私の人生を大きく変えた書籍は「シルバーバーチの霊訓」です。
10数年前にその存在を教えていただき、直ぐに本屋に行きましたが、私の住む街では売っておらず、東京で手に入れました。
それから月日が経つのに従い、地元の本屋や図書館にも置かれるようなり、一人喜んでいました。
そんな矢先、出版元が廃業してしまい、シルバーバーチの霊訓は本屋から姿を消しましたが、スピリチュアリズム普及会さんが再版されたので、ホッとしています。
この書籍を超えるものが出ていないか、いつも探しているのですが、未だに見つけることは出来ません。
本屋に行くと、表題に「神」の文字が入っている書籍を良く見かけます。
しかし、手に取って読む気にはなれません。
神は軽々しく書けるようなものではなく、知っているように書くこと自体、知らないことを証明しているように思えるからです。
イスラム教では神の大きさをこの様に例えています。
「地上の全ての木がペンで、海が墨でその外に7つの海をそれに差し添えても、アッラー(神)の言葉は書き尽くすことは出来ない。本当にアッラー(神)は偉大であり、英明である。」
小さな人間には想像も及ばないほど、途轍もなく大きな存在であるのは間違いありません。
昔の人は、神は外部に存在して、上から人間を見下ろしているような構図を思い描いていたようです。
雷が鳴ったり、火山が噴火したり、地震が起きたりすると、神の怒りに触れていると考え、生贄を差し出す時もありました。
しかし、そんな感情的な存在ではないようです。
シルバーバーチは、神は法則であると言っています。
初めはその意味が良く判りませんでしたが、今は、神=法則ではなく、法則は神の一側面であり、神の心が法則となって顕現していると考えています。
ところで、飛び上がるほど嬉しいことがあれば、どうするでしょう?
思わず、神に向かって感謝してしまいます。
しかし、つらい出来事が起きて感謝する人はいません。
何で自分だけがこんな思いをしなければならないと、神を恨んでしまう人もいるでしょう。
避けて通りたかった出来事であっても、法則が働いた結果によって生じています。
神が無限の愛であるならば、神が創造した法則も愛を帯びているはずです。
不幸や不運にしか思えなくても、法則によって生じた出来事なので、神の愛が行き渡っているはずですが、そこまで理解が及ばないので、とてもそうは思えません。
人は肉体を携えた魂です。
多くの人は目に視える肉体が自分だと思っていますが、本当の自分は目に視えない魂です。
肉体は魂の表現媒体に過ぎず、司令塔である魂が存在しなければ肉体は全く動きません。
魂は霊的な存在であるため、私たちは物的な世界にいると同時に、霊的な世界に生きていると言えます。
けれども、五感を通して入る情報と、霊的な感覚を通して入る情報では、その量に圧倒的な差があるため、霊的な世界に生きている実感は極めて希薄になってしまいます。
物的な世界には物質(理)的な法則が、霊的な世界には霊的な法則が、それぞれ支配しています。
物質的な法則は、万有引力の法則を初めいくつも発見され、科学的に証明されています。
一方、霊的な法則は客観的に証明するのは不可能なので、信じることが必要になります。
霊的な法則の根幹を成しているのは「因果律」です。
結果には必ず原因があり、原因があれば必ず結果が生じる、それが因果律です。
この世では、結果だけが見えていることが多いです。
そのために、出来事が突発的あるいは偶然起きたと思ってしまいます。
今、起きている出来事は、もしかしたら、これまでの想いや言葉や行動、言い方を変えれば生き方や考え方が原因となっているのかもしれません。
不運を嘆いたり、憤りを覚える前に、思い当たることがないかを、検証する必要があります。
当然のように思っていたことが、実は法則に反していて、それが積もって閾値に達し、因果律の働きによって、見える形になったのかもしれません。
これは私が身を持って経験したことです。
法則(摂理)に反した行いをしようとする時に、良心の声がして止めさせようとします。
良心とは、魂に内在している神です。
それを無視して実行に移し、繰り返されると、良心の声はほとんど聞こえなくなってしまいます。
法則に反した罪は、確実に蓄積されて行きます。
絶妙のタイミングで因果律が作動して、相応の苦痛を伴う結果(出来事)が生じます。
結果だけを見れば、突発的な凶事にしか思えなかったでしょう。
しかし、霊的真理を知り、原因が自分にあったことに気付きました。
苦しみを通して過ち(原因)に気付き、生き方や考え方を変えるために、出来事が生じていました。
