2016年7月7日木曜日

困難を乗り越える力



先週、私が経験した、ささやかな出来事を書きます。

ささやかな出来事であっても、そこから得るものがありました。



今年の始め、私は仕事関連で、ある役を引き受けました。

それは、ある学会で最も重要なセクションの、座長とコメンテーターをすることでした。

経験豊富な先輩に当たる人が固辞したために、私に話が回って来たのです。

頼まれて、深く考えることなく、引く受けてしまったのです。



引き受けた理由は、シルバーバーチの霊訓に書いてある、「乗り越えられない困難は与えられない」という文章を思い出したからでした。

本当にそうなのか、自分で検証してみたかったのです。



そんな役に慣れていれば問題はないのですが、私の経験値は絶対的に不足していました。

途中で挫折してしまうのは容易に想像ができ、周りの人も、どうしてこんな大役を引き受けたのかと心配していました。



元々、人前でしゃべるのは得意ではありませんし、大きな声で話すのも好きではありません。

どちらかと言えば口は重い方であり、自己主張をするのは苦手です。

人前でしゃべるのが得意な人であれば、良い経験になるのでしょうが、私にとっては、苦痛を伴う、大きな挑戦でした。

この年(54歳)になって、失敗して人前で恥をさらすのは、やはり避けたいものです。



その日は、2016年7月2日でした。

引き受けた当時は、半年近く先になるので、現実味がありませんでした。

2月、3月になっても、頭のどこかで意識はしていましたが、まだ先のことなので、心に余裕がありました。

しかし、今年のプログラムが送られて来て、自分の名前が書かれているのを見て、緊張が走りました。

全会員に知れ渡り、もうあと戻りできません。



ゴールデンウィークが明けて、2ヶ月を切った位から、その役が頭の中に占める割合が多くなってきました。

どうしても無理だったら、体調不良とか理由を付けて、適任の人に代わってもらおうという、逃げの気持ちもどこかにありました。

しかし、このブログに「乗り越えられない困難はない」と、断言している私が逃げてしまうのは許されないと思いました。



その役は、若手の歯科医師4名が発表し、それに対して私が質疑応答して、最後にコメントを述べるというものでした。

メイン会場のステージ上に、机が1つ置かれていて、そこに座って全てを取り仕切らなければいけません。

学会のオープニングを飾るものであり、全ての出席者が集まり、2日に渡る学会の成否を占うものであり、もし予定通りに行かなければ、後のプログラムも台無しにしてしまう可能性があります。

