今はお盆です。
お盆のことを良く知らなかったので、少し調べてみました。
亡くなった魂が戻る期間であり、正式には「盂蘭盆会(うらぼんえ)」と呼ぶそうです。
ご先祖様が、あの世と呼ばれる世界(浄土)からこの世(現世)に戻って来ます。
生前、過ごした場所、主に自宅でお迎えして、再び戻っていくあの世での幸せ(冥福)を祈る機会となっています。
お盆の起源は、仏教の「盂蘭盆経(うらぼんきょう)」というお経に由来しているとされています。
盂蘭盆経の「盂蘭盆(うらぼん)」は、サンスクリット語の「ウラバンナ(逆さ吊り)」が起源であり、お釈迦様の弟子の一人、目連(もくれん)にまつわる言い伝えを表しているそうです。
その言い伝えとは、亡き母が地獄で逆さ吊りの刑を受けていることを知った目連が、母親を救済する方法をお釈迦様から聞くというものであり、お釈迦様の教えが「(旧暦)7月15日に供養する」というものだったことから、現在のお盆の風習が始まったとされています。
以前は霊の存在を信じていなかったので、魂が戻って来るなどと聞いて、全くの迷信だと思っていました。
霊的な知識を得た今は、迷信などではなく、実際に起きていることだと思っています。
ところで、シルバーバーチの霊訓には、ご先祖様のことについては書かれていません。
イギリスをはじめとするキリスト教圏の人たちは、祈りを捧げる対象は神やイエスだからなのでしょうか、先祖を祀る習慣はあまりないようです。
一方、東洋では血族関係を大切にして、多くの国で祀る習慣があります。
迎い盆では、お墓に行ってご先祖様を家に連れて帰りますが、当然のことながらご先祖様はそこにいるわけではありません。
いるのは霊界です。
年月がある程度経っていれば、幽界を抜けて、生まれる前にいた住処に戻っています。
長い年月が経っているほど、地上への関心は薄れていると思います。
それでも、縁のある人たちが家に集まって、自分のことを思い出してくれたのなら、懐かしさや愛着からその場に赴くでしょう。
忘れずにいてくれた、集まってくれたと、喜んでいるのに違いありません。
ご先祖様が家に戻る期間なので親族が集まると言うよりも、親族が集まって楽しそうにしているのでお盆に訪ねて来るのだと思います。
亡くなった人は視えなくなっても、消滅してしまったわけではありません。
生命の本質は、肉体ではなく魂です。
肉体は荼毘に付されて骨になっても、生命は変わりなく存続しています。
言葉は出せなくなりましたが、今も変わりなく魂から想いは放たれています。
亡くなった人がいる霊界は思念の世界です。
地上の人の思念は、霊界に届いています。
手を合わせて、あの世での幸せを祈ってもらえれば、とてもうれしく感じているでしょう。
そのお返しに、祈ってくれた地上の人の幸せを願っているのに違いありません。
ただ、霊界の人が感じている幸せと、地上の人が感じている幸せとはちょっと違います。
地上の人の多くは、何不自由なく、楽しく生活をすることが幸せと考えています。
霊界ではそうではなく、成長することに幸せを感じます。
何故なら、成長することは生きる悦びそのものだからです。
成長は、他者のために奉仕をすることで得られます。
働くのも家事をするのも、奉仕の一環です。
奉仕をすることで人は成長し、より高い愛を表現できるようになります。
親切心、寛容心、同情心を発揮することでも、霊性は高まると言われています。
地上での生活は、いろいろな人と接し、さまざまな体験をすることができるので、成長する機会に恵まれていると考えられます。
そして、人生で遭遇する困難や障害を乗り越えることでも成長が得られます。
乗り越えて行く過程で、魂は強くなって行きます。
より高い愛を表現するためには、それに相応しい強さが求められると考えられます。
地上と霊界では、出来事に対しての見方が全く違います。
例えば、宝くじを買って1等が当たれば地上の人は大きな幸せを感じるでしょう。
ところが、霊界では遊んで暮らすようになれば、成長する機会が大きく損なわれてしまうので、不幸の始まりとして捉えているのかもしれません。
地上の人は、困難や障害が起きると、災難として捉えることが多いです。
霊界にいる人には、その人が成長するかけがえのない機会として映っています。
「苦労は買ってでもしろ」と言いますが、それは成長として報われるからです
不幸や凶事と言われることは誰もが避けたいのですが、それが人生の転機となり、好ましい方向に人を変える、またとない機会として映っています。
「禍い転じて福となす」という言葉がありますが、幸福の始まりと捉えているでしょう。
霊界にいる人は、愛情を抱いている人に苦難が降りかかった時に、傍で固唾を飲んで見守っているでしょう。
「頑張れ」「あきらめるな」「あなたなら乗り越えられる」そんな励ましや、勇気付ける想いを送っていると思います。
