私がこのブログを書いている大きな目的の1つは、「あの世」が存在することを、多くの人に知ってもらうためです。
しかし、「あの世」の存在を万人に判る形で証明するのは不可能です。
あの世は、この世とは次元が異なり、五感で認識することが出来ないからです。
それ以外にも理由があり、万人があの世の存在が判るようになってしまったら、大きな問題が生じてしまうからと考えています。
もし、最愛の人を亡くして「あの世」が存在し、そこで故人が生きていることが明確に判ったとしたらどうでしょう。
この世で生きるのを中断して、会いに行こうとする人がいるかもしれません。
過酷な試練に打ちのめされて、生きているのがつらくなった時に、あの世があることがはっきりと判ったとしたらどうでしょう。
つらいこの世から逃れて、行ってしまう人がいるかもしれません。
私たちは、何のために生まれて来たのでしょう?
自分を成長させるためです。
足りないところを補うためです。
そして、過去の過ちを償うためです。
そのためには、この世でふさわしい経験をしなければいけません。
無償で授かるのではなく、全て経験と引き換えです。
生まれる前の自分は、この経験をすればどれ位成長するのか、どんな教訓が得られるのか、そして罪が償われることが、予め判っています。
全てを承知して生まれて来たのです。
しかし、いざ生まれてしまうと、承知していた出来事の記憶はなくなってしまいます。
もし、予定されている出来事(経験)の記憶が残っていたらどうなるでのしょう?
病気、別れ、挫折、障害などが、自分の身に起きるのが判っていたら、多くの人は気になって今を精一杯生きられなくなってしまいます。
何とかして回避出来ないかと、必死になってしまうでしょう。
死ぬ時が判っていたとしたら、いつもの精神状態でいられる人は、どれほどいるのでしょうか?
この世を生きている人はそれほど強くないので、これから起きる出来事は神の配慮により、記憶から消し去られていると考えられます。
そして、自然法則は私たちを成長させる方向に導いています。
この世で経験している出来事により、私たちは成長をしているのです。
どんなに力を尽くしても、願いが叶わないことがあります。
たとえ願いが叶わなかったとしても、力を尽くすことにより、成長する目的は達成されています。
非情に思えてしまいますが、目的が達成されたのなら、神にとって地上的な結果は小さなことなのかもしれません。
その先に、成長した悦びが用意されているはずです。
最も大切な真理の1つに「乗り越えられない困難(出来事)は生じない」があります。
言い方を変えれば、乗り越えられるのは、神によって保証されていることになります。
私もこの言葉にしがみついて生きた日々があり、それが真実であることを確信しています。
今、大きな困難に直面しているのであれば、とりあえずこの真理の言葉を強く信じて生きてみましょう。
裏切られることは、絶対にありません。
ところで、「乗り越える」と言うことは、どのようなことを意味するのでしょう?
私は、苦しみから解放されることだと考えています。
では、どうすれば苦しみから解放されるのでしょうか?
その前に、もう1つ大切な真理があります。
人は苦しみに出会うと、じっと耐えたり、何とかしようと必死にもがいたりします。
そんな最中に、自分(魂)が成長していると言う真理です。
成長することによって、今までの苦しみが、苦しみとして感じにくくなって行くと思います。
いきなり10kmを走れば、誰でも苦しくなりますが、つらくても毎日走っていれば、10km走っても以前のような苦しみは感じなくなります。
苦しみに慣れるのではなく、苦しみに対して自分が強くなっていると考えられます。
生じた出来事は寸毫たりとも変えられません。
しかし、自分(魂)は絶えず変わっています。
自分の成長に伴って、出来事の捉え方が変わったり、大切な真実を見つけて、苦しみが和らいで来ると考えられます。
繰り返しになりますが、私たちは成長するために、この世に生まれて来ています。
出来事を通して成長し、真実を手に入れると言う目的が果たされれば、苦しみから解放されると考えられます。
なぜなら、出来事は苦しめるためではなく、魂を成長させ、真実を手に入れるために、自然法則の働きによって生じているからであり、目的が達成されれば必要なくなるからです。
時間の経過ではなく、自分の奥深い部分が変わって、今までの苦しみから解放された時、出来事が乗り越えられたと考えられます。
出来事は乗り越えようとして、乗り越えられるものではありません。
苦しみや、悲しみに耐えながら日々暮らす中で、息が切れるような上り坂が終わり、気付いてみたら平坦になっているように思います。
つらくても生きていれば、人知れず魂は成長して行き、穏やかな日々を過ごせる時が必ず来ます。
生まれる前の自分は、決して容易ではないけれども、出来事は乗り越えられると判断していたはずです。
もし出来事が偶然起きるのであれば、乗り越えられないことはないと断言出来ません。
しかし、全て自然法則(神の摂理)の働きによって生じているので、乗り越えられない出来事は絶対に起きないのです。
苦しみは、魂を成長させて、真実に気付くために存在する触媒です。
苦しみが大きいほど、高みに導ているのですが、その意味を知らなければ、ただ逃れたいと思うばかりです。
乗り越えて行くことを自分が承知していたにもかかわらず、その時になって逃れることは許されません。
どんなに苦しくても正面から受け止めて、肉体が自然に朽ちる時まで生きなければいけません。
志願して生まれ来たのに、中断してしまうのは、絶対に許されないのです。
私はあの世があると信じています。
この世しかないと信じている人もいます。
もし、あの世がないのならば、心臓が停止すればその人の全てが終わります。
意識は消えて「自分」は消滅し、周囲とのつながりは完全に断たれます。
そうだとしたら無になることに恐怖を感じます。
生きている意味など、どこにも見つけられません。
人生には喜びがあり、悲しみもありますが、それが何のためにあるのかが、全く判らなくなってしまいます。
死んで終わりならば、不合理とも思えるそんな感情などなくて良いはずです。
喜びや悲しみなど、心が大きく動かされる経験を通して、魂は熟成し豊かになって行く、そう考えた方が自然です。
想い(感情)を共有することによって人は1つになって行く、そのためにさまざまな経験をしている、私はそう考えています。
ところで、人は社会のために貢献したいと欲するのはどうしてでしょう?
