2015年9月13日日曜日

ガン(癌)は怖くない!


私は歯医者をしているので、毎日のように虫歯の治療をしています。

ご存知のように、虫歯はプラークという歯の表面に付いている汚れが原因で起こります。
プラークの中にはたくさんの細菌が棲息していて、その細菌が歯を溶かしながら増殖していきます。

歯医者の間では、原因はプラークにあると考えているので、ブラッシングを適切にすれば虫歯は防げるというコンセンサスが得られています。

私も、当然のことながらそれを信じてきましたが、果たして原因はそれだけでしょうか?



私の患者さんで、40代の女性がいます。

虫歯の治療で来院され、何回か通っていただき治療が終わります。

しばらくの期間を経て来院されて、お口の中を拝見すると、また虫歯が出来ています。

過去に何回かブラッシング指導をしているので、患者さんも歯の磨き方は知っていて、怠れば虫歯になることは、良く判っています。

それでも、虫歯になるのは、ブラッシングの悪さと言うよりも、食生活の問題であり、砂糖を含んだ食品をたくさん摂っているためと推察されました。



人はストレスが溜まると、健康を維持するために、無意識に発散しようとしています。

男性は、仕事でストレスが溜まると、帰りに同僚と酒を一緒に飲んで、言いたいことを言って吐き出す時があります。

女性は好きなものを食べて、ストレスを発散する人もいるようです。

もしかしたら、彼女は甘い物をたくさん食べて、ストレスを解消しているのかもしれないと思いました。



ストレスが溜まるとは、さまざまな出来事から大小の想いが生まれて、表現できずに内に溜まっている状態だと考えています。

甘い物を無心になって食べることで、自分に満足(幸福)感を与えるとともに、内に溜まった想いを知らずに解放させているのかもしれません。



つまり、虫歯の原因はプラーク(細菌)にありますが、プラークを作る砂糖の入った食べ物を食べる習慣が大きな問題であり、その習慣はストレスという想いを解放するためにあるのだとしたら、虫歯は物質的なプラークが原因であると同時に、内に溜まった想いも原因となって生じる、霊的な病気であるとも言えます。

虫歯をいくら治療しても、次から次へと虫歯を作って来院されるのは、根本的な原因に対処出来ていないからであり、ストレス(想い)を生じさせないような生活をするか、生じたストレス(想い)を、別の手段で発散しなければならないと考えられます。



現代医学は、科学を基盤としているので、肉体(物質)的な原因の解明は進んでいますが、内面的な原因(想い)にはノータッチだと考えられます。

今回の虫歯治療のように、対処療法的な治療を繰り返すだけでは、根本的な解決にはつながらないのは明らかです。

外傷や感染症など肉体的次元に原因がある病気は、現代医学により治癒が望めますが、違う次元に原因が存在する病気は原因不明とされ、根本的な治癒は望めません。

原因不明の病気に苦しむ多くの人を救うには、固定観念に縛られずに、違う次元が存在することを認めて、より広い視野で原因を突き止めていかなければいけません。



人々に恐れられている、ガンはどうなのでしょうか?

