人は何のために生きているのか?死んだ後はどうなるのか?その明確な答えが「シルバーバーチの霊訓」の中にありました。本当の自分とは魂です。この世を生きるたった1つの目的は、魂を成長させるためです。人生で出会う障害や苦難を乗り越えること、人や動物そして社会のために奉仕することで、魂は成長していきます。死んだ後、魂は次の世界に移り、この世を振り返る時が必ず来ます。悔いのない様に、失敗を怖れず、今を大切にして生きましょう。
2016年10月2日日曜日
天国に1番近い場所 ~御巣鷹の尾根に立って~
9月25日は天気が良かったので、一人でドライブに出かけました。
ドライブをしている時は、日常の雑事を忘れて無心になれるので好きです。
自宅から1時間も走れば、とても静かな山深い場所まで行けます。
その日は、ねぎとこんにゃくで有名な下仁田という小さな町を抜けて、日本一高齢化率が高い南牧村を通り過ぎ、さらに峠を1つ越えて上野村に向かいました。
群馬県上野村は、稜線から日が出るのが10時頃で、4時頃には日が沈むような、ぐるっと周囲を山に囲まれた、人口が千数百人の緑豊かな山村です。
ご存じの人も多いと思いますが、上野村は31年前に日航ジャンボ機が墜落した場所です。
この事故で、520名の人が亡くなりました。
31年前、私は歯科学生であり、歯科医の父親に同伴して、ご遺体の身元確認作業を手伝いました。
その時の記憶は、今も鮮明に残っています。
そんないきさつがあり、いつかは御巣鷹の尾根に登ってみたいと思っていました。
御巣鷹の尾根は、上野村の集落がある場所から、十数Km山に入ったところにありますが、思い切って行くことにしました。
事故当時の尾根の様子は凄惨を極め、墜落の衝撃で木々はなぎ倒されて、山肌がむき出しになり、機体が山の斜面に、ばらばらに散乱していました。
そこで、一瞬にして520名の魂(霊)が肉体を失いました。
あまりに突然の出来事で、何が起きたのか判らずに、事故現場に留まっていた魂(霊)も、多かったと思います。
もしかしたら今でも、そんな魂がいるのではないかと、ふと考えてしまいました。
一本道をしばらく走っていると、道は行き止まりになっていて、駐車場がありました。
そこに車を留めて降りると、奥の方に登山道の入り口があるのを見つけました。
入り口には、貸し出し用の杖が何十本も置いてあり、温かな心遣いを感じました。
登山道は階段状に整備されていて、ゴミひとつ落ちていません。
渓流沿いに道が作られていましたが、流れている水は透き通っていて、本当に綺麗でした。
河のせせらぎを聴きながら山道を登って行くと、道端に石碑が目に留まりました。
その一文に「なにか流れが私達にかたりかけ、登山を励ましてくれているような気がしました」と、書かれていましたが、私も同じように感じました。
思っていたよりも急な箇所もあり、年配の人や身体が不自由な人には厳しいと感じました。
年を取られて慰霊登山が難しくなり、代わりに子供や孫に行ってもらう人が多くなってきているようです。
道は途中から急になり、富士登山道のようなつづら折りになりましたが、脇に目をやると木の札が置いてあり、そこに名前が書かれています。
良く見るとそれは墓標で、この場所でご遺体が見つかったのであり、今、墜落現場の上にいることを実感しました。
周囲には背の高い木々が生い茂っていて、事故からの年月の長さを感じました。
そこから少し登って行くと急に視界が開け、周囲の山々が見えました。
広さ20畳ほどが平らに整地され、いくつかのベンチも置いてあります。
右手上を見ると「昇魂の碑」が見えましたので、ようやく目的地に到着です。
あの凄惨な現場を思い出すようなものは、一切見当たりません。
その場所に立ち、恐怖や悲しみを感じさせるものは、全くありませんでした。
ご遺族には、大変失礼な言い方かもしれませんが、ただ清々しさを感じました。
天気も良かったのですが、とても明るい場所だったのです。
山の奥深くにあり、俗世間とは切り離されていますが、入り口からこの尾根まで、何かに清められている感じがしました。
ここは、多く命が絶たれた事故現場と言うよりも、この世の想いとあの世の想いが交わる、聖地のように、私には思えました。
何十年も、この場所で強い想いが交わることにより浄化されて、現世利益を願う人が集う神社仏閣よりも、はるかに神聖な場所のように思いました。
ご遺族の方は、この場所に立ち何を想っているのでしょうか。
「逢いに来たよ」と、声をかけている人が多いようです。
その想いに、亡くなった人の魂は引き付けられないわけがありません。
この場所で亡くなった人の魂と、ご遺族の魂が、触れ合っていると思いました。