死んで無になってしまうのであれば、今を、面白、おかしく生きれば良いのであり、自己犠牲を伴う行いをしようとする理由は見つけられません。
自己満足を得るため以上の、意味があると考えられます。
魂(霊)は過去から未来へと存在し続けています。
魂の成長にとって、大きな意味があります。
困難を乗り越えて行く以外に、人や社会のために奉仕することで真の悦びが与えられ、魂は成長して行きます。
成長する機会を得るために、この世に生まれて来たのであり、あの世に行ってからこの世で得たものが活かされます。
あの世の存在を信じていなくても、魂に成長したい根源的な欲求が内在しているために、人は苦しくても、つらくても生きようとするのだと思います。
しかしながら、あの世があるのがはっきり判ってしまうと、かなり多くの人が誘惑に負けて、安易にあの世に行ってしまうと考えられます。
あの世があるのかないのか判らない、死は怖いものと感じているからこそ、この世に留まっていられるのかもしれません。
あの世は、間違いなく存在します。
この世で成長してあの世で自分をより活かすため、過去に作った借りをきっちりと返すために生まれて来たのであり、その目的は絶対に果たさなければいけません。
苦しくても生きることで、この世に生まれた目的を果たしていることを忘れてはいけません。
あの世の存在と、生まれる前の記憶が判らないようになっているのは、今を精一杯生きるためです。
今を精一杯生きることで、最大限の成長が得られるからです。
あの世の存在が判れば大きな安堵が得られるが、人の成長にとって利益より不利益の方がまだ多い、神はそう考えていると思います。
あの世に行くと、この世がつかの間の夢のように感じるでしょう。
本来の住処であるあの世で悦びを感じて生きるために、この世で苦しみながらも成長を続けていたことがはっきりと判るでしょう。
22 件のコメント:
こんばんは。
お久しぶりです。
何回も投稿するのですが、なぜかいくみさんに届かずコメント欄閉鎖されているのかと思いましたが、次の記事でコメントが書かれているのでもう一度だけチャレンジ致します。
7月に母の三回忌、8月にお盆と無事に終わりました。
少しずつですが、寿命までは精一杯生きよう、死ぬ時に「いい人生だったな」と思えるように生きようと思えるようになってきました。
それが母が喜ぶことだと気づきました。
二年もかかりましたが。
まだまだ毎日母のことを考え、たまに泣くこともありますが自然体の私でいようと思い感情に素直に生きています。
実家に帰るとお座敷に寝るのですが、布団に入ると部屋のあちこちからパチパチと音が聞こえてきます。
普段は単身赴任して父と暮らしてくれている弟が寝ているのですが弟は音はしないと言います。
母だったら本当に嬉しいのですが、いくみさんはどう考えられますか?
夢にも本当にしょっちゅう出てくれて、若い母と会話したり、抱きついたり、そうかと思えば病気してる母だったり。
毎回、色々なシチュエーションなので本当に不思議です。
この投稿が送れているのか不安ですが、届いていたらお返事頂けますか?