健康志向が高まり、ガンの予防知識が普及し、検査機器も日々進歩し早期発見されているにもかかわらず、ガンの罹患率や死亡者数は、一向に減少していません。

その理由は、現代医学の対象となっている肉体(物質)的次元に、根本原因は存在しないためと考えられます。



ガンは種々の因子により、遺伝子のコピーミスが偶発的に起こり、変異した細胞が無秩序な分裂を繰り返す病気であり、放置すれば死の転帰を取ると考えられています。

そのため、ガンを宣告されると、人は不安や恐怖に捉われてしまいます。

得体の知れないものに、人は強い恐怖心を抱きます。

運が悪ければ、命が奪われると思えば、なおさらです。

ほとんどの人は、病気のプロである医者に全てを委ねます。

医者は、ガンを身体から取り除いて、物理的に治そうとします。



私たちは、科学的に証明された(物質的)法則しか知りませんが、全ての現象は自然法則に従って生じています。

ガンという病気も、例外ではありません。

偶発的とか突発的とか、曖昧な概念が入り込む余地はなく、因果律という自然法則に従って生じています。

何らかの原因があって、結果としてガンが生じていることになります。

ちなみに放射線被曝や発ガン物質、遺伝などはリスク要因であって、根本原因ではありません。



医者に頼らずに、自然治癒力によってガンが治った人は、ごく少数であっても存在しています。

医学的には例外と見なされ、奇跡が起きたと思う人もいるでしょう。

しかし、奇跡ではなく、自然法則に従って治癒が起きただけです。

ほとんどの人は、ガンが自然法則に支配されているなどと思ってもいないので、現象だけ見れば奇跡にしか思えません。

私たちが、(霊的な)自然法則について判っていないだけであり、この先、理解を深めていけば、ガンは自然治癒が望める病気だと考えています。



人は肉体だけしか見えませんが、目に見えない精神が存在しています。

精神から肉体に指令が出されて、身体的表現が行われています。

そして、精神より高次には魂が存在しています。

魂から生み出される思念(想い)が起点となって、精神は活動しています。

魂で思念(想い)が生まれ、精神に投影され意志や感情となり、意志や感情を表現するために頭脳が働いて、肉体に向かって指令が出されて、外部に向かって表現されています。

想いは、肉体で表現する素となる力と言って良いのかもしれません。

大始源(神)から魂が受け取った力(生命力)は、精神を経て、肉体で表現されて完結しています。

見えない力が、内から外へと向かって流れています。



肉体と精神と魂は、独立しているのではなく、密接に結びつき、お互いに影響し合いながら存在しています。

健康とは、魂(霊)と精神と肉体が一直線で結ばれ、3者の調和がとれた状態を指します。

具体的には、想いが素直に、言葉や行動で表現されている状態と考えています。

内から生まれた力が、スムーズに流れて、外に向かって放散されている状態と言えます。

一方、病気とは、魂と精神と肉体の連携が上手く行かずに、不調和が生じている状態と考えています。

具体的には、想いが上手く表現できずに、滞ってしまっている状態と考えられます。

想いという「力」が、内に蓄積してしまい、精神と肉体に影響を与えている状態を指すと考えています。



ガンの根本原因は霊的次元にあると、私は思っています。

ガン患者には、人生に影響を及ぼすほどの、蓄積された想いがあるはずです。

変異した細胞は、内にある想いが肉体上に反映されたものと思われます。

内にある想いとは、怒りや憎しみ、恨みや妬み、貪欲など、愛(摂理)に反する想いです。



真の治癒とは、肉体上の病巣が消滅することではないと考えられます。

内にある想いが解放され、本来の自分を取り戻し、魂から生じる想いを素直に表現できるようになった状態を指すと思います。



この世に生まれてきた目的は、自分(魂)を成長させるためです。

いろいろな人と出会い、さまざまな出来事を経験して、魂は成長していきます。

人生で起きる出来事には、自分が望んでいないこともたくさんあり、時に魂に強い衝撃を与えるものもあります。

そんな出来事が起きた時に、言葉で表現できないような想いが、知らずに魂から生まれていると考えられます。

子供は泣いたり、怒ったり、悔しがったりして、全身で想いを表現しています。

しかし、胸に突き刺さるような衝撃的な出来事が起きると、精神の未発達な幼少期においては想いをうまく表現できません。

表現できなかった強い想いは、消えてなくなる訳ではなく、心の奥に仕舞い込まれて、その後の人生に影響を与えています。

やさしくしなければいけない時に、何故かやさしくできなかったり、理由もなく人を好きになれないのであれば、それは心の奥に仕舞い込まれている、想いがあるのかもしれません。