聖別された空間なので、亡くなった人の想いを、どこよりも感じることができるのかもしれません。
当然のことながら、事故から数年の間は、この場所には涙が絶えなかったと思います。
あまりの理不尽さに、怒りや悔しさや嘆きをぶつけてしまう人も、たくさんいたと思います。
その日まで元気に生活していた人が、突然いなくなってしまうのですから、当然です。
内に溜まっていた、言葉では言い表せない想いを、涙にして、ここに出しに来る人も多かったでしょう。
想いが清められ、そして鎮められて、心が楽になった人もいたでしょう。
そんな見えない愛の力が、この場所には降り注いでいるような気がしました。
言い尽くせぬ想いを伝えて、そのお返しにあの世からの見えない力(愛)をもらって、元気になって山を下りて行った人もたくさんいるのではないでしょうか。
愛する人は見えないかたちとなり、生きているのですが、この世の人は五感を頼りに生きているので、いなくなってしまったと錯覚してしまいます。
見えなくなったのは事実ですが、いなくなったわけではありません。
事実誤認をしている限り、悲しみや苦しみが変わることはないのかもしれません。
愛情で結ばれていない人が亡くなったとしても、深い悲しみが生じることはありません。
そう考えると、悲しみとは、行き場を失い、かたちを変えた愛なのかもしれません。
悲しみがかたちを変えた愛ならば、見えない人の存在を信じ、愛せるようになったのなら、その分、悲しみが少なくなるのかもしれません。
愛が悲しみに変わるのであれば、悲しみが愛に変わってもおかしくありません。
今は、ご遺族の方々に、かつてのような深い悲しみはないようです。
31年の時が流れが、あの時の記憶や想いを薄れさせただけではないはずです。
引き裂かれた悲しみ、身悶えるような苦しみの日々は、魂を大きく成長させていたのは、間違いありません。
魂の成長と共に、深い悲しみが、高い次元の愛に昇華していったのかもしれないと思いました。
昇魂の碑のすぐそばに、写真や手紙など、ご遺族が持ってこられた品々が収められている小屋がありました。
中に入ると、中学生のバレーボール地区大会で優勝した賞状が置いてありました。
ここに来て、いろいろな嬉しい、楽しい報告をしているようです。
報告を聞いて、亡くなった人はとても喜んでいるでしょう。
そんなうれしい報告をする人が今は多いので、この場所を明るく感じたのかもしれません。
待ちに待った再会を果たした人も、年月と共に増えているようです。
ご遺族にとってここは、愛する人がいる天国に、一番近い場所だと思いました。
参考ページ: 「その一瞬の時のために強く生き抜く」
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2 件のコメント:
涙がでますね。31年という年月を考えると、気が遠くなりそうです。
もう、迎えにきてほしいなと思います。死にたいのではありません。ただ彼の傍にいたいのです。彼に会う唯一の方法だと思うから、死にたいと思うだけ。彼を感じられたら、もう少し頑張れるでしょう。
早く彼に再会したい。
愚痴ですみません。
彼を感じたい。
なんとかして、彼を感じたいです。
おはようございます。
生命は死とは関係なく続いています。
永遠の時の流れの中では、この世の数十年は瞬く間ですと言いたいところですが、地上にいる私たちにとって、とても長い月日です。
長いけれども、ほんとに少しずつですが、確実にその日は近づいています。
とにかく早く逢いたいのですね。
彼の傍にいたいのですね。
もしかしたら、明日お迎えに来るかもしれません。
1年後かもしれません。
この世を生きている目的が魂を成長させるためであり、予め決めていた成長が得られたなら、彼のいる世界に行けます。
魂の成長は、困難を乗り越えること、他者に愛を表現することで得られます。
彼がいないと何事をするのにも気力は湧かないのかもしれませんが、もしかすると、何か人や社会のために奉仕すればするほど、人に優しくすればするほど、その日が早まるのかもしれません。
あなたの愛が続いている限り、彼と逢えるのは確定していますが、あなたがどのように生きて行くかで、逢える時期や、彼からあなたへの最初の言葉も変わって来ると思います。
どのように生きて行くのか、彼は傍でじっと見守っているのですが、あなたには見えません。
あなたが感じられないことを、彼は悔しがっていると思います。
愛はお互いにつながろうとする力です。
障壁を乗り越え、傍にいることを実感できる日がきっと来ると思います。
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