良心の声を遮っていた(この世の)自我は小さくなり、本来の自分(魂)が前面に出て来ました。
いくら探しても、思い当たらないのであれば、原因はこの世に存在しないのかもしれません。
その場合は、過去生にあると考えられますが、残念ながら具体的に知ることは出来ません。
生まれながらの病気になったとします。
受胎した瞬間、病気になることが決まっていたのであれば、原因は受胎前にあるはずです。
もしそうであれば、物質的次元(この世)に原因が存在するはずはなく、霊的次元にあると考えられます。
霊的次元の原因として、2通り考えられます。
過去生のどこかで過ちを犯しているか、大切なこと学び成長するために病気になることを選択しているか、そのどちらかと考えられます。
いづれにせよ、明確な目的があって病気になったのであり、生まれる前の自分は承知していたはずです。
私がボランティアで通っていた障害者施設には、病気により身体の自由がほぼ失われている人がいました。
生まれてから死ぬまで、一生をベッドの上で過ごす人を見て、以前の私でしたら可哀想に思ったでしょう。
しかし、真理を知った今は、それぞれに目的があって、この人生を選択したと考えるようになりました。
身体の自由が失われた状態は、苦痛以外の何者でもありません。
その苦痛を通して、過去生の過ちを償っているのかもしれません。
人の自由に関わる過ちを犯していたのか、過った自己表現していたのか判りませんが、償いを通して何かを学んでいるはずです。
身体の自由が失われたならば、周りの人の助けがなければ、数日も生きて行くことは出来ません。
その現実を通して、人の援助のありがたさ、大きな意味で愛を学んでいるのかもしれません。
この世の人生は、次の世界で奉仕をするための資質を身に付けるためにあると言われています。
一生涯に渡り、人に助けられて生きて来た経験は、次の世界で他者に奉仕をするための強力な動機付けになるのは間違いありません。
肉体が朽ち果てた時、人生が終わるのであれば、何のために生まれて来たのか、その意味を見出せない人もいるでしょう。
記憶がなくても、魂の奥深くでは、この人生の目的が判っています。
過酷な状況にじっと耐えているのは、生まれて来た目的を果たそうとしているからです。
肉体が朽ち果てた後も、魂(生命)は変わりなく存続しています。
次の世界で、この世で起きた出来事の原因(目的)が、はっきりと判ります。
全ての出来事は、法則が働いた結果として生じていて、原因に対して寸分の狂いもなく結果がもたらされています。
視えない原因があって、それが視える形の結果として現れただけであり、偶然や運が入る余地は全くありません。
不公平で不公正に思えるのは、結果しか視えないからです。
後で原因(目的)が判ると、誰もが納得し、不平不満を言う人はいなくなるようです。
法則が、全ての人に、同じように働くことによって、完全な公平、公正が保たれています。
神に特別愛されている人も、憎まれている人もいません。
あるのは法則の働きだけです。
法則に適った行いをすれば悦びを、反した行いをすれば苦痛を味わうことで、神性が顕現するように導いています。
法則の働きを学ぶのに従い、人は成長し、苦痛から解放されて行くはずです。
何故なら、法則の働き(叡智)を学ぶために、神はこの世に苦痛を創造したと思うからです。
死んだら神の元に帰ると言われています。
しかし、それは間違いだと思います。
死とは、物質的次元からの離脱です。
地上で学ぶことが残っていれば、再び戻って来ます。
地上で学ぶことがなくなれば、霊界で向上進化するようになります。
霊界には無限の界層があり、そこで学び成長することで、上の界層へと移行して行きます。
上の界層に行くほど、より多くの神性が発揮されるようになります。
神は、無限なる叡智であり、愛です。
学ぶこと、成長する余地が限りなく残されているために、私たちに永遠の生命が与えられたと考られます。
28 件のコメント:
イクミ様
ブログ更新ありがとうございます。シルバーバーチの霊訓を読んでいますが、なかなか難しいです。
今回のブログの内容も、実際我が身に置き換えると、病気では無いけれども、どう考えれば良いのかよくわかりません。
側に居てくれてるような気配がして、実際不思議なサポートがあったり、守られてるって考えられることは度々あって、他の方より私は恵まれているとは思うのですが、一人になった寂しさ、夫がいない寂しさから、なかなか立ち直れません。
今までが楽しすぎたのでしょうか?
