20☓☓年、WHOが健康の定義を変更しました。
それまではhysical health(肉体的な健康)、mental health(精神的な健康)、social health(社会的な健康)の3つに分類されていましたが、1998年に提案されたspritual health(霊的な健康)が正式に認められ、書き加えられました。
20世紀は肉体的な健康に重点が置かれていましたが、21世紀に入り心と体が密接に関係していることが判り、心(精神)の健康の大切さが見直されるようになりました。
そして22世紀に入ると、原因不明の病気や生命について、科学的に証明されない霊的な存在を認めることにより、合理的な解釈が進んで行くようになりました。
霊的な健康が、精神的、肉体的な健康に深く結びついてることが、ようやく認識されるようになりました。
内科、外科などの従来の診療科は「肉体的な健康」を対象とする科として存続しています。
新たに「霊的な健康」を対象とした科が設けられ、より高い次元から健康を考える時代に入りました。
2118年12月9日の朝、私は胃のあたりにずっと痛みを感じていたので、専門家に診てもらうことにしました。
手首に付けたブレスレット端末により測定された、毎日の体温、血圧、脈拍、心電図、睡眠状態などの基礎データがスマートフォンに転送されています。
アプリを開くと、音声ガイドが始まりました。
「どうしましたか?」
「胃が痛い」と私が答えます。
「いつから痛いのですか?」
私「3ヵ月くらい前から」
「どんな感じで痛いのですか?」
私「ズキズキと痛い」
「我慢できない痛みを10、ほんの少しの痛みを1とすると、今どれ位ですか?」
私「5~6」
「食欲は?」
私「いつもより少ない」
「吐き気は?」
私「ない」
「ストレスを感じる生活をしていますか?」
私「はい」
質問に答えて行くと、症状に該当するいくつかの専門医がピックアップされ、画面上に表示されます。
その中の1つを選択しました。
選択した病院は市街地にあり、肉体的な健康を対象としたケアを行っています。
すでに基礎データは専門医に転送されています。
ドクター「3ヵ月か月前から胃が痛いそうですね」
私「はい」
ドクター「CTと内視鏡による検査をしたいと思いますが、よろしいですか?」
私「はい」
検査の結果、胃の粘膜に病変が見つかり、直ちに細胞が採取されて、AIによる病理診断の結果を待つことになりました。
部屋に呼ばれて入るとドクターが神妙な面持ちで、こう話しかけてきました。
「あなたの病気は胃ガンのようです」
私「本当ですか!」
ドクター「99%の確率でそうです。残念ですがリンパ節にも転移が認められますので、ステージ3となります」
私「・・・」
ドクター「あなたの場合は開腹手術が必要で、胃を半分ほど切除しなければいけません。」
私「・・・」
ドクター「外科医の私が提供できるサービスは病変の切除ですが、あなたにはもう1つの選択肢があります。」
私「それは何ですか?」
ドクター「WHOの定義に基づき新設された科があります。」
私「詳しく教えて下さい。」
ドクター「その科で行っているのは温存的な療法です。ご希望であれば所在地と連絡先を教えますので、そこで説明を受けて下さい。」
後日、ドクターに紹介された場所に行ってみると、木立の中に建物がありました。
玄関のドアを開けると、受付の人が笑顔で招き入れてくれました。
自宅の1室が患者さんを診るスペースとなっています。
部屋の中を見渡すと、医療機器も注射器も聴診器も薬も置いてありません。
椅子に腰かけてしばらく待っていると、一人の女性がドアを開けて入って来ました。
私の顔を見ながら、「初めまして、〇〇です。あなたのお体の状況は大体判っています。大変でしたね。」と、微笑みながら語りかけてきました。
その女性は、白衣も手袋もマスクも身に付けていません。
不思議に思った私は、「紹介してもらったお医者さんとずいぶん違いますけど、どんな治療をするのですか?」
彼女「ここでは治療はしません。」
私「では何をするのですか?」
彼女「治すお手伝いをします。」
私「治すお手伝い?」
彼女「そうです。自分で作った病気を、自分で治すお手伝いをしています。」
私「薬をもらって、飲めば良いのですか?」
彼女「いいえ。あなたの病気は薬では治りません。」
私「では、どうするのですか?」
彼女「そのことを説明する前に、1つあなたに聞いておきたいことがあります。」
私「何でしょうか?」
彼女「もし、あなたが死んだら意識も消えてなくなってしまうと思いますか?」
私「多分そうではないでしょうか。」
彼女「それは違います。」
私「死んでも生き続けると言うことでしょうか?」
彼女「そうです。肉体と意識体は全く別に存在しています。」
私「急にそう言われても信じられませんが、そのことが病気とどんな関係があるのでしょうか?」
彼女「意識体のことを仮に魂と呼ぶことにしましょう。人は肉体と精神だけでなく、魂(霊)が存在しています。あなたの生命そのものと言っても差し支えありません。魂は精神と肉体の上位にあり、司令塔の役割を果たしています。あなたが涙を流すのも、笑うのも意識の中枢である魂(霊)が指令を出した結果です。」
私「そんなことは考えもしませんでした。」