記憶に残っていない過去の出来事から、強い想いが生じていた可能性があります。



大人になっても、自分の想いを表現できなくなっている場合があります。

つらい出来事を経験すると、時に怒りや憎しみなどの愛に反する強い想いが生じています。

しかし、周囲の状況や自分の立場を考えると、怒ったりなどの表現を差し控えてしまうことが多くなります。

人から良く思われたい、人よりも優れていたい、上手に生きたいと強く思うと、本当の自分の想いを隠してしまいます。

それが日常化してしまうと、表現が適切かどうか分りませんが、この世を生きるための「仮面」を、精神上に作り上げてしまうことになります。

本当の自分に代わって、作り上げた仮面が前面に出て、考えを外に向かって表現していくことになります。

この世で、仮面を被って生きている人は、とても多くいると思います。

作り上げた仮面が自分だと錯覚してしまい、本当の自分が完全に埋没してしまっている人もいます。

本当の自分から想いは生じていますが、仮面が邪魔をしているために表現できずに、内に滞ってしまいます。

身に起こる出来事から想いは生じ続けていて、徐々に大きくなり、魂に影響を与えるほど大きくなっていきます。

内にある想いが、とても大きくなってしまっても、五感に触れないため、気付いていない人がほとんどです。



話は変わりますが、人生のおよそのシナリオは決まっています。

それを承知した上で生まれてきましたが、いざ生まれてしまうとシナリオは封印され、知ることは出来ません。

もし、事前に知ることができるのであれば、将来待ち受けている出来事が気になって、今を真剣に生きれなくなるかもしれません。

それよりも、先の見えている人生は、きっとつまらないものになると思います。



人が、この世を生きるたった1つの目的は、魂を成長させるためです。

1つ1つの出来事は、魂を成長させるための大切な機会となっています。

身に起きる苦難や障害は、実は不幸なことではありません。

無我夢中で乗り越えていく中で、魂は大きく成長していきます。

この世では、予定されていたシナリオに従って、自分を成長させるために、さまざまな不幸や不運と言われるような出来事が身に起きるようになっています。

もちろん、過去に自分自身が種を蒔いていて、それを刈りとるために、(因果律が働いて)起きていることもあります。



どんなに困難な出来事であっても、本当の自分に忠実に従って進んでいけば、乗り越えられるようになっています。

「乗り越えられないものは、与えられない」と良く言われますが、生まれる前に乗り越えられると判断したのは自分であり、成長や償いのために(この人生を)志願したのも自分です。