親友のような夫婦と言われて、いろんな事を話していたので、心のバランスを取ることがとても大変です。自分でヨガをしたり、スポーツをしたり、資格を取ることは目的ではありませんが、ボランティアのために通信講座を始めたりしているのですが、いつになっても、心はしずまりません。これからも、いろいろと教えてください。
kazu様
こんにちは。
更新したブログを早速読んでいただき、ありがとうございます。
霊的なことを言葉で説明するのは難しい上に、文章も稚拙なので判りにくかったと思います。
結果には必ず原因があります。
ご主人が亡くなって、あなたが1人になったのも、何か原因(目的)があるはずです。
ご主人が傍にいて、見守ってくれているのを感じる時があったのですね。
それでも寂しさから、立ち直れないのですね。
仲が良く、愛し合っているほど、離れ離れになった時の悲しみは、どうしても深くなってしまいます。
深い悲しみは、あなた奥深い部分に響き、眠っていた魂を目覚めさせます。
そして、つらい日々を乗り越えて行くことで、魂は成長して行きます。
ご主人の死は、霊的に大きな意味を持っていると考えられます。
この時期に亡くなったのは、予め決められていたことであり、今生で大切なことを学び、あなたを成長させるためだったのかもしれません。
ご主人と過ごした日々は、それは楽しいものだったでしょうが、霊的に成長するのは、一人で生きて行かなければならない、これからの日々のような気がします。
この世に長くいなければならないのは、少し前を歩んでいたご主人に追いつくためなのかもしれません。
あと数十年すれば再会します。
その時にはっきりとしたことが判りますが、親しい魂同士が、お互いのつながりを深めるために、取り決めていたことと、個人的には思っています。
成長して行く姿を、ご主人は微笑みながら見守っていると思います。
これからも必要な時は助けてくれますので、気付いたら感謝して下さい。
イクミ様
先ほどはヒーリングありがとうございました。最近忙しい毎日と気温の変化に体がついて行かず、少し疲労気味だったので、とてもありがたかったです。魂と精神と体の調和を取れるように、無理をせずに過ごしたいと思います。日々の中で、霊的真理とリンクさせながら物事を考えるようになりました。今回のイクミさんのブログにもあったように、全ての出来事に神の愛が行き渡っていることを感じながらこれからも過ごしていきたいと思います。
次回のヒーリングは26日の月曜日にお願いできたらと思います。イクミさんのご都合に合わせますので、よろしくお願いいたします。
きりんの長女様
おはようございます。
忙しさと暑さで疲労気味だったのですね。
昨晩ですが、ヒーリングの力が届いていなかった可能性がありますので、よろしければ今週中に改めて行いたいと思います。
26日の件は了解しました。
イクミ様
お返事ありがとうございます。届いていなかった可能性があるというのは、イクミさんの感じ方がいつもと違ったということでしょうか?そう言って下さり、ありがとうございます。もしイクミさんのご都合が合えば、今晩またヒーリングをお願いできますでしょうか?無理のない範囲でよろしくお願いいたします。
きりんの長女様
こんにちは。
感じ方がいつもと違ったということではありませんので心配しないで下さい。
実は、私が勘違いをしていて、昨晩はあなたに意念を向けていませんでした。
しかし、既にリンクが出来ているので、霊界によってヒーリングが行われていた可能性はあります。
申し訳ありませんが、改めて今晩10時にヒーリングを行います。
質問なのですが、昨晩は力が届いている感覚はあったのでしょうか?それとも何も感じなかったのでしょうか?
