40年以上の付き合いになる親友が深刻な病気になりました。
数か月から1年と余命宣告を受けたそうです。
それまで元気そのものだっただけに、信じられません。
本人は、もっと信じられないはずです。
何で自分がこんな病気になるんだと思っているでしょう。
出来事には偶然はありません。
何かしらの原因があるはずです。
しかし、私が知っている限りでは、思い当たる節はありません。
働き者の、良き父親です。
多くの病気はカルマが原因で起こり、苦痛により罪を償っていると言われます。
もし、罪の償いであるならば、病気で短期間で亡くなり、苦痛のない世界に行ってしまうのは、どこか矛盾しているように思います。
むしろ、病気にならずに、苦痛のあるこの世界を生きていた方が、償いになるような気がします。
きっと、窺い知ることのできない原因(目的)が存在していると思います。
突然、余命宣告をされても、受け入れられるものではありません。
肉体を蝕んで行く病気の苦痛と恐怖に耐えるのは容易なことではありません。
コロナ禍で家族との面会ができないのも堪えています。
精神がぎりぎりまで追いつめられる時があると漏らしていました。
そんな状況になったら、誰でも正気でいるのは難しいと答えました。
以前の私でしたら、このような病気になった人に対して、運が悪かったとしか思えずに、気の毒で、かける言葉も見つからなかったでしょう。
しかし、今は霊的真理を知っています。
必要な言葉をかけることができます。
繰り返し伝えているのは「乗り越えられないことは絶対に起きない」です。
この真理に私も救われました。
真理は普遍です。
いかなる人、いかなる状況においても適応されます。
病気の進行を止めることが難しいのに、どうして乗り越えられるのかと思うかもしれません。
こんな考えがありました。
乗り越えるとは、肉体上の病気が治ることではありません。
今、自分に起きていることを受け入れて、正面から対峙すること、そして肉体を持つために生じてしまう様々な想いを克服しようとすることだと思います。
人がしないような経験を友人はして来ました。
経験したことによって強くなっている魂だからこそ、このような出来事が因果律の働きにより起きたと考えられます。
「弱い人間はこんな病気にならない。強いから絶対に大丈夫だ。」と伝えました。
それでも、何で友人ばかりに、こんな試練が起きるのかと思ってしまいます。
友人が、1番怖れを感じているのは死かもしれません。
死は誰にでも訪れますが、未知のものだけに怖さを感じます。
生命は続いていて、この世より快適な世界で生きることになると、私は知っているので怖くありません。
けれども、この世を一生懸命に生きて来た友人は、あの世について思いめぐらすことなどなかったでしょう。
少し前ですが、仕事で来られた患者さんの中で、印象に残った人がいました。
70代の女性でしたが、お口の中にはたくさんの問題がありました。
治すのには時間も費用もかかることを説明しましたが希望されました。
患者さんは末期がんでした。
長く生きるのは難しいのに、どうしてそこまで治そうとするのかと思いました。
治療中もがんは進行し、腕はひどくむくんでいました。
お力になりたいと思い、思い切ってヒーリングの話をしてみました。
少し驚かれていましたが、了承していただき、遠隔ヒーリングをしました。
幸いなことに、むくみに改善が見られました。
お口の治療が全て終わり、私の部屋に呼んでこれまでの経過について説明しました。
時間に余裕があったので、この先に訪れるであろう「死」について話をしました。
目に視えない力の存在を実感されて、時期が来ていたのでしょうか、死んでも生き続けること、素晴らしい世界が待っていることを受け入れてもらえたようです。
「シルバーバーチの霊訓」も手渡しました。
別れ際に、満面の笑みを浮かべながら、握手を求められました。
びっくりしましたが、うれしかったです。
それから半年くらい経ったでしょうか、新聞のお悔み欄に、その人の名前を見つけました。
私が言っていた世界が現実のものとなり、肉体から解放された喜びを味わっていると思いました。
友人は少しでも長く生きようとしています。
誰もが病気が治ることを望んでいます。
私もヒーリングを行っていますが、病気の進行は驚くほど速く、食い止めるのは困難なようです。
しかるべき時期が来たら、死について話すつもりでいます。
無用な怖れや不安を持って欲しくないからです。
死は不幸なことではない。
寿命は決まっていて、その時が来たら元いた世界に戻るようになっている。
いつ来るのかはわからないが、この世での目的を果たした者が逝くようになっている。
人は永遠に生き続ける。
死んでも、意識や記憶はなくならない。
家族の傍にいられるので別れはない。
そんなことを伝えて、受け入れてくれたのなら、死に対する怖れ、やり切れない思いが少しは和らぐかもしれません。
それでも長く生きていたいと思います。
友人には大学生の娘さんがいます。
この先、就職をして、結婚もするでしょう。
一緒に喜ぶことができないと思うと、たまらなく悔しいでしょう。
こんなことを想像してしまいました。
向こうに行ったとしても、娘さんの結婚式に友人が駆けつけないわけはありません。
誰よりも喜んで、父親としての言葉をかけてやりたいはずです。
不謹慎だと怒られることを覚悟の上で、祝福するビデオレターを作っておくことを提案したいと考えています。
伝えたくても伝えられない自分の想いを、その時のために残しておいた方が良いと思うからです。
もし病気が治ったとしたら、こんなものを作っておいたよと、家族で笑い飛ばしながら観れば良いだけです。
心配をしてバカなことを言ってしまったと、私も謝りたいです。
真理を知っている者にしかできないことがあります。
この世の人生の中で、思いもよらぬ出来事に遭遇し、打ちのめされそうになっている人に真理により寄り添い、支えることができます。
余計な同情はいらない人でも、真理は必要としています。
真実であるがゆえに、魂にまで届きます。
自分だけのものにしてはいけないと思います。
お仕着せにならないように、必要としている人に届けられるべきものです。