新型コロナウィルスの感染によって、既に世界中で300万以上の人が亡くなっています。
慣れとは恐ろしいもので、すごい数字なのにあまり驚かなくなっています。
慣れが油断につながらないように注意しなければなりません。
ブラジル・北部マナウス AFP時事 |
亡くなった人たちは、まさか自分がコロナに感染して死んでしまうとは思ってもいなかったでしょう。
そんな人たちは、今どうしているのでしょうか?
死んだ後に辿るコースは、生前、死後の世界があると思っていた人と、死ぬと終わりだと思っている人によって違います。
私たちは死ぬと、既に亡くなっている親しい人たちと再会することになります。
死後の世界があると思っていた人は、その人たちと会うことで、もうこの世にいないことを自覚します。
死んだら終わりだと思っていた人は、再会しても、何が起きているのか理解できません、
その人たちから、この世にいないことを告げられたとしても信じられません。
自分の葬式が行われているのを見ても、夢幻のように感じます。
あると考えていた人は、しばらくすれば向こうの世界に順応します。
死んだら終わりと思っていた人は、相変わらず意識があるので、まだこの世に生きていると錯覚します。
その様子を見て、周りの人たちは死んだことを何とか理解させようとします。
しかし、思い込みが強く、何を言っても無駄だと分かると、放って置かれるようです。
どれくらい先になるのかは判りませんが、死んでも生き続けると言う現実を受け入れる日がやって来ます。
戦争や疫病が起こると、短い期間に何百万人もの人が霊界に送られて来ます。
地上に近い界層では、そんな人たちを介抱するために、慌ただしい状況になっていると推察されます。
生前から正しい知識を身に付けていれば、死んだ後、周りの人に余計な手間を取らせなくて済みます。
コロナウィルスに感染して亡くなったのであれば、呼吸が苦しかった人も多いでしょう。
しかし、死んで肉体が無くなると、嘘のように楽になります。
具合が悪かったところも全てなくなり、肉体のない軽やかさに驚きます。
死んで直ぐは、地上の習慣が残っているので、生前と同じ様な生活をしようとするでしょう。
住み慣れた家に帰り、いつもの場所で過ごす人も多いと考えられます。
もう肉体はないのに、眠気や空腹を覚えることもあるようです。
そこに、自分がいる場所をじっと見つめている人の姿を見つけるかもしれません。
苦楽を共にして来た、大切な人です。
いるのにも関わらず、自分の姿が全く視えていないことに、不思議な感覚を覚えます。
ここにいることを教えたくなるでしょう。
しかし、いくら声をかけても、気付いてもらえません。
触れようとしても、(霊体の)手が相手の体をすり抜けてしまいます。
自分がいることを知らせる術がなく、意思疎通が全く出来なくなっていることに愕然とします。
記憶はあります。
性格もそのままです。
想いも変わっていません。
肉体がないだけで、他は何も変わっていません。
しかし、地上にいる人は、そんなことに気付くはずもなく、いなくなったと思っています。
「いなくなっていない」
「遠くになんか行っていない」
「傍にいる」
「どうして判らないんだ」
そんな想いを伝えたい人たちが、今、地上近くで溢れているでしょう。
地上に残された人はどうしているのでしょう?
あまりに突然だったので、現実とは思えません。
死に目にも会えずに、いきなり骨(遺体)になって帰って来れば、信じられるはずもありません。
しかし、いくら待っていても何も連絡もありません。
家に帰って来ません。
少しずつ死んでしまったことを受け入れて行くしかありません。
それに伴い、悲しみが押し寄せて来ます。
感情を抑えられなくなり、涙となって溢れ出します。
向こうにいる人は、そんな様子を見ていて、傍に寄り添いたくなります。
しかし、悲しみの感情は地上の人を包み囲んでいるバリアのように感じられ、容易に傍に近づけません。
悲しみの感情を、自分にはどうすることも出来ないので、ただ傍観するしかありません。
今いるのは、思念の世界です。
地上にいる人の肉体はおぼろげにしか視えません。
しかし、想いは手に取るように判ります。
地上にいる人はその逆です。
肉体は視えますが、五感に触れない想いは判りません。
何とかして、自分の想いを伝えられないかと思います。
地上の人が、能力の確かな霊媒のところに行けば、代わりに伝えてもらうことができます。
それが無理ならば、地上の人の魂に直接、想いを投げかけて伝えるしかありません。
上手く行くと、地上の人の心の中に何かが突然、浮かび上がります。
それが精神上で具体化されれば良いのですが、何なのか判らないまま、受け流されてしまうことがほとんどです。
向こうの世界から想いは、インスピレーションの形を取り伝えられます。
せっかく伝わっても、思い付きとして片付けられてしまいます。
そんなむなしい試みが、何度繰り返されているのでしょうか?
