今、ピョンチャンで冬季パラリンピックが開催されています。
ハンディーを背負いながら、懸命に頑張る姿は観る人に感動を与えています。
競技種目の中に、視覚障がい者のクロスカントリースキーがあります。
全盲の選手であれば単独で滑ることは不可能であり、競技には伴走するガイドが付いています。
前方から、声で指示を出して、選手はそれに従いながら、コースを滑ります。
ガイドは進路や障害物について、事細かに指示を出して、選手が安全に既定のコースを滑走できるように努めます。
これが障がい者スポーツだ!のHPより |
目的はただ1つであり、自分(魂)を成長させるためです。
学習をしたり、スキルを身に付けるのは、社会的価値を高めるのに有効でしょうが、成長に直接つながっているわけではありません。
では、どうすれば成長するのでしょうか?
人や社会や動物に奉仕をすること、言い方を変えれば、外に向かって愛を表現することで魂は成長をします。
仕事や家事を精一杯するのも、誰かのためにボランティア活動をするのも、道で困っている人を助けるのも、成長につながっています。
また、人生で立ちはだかる、困難や障害を乗り越えて行くことでも、魂は成長します。
目が見えなくなった人が、絶望の中から立ち上がり、恐怖に打ち克ちってスキーを始めようとするのも、成長につながっています。
人や社会のために何かをしようと思ったり、困難を乗り越えようとするのは、真の自分(魂)が望んでいるのであり、その結果として魂が成長するからです。
多くの人は、自分一人で、考え、決断し、行動し、生きていると思っています。
現実は一人ではなく、目に見えない守り導いている存在(守護霊)と共に生きています。
残念ながら、実感に乏しいのために、ほとんどの人はその存在に気付かずにいます。
なぜ、守護霊と共に生きているのでしょうか?
この世の人生には、おおよそのシナリオがあります。
シナリオが存在するのは、自分に足りないものを的確に学び、効率よく成長するためと考えられます。
訪れた奉仕の機会を全うし、与えられた困難や障害を乗り越えて行くことで、予定された成長が得られるようになっています。
しかし、いざ生まれてしまうと、人生のシナリオは記憶から完全に消去されています。
魂を成長させるシナリオは、得てして避けて通りたい出来事です。
人は弱いので、もし事前に知っていたならば耐えられなくなってしまうために、神の配慮により消去されていると考えられます。
先に何が起こるか全く判らないまま、私たちは生きていると言えます。
成長させるための出来事が、シナリオに沿って訪れた時に、進退を決断をしなければいけません。
この世の人は霊的な目が閉ざされているために、その決断が自分(魂)の成長にとって、いかに重要であるのかが判りません。
絶好の機会が訪れても、逃してしまうこともあるでしょう。
そんな時に、人生において大切な意味があると思わせるような思念を送って、逃さないように働きかけているのが守護霊です。
また、困難や障害と言われるような出来事が目の前に立ちはだかった時に、避けて通ろうとするかもしれません。
そんな自分を戒めて、立ち向かわせるような思念を送っているのが守護霊です。
この世に生まれると、霊的な眼は閉ざされ、肉眼で見えるものを頼りにして生きるようになります。
それと同時に、霊的な存在であることを忘れてしまい、この世に生きている意味も忘れてしまいます。
霊的に見れば、暗闇の中を手探りの状態で生きているのと同じです。
予定されていた成長をさせて、この世に生きる意味を成就するために、生まれた時から死ぬまで、陰から守り導いているのが守護霊です。
先が視えなくなってしまっているこの世の私たちにとって、先を見通せている守護霊は、言ってみれば視覚障がい者のクロスカントリースキーのガイドの様な存在です。
姿は見えなくても、この世に生きている人に、必ず守護霊が付いているのは、きわめて大切な事実です。
しかし、ほとんどの人は守護霊の存在をはっきりと感じられません。
その理由は、もしはっきりと感じられたのなら、未熟なために頼り過ぎてしまうためなのかもしれませんが、一人ぼっちで生きている人は、この世に存在しません。
はっきりと感じられなくても、どこかに出向こうとした時、「行ってはいけない」と、心の中で囁きを感じたことはなかったでしょうか?
そんな時は、好ましくないことが起きることを察知して、守護霊が引き留めるように思念を送っていたのかもしれません。
人と出会った時に、何か特別なものを感じる時はなかったでしょうか?