よろしくおねがい致します。
弥生様
お久しぶりです。
おかしいですね。コメント欄を閉鎖したことは1度もありません。
今度は届いて良かったです。
お母様の3回忌が終わったのですね。
あなたの言う通りです。
死ぬ時にいい人生だったと言えるように生きることが、何より大切です。
お母様もご家族との別れはつらかったでしょうが、振り返ってみて、苦しいこともありましたが本当にいい人生であり、それが今の幸せにつながっているのをしみじみと実感しているので、あなたがそう思えるようになったことを、とても喜んでいるでしょう。
別れの悲しみ、苦しみは、お母様のいる世界に行くと、成長した悦びに変わるのです。
実家に帰って、布団に入った時に、部屋のあちこちからラップ音がしたのですね。
お母様が歓迎していたのではないでしょうか。
その想いは「良く帰って来たね。お父さんたちが喜ぶからもっと帰って来ていいんだよ」でしょうか。
言葉で想いを伝えられないので、音で知らせていると考えられます。
現象から想いを感じ取るようにして下さい。
夢の中にもお母様が良く出てくるのですね。
あなたが幽界で会っていると考えられますが、不思議なのですが、お母様は若い時、年を取った時、さまざまなシチュエーションでの姿を見せることができます。
理由は判りませんが、あなたと共に過ごしたこの世の人生を、懐かしんでいるような気がします。
こんにちは。
やっとやっと届いたのですね。
すごく嬉しいです。
早速の返信本当にありがとうございます。
何回も届かなかったので母からのメッセージなのかなとも考えていました。
いくみさんに頼らず母からの想いを信じないと言っているのかなと。
いくみさんの文章の中に「振り返ってみて〜
しみじみと実感している」この部分はいくみさんに母からの想いが伝わってきたのでしょうか?
以前、いくみさんが伝えくださった母からの想い「人に優しくし過ぎることはない」
いつも忘れずにいます。
母に再会するいつの日か「頑張ったね」と褒めてもらえるようにこれからも精一杯私らしく生きていきます。
笑顔の母が浮かんできます。
いくみさん、いつもありがとうございます。
弥生様
コメントが届かなかったのは、そんな意味もあったのかもしれません。
人を介するよりも、直接伝えたいのに決まっていますので、心を鎮めてお母様の想いに気付いて下さい。
この世での苦しみや悲しみの意味、さまざまな経験が今いる世界での生活に活かされているのを、お母様はもうご存知です。
自分が生きて来たようにあなたにも生きてもらえば、同じ幸せを味わえること、人に優しく、親切に生きて来て間違いはなかったと、あなたに伝えたいのだと思います。
お母様のことを書こうとすると、とても幸せな境涯にいるのを感じます。
優しく、朗らかなお母様の笑顔が、私にも伝わって来ているようです。
今も母が幸せでいてくれて本当に私も幸せです。
自分の幸せより嬉しいです。
今も母は幸せだということを教えてくださったいくみさんに心から感謝致します。
少しずつ秋に近づいていますね。
どうぞご自愛ください。
イクミさま
NOBです。こんばんは。
お久しぶりです。
他の方も書かれていますが、私も6月から何度かコメントを投稿させていただいたのですが公開されなかったので、なにかシステムが変わったのかな…と思っていました。
今回は届くと嬉しいのですが。
ブログはずっと拝見していました。
イクミさまのブログを読ませていただくことで、いつも心が安らかになっていました。
ここ数か月で、いろんな事がありました。
今、とても親しくしているある方のために、東日本大震災後の出来事の「紙芝居」を作りました。
私は絵をうまく描けないので、彼の古くからの友人に描いてもらいました。
紙芝居のお話は、この世のひとには奇跡のような話なのですが、
なぜその事が起きたか、なぜ今私がその紙芝居を作る事になったか、今になってよくわかりました。
また、ゆっくり書かせていただきたいと思います。
イクミさまに、またコメントを投稿できてとても嬉しいです。
おやすみなさい。
NOB様
おはようございます。
暑い夏でしたが、その後体調はいかがでしょうか?