彼女「あなたの肉体に今問題が生じています。しかし、その原因は霊的な部分(魂)にある可能性が高いと考えられます。」
私「霊的な部分に原因がある?」
彼女「そうです。霊的な部分にです。」
彼女「もし、あなたが強い憤りを感じたとしたらどうしますか?」
私「怒ります。」
彼女「もし、怒ることが出来なかったらどうなりますか?」
私「怒りが溜まるでしょう。」
彼女「怒りが溜まったらどうしますか?」
私「酒を飲んだり、スポーツをして発散させています。」
彼女「なぜ発散させるのですか?」
私「溜めておくと体に良くないからです。」
彼女「何で体に良くないのですか?」
私「判りません。」
彼女「怒りなどの感情は目に視えませんが、一種のエネルギーと思って下さい。そのエネルギーは言葉や行動によって外に出さない限り消滅せずに、内部に蓄積されます。」
私「そうなのですか。」
彼女「そして、エネルギーの蓄積が限度を超えると、肉体上に病気となって現れることがあります。」
私「何でエネルギーが蓄積すると、肉体上に病気が出来るのですか?」
彼女「エネルギーの蓄積は霊的な部分に変化を起こして、その変化はいづれ肉体上に現れることになります。なぜなら肉体は霊(魂)を表現する媒体として存在しているからです。」
私「感情がそんなに悪い物とは知りませんでした。」
彼女「感情が悪いと言うよりも、そんな感情がたくさん溜まるような不自然な生き方がいけないのです。」
私「不自然な生き方とは?」
彼女「すごく簡単に言ってしまえば、自分に正直に生きていないことになります。」
私「自分に正直に生きていないと、なぜ感情が溜まってしまうのでしょうか?」
彼女「あなたは動物が好きですか?」
私「ええ、大好きです。」
彼女「動物が大好きなのに、飼い主のいない保護された動物たちを殺処分する仕事を任せられたらどうでしょう。」
私「いやです。やりたくありません。」
彼女「でも上司の命令です。」
私「絶対にいやです。」
彼女「あなたは絶対にいやだと思っているにもかかわらず、殺処分を続けざるを得なかったとしたらどうなってしまうでしょう?」
私「具合が悪くなってしまうと思います。」
彼女「そうでしょう。1例を挙げて説明しましたが、自分の気持ちに正直生きていないと、好ましくない感情が溜まってしまい、それが高じると病気になってしまう可能性があるのです。」
彼女「あなたは今まで自分に正直に生きて来たと言えますか?」
私「そうではないかもしれません。」
彼女「どうしてそう思うのですか?」
私「実は小さい頃、親から厳しいしつけを受けていました。すごく怖かったのですが、どうすることも出来ませんでした。それから自分の気持ちを表に出さないようになり、周囲に気に入られるように生きて来たような気がします。」
彼女「自分の気持ちを、素直に言葉や行動で表現するのが本来の姿です。それが子供の時に出来なくなってしまったのですね。」
私「そうです。自分の気持ちをずっと押し殺して生きて来たのかもしれません。」
彼女「その押し殺して来た気持ちが、病気と深く関わっている可能性があります。」
私「先程例に挙げた、動物の殺処分と同じですか?」
彼女「その通りです」
彼女「別の質問をさせて下さい。この世に生まれて来るのは偶然だと思いますか?」
私「そうではないのですか?」
彼女「偶然などではありません。明確な目的を持って生まれて来ています。」
私「明確な目的?」
彼女「そうです。自分自身を成長させると言う目的です。どのようにして自分を成長させるのかは予め決まっています。残念ながら、生まれてしまうと判らなくなってしまいますが。」
私「私も決まっていたのですか?」
彼女「もちろんです。」
私「予定した通りに、私は生きているのでしょうか?」
彼女「実は、予定していた通りに生きるために病気になったのです。」
私「意味が良く判りません。この病気になるのも予定されていたのでしょうか?」
彼女「そうではありません。本当の自分を取り戻し、予定通りの成長をして行くために、病気になったのです。」
彼女「そのことに触れる前に、もう1つ話をしておくことがあります。」
私「何でしょうか?」
彼女「あなたの中には、2つの自分が存在しています。」
私「2つの自分?1つではないのですか?」
彼女「そうではありません。あなたは精神的葛藤を経験したことはありますか?」
私「あります。」
彼女「その葛藤は、2つの自分が存在しているから起きています。」
私「その2つの自分とは具体的に何なのでしょうか?」
彼女「生まれながらに存在しているの自分と、生まれてから作り上げて来た自分です。」
私「生まれながらの自分?」
彼女「真の自分であり、魂と思って下さい。」
私「では、生まれてから作り上げて来た自分とは何ですか?」
彼女「安全に快適に生きるために作り上げて来た自分と考えて下さい。自我と表現するのが1番近いのかもしれません。あなたは、気持ちを表に出さずに、気に入られるように生きて来たと言っていましたよね。それこそが作り上げてきた自分です。」
私「そんなことなど意識しないで生きて来ました。」
彼女「皆さん、そうおっしゃいます」
私「作り上げた自分がいるのはいけないのですか?」
彼女「そうではありません。人は誰でも作り上げて来た自分を通して自己表現をしています。ただ度を超して強くなり過ぎてしまうことが問題なのです。」
