える世界が全てだと思ってしまうのも無理ありません。
五感を通して伝えるため、自分の想い(思念)を言葉や表情や行動に変換する必要があります。
煩わしい行程を繰り返しながら、コミュニケーションを行っているのですが、それが当たり前だと思っています。
亡くなった人だけでなく、地上の人も霊的な存在です。
霊的な存在が、肉体を介して自己表現をしています。
当然のことながら、地上の人にも思念を受信する感覚が備わっています。
その証拠に、言葉や表情や行動に込められた相手の想いを感じ取ることができます。
周りにいる人たちから発せられている思念を、無意識の内に受け取っていて、少なからず影響を受けています。
言葉を交わさずとも、想いが判り合える瞬間があります。
愛情で結ばれている者同士ならば、傍にいたくなるのは自然の成り行きです。
その想いは、死によってなくなりません。
亡くなった人は、地上の人の想いが手に取るように判るので、むしろ強くなっているかもしれません。
肉体を失った人は、全ての物的な障壁が取り除かれています。
生前よりも近くにいられるのです。
伝えられなかった想いを、どうしても伝えたくなる時があると思います。
言葉にしなくても、その想いは亡くなった人に届いています。
亡くなった人も全く同じです。
地上にいる人に想いを伝えたいのです。
生きている世界は違います。
しかし、意識の源である魂は同次元に存在しています。
五感を介さずに、想いを交わし合うことは可能です。
けれども、さまざまな障壁が立ちはだかり、困難にしています。
想いを送っても、五感で感じるものでないために、地上の人にはっきりと認識されません。
思い付きや、気のせいにされてしまうことがほとんどです。
五感から入る情報に圧倒されて、届いている思念が掻き消されています。
頭の中で考えていることも、雑音となっています。
悲しみや嘆きなどの感情も、大きな障壁となります。
想いが届くのを妨げているのは、地上の人です。
疑い深い性格にも、手を焼いているでしょう。
地上の人が、予期した反応をしてくれないことを残念に思っています。
それでも、どうしても伝えたければ、諦めずに想いを送り続けているでしょう。
受信感度を高める方法があります。
それは、亡くなった人から想いが自分に届けられていると、素直に信じることです。
信じることは、何よりも大切です。
つながる原点です。
信じなければ、自分で回路を閉ざしています。
信じることにより、魂と魂はつながることができます。
全ての生命が愛し合うために、自然法則は働いています。
生きている次元は違っても、信じることで、愛し合うことはできます。
五感で感じられなくなっても、強く信じることにより、霊的な感覚によって存在を感じることは可能です。
視えない人を信じるのは、容易くありません。
それだけに、霊的な意味があり、価値があります。
地上の別れ以上に、信じること、愛することの意味を深く学ぶ機会はないかもしれません。
向こうの世界で、強く結ばれるためにあります。
「また会えますか?」と聞かれたら、決まってこう答えます。
「その時まで想っていたのならば必ず会えます」と。
これは希望的観測でも、気休めでも、慰めでもありません。
私たちは100%死にます。
死ぬと同時に、障壁が完全に取り払われます。
愛は魂を引き付ける力です。
目の前に姿が現れ、抱きしめ合える瞬間が必ず訪れます。