人生で最後にして最大のイベントは何でしょう?
それは死です。
死と聞くと、何か重苦しく、怖いようなイメージを持っている人が多いです。
肉体から自分が離れるだけです。
死ぬ時は、見た目ほど苦しくないようです。
死後も、変わりなく意識は存続しています。
肉体から解放され意識は、新たな世界が広がっているのを認識します。
その世界があの世(霊界)です。
死とは、元いた霊界に戻るための自然現象です。
肉体がなくなるので、食べることも、休息も必要なくなります。
具合が悪いところも、不自由なところも、全て消えてなくなります。
肉体からの欲求や情報が全くなくなり、今までにない軽快感を味わいます。
霊界は思念の世界です。
想像するのが難しいかもしれませんが、思い描いたものが、直ぐに目の前に現れるようになります。
お金がたくさん欲しいと思えば、大金が目の前に現れます。
ただ、物を買う必要がないので、価値は全くありません。
地上の肩書も失われます。
どんな高い役職の人でも、周りと同じ1人の人間になります。
肉体がないために、魂が剥き出しになります。
本性が露わになり、何を想っているのか一目瞭然です。
何も隠し立てすることができません。
それが真実の世界と言われる所以です。
話は変わりますが、学生の時に、1つ年を取るとどうなるでしょう?
自動的に1つ上の学年になります。
もし、同じ学年に留まらなければならないとしたらどうでしょう?
そのままでいるのは嫌です。
早く上の学年に行って、新しい経験をしたくなります。
霊界も同じです。
上の世界に行って、新しい経験をしたくなるようです。
霊界は、完全なヒエラルキーの世界です。
全てが霊性によって決まります。
優しく、思いやりがあり、親切心に富む人ほど、上の世界に行くことになります。
上に行くほど、慈愛に溢れています。
けれども、そこまでの霊性に達していない人にとっては、居心地が悪いようです。
自分の思念と合わないのを感じるからです。
ヒエラルキーの頂点に存在するのは「神」です。
けれども、神は独立している存在ではありません。
神は宇宙全体であり、宇宙全体が神です。
私たちも神の一部です。
神の心を持っています。
しかしながら、表現する媒体(自我)が不完全なために、神の心を完全に表現することができません。
自分のいる世界は、どれくらい神の心を表現できるかで決まります。
しばらくすると、今よりも上の世界に行きたくなるようです。
しかし、どんなに行きたくても、その世界に自分が相応しくなければ行くことはできません。
相応しい自分になるためには、成長するしかありません。
困難や障害を乗り越えること、他者のために奉仕をすることで、人は成長します。
地上では生きて行くために、お金が必要です。
お金を得るために、労働しなければいけません。
家事も対価のない労働です。
人や社会や家族のために何かをすることで、生活が成り立っています。
生きていること自体が、成長につながっています。
霊界は地上と違います。
霊界は、肉体の束縛や、人間関係の煩わしさから解放された快適な世界です。
困難や障害が取り除かれている分、地上よりも成長しにくいと考えられます。
誰かのために何かをすることで人は成長しますが、何もしなくても生きて行けます。
奉仕をする意欲に乏しければ、何もせずに過ごしても良いことになります。
それでは成長しません。
このままではいけないことに気付いて、自分を変えようとするのですが、霊界にいたままでは困難です。
自分を大きく変えるために、地上での経験がどうしても必要になります。
奉仕をする意欲を湧き上がらせるような人生が計画されます。
その計画を了承して、母体に宿ります。
もしかしたら、心身に大きな障がいを持って生まれるかもしれません。
大きな障がいがあれば、人の手を借りなければ、生きて行けません。
誰かに奉仕をしてもらう経験を、来る日も来る日もすることになります。
長い時間をかけて、人によって生かされている、1人では生きて行けないという想いを魂に刻んで行きます。
そして、自分が受け続けている奉仕を誰かに返したくなりますが、それもできません。
寿命が来てあの世に行く時が来ます。
肉体はなくなり、自由に何でもできるようになります。
地上時代に蓄積されていた、誰かのために何かをしたいと言う想いを、心ゆくまで表現できるようになります。
魂に刻んでいた想いにより、周りとの調和を大切にしながら生きるようになります。
地上の経験は、あの世に行った時に、奉仕の気持ちを湧き上がらせることにつながると思われます。
このように自分を変えるための計画は、地上でしか得られない経験によって、成就されて行きます。
この世に生まれると、本当に大切なものが視えなくなります。
地上の経験によって、視えなくなった大切なものが明らかになります。
愛より大切なものは、この世界に存在しません。
そのことに気付いた人は、全体のために、より自分を活かせるようになっています。
霊界を離れ、この世に生まれて、さまざまな経験をしているのは、魂を大きく成長させるためです。
全体のために自分を活かす悦びを知り、神の心を自然に表現できるようになれば、地上に生まれる目的の大半は果たされたと考えられます。
地上で学ぶことのなくなった魂は、自律的に霊界で成長するようになり、上の世界へと行けるようになります。