私が1番リラックスできるのは、音楽を聴いている時です。
最近はエフゲニー・キーシンと言うピアニストの演奏を聴いています。
10歳でデビューし、12歳でモスクワ交響楽団と共演するほどの才能の持ち主であり、20世紀を代表する指揮者であるカラヤンが彼の演奏を聴いて涙を流したそうです。
デビューしてから30数年の年月が流れていますが、演奏は力強さを増しながらも、少年の時の繊細さは失われていないように感じます。
キーシンは6歳で音楽学校入学し、アンナ・パヴロフナ=カントルという祖母と孫ほどの年の差がある女性に師事しましたが、ピアニストとして絶大な評価を得た後も、師弟関係が解消されることはありませんでした。
少年の時と同じように、彼女の忠告や助言に真剣に耳を傾け、練習に励む姿をビデオで観て感じるものがありました。
周囲から神童と言われても驕ることなく、最高の演奏を目指して、ひたむきに努力を重ねて来たようです。
謙虚さ、純粋さを失わないことが、聴く人の心に響く演奏につながっていると思いました。
話は変わりますが、私は13年前に、シルバーバーチの霊訓(霊的真理)に出会いました。
人生の底とも言える状況で、真理は救いとなり、明日を生きる力をもらいました。
真理は眩い光のように輝いて、それまでの価値観は一変し、世界がそれまでと違って見えました。
真理を知った者は、今度は暗闇の中にいる人、苦痛に喘いでいる人、必要としている人に伝えなければなりません。
私は真理に救われて、その価値を認識し、真実であることを確信したので、自然に伝えたくなったように思います。
しかし、伝えた人全てに、真理を受け容れてもらうのは無理です。
魂に準備が整っていない人、必要としていない人に、いくら伝えても受け容れてもらうことは来ません。
苦痛や悲しみの経験を経て、魂に受け容れる時期が出来た人が導かれて来るようです。
導いているのは、霊界の人たちです。
霊界の人たちは、魂に受け容れる時期が来た人と、伝えようとしている人の間に接点を見つけて、結びつけていると思います。
霊界(背後霊)からの思念を受け取った人は、何かに突き動かされるように行動し、伝えようとしている人を見つけて、訪ねて来ます。
訪ねて来る時は、理由も判らず来ることが多いようです。
ふと思い付いて行動しているようで、実は霊界の働きかけによるものであり、計画された通りに実行されていると思います。
霊界からは、地上の人の魂そして想いが視えています。
真理を伝えたいと言う、地上の人の想いを視ていると思います。
また、どれ位理解しているのか、(受け容れて)どれくらい成長したのかも視ていると思います。
救われて、成長して、その恩恵に与った人が、真剣に伝えられるからです。
霊的な成長は、遭遇する困難や障害を乗り越えて行くこと、そして人や動物や社会のために奉仕をすることで得られます。
真理の理解が深まるほど、成長する機会が訪れ、内と外から力が与えられ、目的を成就して行くと考えられます。
けれども、そんな日々ばかりではありません。
何事もなく過ぎて行く日も多いです。
大切なことは、摂理に適った行いを、心がけていることだと思います。
人に優しくしたり、親切にしたり、喜ばれることをすることは、とても大切だと思います。
仕事や家事を精一杯するのも奉仕であり、霊的な成長につながっていると思います。
ボランティアも人や社会のためになっているので、立派な奉仕です。
車に路を譲るのも、お年寄りに席を譲るのも、困っている人に声をかけるのも、ちょっとした奉仕です。
腹が立っても許すのも、自己犠牲を伴うので、形を変えた奉仕なのかもしれません。
たとえ小さな奉仕であっても、それを積み重ねて行くことで、長い年月をかけて、大きな成長につながると思います。
そして、公明正大に生きるのも大切です。
霊界は真理の普及を強く望んでいます。
伝えるためには、地上の媒体(伝道者)が必要です。