その結果として、この世に生まれてきたのであり、本当の自分は乗り越えられることが判っています。



ところが、過去に生じた想いがあると、本当の自分の想いに忠実になれなくなります。

もし、心の中に強い怒りや憎しみの想いを抱いているなら、人のために何かをしてやろう気持ちにはとてもなれません。

シナリオに従って、自分を成長させるような奉仕の機会が訪れても、逃してしまうことになります。

困難な出来事が生じても、本当の自分の想いを打ち消すような、否定的な考えが生まれてしまうかもしれません。

つまり、滞っている想いがあるために、予定されていたこの世の人生での成長が、得られなくなってしまう可能性があります。



また、この世で作った仮面を被っていると、本当の自分の想いに蓋をしてしまいます。

本当の自分は、道は険しくても成長させる方向を、直感として指し示します。

仮面は、「無理だ」、「失敗したらどうするんだ」、「嫌われるぞ」など、直感を否定する考えを出してきます。

人生で大きな出来事が起きた時に、本当の自分から生まれた想いと、仮面が出した考えの間で、いつも葛藤が起きています。

正解は、魂の成長が得られる、本当の自分の想いです。

その想いに従えば、後悔することはありません。

しかし、仮面が自分と錯覚している内は、本当の自分の想いに気付きません。

もし、想いに気付いたとしても、仮面が邪魔をして表現を妨げます。

仮面に支配されると、大切なことを忘れて、欲望を満足させるために、成功や名誉や富などを追い求めたり、霊的に無意味な人生を送ることになってしまいます。

この様な状態では、予定されていた魂の成長を得ることは出来ず、生まれてきた目的を十分に果たせなくなります。

とても看過できるものではありません。



生まれてきた目的を果たすためには、内にある想いを解放してやらなければいけません。

仮面を引き剥がして、本当の自分を表に出してやらなければいけません。



しかし、人生に影響を与えているような根強い想いであれば、自分の努力で解放するのはきわめて困難です。

仮面が自分だと錯覚している時は、引き剥がすことは出来ません。



自分ではどうすることもできなくなると、自然法則が作動します。

肉体は、想いを表現する媒体です。

内にある表現できなかった想いは、肉体上に病変となって表現されます。

怒りや憎しみ等の想いは、時に攻撃的で暴力的なガン細胞となって表現されます。

自己の細胞が変異したものがガンですが、自己の想いが細胞を変異させる力になったと考えられます。

想いが、肉体上で具現化されています。

ガン細胞が増殖していく様は、想いが生まれ続けていく様を表現していると思います。



内にある想いは、五感に触れないため、気付くことはありません。

そのため、因果律が働いて、肉体上に見える形となって現れたと思われます。

ガンは気付かない内にある想いに気付くためにある、自然法則に則って生じた病気と言うことになります。

限界まで想いを溜め続けていた自分に、まず気付かなければいけません。



肉体上に表れたガンは反映であって、本体は内にある想いです。

想いを解放してやらなければ、真に癒やされません。



ガンは想いを解放させていきます。

ガンに伴う苦痛は、怒りや憎しみ、恨みや妬みなどの想いが過ちであることを知らせ、抱く続けたことに対する償いとなっています。

そして、償いと同時に、本当の自分に目覚めるための触媒となっています。



本当の自分とは、魂です。

魂とは、生命そのものであり、全体(神)を表現する一部です。

全体(神)の心は愛です。

よって、魂に目覚めた人は、愛の大切さに目覚めます。

そして、愛をしきりに表現したくなります。



愛に目覚めた魂と、内にある(愛に反する)想いの間に、親和性が失われていきます。

自分ではどうすることも出来ないほど、深く根を張った想いは、魂から流れ込む愛を帯びた生命力により、ようやく解放されていきます。

想いという本体を失ったガンは、肉体上から消滅し始めていきます。

本当の自分が目覚め、想いが解放されて魂は浄化され、自然法則に従って、肉体が浄化されていきます。



医学的処置に頼らずに、ガンから生還した人の多くは、医者から見放されたり、訳あって現代医学に見切りを付けた人たちです。

共通しているのは、頼るものを失って徹底的な孤独を味わい、極限まで追い詰められたことです。

孤独の中で、痛みや苦しさに耐えるのは並大抵のことではありませんが、そんな逆境の時ほど、魂は大きく成長していきます。

そして、極限まで追い詰められて、生命とは何か、最も大切なものは何かを、自分自身に問いかけることになります。

いくら頭で考えても、答えは出ません。

問いかけは、それまで奥で眠っていた魂にまで響いて目覚めさせます。



生命とは、魂(霊)です。

最も大切なものは、愛です。



今まで大切にしていたものは、それほど価値はなく、どうでも良いものであったことに気付きます。

人から良く思われたり、人よりも優れていることも、上手に生きることも、もう必要ではありません。

仮面は引き剥がされ、本当の自分が表に顔を出します。

そして、想いを素直に表現できるようになります。

シナリオに従ってさまざまな出来事が起きても、本当の自分に忠実になれば、乗り越えて行くことができます。

この世で予定されていた、魂の成長が得られるようになります。

生きている意味を、果たせるようになります。



ガンになり、つらい経験をされて、大切なものに気付いて、本当の自分に目覚めていると思われる人を、多く拝見します。

しかし、ガンの増殖は止まらずに、向こうに逝かれる人もたくさんいます。

何故だろうと考えてしまいます。



すでに十分この世で学んでいて、シナリオに従って向こうに逝かれたのかもしれません。

もしそうでなければ、最後までガンと敵対していたのかもしれません。

敵対していたため、消滅させようとする想いが生まれていたのかもしれません。

消滅させようと言う想いは、攻撃的で暴力的であり、その想いがガンに反映されてしまっていたのかもしれません。

そして、魂が目覚めて、内にある想いが解放されたとしても、肉体からガンを排除させる神から与えられた免疫システムが、抗ガン剤により破壊されて十分に機能しなくなってしまい、ガンの増殖が止まらなかったのかもしれません。