私「どう問題なのですか?」
彼女「先ほど、生まれて来た目的があると言いましたね。作り上げた自分が強くなり過ぎてしまうと、生まれて来た目的が果たせなくなってしまいます。」
私「どうして目的をが果たせなくなってしまうのですか?」
彼女「目的を果たすために、どう生きれば良いのかを知っているのは、潜在意識よりもずっと深い部分にある本当の自分(魂)です。しかし、作り上げて来た自分が強くなると、本当の自分が表に出なくなり、どう生きれば良いのか判らなくなってしまいます。」
私「どう生きるのかは、今まで自分で考えて決めて来たと思います。」
彼女「自分で決めてきたようで、実は本当の自分の想い(気持ち)に無意識に従いながら生きて来たのです。」
彼女「作り上げて来た自分が強くなると、どうしても安全で快適な方向に進んで行ってしまいます。」
私「どういうことですか?」
彼女「学校で仲の良い友達がいじめられていたとします。それを見たあなたはどう思いますか?」
私「助けてやりたいと思います。」
彼女「その一方で、助けに入り同じ立場になってしまうのを怖れて、やめようとする自分がいないでしょうか?」
私「います。」
彼女「それが作り上げて来た自分です。」
彼女「そして、助けてやりたいと思う自分こそが、本当の自分(魂)です。」
彼女「私たちは、本当の自分と作り上げてきた自分のせめぎ合いの中で生きていると言えます。」
私「本当はこう言いたい、こうしたいと思うことはたくさんありましたが、それをさせない自分が確かにいます。」
彼女「本当の自分の想いは、作り上げて来たもう1つの自分が強くなると、表現されなくなってしまいます。」
私「それが自分に正直に生きていないと言うことなのですね。」
彼女「本当の自分の想いを、言葉や行動によって、外に向かって表現する、それが自然な姿です。しかし、あなたは自分を押し殺して生きて来たので、想いが溜まりに溜まっていると考えられます。」
私「その想いが原因で病気になったのですか?」
彼女「そうです。本当の自分を表に出さないために、表現されることなく溜まっていた想いが、肉体上に病気という別の形になって表現されたのです。」
彼女「ところで、病名を告げられた時の心境はどうでしたか?」
私「頭の中が真っ白になりました。」
彼女「思考が一時的に停止したのではないですか?」
私「そうです。何も考えられなくなりました。」
彼女「そんな時、自我の働きも極端に弱くなっています。」
彼女「自我(作り上げて来た自分)の働きが弱くなることで、代わって本当の自分(魂)が表に出て来ます。」
彼女「あなたは深刻な病気にならない限り、本当の自分が目覚めることはなかったと考えられます。」
私「眠っている本当の自分(魂)を目覚めさせるために、病気になったと言うことですか?」
彼女「その通りです。病気は時に耐えがたい苦痛を伴いますが、その苦痛も魂を目覚めさせる触媒となっています。」
私「全く要らないと思っていましたが、全てに意味があったのですね。」
彼女「今まで、ガンをどう思っていましたか?」
私「命を奪ってしまう怖い存在であり、闘うべき敵だと思っていました。」
彼女「そうではないことが判ってもらえればうれしいです。今回は病気について、いろいろなことを話しました。次回は病気を治すお手伝いをしたいと思います。」
私「よろしくお願いします。」
《次回に続く》
28 件のコメント:
お久しぶりです。ナオヤです。
すごくよく出来たストーリーだなと思いました笑
こんな時代が来るといいなぁと思います。
ナオヤ様
お久しぶりです。
早速、感想を送っていただき、ありがとうございます。
唯物的な医者がこの文章を読んだならば、一笑に付してしまうでしょう。
しかし、時代が進むにつれて、あなたの様な霊性に目覚めた医者が増えて来て、健康や病気の概念はきっと変わって来ると思います。
現代医学に頼らずに、ガンが完治した人がごく少数ながらいます。
そんな人たちの多くは、目が輝いて、活き活きとしているように見えます。
魂が目覚めて、本当の自分を取り戻した喜びに溢れているように感じられます。
そんな人たちを研究対象にすれば、原因究明の糸口が見つけられるのではないでしょうか。
はじめまして。
現在でもスピリチュアルヒーリングは行われていますが、高い料金設定になっていることが多いように感じます。
無料でガンの外科手術を行う医者がいませんし、ヒーリングも高額になるのでしょうか。
でも、ヒーリングが国家に認められた資格になったら、患者をだまして、お金をだまし取るヒーラーもいなくなるかもしれませんね。
スピリチュアルヒーリングに頼る患者は、他のいろいろな治療法をやっても無駄だった人が最後に頼る人かもしれませんね。だから、最初からヒーリングを紹介されても、ありがたみが無い気がします。
私は怒りの感情を抑圧してきたほうなので、自分が患者になった気分で文章を読むことが出来ました。
ありがとうございます。
ぽぽん様
初めまして、イクミです。
ブログを読んで書いていただき、ありがとうございます。
あなたが言われるように、インターネットを見ているとヒーリングの料金が高いように感じます。
ガンの外科手術には、様々な経費が掛かりますので、無料で行うのは難しいでしょうが、ヒーリングに関しては経費がかかりませんので、原則的に無償で出来るはずです。