肉体はもうありませんので、そんな想いを言葉にして直接耳に届けられないことを、とても歯がゆく感じているでしょう。
想いを交わし合いたいのは、向こうにいる人も同じです。
生きている次元が違っても、想いを交わし合うことは可能です。
その妨げになっているのは、地上の人の心のありさまです。
魂の存在や想いを信じなければ、魂にある受信機の電源を自分で切っています。
悲しみで溢れている時は、心が感情で一杯になり、想いを受ける余裕はありません。
頭で何かを考えている時は、自らが雑音を放っているようなものであり、想いを受け取る妨げとなります。
空っぽの頭の時に、受信感度は最大となります。
社会活動が停止し、日本のいたるところで手が合わされ、霊界に向けて思念が放たれているこの期間は、地上と霊界との関係が密になり、普段よりも霊的な空気に満ちているように感じます。
故人とつながりやすい状態になっていると考えられます。
姿は視えないけれども、いることを信じて下さい。
信じることができれば、魂はつながることができます。
想いが向けられていると信じて下さい。
つながりを通して、想いは伝わって来ます。
想いは言葉を超えたものです。
心の中で、突然イメージや概念が湧き上がったのなら、それは思い付きなどではなく、向こうからの想いがインスピレーションとなって魂に届いたのかもしれません。
インスピレーションとして感じられなかったとしても、急に元気が出たような、力が湧いたような、あるいは心がパッと明るくなったのであれば、それは想いを受け取って生じた、魂の変化かもしれません。
思念(想い)は、次元を超えて伝わるエネルギーだからです。
肉体はなくなっても、人となりは以前のままです。
幸いにも受け取れたのであれば、そのことに気付くでしょう。
何も変わっていないことに気付くことができたのであれば、悲しむのではなく、こちらからも変わらぬ想いを伝えるべきです。
いなくなってしまったと言う誤った認識が苦しみを生じさせます。
五感に触れない壁を乗り越えて信じることで、こちらの想いを伝えることができます。
伝えられない苦しみから解放されます。
伝えられないまま、逝ってしまったと悔やんでいる人がいます。
悔やむ必要などありません。
今からでも伝えることができます。
あえて伝えようとしなくても、地上の人の心の中は視えているので、全て分かっていると思います。
もっと愛してあげれば良かったと悔やんでいる人もいます。
悔やむ必要はありません。
愛する対象は全く失われていません。
今からでも愛することができるからです。
愛を感じているのは魂です。
想いは、向こうにいる人(魂)に確実に伝わっています。
悔やむのではなく、その人の想いを信じて下さい。
そして、向こうでの幸せを祈って下さい。
それが愛することだと思います。
向こうにいる人は、早く再会したいと思っています。
けれども、地上の人には決められた寿命があります。
果たさなければならない約束もあります。
そのことを知っているので、同じ次元で一緒に過ごしたい気持ちを抑えて、その時が来るまで傍で見守っています。
想いと言う目に視えないエネルギーを送って、地上の人を良い方向に導き、ここぞと言う時に助けてくれます。
それが、先に逝った人の愛情表現です。
生きている次元は変わっても、想いは何も変わっていません。
13 件のコメント:
こんにちは。
「お盆に思うこと」
早速読ませていただきました。
ささやかながら我が家で主人の初盆供養をしています。
亡き母がお盆には必ずお飾りをして料理を作りご先祖様を大事にしている姿を見て育ちましたので母のように立派には出来ないのですが、
私なりに主人への想いを伝えています。
想えば霊界からいつでもそばに来てくれると分かっているのですが購入したお盆の品の中に入っていた蝋燭で出来た迎え火を13日の夕方に子供とベランダで炊きました。
蝋燭に火が付いた瞬間 とても悲しい気持ちになり涙が溢れてきました。
遠い遠い先のことだと思っていたのにまさかこんなに早くに主人のお盆をするなんて思ってもいなかったからです。
ただ涙はその時だけでお盆中ずっと穏やかな気持ちで過ごせています。
送り火を見た時にまた涙が出てくるのかもしれません。
でも母、主人に逢えるまでは私の人生を精一杯生きなきゃと心から思えるようになってきました。
イクミさんが霊的心理を繰り返し教えてくださるからです。
今回もお盆のことを取り上げていただきまして本当にありがとうございました。
弥生様
こんにちは。
そうですね、
ご主人の初盆ですね。
亡くなったのはだいぶ前の様な、最近のような、時間の感覚が曖昧になっているようです。
考えてもいなかったことが、現実に起きていることを改めて認識することになり、涙が溢れて来たとお察しします。
それでも穏やかに過ごせたのは、死後の生を含め、霊的真理を受け入れているからだと思います。
何年前でしょうか?