コメントを送っていただいたのに、公開されなかったようで、大変ご迷惑をおかけしました。
とても親しくしている人のために、東日本大震災後の出来事の紙芝居を作ったそうですね。
きっと、大切な人を失い、霊的真理を学んだあなたでなければ書けないものなのでしょう。
必要としている人に、大切なことを、分かりやすく伝えようとする、あなたらしい優しさが出ている紙芝居だと思っています。
楽しみにしていますので、詳しいことをまた教えて下さい。
イクミさま
NOBです。こんばんは。
紙芝居は、ある方が経験した実話を、きちんと紙芝居用として文章をまとめられていて
私はそのストーリーに、彼と共通の古い友人に絵や写真で画面作成をしてもらうコーディネートをしただけで、私が物語を書いたわけでは無いんです。
でも、画面部分を完成させるために、いろんな写真を撮ったり集めたり、東京の友人とメールで何度もやり取りし、修正を繰り返して完成しました。
地元のその方は、私が紙芝居という形にしてくれたことを、とても嬉しく思ってくださっています。
旧家であり、母屋は土間もあり貫録のある建物です。津波時は柱と梁と屋根以外、ほとんど破壊されました。
でも、たくさんのボランティアの方々のおかげで、母屋は復旧しました。
今は、全国のたくさんの中学生や、それ以上の学生さん、社会人の方も、その方のお宅に訪れます。
その方は、その母屋で、訪れた方々に写真や資料を見せて東日本大震災の話をされています。
そういう機会に、自分が経験したこの話を紙芝居にして話したいと希望されていました。
そのお話は「偶然という事は無く、必然で起こるべくして起こった」としか思えない実話です。
そして登場人物の中に、私の幼馴染やその息子さんがいて、なぜこの方が書いたお話に私の幼馴染がつながるのか…と不思議でした。
私は、5月の中旬から地元の観光協会でお仕事をしています。
郷里の復興、振興の、何かの力になれないだろうか…と思い、いろんな会に参加したり、地元で利他的な活動をしている方にたくさん会っていたので、どなたからかそんな噂が伝わったのか、4月の初めに協会の会長からお仕事のお話をいただきました。
その時は、受けるかどうかずいぶん迷いましたが、今も続けて働いています。
訪れる観光客の方が、美しい自然に癒され、喜んでくださる事が何より嬉しい事です。
ただ最近、先に書いた紙芝居を作るお手伝いのような事や、お話を聞きたいと思っている方との時間があまり取れなくなってしまっていて、少し考えています。
体調が万全ではないのは続いていますし、やはりいろんな方とお話する仕事が多いので疲れます。
仕事にはだいぶ慣れたので、少し自分のペースを取り戻して、また一度心の平静を取り戻したいと思っています。
シルバーバーチの霊訓を読む時間も、一時なかなか取れなかったのですが、最近はまた読めています。
そんな時に、またイクミさまのブログにコメントを投稿させていただけるので、とても嬉しく思っています。
長くなってしまいました。すみません…。
また投稿させていただきます。おやすみなさい。
NOB様
こんにちは。
紙芝居は、東日本大震災で被災された人と家屋にまつわる物語なのですね。
あれほどの破壊力を持つ津波に襲われても、家の骨子は残ったのはすごいのですね。
その母屋が、ボランティアの手によって復旧されたと聞き、家人の喜びは計り知れないものがあると想像されます。
地域の復興のシンボルとなるような出来事を、紙芝居にして、多くの人に知ってもらうのは、意義深いことだと思います。
津波の力はすさまじいものですが、元に戻そうとする善意の力もとても大きいと感じています。
それを親しみやすい紙芝居で表現すると、感動を与える素敵な物語になっていると想像しています。
外に出て多くの人と接するので、あなた自身の復興にもなっていると思いました。
今まで縁のある人たちが関わっていて、紙芝居を作るのはあなたにしかできない仕事であり、最初にこのような奉仕をするのは決まっていたような気もします。
そして、5月中旬から観光協会で仕事をされていると聞き、とてもうれしく思いました。
心身はまだ万全ではないでしょうが、お客さんと接し、笑顔や言葉から生きる力をもらっているのも確かだと思います。
ですが、くれぐれも無理をしないように、自分のペースを守りながら続けて下さい。
私が言わなくても判っているのでしょうが、あなたの様子を見ていて彼は本当にうれしく感じていると思います。
彼を含め、背後の導きによって、今のあなたがいると思います。
また様子を教えて下さい。
イクミさま
NOBです。こんばんは。
お返事ありがとうございました。
今日私は仕事が休みで、定期診察に病院に行ってきました。
思いのほか結果は悪く無かったです。抗うつ薬ももう少しでゼロに出来そうです。
コメントに書かせていただいた紙芝居の事、進める前にはいろんな想いがありました。
その頃、地元で様々な活動をされている方々と頻繁に会っていて、皆さんからいろんな要望がありました。
