人は何のために生きているのか?死んだ後はどうなるのか?その明確な答えが「シルバーバーチの霊訓」の中にありました。本当の自分とは魂です。この世を生きるたった1つの目的は、魂を成長させるためです。人生で出会う障害や苦難を乗り越えること、人や動物そして社会のために奉仕することで、魂は成長していきます。死んだ後、魂は次の世界に移り、この世を振り返る時が必ず来ます。悔いのない様に、失敗を怖れず、今を大切にして生きましょう。
2015年4月12日日曜日
ガンは想いを解放する
ガンの原因は、残念ながら解明されていません。
細胞分裂時のコピーミスによって生じると言われていますが、大自然の営みである細胞分裂に、ミスはないと考えています。
遺伝子の異常は、さまざまな因子により影響を受けて生じますが、それだけでは説明し切れない要因が存在しているはずです。
現代医学で解明されていない未知の領域に、大きな要因があると考えています。
もし、ガンがウィルスや細菌と同じように、体外からの侵入者であれば、消滅させれば問題は解決します。
ガン細胞は無秩序に細胞分裂を繰り返していきますが、変異してはいるものの自分の一部であるため、治療を困難にさせています。
変異した組織を切除したり、薬で消滅させるのは、あくまでも対処療法です。
根本治療には、変異させた原因を究明し、取り除いていかなければなりません。
人体は肉体と精神により成り立っていると、科学では考えられています。
精神とは何か?科学でははっきりと分かっていないのも事実です。
大脳生理学では、個性や感情について説明することはできません。
個性や感情を生み出しているのは大脳ではなく、科学では検出できない「魂」と考えれば説明は容易になります。
魂に個性があり、感情は魂から生み出されると考えれば、とても自然です。
近年、物質の定義もきわめて曖昧になってきたと感じています。
物質は素粒子の振動であることは証明されていますが、素粒子とは何なのでしょうか?
魂は検出できないほど速い振動、高いエネルギーを持った存在と考えても、それほど違和感はないはずです。
20世紀前半の英国において、オリバーロッジやクルックスなど第1級の科学者が、真摯に魂(霊)の存在を検証しています。
検証の結果、彼らは魂の存在を全面的に認めています。
人は魂(霊)、精神、肉体から構成され、それぞれが互いに影響を及ぼし合っています。
魂から生まれた想い(思念)が、精神で司令として出され、肉体で表現されています。
魂との関係が断絶し、脳や肉体が全く動かなくなった状態が死です。
ガンは肉体、精神、魂(霊)それぞれの次元に要因があり、関連し合って生じると考えています。
肉体的な因子として、遺伝的因子、環境的因子があります。
遺伝的因子が影響しているものに大腸ガンや乳ガンなどがあり、環境的因子として発ガン性物質、放射線などが知られています。
精神的因子は、ガンの増殖と進行に関与していると思われ、不安や恐怖、心配などは、防御機能である免疫細胞の活性を低下させます。
ここまでは、エビデンス(科学的根拠)に基づいた周知の事実となっています。
霊的な原因についてはどうでしょうか?
魂は科学の対象外であるため、ガンと霊的な原因を研究したエビデンスは残念ながらありません。
主観的な意見となりますが、ガンは「想い」や「感情」に深く関係した病気だと考えています。
物質を支配する物理的法則があるように、魂(霊)を支配する霊的法則が存在しています。
霊的法則に基づいて、ガンという病を解釈していくと、原因が少しずつ見えてくると思います。
ガンに苦しむ人が、霊的法則を知り、少しでも病気が癒されることを願って書いています。
肉体は魂(霊)を表現する媒体です。
うれしければ笑顔になり、悲しければ涙を流して泣き、怒ると顔を赤くして怒鳴ってしまうように、内から生じた想いが、外にある肉体で表現されています。
思ったことは、肉体で表現されて、他の人に伝わります。
さまざまな想いが魂から生まれ、精神で指令となり、肉体で表情、言葉、行動となり表現されています。
想いは精神を動かし、肉体で具現化させる力と言えます。
生きていると、さまざまな出来事に遭遇します。
その出来事から、さまざまな想いが生まれます。
うれしい出来事であれば、喜びの想いが生まれ、思わず笑顔になります。
許せないようなことが起きたら、怒りの想いが生じて、高じると憎しみや恨みの想いに変わってしまうかもしれません。
人それぞれに出会う出来事があり、そこから想いが生まれ、行動(表現)しながら、人生が紡がれていきます。
この世の中は、楽しいこと、うれしいことばかりではありません。
不本意なことや、納得できないこと、認められない出来事も、たくさん起こります。
もし、そんな出来事が起きて、怒りの想いが湧き上がってしまったら、怒鳴ったりして行動で表現してしまえば、気分はスッキリするかもしれません。
しかし人間関係を悪くしたくなかったり、良心が咎めたりすると、言動による表現は控えるようになります。
そうすると想いは外に表現されずに、内に留まります。
ストレスが溜まっている状態とは、表現できない想いが溜まっている状態とも言えます。
想いが溜まってしまうと、心身に良くないと本能的に思うために、何かをして吐き出そうとします。
おしゃべりをしたり、酒を飲んで愚痴を言ったり、スポーツをして発散したり、趣味に没頭したり、これらは内に溜まっている想いを外に出しているのであり、健康を保つための自然な行為です。
日々の生活で、意見の衝突や、相手の過ち、心障を害する言動を、たびたび経験します。
怒りが生まれることもありますが、その多くは時と共に治まっていくと思われます。
しかし侮辱や軽蔑、あるいは差別など受けたり、裏切られたり貶められたりすると、強い怒りが生まれます。
それが憎しみや恨みとなってしまうと、気持ちが鎮まるのは難しくなります。