無償で出来るはずなのに、高額の料金を取るのは、霊界の意思に反していると思われますので、もしかしたら霊界との関わり合いがないヒーリングなのかもしれません。
日本でヒーリングが国家資格になる可能性は、客観的な評価が困難なのでゼロだと思います。
イギリスでは認定を受けたヒーラーが病院でヒーリングを行うのは医療保険の対象となるようですが、財政的な問題もあり、残念ながら日本ではそこまで行くことはないのかもかもしれません。
あなたの言われるように、医者がヒーラーを紹介してもありがたみはありません。
ヒーリングの目的は、霊力により魂を目覚めさせるためです。
基本的には、地上に何1つ頼る者がなくなった人が、霊界に導かれて、辿り着くものだと考えています。
そうでなければ、肉体上の病気は治ったとしても、魂は目覚めないと思います。
地上の人は多かれ少なかれ、怒りなど摂理に反した感情を抑圧しながら生きています。
その感情が自らの意思決定に影響を与えるほど溜まってしまうと、因果律の働きで、肉体上に病気として現れて来る可能性があると考えています。
貴重なご意見とご感想、ありがとうございました。
またコメントをして下さい。
ナオヤです。
"現代医学に頼らずに、ガンが完治した人がごく少数ながらいます。"
いつかお会いしてみたいです。今後そういう方と巡り会えたらいいなぁと思います。そういう方から学べることは多いと思います。
いったい医療って何なのでしょうね。
とにかく長く生きたいからとにかく治療してくれという患者さん。
医療技術が高度になればなるほど、治療効果は上がるものの、医療費は増える一方で。。
高齢化に伴い患者さんは増え、若い医師や看護師が体をすり減らして働かざるを得ない状況。
もうなんだか違和感しかありません。色々おかしいよ〜と言いたいです。
こういう状況の中で、私に出来る事って何なのでしょう?
今はまず、シルバーバーチの霊訓をお守りに、来週から始まる病院実習に備えたいと思います。(ついにデビューです。)
ナオヤ様
こんばんは。
全ての病気は因果律の働きで生じます。
結果責任を、当然のように医者に頼り、解決してもらおうとするのは間違っていると思います。
例えば、高血圧症ですが、患者さん自身がウェイトコントロールと塩分制限の自助努力をしなければいけないのに、安易に薬に頼ってしまっているように感じます。
医者の役目は、病気を治癒させることですが、そのためには原因を突き止めなければいけません。
しかし、原因不明の病気の多くは、肉体(物質)だけを調べても無理だと思われます。
ヒポクラテスは、心に起きることはすべて体に影響し、体に起きることもまた心に影響すると言っていますが、科学に偏り過ぎた医学は、もう1度この言葉の意味を検証するべきだと思います。
長生きさせてくれ言って来る患者さんに、医者は応えなければいけませんが、同時に霊的な真実を伝えられたならば、それはすばらしいことです。
ただし、来週から始まるポリクリで伝えたならば、大変なことになってしまうので、実績を積んで信頼される医者になってからの方が良いでしょう。
真実を知っているあなたが、現行の医療に疑問を感じるのは仕方ありませんが、しばらくはその中で患者さんのために最善を尽くすべきです。
そうしているうちに、あなたに与えられた使命が、向こうからやって来ると思います。
ポリクリでは、患者さんのデータを見るだけでなく、人間自体を診るように努めて下さい。
頑張って下さい。
ご返事ありがとうございます。
ヒーリングは国家資格にはならないんですね。
イギリスは発展してますね。同じ地球で生きているのに、ぜんぜん違うんですね。
自我の話はとても興味深く読みました。
私は自我が無くなってしまったことがあります。
その時から霊の声が聞こえるようになりました(^^)
ブログの最後のほうのところで、自我(作り上げて来た自分)の働きが弱くなることで、本当の自分(魂)が出てくると書いてあって、自分もそうだったので、ブログを読んで納得してしまいました(≧◇≦)
私は統合失調症になったのですが、その病気に苦しんでいる時はいつも霊が助けてくれました。
統合失調症の人で霊が関係していることを知っている人って私の体験からすると少ない気がします。
怒りの感情について。
私は幼い頃から怒ることを抑圧してきました。でも、家族愛を壊す人に対しては怒りの感情を持ちました。それは、自分が親から愛されるか、愛されないか、ということに関係していました。怒り、憎しみ、恨みなどの感情が神の摂理に反していると分かっていても、自分は愛されていないと思うと、憎んでしまいました。今、やっと大霊の愛を感じることで、人をゆるし、感謝することも出来ます。このまま、ネガティブな感情を持たないように出来たらいいなと思っています。まだ、憎んだりすることはありますが(>_<)
心の平和を持ち続けたいです。イクミさんのブログを読むことで学んでいきたいです。感謝しています。
ナオヤです。
アドバイスありがとうございます。そうですね笑 何も成し遂げていない若造が言ったところで信頼は勝ち取れないと思います。
まずは、きちんとした信頼と実績を積み重ねたいと思います。
ヒポクラテスってそんなこと言っていたんですね。知りませんでした。
初心を忘れないってやはり本当に難しいんだなぁと感じました。