そんな時は、自分の成長にとって大切な人であり、意識が向かうように思念を送っていたかもしれません。
人を傷つけたり、社会正義に反する行動は、神の摂理に反しているので、罪を作ってしまい、成長の妨げになってしまいます。
その様な行動を取らないように、「やってはいけない」と思わせるような思念を送って、思い留まらせていると考えられます。
成長を妨げる方向に行くのを阻止し、成長を促す方向に向かうように、思念を送って導いています。
しかし、人生を決めて行くのは、あくまでこの世の人であり、守護霊はその決定(自由意志)に干渉できません。
自分で決めたことは、自分で責任を取らなければいけません。
大部分の人は守護霊の存在を信じずに生きていて、日常のほとんどの問題は、自分の頭で考えて解決しています。
しかし、どんなに頭で考えても解決しない時があります。
そんな時に守護霊は、言葉やイメージを送っていて、それがひらめきとなって伝わり、問題解決のきっかけになることもあります。
突然、人や物に意識が向いた時は、守護霊から思念が伝わって来たのかもしれず、そこに問題解決の糸口が存在するのかもしれません。
目の前で困っている人がいると、助けようとする自分と、放って置こうとする自分がいます。
本当の自分(魂)は助けようとします。
この世だけに存在する自分(エゴ)は、放って置こうとします。
人生のいろいろな局面で、両者のせめぎ合いが起きていて、それが精神的葛藤として自覚されます。
そんな時、守護霊は本当の自分(魂)に囁きかけて、助けるように促していると考えられます。
人生において、とても耐えられないと思うような苦難が起きることがあります。
その苦難からは大きな苦痛が生じ、生きているのがつらくなり、早く楽になりたいという衝動に駆られる時があるかもしれません。
生きるのを放棄したとしても楽にならないばかりか、大きな罪を作ってしまうのを守護霊は知っているので、懸命に思念を送り続け、過った決断をしないように働きかけています。
生きるのがつらい時ほど、魂は大きく成長しているので、どうにかして、この局面を乗り越えさせようと、力付け、励ますような思念を送り続けていると思います。
守護霊も、この世の人を守り導くことで成長が得られるようです。
霊界の同じ界層で共に生活していた類魂(グループソウル)の一人が、守護霊として付くようです。
同じ類魂であれば同調しやすく、思念を伝えやすいので、導くのが容易になると考えられます。
この世の人と守護霊が得た学びと成長は、類魂全体の霊的な財産となり、進化に寄与するようです。
この世を終えた時に、待っていた愛する人と再会し、大きな悦びに包まれます。
そして、これまで守り導いていた守護霊とも対面し、お互いの労をねぎらうことになるでしょう。
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17 件のコメント:
こんばんは。
いつも心打たれるブログ、拝読しております。ありがとうございます。
「目の前で困っている人がいると、助けようとする自分と、放って置こうとする自分がいます。
本当の自分(魂)は助けようとします。
この世だけに存在する自分(エゴ)は、放って置こうとします。 人生のいろいろな局面で、両者のせめぎ合いが起きていて、それが精神的葛藤として自覚されます。
そんな時、守護霊は本当の自分(魂)に囁きかけて、助けるように促していると考えられます。」
これについて質問? のようなものがあります。
例えばですが(時代錯誤な例ですみません)、
A国とB国が争っていたとします。
ある日、A国のaさんが、何かで心から苦しんでいるB国のbさんをみて、どうしても手を差し伸べたくなって、助けたとします。
bさんはそのaさんの気持ちに、心から救われたといいました。
だけれど、aさんは敵国である人を救ったということで、A国の人を裏切ったことになります。
このような場合、aさんはA国に償いをしなければならない。
損得抜きに、bさんを助けたいと思ったaさんは罪になるのでしょうか?
裏切ったことへの償いはどうやったらできるのでしょうか?
変な質問をしてしまって申し訳ありません。
匿名様
初めまして、イクミです。
ブログを読んでいただき、ありがとうございます。
あなたの質問を読んで、昔観た「シンドラーのリスト」という映画を思い出しました。
ご存知かもしれませんが、シンドラーというドイツ人は隠れてたくさんのユダヤ人を救いましたが、国家は裏切っていたことになります。
aさんも国家を裏切ったことになり、見つかればa国の法律により罪を問われることになるでしょう。
しかし、全宇宙を支配する神の摂理(自然法則)により、その罪が問われ、償いをしなければならないことにはなりません。
人の行動に対し、常に問われているのは動機だからです。
人を救ってやりたいと思う気持ちから行動したのであれば、その動機は神の摂理に適ったものであり、罪が問われることはありません。
自分の良心(神)に従っての行動であれば、たとえ社会的に罪は問われたとしても、霊的(神)に罪が問われることにはなりません。
どちらを優先するのかは個人に任されていますが、一人の国民としてよりも、一人の人間として行動した方が、後で後悔しないと思います。
お答えになっているでしょうか?