その時の私には、手に負えそうもない要望だったのですが、何とかしたい気持ちがあり
彼に「今、私がするべきことはどれなんだろう…?まず何をしたらいいだろう?」と聞きました。
その時に聞こえてきた返答が、今回の紙芝居を形にする事でした。
「〇〇子さんの事を優先してあげて」と聞こえてきました。
実は、その方の紙芝居を作ることは、私の中では「難しいな…」と思っていたことでもあり
その方は、地元でとても強烈なインパクトを持った存在の方で、私なんかが力になれるとは思いませんでした。
その方も、私の事を良く知らないので、少し警戒心を持たれていたと思います。
その方と親しくなるきっかけは、友人から「会ってほしい」と言われてお会いした事なのですが、
一度会ったばかりの状態では、親近感もそれほど感じていませんでした。
それなのに彼は、その方の事を優先してあげて…と伝えてきました。
今は、すべての意味が分かります。彼の言う通りでした。
紙芝居の公開のタイミングは、その方にお任せしているのですが
その方が、先に知らせた方が良いと思われた方々にお見せしたら、涙を流して喜んでくれたそうです。
私は、実は画像面の完成度は70%位と思っています。
でも作り上げた事に意味があると思ってます。その方もそう思ってくれていて、
その思いが皆さんに伝わっているのだと思います。
今は、読み上げる物語を、再構成しているところです。
あとは東京の友人に頼まなくても、こちらで仕上げられるので自分達のペースでやりましょう…と話しています。
その紙芝居の物語、というか実話を書いた女性は、もともと地元の古い神社の神主さまの娘さんで
地元の旧家に嫁いだ方です。
その事も関連しているのか、私からは、霊的真理を意識せずに知っている方のように感じます。
2年前にご主人を亡くされて、私と同じようにご主人の存在を感じていらっしゃいます。
私のように言葉が伝わってくるのではないようですが、ご主人だけではなく霊界からたくさんのメッセージを受けとっていらっしゃる方だと感じます。
ご本人は、あまり認識がなく「何なのかしらね…」と言っています。
私は、その方が大きな愛で見守られていることを強く感じます。
何となくですが…霊界の方はその方にいろんなメッセージを送って楽しんでいるように感じます。
時間があれば、できるだけお会いするのですが、いつも、お互いの旦那様と4人で会ってるんだよね…と話しています。
イクミさまにお返事をいただけて、心から嬉しく思っております。
仕事も無理せずやっていきます。
また投稿させていただきます。ありがとうございました。
NOB様
おはようございます。
昨日は病院に定期検診に行って、結果が良かったそうですね。
もう少しですが、焦らずに断薬をして下さい。
体調が悪い時は、遠慮なさらずにヒーリングを申し出て下さい。
紙芝居を形にするように、彼が示していたのですね。
その方を優先してあげてと言ったのは、あなたしか出来ないことだからだったのでしょうか。
難しいと感じていたようですが、彼はあなたがやるのが相応しく、得るものがあると思ったのでしょう。
あなたの心を知り、先を見通せている彼に従って、間違いはないと思います。
公開する前に観た人が涙を流していると聞き、作った人の想いがしっかりと伝わっていると思いました。
一度、私も観てみたい気がします。
物語を書いた人も、ご主人を2年前亡くされたそうですね。
神主さんの娘で、霊的なことを自然に受け入れているようですね。
いろいろな想いを分かち合える人と知り合えたことに、彼の計らいを感じます。
やはり霊界にいる人は、この世のことが良く視えていて、人と人をつなげることが出来ると、改めて感じました。
最初の一歩を踏み出すのはあなたですが、いざ動き出したら霊界からの援助があり、事が円滑に進んで行っているように思います。
もちろん、苦労も多いのですが、それもあなたの成長に必要なことであり、今後の展開につながって行くと思います。
進展がありましたら、また連絡して下さい。
イクミさま。
はじめまして。
ブログ等に投稿するのは初めてで、ちゃんと届くのか不安もありますが投稿させていただきます。
私事ではありますが、3年ほど前に最愛の弟を亡くしました。
幼少期よりずっと一緒につらく悲しい時を乗り越えてきた弟でしたがこちらの想いもむなしく生きることを諦めました。
弟が亡くなってからは、死んだら人はどうなるんだろうかという疑問が湧いてきて、色々なブログをのぞき見していくなかでスピリチュアリズムに出会いました。
シルバーバーチの霊訓は言葉がとてもあたたかくやさしさを感じます。
霊的真理を知識として学んではみてもそれを続けて実行しない自分がいます。なんでなのか?自分の中で信じきれない思いがあるのか?自問自答しながら日々過ごしているところです。
イクミ様のブログは大変わかりやすく、正直他の方のブログをみてもよくわからないんです。
これからも大切に読ませていただきます。
ありがとうございます。
あと、自己流ですが瞑想をしているんですが、このことでアドバイス等を頂けますか?