"人間自体を診る"というのは、その人の考え方や、生き方、心の状態をも診るということなのでしょうか?私はそのように理解しているのですが…。
その辺に関してもう少し詳しく意見をいただけると嬉しいです。
ぽぽん様
おはようございます。
自我が無くなったら(働きが弱くなったら)、霊の声が聞こえるようになったのですね。
自我はこの世で魂を守っているバリアの様な存在と考えています。
強くなると本当の自分(魂)が表現されにくくなりますが、弱くなると外部の魂(霊)の影響を受けやすくなると考えられます。
統合失調症は自我の働きが弱まり、外部の霊が地上の人に影響を与えた結果、生じると考えられますが、精神科の先生は霊の存在を認めていません。
症状から考えても、その方が整合性が取れるのですが、認知されるのはまだ先になりそうです。
あなたは、そのことをすでに知っているので良かったです。
病気で苦しんでいる時に、霊が助けてくれたのですね。
それはあなたの守護霊ではないでしょうか。
あなたが今生で、この病気になるのを承知していて、乗り越えて行くように援助していると思います。
幼いころから、怒りの感情を抑圧して来て、それは親から愛されているか、いないかに関係しているのですね。
憎んだり、恨んだりすることを改めるように、この病気が与えられたような気がします。
普通の人よりも、摂理の働きが直ぐに現れるようになっていて、短期間で矯正されるような気がします。
あなたは霊的真理を受け入れ、神の愛、摂理の働きをご存じなので、大きな山は越えられていると思います。
判っていると思いますが、これからも摂理に適うように生きて行くことが求められています。
人を許し、感謝することは、とても大切なことです。
そして、心の平和を持ち続けるためにも、小さなことで良いですから、人に喜ばれること、笑顔になることをなさって下さい。
ナオヤ様
人間自体を診るのは、あなたの言った通り、考え方や生き方、心(魂)の状態を見ることです。
その中に、自然法則(神の摂理)に反したものがあれば、それが病因になっている可能性があります。
例えば、肝機能の数値が悪ければ、酒を大量に飲んでいる可能性があります。
そして、酒を大量に飲むのは、心の中にたくさんの悲しみや憤りなど、言葉に出来ない想いを抱えているせいかもしれません。
解決することは出来ませんが、真理に照らし合わせて助言を与えることは可能です。
大学病院の短い診察時間では難しいかもしれませんが、患者さんの心の内を知ってあげること、溜まった想いを吐き出させてやることは、病気を治すために、とても大切なことだと私は思います。
返信ありがとうございます。
その通りだと思います。
そういうことが出来たらいいなぁと思います。でも、患者さんの溜まった想いを吐き出させるということは、時に、怒りや憎しみが自分に向かってくることもあるのではないかと推察します。
これまでも何度かそういった怒りや憎しみをぶつけられる機会がありましたが、自分がしなやかな心を持っていなければ,きついと感じました。
人間の心理というのは不思議で、私も以前はその傾向がありましたが、きちんと向き合ってくれる人に対して、すごくきつく当たってしまうことがあります。安心して自分の中に溜まっていたものをはき出せるからなのかもしれません。
だから、自分の心の状態を良い状態に保っておく努力を続けたいです。私自身も、ヨガをやっていて、"あ、自分はこんなことに怒っていたのか"とか"こんなに肩肘張っていたんだ"と気付くことが多いです。
ナオヤ様
そうですね。
患者さんに溜まっているのは、怒りや憎しみ、怖れや不安などの言葉にされなかった想いであり、吐き出すと楽になりますが、受け止める方は苦しくなってしまうかもしれません。
自分の中に溜まっている想いを吐き出すのは、内面をさらけ出すわけですから、信用できる人でなければいけないと思います。
ヨガのことは詳しくありませんが、瞑想状態になることで自我から解放されて、溜めていた想いが表出しているのかもしれません。
私は、無心になって掃除していると、内にある想いが表に出て来る時があります。
昼下がりのレストランで女性が夢中でおしゃべりをしているのも、駅前の飲み屋で仕事帰りの男性が大声を上げているのも、溜まっている想いを吐き出す作業を無意識にしているように思えてしまいます。
そんな想いに気付かないまま、溜め続けてしまいそれが閾値に達すると、病気として表出する時があると考えています。
返信ありがとうございます。
掃除も良さそうですよね。シルバーバーチも言っていたようにそれぞれが自分にあった方法を見つけていくのがよいのかなと思います。
ちなみに、私は掃除が苦手で…。お世辞にもきれいとは言えません笑
昼下がりのレストランもそうですが、朝の電車の中で、おばちゃんたちが話しているのに遭遇します。
話している内容が楽しい内容だったらいいなと思うのですが、正直汚いなと思います。噂話だったり、人の悪口だったりが多いですね。
おじさんはおじさんで、飲み屋さんでの態度がひどいです。
もちろん、すごいなーと思う方もたくさんいるのですが、そうじゃない方の方が多いなと思っています。
(若者の酒離れの理由のひとつに上の世代のそういう姿を見てきたからというのもあるのではないかと思います。)