こんばんは。コメントありがとうございます。
霊的に罪が問われないとのこと、そこは安心しました。
一人の人間として行動するほうが私もよいと思っております。苦しんでいる人がいたら、たとえ自分のおかれた状況がどうであれ手を差し伸べるのが道理だと思っております。
(それでも実行するまでかなり悩むことですが)
ですが現実には、A国の人は「裏切りをした」と怒っています。そしてさらに言うならB国の人も「なぜお前の様なものが」と怒っています。
これらの現実に生きる人への償いは、どうしたらいいのでしょうか。
匿名様
こんばんは。
A国の人は裏切りをしたと怒っているとすれば、人を救うことが裏切りだと思っているのでしょうか。
人を救うことが裏切りだと思うのは、明らかに間違っています。
神の摂理に適ったことをして、誰に、何を償えば良いのでしょうか?
B国の人も、なぜお前のようなものがと言うのであれば、bさんは救われないで苦しんでいた方が良かったと思っているのでしょうか。
たとえ敵国の人間であっても、同胞が助けられたなら感謝すべきであり、そう思わないのであれば人として明らかに間違っています。
間違っている人の意見に、耳を傾けても意味がありません。
救われたと言ってくれたbさんの言葉が全てです。
良心(神)に恥じないことをしたのであれば、償いは生じないと思います。
こんばんは。
おっしゃる通りだと思います。
やはりbさんの言葉がすべてですよね。
私もそう思います。
間違っている人の意見に耳を傾けても意味がないという言葉に救われました。
匿名様
心配なさらないで下さい。
国籍は全く関係なく、同じ人間に対して愛を表現することが何より大切です。
裏切っていけないのは良心(神)です。
B国の人は理不尽なことを言っているのであり、苦しむ必要は全くありません。
bさんの言葉だけを信じれば良いのです。
匿名様
こんばんは。
一言で言うと、信じることから全てが始まるからです。
疑えば、そこで終わりです。
そして、あなたの精神は正常であり、騙す意図や欺く意図が全く感じられなかったからです。
答えになっていなかったら、申し訳ありません。
匿名様
こんにちは。
自分の気持ちに素直になり、正しいことをしたと信じているけれども、自分や相手の家族を裏切っていることになるのではないか、それは罪なことではないかと考えてしまっているのですね。
前にも書きましたが、人のために行った行為は、霊的に咎められることはありません。
この世の人は、社会(この世)的な自分と、霊的な自分の両者が存在しています。
両者のせめぎ合いの中で生きていますが、どちらを優先して行動するかは自由意志に任されています。
あなたは、彼を助けると言う霊的な自分を優先しました。
その結果、社会的な自分は、大変な苦境に立たされていました。
けれども、後で後悔することはありません。
もし、あなたが社会的な自分を優先したとするとしたと、表面上は何も起こらなかったでしょうが、後で後悔が待っていたと思います。
助けるか、目をつむるかの選択を迫られて、助ける方を選んだのです。
自分に正直に行動したのです。
霊的な自分を優先したのですが、あなたは社会的な自分をとても大切にする人だと思います。
そのために罪の意識を感じてしまうのでしょうが、何度も言いますが、過ちを犯してはいません。
匂いを感じたり、想いを感じたり、楽器の音を聞いたりするそうでうが、あなたの精神は正常であり、おかしくなってしまったのではありません。
彼は想いを判ってくれたことに感謝していて、自分のために苦境に立たされているあなたを励ますために、向こうから働きかけているのだと思います。
どうぞ、霊的な自分の感性を信じて下さい。
彼も喜んでくれます。