ガンが癒される条件は、怖れて敵対するのではなく、共存を目指し、抗ガン剤の被曝から免れることなのかもしれません。



自分の想いに気付かせてくれる、大切なものに気付かせてくれる、本当の自分に目覚めさせるためにガンが生じたのであれば、敵対する必要はどこにあるでしょうか。

見えない想いを、見える形に変えて気付かせるための自然法則の一環としてガンがあるのならば、怖れる必要はどこにあるのでしょうか。

むしろ、感謝しなければいけないのかもしれません。

敵対して消滅させようとするのは、知らないとは言え自然法則を創造した神に反抗する行為かもしれず、良い結果が生まれるとは思えません。

親が子供のことを思い、心を鬼にして叱ることがありますが、叱られた子供が親に対して暴力をふるっているようなものかもしれません。

変異はしていても、自分の一部として生きていて、消滅させようとする行為は、自分自身を傷つけていることに、変わりありません。

その行為は過ちであり、結局は自分に苦しみとして返ってくるのかもしれません。

自分から生まれた(愛に反する)想いの責任は、自分で取らなければなりません。

医者が過ちを帳消しにしてくれることはありません。



自分から生まれた、内にある想いに気付くことが、何よりも優先されます。

その想いは、心の奥に仕舞い込まれています。

怖れや不安の感情に捉われていると、気付くことはできません。

慌しい生活をしていたり、情報に惑わされていても、気付くことはありません。



心を穏やかにして、雑念がなくなってくると、その時に起こった出来事の情景とともに、浮かび上がってくる想いに気付くかもしれません。

言葉に出来なかった想いを、今の自分が言葉にしてみるのも良いでしょう。

例えば、

「すごく悔しかった」

「とても悲しかった」

「死ぬほど嫌だった」

「絶対に許すことができないほど怒ってた」

と、言うように。



今度は、その想いに対して、共感する想いをかけて下さい。

「(すごく悔しかったのに)ずっと我慢していて大変だったね」

「(とても悲しかったのに)泣けなかったのは、すごくつらかったね」

「(嫌な思いをしていたのに)何も言えなかったのは、苦しかったね」

「(許せないほど怒っていたのに)精一杯、抑えていたんだね」

一番親しい人に、語りかけるように、伝えて下さい。



言葉にも出来ないような想いであれば、その時の苦しんでいる自分を心の中に思い描き、心から抱きしめてやりましょう。

「もう、苦しまなくていいんだよ」と、その時の自分に声をかけてやりましょう。

「ここまで苦しんでいたのに、気付かずにいてごめんね。でも、もう大丈夫だからね。」と、安心させてやりましょう。

想いを解放するためには、あなたの愛が必要です。

その時の自分を、愛し続けて下さい。



そんな出来事を思い出せなくても、内にある想いに気付けなくても構いません。

肉体上にあるガンを怖がらないで、苦しんでいた自分の想いとして捉えて、騙されたと思って、慈しみの気持ちを向け続けて下さい。

きっと何かが変わってくると思います。



ガンになって苦しんできたのは、あなたの魂を成長させて、そして目覚めさせ、内にある想いを愛により解放するためです。

ガンは肉体上に現れた、表現されなかった自分の想いです。

本当の自分だけが、想いを知っています。

本当の自分に目覚めなければ、想いに気付くことはありません。

苦痛により、本当の自分が目覚めていきます。

本当の自分だけが、想いを解放できます。

つらい日々には、本当の自分を成長させる意味があり、解放するための準備を整えていきます。

愛の大切さに気付いた時に、本当の自分は愛に満たされ、その愛により想いは解放されていきます。



人は愛を学び、表現していくために生きています。

愛を学び、表現していくために、ガンは存在しています。

従って、ガンは怖くありません。





参考ページ: 「ガンは愛により癒される」





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