イクミ様
お忙しい中、ヒーリングありがとうございました。そうだったんですね、確かにいつもよりかすかな感じ方でしたが、ただ足先のピリピリとした感覚はありました。実はイクミさんにも母にもヒーリングをお願いしていない時にも寝る前に霊界からのエネルギーを感じているような感覚になったことはこれまでも何回かありました。それは私の勘違いかもしれないと思っていたのですが、既にリンクができているというイクミさんのお言葉で全て納得がいきました。本当に霊界の方々には感謝の気持ちでいっぱいです。イクミさんもお忙しいでしょうから、ご自愛ください。
26日にまたよろしくお願いします。
きりんの長女様
おはようございます。
昨晩は、改めてヒーリングを行いました。
寝る前にピリピリした感覚があったのですね。
確証はありませんが、ヒーラーが意念を向けていない時でも、地上に霊力は届いていると思われます。
その根拠が2つあります。
1つは、ヒーリングをした直ぐに病気の症状に変化がなくても、しばらくしてから改善が認められることが多くあるからです。
もう1つは、ヒーリングをしていなくても、霊力が送られて行くのを感じる時があるからです。
イギリスの偉大なヒーラーである故ハリーエドワーズは、週に数百、数千のヒーリングを行っていましたが、世界中から送られて来る治療を希望する手紙の封を切った時に、患者さんとの間にリンクが張られてヒーリングが開始されていたようです。
1度リンクが出来れば、後に消滅することはないので、その後は霊界にとって良いタイミングで、ヒーリングが随時行われていたと考えるのが妥当でしょう。
それでは、次回は26日の午後10時に行います。
イクミさん
いつも記事の更新を有難うございます。少し前から拝見しておりましたが、コメントが出来ていなかったかもしれません。
記事やコメントの一つ一つの言葉を噛み締めています。
シルバーバーチの霊訓に数ヶ月前に出会い、日々模索中の身です。
自分のことになりますが、私は今年、怪我を沢山しています。
2回傷を縫い
肉離れや 火傷により皮膚移植
肩や腕の使いすぎによる筋肉のダメージ
エネルギーが外に拡散しすぎているから、自分の内側への意識を集中させることが必要、とのご指摘をあるヒーラーの方からいただきました。
個人的には、霊的法則に沿っていないことが溜まっているのか、改善する方法はあるのか、あるいは改善する必要すらないのか、、
霊訓をもとに、自己犠牲は構わないという考えが強いです。しかし、あまりにも怪我が多発し、何かが違うのだろうと考えます。利他愛、出来る限りの人の役に立ちたい、
それと同時に、自分の基盤をしっかり固めろということなのでしょうか。
宜しければお返事頂けると嬉しいです。
ちひろ
ひろ様
初めましてイクミです。
ブログを読んでいただき、ありがとうございます。
シルバーバーチの霊訓に出会って数ヶ月経つそうですが、真実を探し求めていたとお察しします。
今年になり、大きな怪我が度重なり、その原因が気になるのですね。
出来事は因果律の働きによって生じますが、その原因はさまざまな次元に存在します。
怪我の原因は、霊的次元にあるのではないかと考えているようですが、そうとは限りません。
もし気持ちが散漫になって起きたのであれば、精神的次元の原因と言えます。
例えば自転車が壊れていて転んだのであれば、それは物質的次元の原因と言えます。
あなたが日頃から人の役に立ちたいと思われているのならば、霊的次元に原因がある可能性は少ないように思います。
霊的真理に則った生き方をしていれば、因果律の働きで苦痛を伴う出来事は生じることは、基本的にないと考えられるからです。
けれども、それとは別に人生で乗り越えなければならない試練は生じます。
試練を乗り越えて行くことで成長するからであり、その多くは計画的に起きています。
怪我をしたのは大変なことですが、霊的真理に出会えたのは幸運なことです。
私もそうでしたが、魂に響く深刻な出来事が生じて、真理に出会います。
あなたがうっすらと感じていたことが、霊的真理(シルバーバーチの霊訓)によってはっきりとしたのならば、この時期に、立て続けに怪我をしたのは、真理に出会うために計画に起きていたのかもしれません。
もしそうであれば、これから真理を深く学んで、実践して行くことも、予定されているはずです。
自己犠牲は真理(摂理)に適っていますが、私たちは与えられた心身を大切にする責務もあります。
独りよがりになってはいけません。
その辺が真理に反していて、それを改める目的も同時にあって、今回の出来事が生じていたのかもしれません。
ところで、傷の治りはいかがなのでしょうか?