全てのこの世の行いは、あの世に行って、自分の良心(神)に照らし合わされて評価されます。
その時に、自分に正直に行動して良かったと確信すると思います。
匿名様
ご本人と、1番近いご両親が感謝しているのですね。
身内の方が、追い詰めた、傷つけたと言っているそうですが、明らかに事実誤認をしています。
間違った認識をしている人が言ったことを、気にする必要は全くありません。
それでも気にしてしまうのは、あなたの社会的立場のせいであり、罪の意識があるためだと思います。
どちらか一方しか取れない時がありますが、あなたは正しい方を選んだのです。
壁を乗り越えて、あなたの気持ちを受け止めてくれた彼の気持ちに応えるためにも、もっと自信を持って下さい。
病気の時のような苦しみはもうありません。
慈悲深く、優しい人であれば、とても幸せを感じる境涯に向かうと思いますので、何も心配することはありません。
彼は肉体を失って人の魂が視えるようになり、自分をどう想っているのかはっきりと判っています。
あなたから届く愛念が、とてもうれしいのだと思います。
ただ、これだけ助けてもらったあなたが、どうして思い悩まなければいけないのか、理解できないのだと思います。
いい加減なことを言う、外部の声に惑わされないで欲しいのだと思います。
いつでもあなたと一緒にいたいのだと思います。
自分の想いが届けられていることを、もっと信じてもらいたいのだと思います。
いくら感謝してもし足りない想いを、あなたに伝えたいのだと思います。
匿名様
こんばんは。
彼が癒されていたと言う事実だけで良いのです。
安心させるためにも、思い悩まないで下さい。
最後の5行ですが、彼の想い(メッセージ)と考えて下さい。
またいつでも連絡して下さい。
匿名様
こんばんは。
この記事から離れていることを書かれていても問題はありませんが、気にされるようであればメールでのやり取りでも結構です。
アドレスを教えていただければ、そちらに返信します。
イクミ様、はじめまして。
うずまきと申します。
いつもブログで癒されております。
ありがとうございます。
シルバーバーチ初心者ですが、よろしくお願いしますm(__)m
私は今年の2月に7歳の最愛の娘を亡くしました。
お風呂で、てんかん発作による溺水死でした。
娘や私たちが生まれる前に決めてきたシナリオであれば、まだ気持ちは楽なのですが、どうにも府に落ちません。
というのは、そうなるまでに、色々「お知らせ」があったように思うからです。
例えば、当日、私は普段の生活リズムの悪さから、とても疲れており、一人でお風呂に入りたいと思ってしまいました。
娘があがるのを待つ間に、何度か「一緒に入ろうかな」と思ったり、上の娘に「ママ入ったら?」と促されたにも関わらず、「やっぱり一人で入りたい」と思い、どうでもいいYouTubeを見ながらあがるのを待ってしまいました。
そういった「お知らせ」をちゃんと聞いていれば、娘はきっと死なずに、今でも楽しく過ごせてたんじゃないかと思うと、後悔の念に苛まれてしまいます。
こんなに「お知らせ」があったにも関わらず、我の強さから自分を優先してしまいました。
きっと守護霊たちもヤキモキしてたんじゃないかと思います。
寿命でなく、私が娘を死なせる方向にもっていったような気がしてなりません。
シナリオでなく、私の怠惰が作ってしまった試練、ということはありえますか?
娘はちゃんと死を受け入れているでしょうか?
性格的に、なかなか新しい環境に慣れてないんじゃないかと心配です。
イクミ様、もしよければ、娘のことを感じて頂けないでしょうか??
まだ日が浅いので、眠ってるかもしれませんが。。
私はどのようにして償っていけばいいのでしょうか??