その人のこれまでの生き方が、今のその人の姿に如実に現れているなぁと改めてシルバーバーチの言う摂理を見せつけられたように感じています。
人を非難するのは簡単です。
私の父も、酒癖が悪く、一度飛行機の中で暴れたことがあるくらいです。
そんな父を見て、父に対して嫌悪感を強く持っていたのですが、私自身が年を取るにしたがって、働いてお金を稼ぐことの大変さ。社会で生きていくことの大変さを身に染みて感じることができるようになりました。
皆、精一杯生きていて、つらいことや悲しいことがたくさんあるから、こういうことになっているのだと分かりました。
そういうことに気づけたお陰で、父に対する嫌悪感は和らぎ、私自身生きるのが楽になりました。
では、そういう世の中で、私自身がどう生きていくのか?しっかりと考えながら、マイペースで生きていけたらと思っています。
ナオヤ様
その人のこれまでの生き方が、今のその人の姿に現れている、その通りだと思います。
現在の自分の姿は、これまで生きて来た自分の結果です。
働いてお金を稼ぐこと、社会で生きて行くことは、本当に大変なことです。
顔は笑っていても、それぞれの悩みや苦しみを抱えながら、懸命に生きています。
あなたのお父様は、おそらく私と同年代だと思います。
酒癖が悪かったそうですが、自分を抑えて生きて来たのでしょう。
嫌悪感を持っていたそうですが、お父様はあなたの成長が何よりの楽しみだと思います。
医者になって、人のために働いている姿を見せるほどの親孝行はありません。
あなたは、霊的真理と言う絶対的な羅針盤を持っています。
岐路に立たされた時に、真理に照らし合せ、本当の自分の想いに素直に従えば、予定されていた人生を確実に歩んで行くことが出来るはずです。
イクミ様
オンラインで集団から執拗にいじめを受けた場合、どのように対処すれば良いのでしょう?
また、いじめを受けている人を無神経な発言で更に追い詰める人に報復したい気持ちはどうしたら良いのでしょう?私はSNSを使っているのですが、いつまでも執拗に嫌がらせをしてくる人々に辟易しています。
tomoko様
おはようございます。
どの様ないきさつで、嫌がらせが始まったのか判りませんが、あなたが苦痛を感じているのに執拗に続けているのは、明らかにいけないことです。
他のブログで、信じられないような陰湿な嫌がらせをしている人を見かけましたが、そんな人たちは心が病んでいるように感じました。
実社会で出すことの出来ない病的な部分を、匿名性のあるSNSで出して、心のバランスを保っているような気がしました。
しかし、それを受けている側は、心のバランスを崩してしまいます。
どのように対処すれば良いのかと言うことですが、自分の発言によるあなたの反応(発言)を見て、それに対して謂れのない非を見つけて反応する、そんなことを繰り返しているように思えます。
その人たちの発言であなたが嫌な思いをしていることをはっきりと告げて、それでも発言してくるのであれば、一切関りを持たないようにするのは無理なのでしょうか。
無神経な発言をする人を何とかしたい気持ちは判りますが、報復すれば相手から報復される可能性が高く、あなたがさらにつらい思いをするだけですので、やめましょう。
因果律の働きで、報復には報復が、沈黙には沈黙が返って来ると、私は思います。
マスコミの報道を見ていて感じるのですが、特定の人の非を見つけてそれを追求し、周囲を巻き込んで、徹底的に追い詰める、そんな風潮が今の世の中全体にあるのかもしれません。
イクミ様
一切関わりを持たないようにするには、私がsnsを辞めるしかないのでしょうね…それも選択肢の一つだと思いました。
私をいじめる人々に因果律は働かないのでしょうか?
心の傷をどうしたら克服できるのでしょう。癒えない限り泣き寝入りした感が拭い去れません。
tomoko様
SNSのつながりはとても大切ですが、これ以上心が傷つかないように行動して下さい。
傷つけるだけ傷つけて、それを何とも思っていない人たちに、強い怒りが生じてしまうのは無理ありませんが、因果律は厳格に働き、その人たちは将来相応の償いをしなければなりません。
お気持ちは判りますが、自分の手を汚してはいけません。
傷つけられた心の痛みが、相手に対する怒りや憎しみ、悔しさになっているように思います。
難しいのを承知で言いますが、それらの想いを哀れみの想いに変えて、相手に向けて返せたのならば、今の苦しみから解放されるかもしれません。
ありがとうございます。
辛いときは、シルバーバーチの霊訓と、このブログを励みに頑張っていきたいと思います。
自分の感情を出す…。
今までこれは良くないと思ってきたので、感情を出さないように努力してきたのですが。
間違いだったんですね。
でも、地上で生きていく以上は、耐えていかなければならないことも多々あり、
自分の感情通りに生きていては大変なことばかり起きるような気がします。
「自分の気持ちを、素直に言葉や行動で表現するのが本来の姿です」とありますが、
このように生きていくのは無理な気もします。地上で生きるって苦しいです。
感情を吐き出すって簡単ではないですよね。
霊訓には、行うこと以外にも口にすること、思うことも大切ですよと言っています。
負のことを思うこと自体、摂理違反なんですよね?
