人は何のために生きているのか?死んだ後はどうなるのか?その明確な答えが「シルバーバーチの霊訓」の中にありました。本当の自分とは魂です。この世を生きるたった1つの目的は、魂を成長させるためです。人生で出会う障害や苦難を乗り越えること、人や動物そして社会のために奉仕することで、魂は成長していきます。死んだ後、魂は次の世界に移り、この世を振り返る時が必ず来ます。悔いのない様に、失敗を怖れず、今を大切にして生きましょう。
2018年1月21日日曜日
ガンを癒やす その1
インフルエンザが流行する季節です。
運悪く罹ってしまったら、多くの人は病院(医院)に行って診てもらいます。
病院には内科、外科、小児科、精神科など、さまざまな科があり、症状がある身体の部位や、年齢に合わせて受診する科を決めます。
胃が痛くなれば、内科または外科に行って、内視鏡で胃の中の様子を調べてもらい、診断してもらうこともあるでしょう。
患者さんが痛みを訴えているにもかかわらず、異常が認められなければ診断が付かず、原因不明の痛み(不定愁訴)となってしまいます。
近年、心身医学の概念が生まれ、目に見えない精神と肉体は密接に関係していることが判って来ました。
精神的なストレスから、胃の痛みが生じることがあるのは周知の事実です。
胃潰瘍になったからと言って、手術をして患部を取り除く医者はもういません。
人々に怖れられているガンはどうなのでしょうか?
もし、胃の中にガンが見つかれば、当然のことですが外科的に取り除き、なくなれば治癒とします。
ところが、早期発見が可能となり、手術の技術も向上したのにもかかわらず、ガンによる死亡者数は減っていません。
平均余命が伸びたためと理由付けしていますが、苦しい弁明に思えます。
ガンの原因が究明されていないため、根本的な治癒につながっていからではないでしょうか。
現在、常識と思われている医学的行為も、もしかしたら、胃潰瘍で胃を切除して治そうとするのと同じなのかもしれません。
人は目に見える肉体と、目に見えない精神から構成されていると、一般的に思われています。
精神とは何か?
ブリタニカ大百科辞典によると、「非物質的現象またはその基体とされる実体をさす概念」とされていますが、意味がさっぱり判りません。
精神(心)の存在は誰もが認めますが、物質的次元のものではないので、科学的に調べることや、言葉で表現するのには無理があります。
精神が存在している次元を、精神的次元と仮定します。
人は物質的次元の肉体と、精神的次元の精神の、2元的に構成された存在と言えます。
肉体と精神は、どのような関係なのでしょう?
精神が司令を出して肉体が動いているので、肉体よりも精神が上位なのは明らかです。
それでは、胃潰瘍のように精神的次元にある原因(ストレス)から解放されれば、ガンは治るのでしょうか?
胃潰瘍とは違い、休養して治ったと言う話を聞いたことがありませんので、精神的次元に原因がある病気ではないのかもしれません。
もっと、違う次元に原因が存在すると考えてみてはどうでしょうか?
上の写真は夜空に輝くオーロラです。
写真を見てオーロラだと認識するのは、肉体(眼)と精神の働きによるのものです。
もし、脳の電気的信号のやり取りで精神が作り出されるのであれば、オーロラと機械的に認識されるだけで良いはずです。
しかし、人は違います。
風にたなびくカーテンのような光景を見て、神秘的な美しさを感じます。
オーロラと認識するのとは別に、「美しい」という概念が生まれています。
ところで、その美しさを言葉によって説明することはできるでしょうか?
美しいとは何なのかを、言葉で説明することはできるのでしょうか?
難しいはずです。
「美しい」という言葉は、概念を地上で表現する代用品に過ぎないからです。
精神的次元を超えたものが存在し、その存在が美しさを感じています。
美しさを感じているのは、精神的次元を超えたものであるため、そこから生まれる思念や概念を言葉で説明するのは不可能です。
悦び、悲しみ、怒りなどの思念も、同じくその存在から生まれているので、それ以上、説明することは出来ません。
精神的次元(言語)を超えた、思念や概念を生み出している存在を、魂と呼んでいます。
精神と同様に、魂の存在を証明する手段はありませんので、残念ながら医学では認められていません。
この世界では、思念や概念を肉体によって表現しています。
魂から生まれている思念を、この世界で具現化させるためにあるのが精神と考えられます。
思念や概念が生まれ、それを言葉に変換しているのが精神の働きだと思います。
オーロラを見て感動したとしても、「美しい」と言う言葉に変換されなければ、この世界で伝えることはできません。
また、魂から生じた思念や概念を、具現化するための方策を考えているのも、精神の働きです。
方策が物質的次元の脳に伝わって身体に司令が出され、身体が動かされることによって行動となり、外に向かって表現され、具現化されて行きます。
それらが絶え間なく繰り返されているのが、地上の生命活動と言って良いのかもしれません。
魂が存在しなければ、思念や概念が生まれず、何も始まりません。
魂と肉体のインターフェイスの役割を果たしている精神がなければ、肉体に命令を出せません。
肉体がなければ、地上で表現はできません。
3者のどれもが必要ですが、魂が上位にあり、精神が次に位置し、肉体が下位にあります。
しかしながら、多くの人は下位にある肉体ばかりを意識し、上位にある魂の存在を認めていないのが現状です。
その誤った認識が、健康にも悪影響を及ぼしていると思われます。
健康とは?