拙い文章で申し訳ありません。
お忙しい中すみません。
よろしくお願いします。
うずまき様
初めまして、イクミです。
ブログを読んでいただき、ありがとうございます。
返信が遅くなり、申し訳ありません。
最愛の娘さんを今年の2月に亡くされたのですね。
身を引き裂かれるようなつらさの中で、生きているとお察しします。
娘さんは、てんかん発作でお風呂の中で溺れてしまったそうですが、幾度となくあった知らせをあなたが無視しなければ死なずに済んだと思っているのですね。
シナリオではなく、自分の我を優先したために、この様な結果を招いたと考え、悔やんでも悔やみきれないのですね。
私は、シルバーバーチの霊訓などの霊的真理を元に、このブログを書いたり、コメントにお答えしています。
霊的真理では、人の死ぬ時期に関しては、およそ決まっていると言われています。
しかし、7年前の地震による津波で数万数千の人が亡くなりましたが、その全てがシナリオによって決められていて、寿命が来ていたとはどうしても考えられません。
偶然ではなく、何らかの因果律が働いて、この世を去ることになったのは間違いありませんが、どの様なことが原因で亡くなったのかは、具体的には誰にも判りません。
個を超えたもっと、大きなものが原因であったと思っていますが、死ぬ原因と時期に関しては、窺い知れぬことが多いと感じています。
お話を聞いて正直なところ、娘さんは死ぬ予定ではなかったので、守護霊があなたにいろいろな方法で、回避するように働きかけていたという可能性を否定出来ないと思いました。
そうであれば、あなたが働きかけに素直に従っていれば、助かっていたことになります。
あなたの自由意思による、怠惰な対応が、この結果を招いてしまったことになります。
もう1つ考えられるのは、娘さんは亡くなることは決まっていて、あなたが今回のような行動を取ることも、実はシナリオとして決まっていたというものです。
お知らせと思われるようなことを、全て無視するのも、予め決まっていたと言うことになります。
シナリオの目的は、この悲しみ苦しみを通して、魂を大きく成長させ、今悔いているご自分の性分を反省し、今生で悔い改めるためではないかと考えられます。
間違えてはいけないのは、あなたのために、娘さんは死んだのではないと言うことです。
神の叡智により、それぞれのシナリオが絶妙に絡み合って生じていると考えられます。
私は後者だと考えています。
どちらにせよ、今、ご自分でいけなかったと感じている性分を悔いて、変えて行くためにある試練と言うことになります。
ただ、シナリオとして決まっていたと考えてしまえば、悔い改める気持ちは少なくなってしまうので、あなたはその様には解釈はしないと思います。
娘さんを死なせて、限りなく不幸にさせてしまったと思っているかもしれませんが、それは大きな誤りです。
今、死を完全に受け入れていて、この世の人は想像もできない素晴らしい環境にいます。
性格的に、新しい環境に慣れてないのではと言うご心配も無用です。
新しい環境に慣れるための神の配慮は完璧です。
仲の良い友達が出来て、地上にいた時よりも楽しく遊んでいるでしょう。
自分に向いていることを好きなだけして、これから個性を伸ばして行くと思います。
娘さんへの償いは不要です。
不幸になど、全然なっていないからです。
娘さんは、この出来事を通して、あなたを大きく成長させて、ご自身がいけないと感じている性分を変える機会を与えてくれたと考えて下さい。
今までの過ちは、あなたの悲しみ、苦しみによって、完全に償われると考えられます。
娘さんの魂に焦点を合わせてみました。
以下のメッセージは、娘さんのものと証明するものはありませんので、あなた自身で真偽を判断されて下さい。
愛する者同士は、決して離れることはありません。
信じて下さい。
「お母さん、何ばかなことを考えているの
生きなきゃだめでしょ
一瞬で、苦しくも何ともなかったの
お母さんは、少しおちょこちょいのところがあるけど大好きだよ
ランドセルが重そうだったので、心配してくれていたね
学校のみんなが遊びに来てくれたのは、うれしかったよ
学校にも時々行っているけど、こっちにも学校があるんだよ
友達もいっぱいいる
行きたいとこに、どこでも行けるよ
お母さんの所へも、直ぐに飛んで行けるよ
お家の中にいても、誰も気付いてくれないのは、少し寂しいよ
いつものお母さんじゃないから、早く戻ってよ
めそめそしないで、少しは笑ってよ
お母さんたちがいないのはちょっと寂しいけど、楽しくみんなと遊んでいるから心配しないでね
遠くに行っちゃったと思わないでよ
どこにも行ってなんかいないんだから」
イクミ様、返信ありがとうございます!
私の拙い文章を瞬時に理解して、的を得た回答をして頂き、とても感謝しております。
私のような場合でも、シナリオの可能性があることにとても心が楽になりました。
娘からのメッセージも、元気に楽しんでくれてることが想像でき、とても安心しました。
本当にありがとうございました!
でも、もう肉体をもった娘に会うことはできません。
そこを乗り越えるのは当分かかりそうだなと覚悟しております。
もう1つ質問ですが、私は他人と比べて特に悪い性質を持っていたということでしょうか?
それとも、直す時期が来た、ということなんでしょうか?
これからの私の生き方で、娘の死を無駄にしないようにしていきたいと思ってます。
シルバーバーチの説く「人のため」を実戦したいのですが、自分のことばかりの私は、大抵がありがた迷惑のずれたことをしてしまいます。
とりあえず身近な人からでいいのでしょうか??