でも、感情は止められません。どのようにコントロールすればいいのかを教えてほしいです。
霊性が進化すれば、思う気持ちも変わるのでしょうが。
話は変わりますが、感情を吐き出すという文章を見て、
「王様の耳はロバの耳」を思い出しました。
<誰にも言えないことがあって苦しんでいるなら、林の奥に行って、穴を掘って、どなってごらん。
穴に向かって大きな声でどなる。>部分。
「王様の耳はロバの耳、王様の耳はロバの耳。」と連呼しているうちに体調がよくなるという場面です。
感情がたまることで、病気になる。なんとも説明しがたい。
でも、なんのために生きているのかと言われれば腑に落ちる部分もありますが、
地上で生きることはたやすいことではないですね。
霊界でも生き続けるといわれていますが、鳥かごから放たれる、復活とも言われていますが、
進化の道は険しくも思えてなりません。
匿名様
ブログを読んでいただき、ありがとうございます。
私もあなたと同じように、感情を表に出すのは良くないと思っていました。
特に、怒りなどの感情を外に出せば、周囲との間にいさかいが生じてしまう可能性あり、今でも抑えて生きていると思います。
もし相手を傷つけてしまえば、因果律が働いて、自分が苦痛を味わなければいけません。
そうだからと言って、その想いを抑えて、表現しなければいいのかと言えば、そうではありません。
あなたが言っている通り、行ったこと、言ったことだけではなく、思ったことにも摂理が働いているからです。
思念が実体であり、利己的な想いを抱くと霊格が下がると、シルバーバーチも言っています。
感情は止められない、それは私も同じです。
さまざまな魂が同一平面で暮らす地上は、それぞれの生き方や考え方が違うため、また摂理に反した行いをする人がいるので、どうしても良くない感情が沸き上がってしまいます。
イエス・キリストでさえ怒りの感情を露わにした時があり、怒りがないのは、もはや人間ではないと霊訓には書いてあったと記憶しています。
怒りの感情は、地上の人は誰でも生じてしまうものであり、良くない感情が全く生じないような人は、この世に生まれて来ないと思います。
私が怒ってしまうことでも、平穏な心を保ったままの人もいます。
その人は私より寛容であり、私はその人より未熟だからです。
未熟さゆえの苦痛を味わいながら、魂を成長させて、寛容になり、怒りなどの想いから解放されて行く、それがこの世に生まれて来た目的の1つであり、魂(想い)が剥き出しになってしまう霊界での生活に備えていると考えられます。
思うことにも摂理は働いていますが、蓄積した摂理に反した想いが肉体上に病気として現れることがあると考えています。
病気の苦痛は、摂理に反した想いを抱いていたことに対する償いであり、魂を成長させて、そんな想いが生じないようになって行くと考えています。
「王様の耳はロバの耳」を改めて読んでみました。
床屋が言いたかったことを叫ぶと、病気が良くなりましたが、その通りだと思ってしまいました。
世の中を見回しても、言いたいことを言っている人は健康であり、言いたいことが言えない人が病んで行くように思えます。
ただし、言いたいことを言って周りを苦しめたり、傷つけたりすれば、肉体は健康でも、魂は病んで行きます。
自分の気持ちを素直に言葉や行動で表現するのが本来の姿と書きましたが、この世では難しいのは私も十分承知しています。
それども、言いたいことが言えなかったり、やりたくないことをやっていたりすると、魂と精神と肉体の間に不調和が起こり、高じると病気になる可能性があることを伝えたかったのです。
感情を吐き出すのは簡単ではないですが、直接的でなくても、無心に何かをしていたり、趣味に没頭していたりすると、自然に外に出されている時も多いと考えています。
いわゆる、ストレス解消に当たるものですが、無意識に行動をして吐き出して、健康を維持しようとしている人も少なくありません。
良くない感情が生まれてしまうのは、この世にいる限り当然です。
そんな感情に苦しみながら、解放されて行くために生きていると思います。
最終的には、愛のみが表現されるようになるはずですが、それには長い長い時が必要と考えられます。
僕は精神障害者なので、障害年金をもらっています。1ヶ月6万円ほど。それが無いと一人暮らしは出来ません。障害年金をもらえて助かりますという感謝の気持ちと申し訳ないという気持ちがあります。世の中には食べる物も無く、住む所も無い人々がいます。そう考えると、自分は恵まれているなあと思います。この障害年金にもカルマがあるのかなと思っています。現世でお金をもらったから、来世でお金を与える人になるのかなと思っています。来世でお金持ちに生まれたら、そんなことも出来るのかもしれないけど、どうなるのか不安です。
今は過去世で良い行いをしたカルマを受け取っているということだったら、それが一番良いのですが。