誰に相談すれば良いのかわからず今に至っています。
支離滅裂な文章になってしまい大変申し訳ありません。どうぞ宜しくお願い致します。
匿名様
初めまして、イクミです。
ブログを読んでいただき、ありがとうございます。
3年前に、最愛の弟さんを亡くされたのですね。
幼い時から、つらく悲しい時も一緒に乗り越えて来たと聞き、唯一無二の存在を失ったあなたの悲しみは癒えることがないとお察しします。
弟さんに何があったのかは判りませんが、残念としか言いようがありません。
あなたは死んだらどうなるのか疑問が湧いて、シルバーバーチの霊訓に出会ったそうですね。
私も、癒やす力が出現し、続けて今までにない苦難に遭遇して、すがるような思いでシルバーバーチの霊訓を読みました。
人生がひっくり返ってしまうようなことがあって、辿り着く人が多いようです。
真理を続けて実践出来ないのは、信じて切れていないためなのかと、自問自答されているそうですが、そうなのかもしれません。
あなたは、亡くなった弟さんが次の世界で生きていて、また会えるという真理に慰められ、勇気付けられたと思いますが、まだ確信には至っていないのかもしれません。
私も最初は、霊訓に書いてある内容が、ほとんど理解出来ませんでした。
しかし、自分から出ている力で、病気が癒やされるのを目の当たりにして、霊力の存在を信じるようになって行きました。
霊力の意味や、その他の真理について得心するのに至ったのは後になってからのことであり、人生経験と共に、理解は深まって行くと思います。
判りやすいブログと感想をいただいて、うれしいです。
私の原点はシルバーバーチの霊訓であり、これ以上に真理を近いものはないと思っています。
より多くの人に、真理を知ってもらうことを願って、今まで書いて来ました。
瞑想をしているのですね。
人間は頭(大脳)と魂を活動させながら生きています。
日常生活を送っている時は、通常、頭が優位に活動しています。
頭が活動していない、いわゆる何も考えていない、(地上的な)感情にも支配されていない時は、魂が前面に出ています。
瞑想とは、魂を意図的に前面に出すための行為だと考えています。
私も我流ですが、一人になり、静かで心が鎮まるような音楽を聴きながら、神や霊界に想いを馳せることで霊的な世界と同調し、瞑想状態になれます。
ヒーリングをしている時など、霊力が自分に流れていると、自然に瞑想状態になっています。
ご参考になるのか判りませんが、書いてみました。
弟さんが生きているのは、紛れもない事実です。
ご存知でしょうが、もし弟さんが自ら死を選んだのであれば、それは摂理に反しています。
しかし、死を選ぶ動機がどうであったかで、今置かれている状況は大きく変わって来ます。
もしかしたら、死以外の選択肢を選ぶべきだったと後悔しているかもしれません。
残して来たあなたのことを、とても心配しているでしょう。
弟さんがあなたに何か伝えることがあるかもしれないと思い、焦点を合わせてみました。
以下の文章が心に浮かんできましたが、間違っているようであれば、失礼をお許し下さい。
「お姉ちゃん、さんざん世話になったにも関わらず、何の恩返しも出来ずに逝ってしまい、ごめんなさい
自分で自分が判らなくなってしまったんだ
早く楽になりたい、それだけだった
いい加減、好きなように生きてよ
それまで我慢して来て、今度は俺のことで後悔して、周りのことばかりを考えていると、何のために生きているのか判らなくなってしまうよ
幸せになってくれ
俺の分まで
頼むよ
お願いだ
そうしないと、俺が困っちゃうんだ」
イクミ様
お忙しい中お返事をいただき、大変ありがとうございます。
私たち兄弟はちいさい頃からお互いに励まし合い、慰め合いながら生きてきました。
何度も何度も歯を食いしばり数えきれないくらい涙も流しました。
親に怯え、自分を繕って生きてきました。
悲しい経験を多くした人ほど他人を思いやり、優しくなれるといいます。
確かに一理あると思います。
私は周りの方から、優しくて思いやりがあってとても素晴らしい方ですねとよく言われます。
うれしい気持ちの反面、なんだかやりきれない思いがあります。
私はただ、もうこれ以上嫌な思いをしたくないだけなんです。
優しい人、思いやりがある人を演じているだけなのかもしれません。
自分の本当の性格といいますか、本質的なところが知りたくて瞑想をはじめました。
最初の頃は夜中に目が覚めた時に頭のおでこの上らへんが膨らんだりへこんだりして妙な感覚になることがよくありました。足先から電気が流れてるみたいな感覚になったり、腕が勝手に動いたり。
最近は、身体が動く、頭のてっぺんが引っ張られる感じ、こめかみの周りが押される感じ、等の症状がでます。
瞑想の仕方を間違えているのでしょうか?