あなたが亡くなったお母様のことで、このブログにコメントを送っていただいたのは。
今考えてみると、近い将来、ご主人が亡くなることを予見していたお母様が、その時に備えて、霊的真理に辿り着かせてくれたように思えます。
そうであれば、本当に愛情深い人だと思います。
お母様は、ご主人を出迎えていたでしょう。
地上の人生を労い、あなたやお子さんたちを大切にしてくれたことを感謝されていたと思います。
ご主人は、お子さんの行く末を、もう少し地上で見守っていたかったでしょうが、これも決められていたことであり、自立や成長を促す意味があることを認識されているのかもしれません。
あなたには、自分の代わりをしようとせず、これまでと同じく、母親として温かく見守っていれば良いと伝えたいのではないでしょうか。
お子さんたちのことが改めて判り、信用されていると思います。
家族3人、助け合って生きて行くことを望んでいると思います。
お子さんのことで、すごく迷った時には、ご主人に導きを求めても良いのでないでしょうか。
導かれている実感はなかったとしても、結果的に良い方向に進んで行くと思います。
あなたには守護霊の他に、お母様とご主人が付いています。
精一杯生きて、今生の目的を成就するように、強力にサポートしてくれるでしょう。
あなたが考えているようなことは起きないから何も心配しなくていいんだよ、苦しい時には私のことを思い出しなさい、お母様はそんなことを伝えたいのではないでしょうか。
早速返信いただきありがとうございます。
母が亡くなって今年の7月24日でまる5年になりました。
亡くなった当初あまりの辛さに死後の世界のことばかり検索していました。
ある時イクミさんのブログに巡り合い今日まで本当にたくさん助けていただいています。
改めて感謝申し上げます。
主人が亡くなった時、イクミさんが書いてくださってるように
母と主人が再会し母が私たちを大切にしてくれたことのお礼を言い、主人はこんなに早く亡くなってしまったことを詫びている光景が頭の中に浮かびました。
そうですよね。
主人の代わりをしようとせず私は今までと同じように母親でいいのですよね。
何かある度に「主人だったらどうするかな、主人だったら」と考え少し無理をしてしまうこともありました。
イクミさん、ありがとうございます。
心が軽くなりました。
ここ最近、何も考えてない時に「お母さん」と声に出してる時がありました。
昨日もお風呂の中で声に出していました。
イクミさんが最後に書いてくださった母から伝えないことは私が今一番欲しい言葉です。
私の「お母さん」という問いかけに答えてくれた気が致します。
少し驚いています。
母と主人に導きを受けながら精一杯生きていきます。
いつもありがとうございます。
弥生様
思慮深く、愛情深く、慎み深いお母様なのですね。
そんな尊敬できるお母様に少しでも近づくために、親子になった様な気がしています。
真の住処は、この世ではなく、お母様やご主人が今いる世界です。
地上去った後に、学び成長した悦びを味わうために、この世でいろいろなことを経験していると思って下さい。
きっと同じ境涯に行けると思います。
母の元に娘として生まれ私は本当に幸せです。
母を産んでくれた祖母もまた人の悪口は絶対に言わない、控えめで人に優しく愛情深い人でした。
父が良く「お母さんもだけどおばあちゃんはお母さん以上に出来た人だった」と言っていました。
私はまだまだ二人の足元にも及びません。
主人を亡くした辛さを経験しているのも成長して少しでも母に近づくためですね。
でも出来ればこれ以上辛いことは起こってほしくないと思ってしまいます。
同じ境涯にいけるように前を向いて頑張ります。
イクミさん、
迷いに迷ったのですが、心配で心配でドラマーの方にヒーリングのことをお伝えしてしまい、、、
“何を仰りたいのか意味不明でとても不快です、もうこのようなメッセージはやめていただけますか?” と、、、
悲しくて、悲しくて、、
どうしてこんなことをしてしまったのか、、
どうしてこんな苦しみばかりなのか、、、
ラッパ吹き
ラッパ吹き様
こんばんは。
ドラマーの方にヒーリングのことをお伝えしたのですね。
その返事に、愕然とされたでしょう。
私も、病気で苦しんでいる方やそのご家族に、こちらからヒーリングについて話をすることがありますが、中には怪訝な顔をされて、お断りされることもありました。
そんな方は、霊的なことに全く関心がないか、毛嫌いをされていると思います。
ドラマーの方は、霊的なことなど全く頭になかったのではないでしょうか。
不意に言われて、びっくりされたと思います。
自分で人生を切り拓いて来たと自負されている男性に多いように思います。
霊的真理の種を蒔いたと考えれば良いのではないでしょうか。
あの時、彼が言っていたのは何だったのだろうと、ふと思い出す時が来ると思います。