よろしければ、早く癒えることを祈念して、ヒーリングを行ってみます。
イクミさん
沢山のお言葉を頂き有難うございます。
霊的次元でないということは、自分の考えにありませんでしたが、確かに精神的次元の要素は大きいと思います。
自分の身体を基本的に大切に出来ていない自覚はあります。
現在23歳ですが、14歳の時に摂食障害を患い 酷い鬱状態の時も多々ありました。
食事や世界に対してのネガティブな気持ちが酷い状態から
10年近くかけてゆっくりゆっくり改善していきました。
自分が 正しい意識を持って生活しているのかが、根本的に自信がないです。
瞑想やグラウンディングワークを取り入れることも必要なのかなと思います。
傷はつい昨日のことでしたので、治っている段階ですが、ヒーリングをしていただけるのでしたらとても嬉しいです。
いつも有難うございます。
ちひろ
ちひろ様
思春期に摂食障害と、酷い鬱状態の時もあり、おつらかったでしょうが、ゆっくりと改善しているのであれば良かったです。
正しい意識を持って生活しているのか自信が持てないそうですが、私も若い時はそうでした。
正しさとは何かの基準が必要になりますが、それが見い出せずいました。
十数年前に霊的真理を知り、それが明確な生きる基準となりました。
霊的に正しい生活(真理に則った生活)をしていれば、精神、肉体共に整って来るようです。
ヒーリングですが、今晩10時からでよろしいでしょうか?
眠くなることが多いので、着替えてベッドかソファの上でリラックスしてお待ちいただくことになります。
イクミさん
そうなんですね。霊的真理を深く理解することで、曖昧さが少しずつ無くなっていくのでしょうね。
日本時間の22時ですよね、今日も明日も仕事でして
23時以降なら可能なのですが、ご都合悪ければ月曜日の10時でお願いしたいです。
現在の住まいは西オーストラリアです。
有難うございます。
ちひろ
ちひろ様
遠いところに住んでいるのですね。
西オーストラリアと言うと、お住まいはパースでしょうか?
時刻は日本より1時間遅れているのですね。
来週の月曜ですが22時に予定が入っていますので、よろしければ今晩の23時(西オーストラリア時間の22時)から行います。
イクミさん
先程送った言葉の使い方を間違えているように感じます。
傷は勿論ですが、私自身が気付けていない 意識の問題などを、ヒーリングしていただきたいと思い、
それが自分の為だけでなく、人の為になれるように、との意味です。
すみません。ご理解頂き有難うございます。
ちひろ
ちひろ様
ヒーリングの力は生命力そのものですから肉体にも作用しますが、本来は魂を癒やすものです。
あなたの魂に届いたならば、霊的に何かの変化があるかもしれません。
人のために生きて行けるように祈念をして行ってみます。
イクミさん
かしこまりました。有難うございます。宜しくお願い致します。
ちひろ
イクミさん
昨晩は有難うございました。
時間になった途端に、身体に何かが起きている感覚があり、とても暖かくなりました。
今朝は少し気分が悪くぼーっとするのですが、目の前のことに集中して過ごします。
有難うございます。
ちひろ
ちひろ様
こんにちは。
昨晩は予定通りにヒーリングを行いました。
力が伝わって来た感覚はあったようですね。
今朝は少し気分が悪くぼーっとするそうですが、ヒーリングをすると目覚めが良い人がほとんどなのですが、どうしてでしょう。
また何か変化がありましたら知らせて下さい。
初めまして、いくみ様
さよと申します。
今年の5月に最愛の人が突然死で逝ってしまいました。
19年のお付き合いで、亡くなった翌日にお逢いする約束でした。
彼の死を知ったのは1ヶ月後でした。
私たちは夫婦ではありませんでしたが、彼は私の生きる希望であり、私をいろんな意味で導き大事にして下さった方でした。
彼の死を知ってから精神的に不安定になり通院しています。
どうしても彼の死を受け入れる事ができない私は