WHOが1998年に出した新しい提案では、「Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.(健康とは、病気でないとか、虚弱ではないことではなく、肉体的にも、精神的にも、霊的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態)」と 定義しています。
医学では認めていない霊(魂)の存在を、WHOは認めているようです。
霊的真理では、霊(魂)、精神、肉体の3者の調和が取れている状態を指します。
私は、3者の連携が上手く行き、本来の自分(魂)の想いが、精神(この世の自我)を通して、スムーズに肉体で表現されている状態を健康と考えています。
3者の連携が上手く行かず、本来の自分の想いが、精神(この世の自我)に遮ぎられてしまい、肉体で表現されなくなった状態を不健康と考えています。
魂から精神、精神から肉体、肉体から外部へと、生命エネルギーが何の障害もなく流れている状態が、健康と言えます。
従って、肉体上に異常があっても、魂から生じた思念(想い)が肉体で表現されていれば、その人は健康と言えます。
逆に、肉体上に異常がなくても、魂から生じた思念(想い)が肉体で表現されていなければ、その人は不健康と言えます。
ガンになった人の多くは、自分本来の想いを肉体で表現出来なくなり、思念(想い)というエネルギーが内部に蓄積した状態にあると考えています。
目に見えるガン組織は、精神の上位にある魂(霊)の異変の反映と考えています。
《次回に続く》
2018年1月7日日曜日
夢を抱く
小学生の時に、大人になったら何になりたいのか、クラス全員で文集に書きました。
男子はプロ野球選手が多く、中には内閣総理大臣と書いた友達もいました。
ちなみに私は、宇宙飛行士だったと記憶しています。
大人から、「夢を抱いていればいつか叶う」と言われた覚えがあります。
しかし、その時は、何を根拠に言っているのか、全然判りませんでした。
文集に書いた夢を叶えた人は、果たしてどれ位いるでしょうか?
大部分の人は、大きくなるのに従って実現不可能と思い、諦めてしまったのではないでしょうか。
私もその中の1人です。
それでも、子供の頃の夢を実現させている人はいます。
その差は何なのかと言えば、単純に夢を抱き続けられたかどうかの差だと思います。
努力していれば、なれるかもしれないと思い続けられた人が、夢を実現していると思います。
また、漠然と実現できたら良いなと思っている私みたいな人よりも、強く思いながら、自分を信じていた人の方が可能性は高いと思います。
しかし、この世界は、どんなに強く思っていても、実現されないこともあります。
多くのオリンピック選手は、金メダルを取る姿を思い描きながら、厳しい練習をしていますが、実現する人は1人だけです。
誰もが経験する入試や就職あるいは結婚も、強く思っていたからといって、希望通りになるものではありません。
また、どんなに思ったとしても、実現不可能なことがあります。
鳥のように空を飛びたくても、自力で人は飛べません。
150歳まで生きようとしても、無理です。
病気を治したいと思っても、直ぐに治るわけではありません。
この世界には、目に見えない自然法則が存在しています。
自然法則の働きは完全かつ不変であり、私たちはそれに従いながら生きています。
どんなに思ったとしても、自然法則の働きを超えて、実現されることはありません。
あくまでも法則の枠内で実現されます。
この世界では、自分の夢(想い)を具現化するためには、肉体的、精神的努力を伴わなければいけません。
必ずしも報われる訳ではないのに、人は夢に向かって努力をしますが何故なのでしょう?
夢が実現することよりも、実現するための奮闘努力が大切であり、その中で自分が成長することを知っているからなのかもしれません。
この世界に生まれて来たのは、自分を成長させるためであることを、本当の自分(魂)は知っているからだと思います。
夢を抱き続けていれば実現すると言われるのは、夢(想い)は具現化する力を秘めているからと考えられます。
強く抱くほど、具現化される可能性は高いと考えられます。
見方を変えれば、夢が実現しないのは、具現化するだけの強い想いではないのかもしれません。
あるいは、もっとふさわしい夢が存在し、そちらに進んで行かなければならないのかもしれませ
ん。
想いは魂で生まれ、具現化するための方策が精神で生まれ、肉体を動かすことによって実現されると考えています。
従って、想いが生まれなければ、何も始まりません。
想いが生まれたとしても、精神を働かせなければ方策は生まれません。
方策が生まれても、肉体を働かせなければ、この世では実現できません。
では、私たちが死んだ後に行く世界ではどうなのでしょうか?
想像するのが難しいのですが、五感に触れない想いこそが実在であり、しっかりとした実体があります。
この世界では、自分の想いを相手に伝えるために、肉体を介した表現をしなければいけませんが、次の世界では瞬時に伝わります。
人に知られたら恥ずかしいような想いを、隠す肉体はもうありません。
虚飾のない、以心伝心の世界であり、その様な想いを抱かないように修養するのが、この世界を生きる目的の1つなのかもしれません。
想っていることが、直ちに具現化されるのが、大きく違うところです。
自然法則の働きでそのようになるのであり、この世界のような努力は必要ありません。
次の世界では、想いが直ぐに具現化されるのに、この世界では何故、この様な煩わしい行程を経なければならないのでしょうか?
想いを実現するために、肉体的、精神的活動が必要であり、そこに大きな意味があるようです。
肉体や精神を働かせることは、上位にある魂にも負荷がかかり、成長につながると考えられるからです。
肉体的、精神的限界が伸展することにより、魂はより大きく、強い個性を表現出来るようになると考えられます。
望んでいるものが、向こうから舞い込んでくるようなことはありません。
自分が想わなければ、決して変化は起こらず、現実はそのままです。
想うことによって、現実を変えるためのスイッチが入り、影響を及ぼし始めます。
想いは行動となり、周りに変化を起こして行きますが、物質次元に顕現して来るのには時間がかかると思われます。
望む方向に人生を変えて行くために、まず夢(想い)を抱きましょう。
夢(想い)を抱いたら、行動に移すようにしましょう。
それにより、現実が少しずつ変わって行くはずです。
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