成否を決めるのは、自分の存在を信じてもらえるかどうかにかかっています。
地上では、悲しむことよりも、生きることの方が優先されます。
悲しんでいる暇さえない人も、きっと多くいるでしょう。
そんな状況は、向こうにいる人たちには好都合かもしれません。
生きることに意識が向かい、悲しみのバリアが弱くなった時を見計らって、自分の想いを伝えようとしているかもしれません。
その想いが愛であれば、心の中がパッと明るくなり、何かあたたかいものが拡がって行くのを感じられるかもしれません。
向こうに行った人にとっても、意思疎通ができなくなるのはつらいものです。
しかし、いつでも地上の人に寄り添えます。
想いも判ります。
地上の人のような、悲しみはありません。
自分を想う思念が届いた瞬間、寄り添っているでしょう。
もし、地上にいる人の意識が、自分以外に向いている時には、どうしているのでしょうか?
今いる世界に、意識が向いていると思います。
そこに拡がっているのは、生命力が鮮やかな色彩となって、光り輝いている世界です。
言葉を介さずに、想いが通い合います。
煩わしい人間関係もありません。
食べるために、働く必要もありません。
精神的、肉体的に大きな負担となっていたものが、ことごとくなくなっています。
実に快適な世界です。
けれども、地上の人はそんなことなど知らないために、この世に生きていられなかったと嘆き悲しんでいます。
「まだすることがたくさんあったのに」
こう思う人もいるでしょう。
夢に向かって進んでいた人、果たすべき約束があった人、守るべきものがあった人もいるでしょう。
全ての現象は、自然法則の働きによって起きています。
自然法則に則って、地上を去ったのです。
神が創った自然法則に則って起きたことで、不公正が生じるはずはありません。
ここに、シルバーバーチの言う「埋め合わせの原理(法則)」が働いていると考えられます。
私たちは、大切なことを学び、霊的に成長するために、地上に生まれて来ました。
地上的な経験はできなくなりましたが、霊界でそれに代わる経験を通して、同等の学びや成長が得られると考えられます。
違う形での夢、果たすべき約束が生まれると考えられます。
守るべき人が、生きるのが大変な状況になってしまうこともあるでしょう。
そんな人たちを、霊界から守り導くのも大切な役割となり、成長につながると思います。
失うことによって生じた苦難を、もがきながらも乗り越えようとする過程で、地上の魂は成長し、霊的に報われることになります。
自分が地上を去ったことで、不公正がないように完璧に計られていることを知り、安心すると共に、宇宙を経綸している大いなる存在に感謝するでしょう。
ところで、亡くなった300万を超える人は、寿命だったのでしょうか?
シルバーバーチの霊訓の中に、事故でご主人を亡くした夫人とのやり取りがあります。
そこに偶発的に見える事象で死んだ人と、寿命との関係が書かれています。
最も理解しにくい文章の1つですが、書いてみます。
夫人「主人が亡くなったとき私は、これも宿命だったと信じる用意はできていたので、そのことをある方を通じてあなたに伝えてもらいました。するとあなたは、これは事故(アクシデント)だとおっしゃったのです。私は、アクシデントと法則とが同居できるはずはないと思いました。」
シ「私がアクシデントだと言ったのは、神が過ちを犯したという意味ではありません。法則の内側にもさらに別の次元の法則が絡んでおります。その事実を、これから可能なかぎり判りやすく説明してみましょう。私が申しあげたかったのは、ご主人はあの日に死ぬ運命ではなかったということです。」
夫人「では私たちは何日に死ぬということまで決まっているわけではないということでしょうか?」
シ「非常に難しい質問です。というのは、それが決まっている人もいるからです。」
夫人「もし主人が私以外の女性と結婚していれば因果律もまったく別の形をとったはずです。もしかしたら、あの日のあの時刻に死ぬという結果を生み原因も起きなかったかもしれないーこの考えは考えすぎでしょうか?」
シ「いえ、私は考えすぎだとは思いません。人生はすべて法則によって支配されております。天命、宿命、運命ーこうした問題は何世紀にもわたって思想家の頭を悩ませてきました。では、真相といえば、法則の内側にも別の次元の法則が働いているということです。宇宙は何人にも動かしがたい基本的な法則がまず存在します。ただし自由意思が原因となってそれ相当の結果が生じます。それは絶対に避けることができないということです。お判りですか?」
夫人「判ります」
シ「さて、ご主人はあの日に地上を去って私どもの世界に来る必要がなかったという意味においては、あれは偶発的な事故でした。しかし、それでもなおかつ、因果律の働きによるものでした。」
夫人「原因の中にすでにあの事故が発生していたということでしょうか?」
シ「その通りです。私が言っているのは、あの日に他界するように運命づけられていたという意味ではないと言うことです。」
コロナウィルスの感染によって亡くなった人はどうなのでしょうか?
その日に、亡くなることが決まっていたわけではないと考えられます。
人類全体に因果律が働いた結果としてウィルスが流行し、全体の一部として個が感染し、その個が持っている肉体的、霊的次元の原因に、さらに因果律が働いた結果として、地上を去ることになったと考えています。
生命は永遠に続きます。
地上で学ぶことがなくなるまで、霊界との行き来を繰り返します。
死とは、元いた世界に回帰する自然現象であり、決して不幸なことではありません。
全ては計られています。
先に逝った人は、霊界に戻るのに相応しい魂であったのに違いありません。