募金もしていきたいと思います。
あの世でまた娘と暮らせるように、日々成長していきたいと思います。
うずまき様
こんにちは。
前にも書きましたように、私はシナリオだと思います。
子供が亡くなると親は、自分が悪かったと、責めてしまいます。
そして、いろいろなことを、何でも自分が悪かったように解釈をしてしまいます。
お知らせも、そうだと思います。
どう見ても偶発的に起きた事故でも、向こうからのメッセージで、予定通りだったので気にしないでと伝えて来ることが多いようです。
娘さんはいなくなってしまったのではなく、向こうの世界で元気に生活しているのですから、あの時こうすれば良かったと、悔やんだり、自分を責めてしまのは、もうやめましょう。
私は霊的真理を受け入れてから十数年経ち、向こうの世界について、ある程度理解しています。
本当に快適で、望むことが何でも出来る世界であり、娘さんに関する心配は一切ないと考えて下さい。
娘さんに、この世のあなたは見られていて、内にある想いは筒抜けだと考えて間違いありません。
娘さんが悲しくなるのは、ご家族が自分がいなくなって涙を流している時です。
そして、つらく感じるのは、自分のせいで死なせてしまったと、あなたが苦しんでいる姿を見ている時です。
少し早かったけれども、この世の寿命が来て娘さんは向こうに行きました。
今は楽しく生活しています。
そして、もう何十年かすれば必ず再会できます。
これは慰めでも何でもありません。
でも、娘さんの姿を見れず、声も聴けず、触れることも出来ないのは、耐え難い現実です。
その現実を受け入れ、たとえ長い時間がかかっても乗り越えて行くことで、あなたやご家族の魂は大きく成長して行きます。
悲しみや、苦しみは、全く不要なものに思えますが、この世の苦難を乗り越えて成長した魂は、次の世界で自分の役割を果たせるようになります。
理解するのが難しいかもしれませんが、次の世界で自分の役割を果たせるようになるために、今の苦しみ、悲しみがあるのです。
ご質問の件ですが、私の言葉の使い方が適切でなく失礼しましたが、あなたが悪い性質を持っていると言うわけでありません。
この世に生まれてくるのは、自分の魂のどこかに未熟さがあるからです。
さまざまな出来事を経験して、未熟さに気付いて、大切なことを学んで行きます。
これ以上ないと思われる今回の出来事から、あなたが学ぶことがないはずがありません。
未熟さ、弱さがあらわになり、そこを改め、強くなって行き、1番大切なことを学んで行くと考えられます。
今回のことがなければ、霊的真理(シルバーバーチの霊訓)の存在すら知ることもなかったでしょう。
人のために何かをする、愛が1番大切であることを、あなたはすでに学び始めています。
人のためにすることはいろいろありますが、まずは身近な人に、優しく親切にすれば良いのではないでしょうか。
人に喜んでもらえることなら、何でも構いません。
これから年月が経ち、娘さんが生きている時より、人の気持ちが判るようになり、優しくなれたのなら、それは成長の証であり、娘さんの死は無駄になっていないことになります。
娘さんは、涙を流しながらも頑張って生き抜いて大きく成長したあなたと、再会することになるでしょう。
また、長々と書いてしまい申し訳ありません。
シルバーバーチの霊訓を読み続けて下さい。
イクミ様、懇切丁寧なご回答ありがとうございました!
とても心が癒されて、涙がこぼれました。
何度も繰り返し読ませてもらってます。
この悲しみ、苦しみは、次の世界で役立てるためなんですね!
その時後悔しないように、耐えていこうと思います。
あと数十年は今の私にとっては果てしなく長く感じます。。
が、残った家族のためにも生き抜いていきます!
娘が命をもって教えてくれたことを無駄にしないように。
シルバーバーチをしっかり勉強しようと思います。
(知ることにも責任があるということで、ちょっと荷が重い気もしますが…。)
また悩んだ時など、コメントさせてもらっていいですか??
本当にありがとうございました!
これからもブログ読ませて頂きますね!
よろしくお願いします。
うずまき様
こんにちは。
返信が遅れて、大変申し訳ありません。
娘さんに会えるのは、果てしなく先のように思えるでしょうが、必ずその時が来ます。
お母さんは頑張って生きて来たよ、こんなにも成長したよと、胸を張って会えるように、あなたらしく精一杯生きて下さい。
でも、今は心を癒す時期ですから、決して無理をしないで下さい。
もちろんです。
いつでも、コメントして下さい。
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