彼の死後、助けを求めるように生と死についていろいろなものを読みあさりました。
なぜ人は生きるのか、死とは何なのか、今まで考えたこともなかった私でしたが、シルバーバーチの霊訓に出会い、その内容が心の琴線に触れました。
いくみ様のところにはシルバーバーチから導かれてたどり着きました。
2ヶ月ほど何も手につかず泣いて暮らしていましたが、周りの人達の優しさといたわり、いくみ様のブログのおかげで、これから私が何をやるべきなのか少しづつ分かってきたように思います。
彼からたくさんの愛を与えられていた事、そして彼を失った後にも周りの人達からたくさんの愛を頂きました。
これからは私が周りの人達に愛を与える番だと思っています。
まだ涙が乾くことはありませんが、いくみ様のブログを読ませて頂き救われています。
シルバーバーチに出会えたこと、いくみ様のブログに出会えたこと、感謝の気持ちとお礼を申し上げます。
ありがとうございます。
さよ
さよ様
初めまして、イクミです。
ブログを読んでいただき、ありがとうございます。
今年の5月に最愛の人が突然逝ってしまったのですね。
結婚はされていないそうですが、長い年月い渡り、あなたを大切にして、導いてくれた人なのですね。
生きる希望を失ってしまったあなたの心境を察すると、かける言葉が見つかりません。
彼は、きっと素晴らしい人なのでしょう。
早く逝ってしまう人は、優しく、思いやりがあり、誰からも好かれる人が多いです。
元々霊性が高い人で、この世で学ぶことが少なかったのかもしれません。
悲しみのどん底の中で、シルバーバーチの霊訓に出会ったのは、極めて幸運なことです。
あなたを見守っている存在が、取り計らってくれたのでしょう。
書いてあることは、真実と断言出来ますので、繰り返し読んで下さい。
ちょっと難しいかもしれませんが、第6巻に、あなたに読んでもらいたい章がありますので、ご覧になって下さい。http://kokorodou.p-kit.com/page207487.html#link6
私のブログにも再三に渡って書いてありますが、死によって、あなたと彼の関係は終わりになっていません。
今もお2人の関係は続いています。
彼は肉体を失いましたが、意識も記憶もあり、地上にいる時と心のありようは同じです。
あなたへの想いは、何も変わっていません。
もし生きているのであれば、もっと判る形で証拠を見せて欲しいと思うかもしれません。
もし判ったとしたら、彼の元にどうしても行きたくなってしまうかもしれないので、神の配慮により判らないようになっていると考えて下さい。
愛する者同士に、別れは存在しません。
愛によって、お互いの魂が引き付けられるのは、地上にいる時も向こうに行った今も同じであり、自然の成り行きです。
あなたの想いは、彼に届いています。
その想いに引き付けられて、傍にいると考えられます。
突然逝ってしまったので、あなたに伝えたかったことはたくさんあるでしょう。
仕事の合間に、彼に焦点を合わせてみました。
上手く言葉に出来ているのか判りませんが、書いてみます。
失礼があったら、お許し下さい。
「これほど想ってくれているとは思わなかった。
すごくうれしい。
本当に辛抱強く、我がままを聞いてくれた。
精一杯のことをしたつもりだったが、もっと気持ちに応えてやりたかった。
生き方を通したが、悲しく、寂しい思いをさせてしまった。
お前といる時は、自分らしくいられた。
強くなる必要がなかった。
ありがとう。
いつも一緒にいたかった。
これまで言って来たことを信じてくれ。
全て本当の気持ちだ。
体を大切にして。
食事もちゃんと食べて。
心配してくれる人は、自分以外にもいる。
頼りたい時は、頼りなさい。
自分にはもったいない人だと言う気持ちは、そっくりお前に返すよ。
夢のような、楽しい日々だった。
ありがとう。」
イクミ様
私もシルバーバーチの霊訓を超える書籍がないかなと探しています。