お伝えしたい気持ちがたくさんあるのですがうまく言葉にできず、分かりづらい文章ですみません。
何かアドバイスいただけましたら幸いです。どうぞ宜しくお願い致します。
匿名様
ご兄弟で肩寄せ合いながら、つらい日々を乗り越えて来たのですね。
大変な思いをして来た弟さんには、幸せになってもらいたかったのに、それが叶わなくなり、あなたの無念さは限りなく深いと思います。
人から優しく思いやりがある人だと言われると、やりきれない思いになるのですね。
そうではなくて、嫌な思いをしたくないだけなのですね。
人は、この世に生まれた時は魂が前面に出ていますが、大きくなるのに従い、(この世の)自我を作り上げて行き、自分を守ろう、より良く生きようとします。
自我が大きくなってしまうと、本当の自分は埋没してしまいます。
本当の自分(魂)がそうなのかを知りたくて、瞑想を始めたそうですが、さまざまな身体症状が現れているのですね。
瞑想をして、霊的な感受性が高くなっているところに、他の霊があなたに近づいて、接触を図っている可能性がありますので、止めた方が良いでしょう。
悲しいさやつらさを経験した者は優しくなれる、これは霊的真理から考えて正しいと思います。
これまで乗り越えて来たので、因果律の働きで、あなたは強くなっているはずです。
作り上げて来た自分を前面に出していたとしても、それは罪なことではありません。
誰でも、自分を守ろうとしてそうなります。
私は、あなたは作り上げてきた自分(自我)が大きく、前面に出している人の様には感じません。
人の前では、笑顔を作ったり、優しく、気遣ったりすると思いますが、それは自我による行動と言うよりも、あなたの魂から生じている、本性の部分も大きいように感じます。
しかし、幼い時につらい経験をして生じて閉じ込めていた想いが、あなたの中にたくさんあると考えられます。
その想いが表に出てきた時に、自分の中に違う自分がいるような感覚になるかもしれません。
イクミ様
お忙しい中、お返事をいただき大変ありがとうございます。
ご返信いただいた文章を読んでいくうちに、なぜだかわかりませんが自然と涙がでてきました。
今、胸の辺りが押されるような感じがしています。
イクミ様の言われる通り、幼い時から自分の気持ち・感情をなるべく表に出さないようにして生きてきました。
今、世間で頻繁に言われているような虐待を日常的に受けてきました。
私たち二人はただ愛されたかっただけなんです。母の愛情を感じたかった。
だけど、連れ子の私たちに対する母の態度は自分の子に接する態度と明らかに違っていました。
つらかったです 毎日が。
なんだか愚痴をこぼすような感じになってしまい申し訳ありません。
イクミ様とこういう形ではありますが繋がる事ができてたいへんうれしく思います。
瞑想はしばらくやめておこうと思います。ただ、寝る前の横になったとき・椅子に座って休んでる時など、毎日の習慣で半分瞑想状態のような感覚になってしまうんですがそのままでも大丈夫でしょうか?
何かアドバイスいただけますでしょうか? 宜しくお願い致します。
匿名様
私の想像を超える、つらい日々を過ごされて来たのですね。
お母さんからの愛情を受けたい一心で、人一倍頑張って、耐えて来たとお察しします。
信じられないかもしれませんが、連れ子として母子の関係になり、つらい日々を耐え忍んで来たのは、生まれる前から決められたことで、大切なことを学び、成長して行くために、自らが志願していたのかもしれません。
こんな人生を自分が選んでいたはずはないと思うかもしれませんが、あなたはこの逆境に耐えられる魂であり、寛容さや慈しみの心を身に付けていたのかもしれません。
身に付けたものは、これからの生活に活かされることになります。
けれども、虐待は人を傷つける行為であり、お母さんの自由意思によるものと考えられます。
神の摂理に反する行いであり、その罪は魂に刻まれ、償うことになるでしょう。
自ら死を選んだ者は、しばらくの間外部との接触が出来なくなると言われていますが、もし、お伝えしたメッセージが弟さんからのものであれば、そのような状況になっていないと考えられます。
虐待や差別で、弟さんは深く傷つき、あなたと同じ様に感情(想い)を出さずに、ずっと生きていたと思います。
そのため、幼少期からの不安や恐怖や悲しみなどの想いが溜まっていて、それが何かのきっかけで表に出て来て、死の衝動にかられた可能性があります。
母親の摂理に反する行いが原因になっているのであれば、自ら死を選んだ罪は大幅に減免され、そのために外部との接触が許されているのかもしれません。
瞑想状態になった時に、身体にさまざまな異常を感じるのは、他の霊が接触を図っている可能性があるとお伝えしましたが、それはもしかしたら弟さんなのかもしれません。
自分の存在に気付いて欲しくて、一生懸命に働きかけているのかもしれません。
あなたの傍にいると安心し、心穏やかでいられるので、来ているような気もします。
眠る前に、半分瞑想状態になるそうですが、その時に、弟さんに向けて親愛の想いや、生前と同じ様に安心させたり、慰めたりする言葉(想い)を伝えてみてはどうでしょうか?
もし、弟さんであればきっと喜んで、何らかの形で、想いを返して来ると思います。
イクミ様
ご返信いただき 大変ありがとうございます。
私は今まで、何で自分だけこんなにつらく苦しい思いをしなくちゃいけないのかと思っていました。
周りの人に対してはつらい気持ちをいつも前面にだしていました。
イクミ様、ひとつ教えてください。
わたし思うんですが、
もし、弟が死という選択肢を選ばなかった場合、現状はまちがいなくもっと悪くなっていたと思うんです。
本人もそうですが周りの人間も経済的・精神的に限界でした。
自死という行為を肯定することは絶対にできませんが、結果、私は死の向こう側に興味をもち、霊訓にであい、
またイクミ様に出会いました。
弟の死という出来事がなかったらおそらく私はスピリチュアリズムにであうこともなく、今まで通りの悶々とした毎日を送っていたのではないかと思うんです。
人生に偶然はなく、すべては必然であるとききました。
もしそうなのであれば、私が今こうしてであっている全ての出来事・全ての経験は必然なのでしょうか?