地上の媒体の霊的な意識が低くなっていると、霊界の意図(導き)が判らずに、大切な機会を逸してしまいます。
自我が大きいと、真理が媒体により脚色されてしまいます。
ピアニストが、ただ譜面通りに演奏しても、聴く人の心には響きません。
伝えるためには、地上の媒体(伝道者)が必要です。
地上の媒体の霊的な意識が低くなっていると、霊界の意図(導き)が判らずに、大切な機会を逸してしまいます。
自我が大きいと、真理が媒体により脚色されてしまいます。
ヒーリングの力やメッセージを伝える時に、媒体によって影響を受けますが、真理を伝える時も全く同じだと思います。
霊的真理は、神の法則であり、神の心です。
霊的真理は、神の法則であり、神の心です。
そのため、神の摂理(心)に合わて生きようとする霊的な意識の高い人、(地上的)自我の少ない人を選んで導いていると思います。
ピアニストが、ただ譜面通りに演奏しても、聴く人の心には響きません。
作曲家の意図を汲み取り、インスピレーション(霊力)を感受して、概念や想いが演奏で表現されると、聴く人の魂に響くと思います。
真理を伝えるのも同じかもしれません。
ただ言葉を伝えるのではなく、神の意図を汲み取り、霊力を感受しながら伝えることで、魂に届くと思います。
神の意図とは、法則の働き(叡智)を知り、痛みではなく悦びの中で生きて、手を取り合って成長することだと思います。
たとえ知識が豊富であったとしても、人の苦しみや痛みが判らない人の元へ導くとは思えません。
それでは霊界と同調出来ないからです。
その人と同じ経験をしなければ、同じ想いを共有するのは難しいかもしれません。
しかし、真理を受け容れたのであれば、苦しみや痛みを感じることは出来るはずです。
たとえ知識が豊富であったとしても、人の苦しみや痛みが判らない人の元へ導くとは思えません。
それでは霊界と同調出来ないからです。
その人と同じ経験をしなければ、同じ想いを共有するのは難しいかもしれません。
しかし、真理を受け容れたのであれば、苦しみや痛みを感じることは出来るはずです。
感じることが出来れば、自然に慈しみの想いが生まれます。
慈しみの想いによって霊界と同調し、言葉に霊力が宿り、魂に届くと思います。
シルバーバーチはこんなことを言っています。
「真理の啓示を受けた者ー永いあいだ取り囲まれていた暗闇を突き破って目も眩まんばかりの真理の光に照らされて目覚めたはずの人間の中にさえ、往々にして我欲が先行し滅私の観念が忘れられていくものです。まだまだ浄化が必要です。」
耳の痛い話であり、自分の生活に追われると、大切なことが後回しになってしまいます。
真理の輝きが失われてしまわないようにするには、人や社会のために役立つことを優先し、神の心が顕現するように、日頃から心がけなければならないと思います。
知っていることで自己満足してしまい、一番肝心な他者への奉仕を忘れがちになってしまう自分がいることを自覚していたいと思います。
知っていることで人よりも優れていると思うのは傲慢であり、神や霊界が最も嫌うことかもしれません。
続けてシルバーバーチは、「まだまだ精進が足りません。まだまだ霊的再生が必要です。真理普及の仕事を託された者に私が申し上げたいのは、現在の我が身を振り返ってみて、果たして自分は当初のあの純粋無垢の輝きを失いかけていないか。今一度その時の真摯なビジョンにすべてを捧げる決意を新たにする必要はないか。
時の流れとともに煤けてきた豊かな人生観の煤払いをする必要はないか。そう反省してみることです。霊力の地上への一層の顕現の道具として、己の全生活を捧げたいという熱誠にもう一度燃えて頂きたいのです。」と言っています。
霊界は伝えようとする媒体の熱意が頼りであり、その想いが時と共に薄れて行くのを憂いていると思います。
神や霊界が求めているのは、謙虚さや純粋さを失わないことであり、他者への慈しみの想いを持つことだと思います。