ほとんどの人は、幸せを求めて生きていると思います。
何に幸せを感じるのかは、人それぞれです。
20年前の私は、社会的に成功し、人並み以上の収入を得て、余暇は海外旅行に行く、そんなことに幸せを感じていたような気がします。
今から考えると、随分と地上的なものにこだわっていたようです。
霊的真理を知り、そんなこだわりが死ぬまで続かなくて良かったと、胸を撫で下ろしています。
もし、続いていたらどうなるのでしょうか?
死んだ後直ぐに、その性分が変わるはずもありません。
次の世界でも、同じものにこだわり続けるでしょう。
次の世界には、階級も肩書も身分もありません。
あるのは、あるがままの自分(魂)だけです。
社会的な地位にこだわっていた人は、周囲の人に「私は○○だった」と言って、自分を誇示するでしょう。
もう存在しないものにこだわっている姿は、滑稽に映ると思います。
まるで「裸の王様」のようです。
1番大切なものはお金と、信じて疑わなかった人はどうでしょう?
次に行くのは、思念の世界です。
思い描いたもの、欲したものが、すぐ目の前に現れます。
お金が欲しいという願望により、その人の周りにはお札がうず高く積まれているでしょう。
大金に囲まれて、その中で喜んでいる姿が想像できます。
しかし、そのお金の使い道は全くありません。
意味のないものに喜んでいる姿に、哀れみを感じる人もいるでしょう。
遺して来たお金のことが気になれば、地上に縛られることになります。
それが原因で、家族が分裂する様子を、目の当たりにするかもしれません。
この世で終わりだと信じている人が多いので、次の世界ではこのような光景が頻繁に見られると思います。
地上的なものは、全く価値がないことを知った時に、愕然とするでしょう。
幻影を追い求めて、大きな労力を費やしてしまったことを、きっと後悔すると思います。
旅行に行くのが楽しみな人は多いです。
美しい景色を観たりすると感動し、私も幸せを感じていました。
シルバーバーチの霊訓には、霊界の様子がこう書かれていました。
「地上の誰一人として見たことのないような花があり色彩があります。その他小鳥もいれば植物もあり、小川もあり、山もありますが、どれ一つをとっても、地上のそれとは比較にならないほどきれいです。」
この文章を読んで、昔のように旅行に行く気は失せてしまいました。
地上とは比べ物にならないくらい素晴らしい光景が見られる日を、楽しみに待つことにしました。
多くの人が追い求めている幸せは、死と共に消滅してしまうようです。
本当の幸せとは、次の世界にも持って行ける、永続的なものでなければいけません。
シルバーバーチの霊訓にはこう書かれています。
「この地上で学んだ知識、体験から得た叡智が、俗世で追い求めている物的なものに比べて、その永遠の魂にとっていかに大切であるかが分かるはずです。」
私たちが地上の体験を通して学んだことは、何にも増して大切なようです。
そして、次のように書かれています。
「そのうちあなたも、地上人生を明確な視野のもとに見つめ直す時がまいります。苦難こそ最も大切な教訓を教えてくれていること、もしあの時あれだけ苦しまなかったら、悟りは得られなかったであろうこと、しみじみと実感なさいます。辛い教訓ではあります。が教訓とはそういうものなのです。もしも教訓がラクに学べるものだとしたら、もしも人生に苦労も誘惑も困難もなく、気楽な漫遊の旅だったら、それは頽廃への道を進んでいることになります。」(地上人類への最高の福音より)
いろいろな体験の中でも、誰もが避けたい苦難から最も大切な教訓が得られるようです。
さらに、こう書かれています。
「霊的な宝はいかなる地上の宝にも優ります。それはいったん身につけたらお金を落とすような具合になくしてしまう事は絶対にありません。苦難から何かを学び取るように努める事です。耐え切れないほどの苦難を背負わされるような事は絶対にありません。」
苦難から学んだことは、次の世界にも持って行ける、永続的な宝となるようです。
苦しみには、地上の人には分かり難い、深い意味があるようです。
私たちは、自分を成長させるために、地上に生まれて来ました。
そのために、さまざまな出来事を経験しなければいけません。
苦を伴う経験によって、人(魂)は大きく成長するようになっています。
本当に価値があるものは、目に視えるもの、形あるものではありません。
それらは、いずれ消えてしまう、あるいは手放さなければならないものばかりです。
人に優しくしたり、思いやったり、労わったり、親切にしたりするのは、形あるものではありません。
人を認めたり、許したりするのも、形はありません。
それらの行いの中には、愛情、友情、信頼、寛容、そして自己犠牲などが隠されています。
何の得にもならないような行いによって、目に視えない霊的な財産が魂に蓄えられて行きます。
霊的な財産は、消えてしまったり、手放したりすることはありません。
最も価値があるのは、人や動物や社会のために役に立つことです。
愛を表現することであり、悦びを与えることです。
その行為に対し、因果律が働いて、霊的に成長します。
地上で生きている時には、自分が成長していることは実感できません。
死んで次の世界に行って、どれほど成長したのかが判ります。
人生の一部始終を見せられて、何が自分を成長させていたのかを知ることになります。
出来事が起きて、もがき苦しんでいる中で、大きく成長していたことを知ります。
誰かのためにしたことが、自分を成長させていたことを知ります。
本当の幸せは、追い求めるものではありません。
苦しみの中で育まれるものです。
他者の喜びの中にあります。
本当の幸せは、次の世界に行って、噛みしめるものなのかもしれません。
成長できた幸せに優るものはありません。