でも、やっぱりシルバーバーチがいいなぁと最終的にはシルバーバーチの霊訓に戻ってしまいます。
何と言っても、シルバーバーチの人柄が好きなんですよね笑
イクミ様が言うように、時間が経てば経つほど、シルバーバーチの霊訓に書かれていることは事実だという実感が強くなるように思います。
ブログ続けていますが、真理普及というより、自分の勉強のための医学知識のまとめだったり、日々の生活で感じたことだったりといった自分の考えや知識をアウトプットする練習の場になっています。
真理を伝えたいというよりも、自分の想いを上手に人に伝えられるようになりたいなという動機が今のところ一番強いです。
イクミ様に訊きたいことがありまして。(忙しい中すみません(_ _))
ネットサーフィンをしていたら、一つの動画を見つけました。(1:30くらいの動画です)
個人的にずっと引っ掛かっているんです。
何となく、私には"この加害者の方は、逃げるためにわざとアクセルを踏み続けたのではないか(病気のふりをしたのではないか)"と思うんです。
イクミ様はどう思いますか?
https://www.youtube.com/watch?time_continue=89&v=wKa-3m9SDp0
ナオヤ様
おはようございます。
そうですね。私もシルバーバーチの謙虚で優しい人柄が好きです。
人を責めたり、馬鹿にしたりするところもなく、同じ立場でいようとするのが素晴らしいところです。
ブログは続けられているのですね。
想いを上手に伝えられるようになりたいのが動機だそうですけど、続けていると思わぬ展開になって行くかもしれません。
これから学業はますます大変でしょうけれども、活かすようにして下さい。
動画を見ました。
確かに、事故を起こした逃避行動としてアクセルを踏み続けていた可能性はあります。
慌ててブレーキを踏もうとしてアクセルを間違えて踏んでしまい、被害者と当たってパニックになり、自分ではどうすることも出来ない錯乱状態になってしまった、そんな様にも思えます。
人は神性を宿しているので、どちらか判らない時には、悪い方に解釈しないようにしています。
イクミ様
昨日はヒーリングありがとうございました。霊界のエネルギーを注いで頂き、感謝の思いでいっぱいです。先日妹の命日でしたが、変わらず妹はそばにいてくれて一緒に過ごせていることに改めて愛と感謝を感じる1日となりました。
次回のヒーリングは9/3(火)にお願いできますでしょうか?イクミさんのご都合に合わせてよろしくお願いいたします。
イクミ様
回答ありがとうございます。ブログとあまり関係のない内容を質問してしまい、すみません。
轢いてからなぜ10分もアクセルを踏みっぱなしにしたのかと思いましたし、隣に乗っていた奥さんは何をやっていたの? と思ってしまいました。
本当に自分の心に正直になっていたのか。。。事故を起こす前にも自分を省みる機会はあったはず。。。
今、高齢者の過失運転が問題になっています。世間では、高齢者の認知機能低下による事故という解釈が一般的ですが、私はそれはあるにしても、本質ではなく、それまでの人生で培ってきた心のあり方が原因なのではと思ってしまいます。(この加害者の方もある意味物質万能主義の被害者だと思います。問題の本質はそこなのではないかと。)
この見解は的外れなのかと思い、質問してみました。
きりんの長女様
こんばんは。
昨晩は予定通り行いました。
少し前に妹さんの命日が来たのですね。
愛する者同士は離れることはないのですが、あなたほど認識出来る人はいません。
これからも感謝して下さい。
次回ですが、9月3日の午後10時に行います。
ナオヤ様
こんばんは。
高齢者の過失運転ですが、確かに心のあり方にも原因があると思います。
絶対に大丈夫と自信過剰であったり、周りの人の言うことを聞かなかったり、傲慢さや自己中心的な人格が見え隠れしている様な気もします。
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