想いが強いほど、表現は難しくなり解放されずに、内に滞ってしまうことが多いと思われます。
滞った想いは、魂の様相を変えていく力となり、自分(魂)から生まれる想いは変化していくと思われます。
人に裏切られて憎む想いが滞っていれば、人を信じられず、許せないため、ささいなことでも似た想いが生まれやすくなってしまいます。
愛する人を喪い、悲しみの想いが滞っていれば、ふとしたことで悲しくなり、涙が出てしまいます。
解放されない想いは、その後の人生で出会う出来事から生まれる想いに、大きな影響を与えていきます。
想いにとらわれてしまうと、本来の自分の想いを表現できにくくなります。
本当はこうしたいのだけれども、どうしてもできないと思うことがあれば、解放されていない想いがあり、それに縛られていると思います。
犬に咬まれて怖い思いをすると、可愛くて撫でてやりたくても、躊躇してしまいます。
子供を好きになれずに悩んでいるお母さんがいますが、もしかしたら、滞っている過去の想いがあるのかもしれません。
この世の人生には、およそのシナリオがあります。
そのシナリオを承知した上で、生まれてきています。
そのシナリオに沿って生きていれば、予期した魂の成長が得られて、この世に生まれた意味が成就されます。
想いは行動となって人生を織り成して行きますので、想いが変わってしまえば、その後の人生はシナリオとは違ったものになってしまうかもしれません。
シナリオ通りに成長していくためには、滞っている想いを解放して、本当の自分の想いを表現できるようにしなければいけません。
しかし、その想いは5感に触れるものではないので、解放するどころか、気付いていない人がほとんどと思われます。
気付いていなければ、どうすることもできません。
自然法則の根本原理に「因果律」があります。
原因があって結果が生じる、言い方を変えると、あらゆる出来事に原因があります。
当然のことながら、いかなる病気にも必ず原因があります。
現代医学で難病とされている病気の多くは、霊的次元に原因があり、「想い(思念)」が関与していると考えています。
肉体は、魂で生まれる想いを表現する媒体であるため、魂(霊)の変化は、肉体の変化として表現されます。
怒りや憎しみや恨みの想いが表現できずにうっ積していくと、平和や協調や調和を乱す攻撃的な想いとなります。
その想いを、外に表現すれば、当然のことながら争いが起きます。
内に秘めれば、平和や協調や調和が乱され、内部に争いが起きます。
魂と(愛に反した)滞った想いのせめぎ合いが、肉体上で身体とガン組織のせめぎ合いとして表現されています。
肉体上のガン組織の増大は、滞った想いが、さらなる(愛に反した)想いを生んでいき、大きくなっていく様子を表しています。
表現されなかった怒り、憎しみ、恨み、嫉妬などが攻撃的な想いとなり、肉体上で生体を攻撃するガンとして反映されています。
想いは目に見えないために、因果律の働きにより、肉体上に見えるかたちとなり表現されます。
ガンは生命にかかわる病気です。
生命にかかわる病気になれば、否が応でも生命と正面から向き合うことになります。
生命とは魂です。
生命と向き合うことは、魂と向き合うことです。
魂とは、本当の自分です。
ガンになれば、本当の自分と向き合うことになります。
ガンは強い苦痛を伴う病気です。
それは経験した人でなければ分からないほど、つらいものと思われます。
苦痛は、(愛に反した)想いを抱き続けたことへの償いです。
それとともに、魂にまで響き、目覚めさせるという大きな意味があります。
魂に目覚めるとは、本当の自分に目覚めることです。
眠っている魂にまで響き、本当の自分に目覚めるために、ガンは存在すると思います。
本当の自分(魂)に目覚めれば、愛の大切さに気付いて、魂は愛を帯びたものになり、滞っている想いとの親和性は失われていきます。
神とのつながりが深まり、生命力がふんだんに流れ込み、滞った想いは解放されていきます。
想いが解放され、魂が浄化された結果として、肉体上のガンもなくなっていくと考えられます。
目には見えませんが、神の摂理が隅々にまで働いています。
ガンの真の姿は、(愛に反した)想いであるため、自分の想いに注意を払いましょう。
摂理に適った想いを抱くようにしましょう。
摂理とは愛です。
許すことも、愛です。
許すことはできず、その想いを表現できない人が、ガンになり易いと思います。
ただ、(摂理に反した)想いを表現してしまうと、魂と同化してしまいます。
その行為(表現)は魂に刻まれ、ガン(病気)にはならなくても、それ以上の償いが生じるのは間違いありません。
表現せずに、想いが魂に同化されなかった人が、病気を通して想いを解放することができます。
ガンになった人は、苦しく痛い思いをしますが、魂は守られていて、元に戻ることが出来る人です。
ガンは、想いに気付き、解放させるためにある、自然法則の一環です。
本当の自分に目覚め、この世で魂を向上させるためです。
全ての魂は、成長していくことが義務付けられています。
ガンは肉体を蝕み、死に至らせるものではありません。
魂の成長を妨げている想いを、取り除いていくのものです。
妨げている想いを、内から外に出して行くプロセスとして、肉体上のガンは存在しています。
従って、怖がる必要はありません。
十分な苦痛を経験し、つらい日々を送った人であれば、償いが終わり、魂の向上と共に想いは解放され、病は癒やされるはずです。
心配はいりません。
養生訓を書いてみました。
1. 心、穏やかに過ごす。
2. 寛容になるように努め、なるべく腹を立てない。
3. 小さなことにも感謝する。
4. 日々の中に、ささやかな喜びを見つける。
5. やさしさ、思いやり、いたわりの気持ちを表現する。
6. 笑顔でいる。
参考ページ: 「ガンを治す」
「ガンは愛により癒される」
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