もしそれが真実なのであれば、私は弟に感謝したいんです。
弟の死はとてもつらくとても悲しい出来事ですが、こうして私は霊訓にであうことができました。
勘違いかもしれませんが、まるで、弟が導いてくれてるような気がしてなりません。
毎日、弟が映っている写真にむかって「そっちの世界でがんばってるか? おれは大丈夫だから心配すんな
よ」って心の中で伝えています。
こういう気持ちになれたのもまちがいなく霊訓のおかげなんです。
イクミ様 こんな見ず知らずの人間に親切に、また、ご配慮をいただき、本当にありがとうございます。
匿名様
お話をお伺いすると、弟さんの存在は、周囲に経済的、精神的に、大きな負担をかけていたのですね。
自死を選ばなければ、現状はもっと悪くなっていたのですね。
今起きていることは必然なのかと言うことですが、何もかもが予め決められていて起きているという意味ではありません。
何か原因があって結果が生じることが、必然の意味と考えて下さい。
空に向かって石を投げると、地面に落ちて来るのは必然です。
引力が働いているからです。
あなたが、ご両親の元に生まれたのは必然です。
成長のために、あなたが望んでいたからです。
お母さんに虐待を受けたのは、自由意思によるものであり、必然ではありません。
弟さんの自死は、予め決められていたものではなく、必然ではありません。
しかし、そこに至るまで考慮されるべき事情があります。
弟さんの死が原因で、あなたがスピリチュアリズムに出会ったのは必然です。
深い悲しみにより、魂が目覚めて、霊的真理の存在、そして価値に気付いたのです。
霊的真理により、あなたの生き方や考え方が良い方向に変わったのであれば、弟さんの救いとなるでしょう。
感謝の想いを伝えてやれば、気持ちも楽になるでしょう。
つらく悲しい思いをさせた、せめてもの償いとして、あなたを真理に導くことが許されていたのかもしれません。
あなたも死んで向こうの世界に行けば、人生の出来事の真の意味が判ります。
つらく、苦しい出来事が、あなたの魂の成長にとって、大きな意味があったことを知ることになります。
あるのは真理(自然法則の働き)だけで、この世界に不公正や不公平は全く存在しないことが、はっきりと判ります。
イクミ様、お返事をいただきありがとうございます。
返信が遅くなってしまい申し訳ありません。
霊的真理に出会えて少しずつですが、心の中のモヤモヤが薄れていくような感じがしています。
イクミ様が言われている通り、摂理は全ての人間に対して正確に働いているのですね。
その事が完全に腑に落ちたとき、人生に対する見方が劇的に変わるんでしょうか?
私は今まで自己主張をなるべく抑えて生きてきたせいなのか、生まれつきのものなのかわかりませんが
物に対しての執着が無いと言いますか、物欲がないんです。
もちろん生きていくためにはお金は必要で、働くということに対して何の疑問もないのですが、
周りの人たちに比べて明らかに物欲がありません。
“高かったけどやっと限定の○○○が手にはいった~”とかいう話を聞くと
哀れみに近い感情が湧いてきます。
これは霊的真理に照らしてみたときマイナスなのでしょうか?
匿名様
おはようございます。
霊的真理に出会えて、心のモヤモヤが薄れて行く感じがするのですね。
摂理は全ての人間に正確に働いています。
人を、苦しめた人には、その先で、苦痛を伴う償いが待っています。
一方、苦しめられた人は、そこから何らかの教訓を学んで、霊的な成長がもたらされることで、埋め合わせの原理が働き、人の苦しみを判るようになっているのかもしれません。
摂理の働きを知らなければ、そのことが分からずに、怒りや憎しみの感情に苦しむことになると思います。
私たちはさまざまな出来事に遭遇します。
結果(出来事)だけを見ているわけですが、そこには必ず原因があり、それを知ることによって、心の中にあるわだかまりや疑念が解消されて、心のもモヤモヤが薄れて行くと思います。
物欲が、ほとんど無いのですね。
そうなったのは、生まれつきなのか、子供の頃に物を持つことを諦められてしまったのか判りませんが、物欲に奔走されている人が多い中で、良いことだと私は思います。
ただ、適度に好きな物を所有することは許されるのではないでしょうか。
イクミ様
お返事をいただきありがとうございます。
正直、物欲が無さすぎる自分が嫌でした。
これからは色々な事(物)に興味をもってみたいと思います。
シルバーバーチの霊訓、これからも続けて読ませていただきます。
今は、スピリチュアリズム普及会の公式サイトから読ませていただいているんですが、
書籍等があれば教えていただけますか?
宜しくお願い致します。
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