霊の声が少し聞こえるのですが、障害年金をもらう側になってから、霊の声が聞こえなくなった気がします。与える側ではなく受け取る側になっているから、霊達も近づいてくれないのかなと思います。
障害年金は遊ぶために使っているわけではなく、生活費に使っています。ギリギリの生活です。現世は苦しい人生でしたが、援助があったから生きてこれました。来世はどうなるんだろうと思いつつ、僕は年金をもらい続けると思います。はぁ、お金のカルマは怖いです。
ぽぽん様
おはようございます。
病気を抱えながら、自立をして生活をして行くのは、大変なことだとお察しします。
あなたは障害者年金をもらっていて、感謝と申し訳ない気持ちの両方があるのですね。
ハンディーを抱えている人を周囲がバックアップするのは当然です。
世の中が成熟して来て、相互扶助の精神の現れとしてこの制度があるので、ありがたく享受していれば良いのではないでしょうか。
病気とカルマは密接な関係がありますが、年金をもらっていることがカルマになるとは思えません。
自由意思で行ったことに対してカルマが生じますが、年金をもらうことは過ちではないので負のカルマにはなりません。
ただ、この世で受けた厚情に対して、来世において人や社会のために何かをしたい衝動となって湧いて来るような気がします。
お金を与える立場になるのかもしれませんが、ハンディーを抱えた人をサポートする立場になるかもしれません。
今、苦しい生活を余儀なくされていますが、その苦しさがあなたを成長させていると共に、霊界あるいは来世での心豊かな生活のため、そして奉仕のために活かされると思います。
感謝の気持ちは持ち続けて下さい。
ぽぽん様、障がい者年金の受給は憲法で保証された当然の権利ですよ、カルマになるわけがないです。
イクミさん
もし日本ではなくて、他の国に生まれていたら、障害年金という制度自体が無かったかもしれないですね。
日本は外国と比べて、福祉が進んでいるのか、遅れているのか、よく分かりませんが。
ハンディーを抱えている人がいるから、支える人がいて、奉仕することが出来るとも考えられますね。
年金をもらっていることがカルマにはならないのですね。
感謝は大切ですね。ありがとうございます。
匿名さん
そうですね。カルマにはならないと思いたいです。ありがとうございます。
ぽぽん様
あなたはこの国で、この病気なることを決めて生まれて来たはずです。
この国でも、生まれるのが少し早まっていれば、制度はまだなかったでしょう。
支えてもらいながら生きて行くのは、あなたの魂は承知していると考えられます。
あなたの言うように、支えている人は、ハンディーを抱えている人に奉仕をしていることになります。
お役に立つことで、成長と言う報酬をもらっていると考えて下さい。
匿名様
適切なご助言ありがとうございます。
子育てをしている母です。
怒りはいけないのは知っていますが、やはり感情的になって子供に怒ってしまいます。
文面にある親が怖くて自分の感情を出せない…人ごとではないと感じました。
怒ってしまったあとやりすぎたなぁと思うのですが、どういう風にさとしていけばいいのかがわかりません。怒らないと悪いことをしたんだと気づかないのでは?とも思う反面、放置も良くないし。もう、どうしたらいいかわかりません。自分も怒ると疲れるので、辞めたいです。
もし、よろしければ教えてください。
子育てをしている匿名様
初めましてイクミです。
ブログを読んでいただき、ありがとうございます。
あなたは今、子育ての真っ最中なのですね。
お子さんに怒ってしまうと、やり過ぎたと思ってしまうそうですが、こんなことを書いている私自身も、エゴ丸出しで子供に怒ったことが何度もあります。
感情のまま怒ってしまう未熟な親が、子育てを通して、成長させてもらったと、今は思っています。
文面を見る限り、あなたは健全なお母さんです。
いけないこと、危ないことをした時に、注意するのは親の義務です。
注意しても聞かなければ、叱らないと子供に伝わらない時もあります。
怒るのはエゴであり、叱るのはしつけであるような気もしますが、両者の線引きは難しいです。
ブログに書いた人物もそうですが、子供が委縮したり、怯えてしまうほど、親が感情的になってしまい、それが常態化して、恐くて何も言えなくなったり、何も出来なくなってしまえば、それは問題です。
私が子供の頃は、悪いことをすれば、親に怒鳴られ、時に叩かれ痛い思いをしたものです。
そのことで傷ついたり、大人になってから問題が生じたことは何もありません。
むしろ、叱(怒)られずに育ち、善悪の判断が曖昧なまま(良心は内在していますが)大人になることの方が危ういと思います。
シルバーバーチの霊訓にも書いてありますが、行いの動機が問われます。
子供のためを思って叱(怒)るのであれば、それは罪なことではなく、心の傷にもならないと思います。
怒るのが疲れるのであれば、目をじっと見つめながら、真剣にあなたの想いを伝えれば、お子さんの魂に届くと思います。
コメントを投稿