時期は少々早かったでしょうが、決して無駄にはなっていません。
イクミさん、
ありがとうございます。ありがとうございます。お言葉に救われます。
今知らせてもらったばかりなのですが、実はそのドラマーの方から近々のライブ辞退の連絡がメンバーあてに今日あったのだそうです。身体の調整がつかない、と。。
あの痛烈な返信、あの方とはとても思えないものでした。それほどに、精神的にもかなりおつらいのだと。。
私が迷った挙句にヒーリングのことをお伝えした、まさにその日に、とは。。
何かつながっているような気がします。
霊界のスピリットからの促しがあったのでしょうか。。。
ラッパ吹き
ラッパ吹き様
ライブを辞退されたのですね。
ドラムを叩くことが、生きる意味そのものになっている様な方には、本当につらいことなのでしょう。
心身と共に余裕のない状態になっていると察せられます。
お話をお伺いしていて、魂が既に目覚められている様な気もしますが、これから本当の意味で目覚められるのかもしれません。
様子が判りにくいでしょうが、変化を見逃さないようにしていただければと思います。
イクミさん、
昨晩からずっと考えているのですが、苦痛が心身ともに通常意識の自我の限界を超え、特に精神的にはもはや制御不能のどうしようもないギリギリの淵においこまれて、心の底に押し込めていたもの(たぶん、激しい怒り)が吹き出してきたのではないかと思い至りました。
私にもそれがありました。悲しみのどん底で抑えていた怒りが爆発的に吹き出してきました。それを抑えることなどまるでできませんでした。理性も意思も何の力もありませんでした。
そして、自分の本当の姿を現わす。自分でも知らなかった自分の面が現れてくる。自分自身を知る。
ならば、これは仮面を押し破って本当の自分を表面に出して解放する、癒しの始まりなのかもしれません。
つらいですが、真の癒しの過程だと信じたいです。
ラッパ吹き
ラッパ吹き様
こんにちは。
そうですね、その可能性もあると思っています。
普段、ニコニコして、温厚で、いい人と思われた人が、突然怒り出して周囲を驚かすことはあります。
また、お酒を飲んで外面が取れて、内面に溜まっていたものが吐き出されて、暴れるような人もいます。
私もそうですが、人には大なり小なり、表に出せずに、内に溜まっている想いはあると思います。
少し横道にそれるかもしれませんが、以前、このブログに「ガンは表現されなかった想いである」と書きました。
もちろん、全てがそうではありませんが、言葉や行動で表現出来なかった怒りや怖れなどの鬱積した想いが、因果律の働きにより、病変として表現されたものがガンであり、ガンになり自我(精神)が追い詰められ、魂が目覚めることで、想いが解放されて、自分本来の生き方を取り戻す場合もあると思っています。
手短に言えば、魂を目覚めさせ、生き方を変えるために、ガンになる人もいると言うことです。
元気になり、生き方が変わった人の中には、ガンに感謝されている人もいます。
ドラマーの方がどうなのかは判りませんが、本当の自分が前面に出て来て、ガンの役割りが終わり、治癒に向って行けばと思います。
イクミさん、そして、栗男さん、Mikiさん、
ドラマーの方へのヒーリングのご尽力本当にありがとうございました。
ヒーリングをお願いした初めの数日の後に”体調が良いのでピアノ—バッハ プレリュード—再開しました”とあったのはみなさん、そして霊界のスピリットの方々のお力の方々の現れだと思います。
その後様子がはかばかしくないので、心配になって(心を開いて受け入れていただけるように)ヒーリングのことをお伝えしてしまったのが、逆効果になってしまいました。どうかお許しください。
はっきりとはおっしゃいませんが、でも、メンバーの方々も”見守るしかなさそうです。”との言葉から、今精神的にもかなり荒れていらっしゃるらしいことがうかがえます。
今は神に委ねて見守る時、押さえつけていた本当の自分が(怒りや憎しみも含めて)表面に現れて、その自分を見つめて知る時なのではないかと思います。
今は、残念ですがヒーリングの力も祈りも届かないような気がします。
あの返信の後すぐにSNSをブロックされてしまったので、様子を知るのがとても難しくなりましたが、メンバーの方々の発信などから様子がわかりましたらお知らせします。
本当にありがとうございました。
心から感謝しています。
悲しい、ですね。。
ラッパ吹き
ラッパ吹き様
こんにちは。
あなたの動機が純粋であることは、ドラマーの方には伝わっていません。
霊的真理を知っている者にとって当たり前のことが、知らない人にとって、とても奇異に感じることもあります。
心身共におつらいのでしょうが、今はそっとしておくしかありません。
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