何十人もの人が、1年かけて準備してきたものが、私のせいで大きく評価を下げてしまったとしたら、とても耐えられそうにありません。

通常は、小さなセクションで何回か経験をして、徐々に規模の大きなセクションを担当して行き、最も適任と思われた人に、このセクションが任されます。

私は、小さなセクションの経験も1度もありません。

これまで人前で発表する機会はありましたが、せいぜい5,6分であり、話せばそれで終わりでした。

しかし、そのセクションは1時間近くあり、あまりの長さに当惑せずにはいられず、やはり無謀な挑戦に思えました。



1番の心配は、場の雰囲気に飲まれて、緊張のあまりに我を失い、予定通りに行かないことです。

その後、どうなってしまうのか想像もできませんが、人生最大の恥をかくのだけは確かです。

私より、ずっと場慣れしている多くの先輩が固辞したのは、そのリスクを背負っているからだと、遅まきながら気付きました。

今更気付いても、私の名前は公にされているので、もう遅いのです。



6月に入り1ヶ月を切ると、そのことを考える時間が、急に増えてきました。

と言うより、頭はそのことで、徐々に一杯になってきました。



失敗した時のことを考えるのは、良くないと判っていても、どうしても頭の中で想像してしまいます。

魂の未熟さから来るのでしょうが、それをどうしても拭い去れません。

まだまだ精進が足りないのに、もしかしたら見栄で引き受けたために、こんな苦しい思いをしているかと考える時もありました。



とにかく全力を尽くして、乗り切るしかありません。

結果はどうなるのか、全く予測が付きませんが、霊訓には「必ず乗り越えられる」と書いてあるので、その言葉を信じるようにしました。



後悔しないように、出来るだけの努力をして、臨もうと決めました。

なるべく早く、資料を取り寄せ、全体の綿密な原稿作りを始めました。

一任されているので、自由に決められるのですが、初めての経験であり、私のやり方が正しいのかどうかも判りません。

何でも決められるのは、全ての責任が自分にかかってくるのを意味し、何とも言えない重圧も感じました。

私のやり方が正しいのか、失敗したらどうなるのか、考え出すと切りがなく、その度に不安に襲われました。



1日、1日と、確実にその日は迫って来ます。

準備は進めていましたが、当日、どのような心境になるのか想像ができません。

どんなに準備や練習をして臨んでも、当日、緊張や不安や恐怖に心が支配されたならば、精神的に破綻するのは目に見えていて、計画通りに行くはずなどありません。

1時間どころか、5分も耐えられそうにありません。



困難に遭遇した時に、頼りになるのは霊的真理です。

以前も、窮地に陥った時に助けられました。

シルバーバーチの霊訓には、全ての人に、この世の人生を導いている目に見えない、あの世の存在(背後霊)がいると書かれています。

存在感は全くなくても、少なくても一人は付いていて、当然ながら私にもいます。

一人ひとりに、生まれた時から付いている理由は、地上の人を守り導き、この世で予定された魂の向上を果たすためです。



私は、魂の存在を確信していますので、背後霊とのコンタクトは比較的取りやすいと思います。

これまでも、たくさんの助言を受けて来ました。

そこで、こう尋ねてみました。

「うまく行くのでしょうか?」

すると頭の中に湧き出てくる言葉がありました。

それは、「逃げなければ、必ずうまく行く」と言うものでした。



しかし、私にはうまく行くとは、とても思えませんでした。

私は、指導的立場として、自信と余裕を持って受け答えしなければいけません。

その場にいるだけで精一杯であり、そんな余裕など、どこにもないように思えたからです。



そこで、こう祈りました。

「どうぞ、乗り越えさせて下さい」

切実な想いでした。



いくら祈ってみたところで、自分が怠けていたり、努力していなければ、援助を受けることは出来ないと思っています。

何もせずに、ただ助けてもらうのでは、魂の向上につながらないからです。

成功させるように精一杯努力して、はじめて援助を受ける権利があると考えていますので、自分なりに最善を尽くすしかありません。



2週間前位になると、こう思う時がありました。

「逃げなければ、うまく行く」と伝わって来たのに、上手く行かなかったら、どうなるのか?

その言葉は、偽りだったということになります。

背後霊は先を見通せていない、あるいは伝わって来たと思っているのは、私の潜在意識にある願望に過ぎないと言うことになります。

今まで信じてきた背後霊の存在、そして霊的真理の信ぴょう性さえ疑うことにもなりかねません。

そう考えると、今回のことは、とても大きな意味があるように思えました。



1週間前になると、頭の中はその日のことで、一杯になってきました。

食欲も少し落ちてきて、朝早く目が覚めるようになりました。



とにかく、その席で舞い上がり、頭が真っ白になってしまうのだけは、避けなければいけません。

すると、こんな言葉が思い浮かびました。

「頭が真っ白になるのは、この世で作り上げてきた自分(エゴ)である」

この世で作り上げてきた自分(エゴ)が大きなプレッシャーで、お手上げになってしまった時に、頭が真っ白になるのかもしれないと思いました。

真っ白になった後には、それまで隠れていた魂が前面に出てくるので、素直に従えば良いと思いました。



メッセージ以外に、守り導く見えない存在の影響を、感じる時が何回かありました。

私はヒーリングをする時に、霊力の流れを体感しています。

それは、冬の寒い日で、身体が冷え切った時に、熱い風呂に入ると手先がビリビリとしびれるような感覚に近いものです。

目を閉じて、壇上に上がって、スピーチをしている姿を想像すると、未経験で苦手なだけに、どうしても不安になってしまいます。

その不安が徐々に大きくなり、心の大部分を占めて来ると、それを打ち消すように霊力が伝わってくるのを、はっきりと感じました。

その力に全体が包まれていくと、それまで支配していた不安はなくなって行き、心があたたかくなり、うとうととした気分になりました。

向こうから霊力を伝えて、不安を払拭させようとしていると思いました。

そんなことが、何度となくあり、その度に不安は霧消するので、これは私の心情を読み取り、助けてくれていると思い、素直に感謝しました。

よく考えてみると、子供の時に、大きなストレスを感じると、なぜか眠たくなりましたが、もしかしたら、同じことが起きていたのかもしれません。

向こうからの霊力によって、この世の人の心のあり様を変えているのかもしれないと思いました。



日がさらに迫って来て、日に何回かは、「どうぞ乗り越えさせて下さい」と、祈るようになりました。

すると「最初のスピーチさえ上手く行けば、後は楽しめるようになる」と、言葉が沸き上がって来ました。

そんな余裕など、絶対あるはずがないと思いましたが、いつも同じ答えが返ってきました。

信じる者は救われるので、その言葉に従い、何十回も最初のスピーチの練習をしました。



とうとう前日になりました。

明日の準備のために、東京の会場に向かい新幹線に乗りました。

向こうから伝わる霊力により、比較的穏やかに心境でいられたと思いますが、会場が近くなるにつれ、やはり緊張感が高まってきました。

私が失敗して、学会を台無しにしたらと思うと、どうしても緊張してしまいます。

そして、会場に到着しました。



ステージの上に立ってみました。

そこから、客席を見渡すと、その広さに思わず身震いがしました。

全ての聴衆が、私のスピーチに耳を傾けていると考えると、何とも言えない気分になりました。

ぽつんと、白い机が置かれていて、そこに一人座り、1時間しゃべりながら、取り仕切らなければならないのは、未経験の私には、どう考えてみても無理に思えました。

しかし、もう逃げも隠れもできません。

この席に座って、1時間もしゃべらなければならない現実が、明日の朝、確実にやってきます。



一人、座長席に座って、会場を見渡してみました。

助けてくれる人は、誰もいません。

頼る人は、誰もいません。

自分で何とかするしかないのです。

自分を救えるのは、自分しかいません。



現実に追い詰められて、限界まで達した時に、私の心の中で何かが変わりました。

モードが変わった、あるいは開き直ったと表現しても良いのかもしれません。

成功させるしかないと言う強い想いが、心の底から沸き上がってきました。

不安を感じていた自分はどこかに去り、本当の自分(魂)が主導権を握った瞬間だったかもしれません。



宿泊部屋に戻り、また最初のスピーチを復唱しました。

原稿をチェックして、文章を練り直していると、時間はあっという間に過ぎて行き、いつもの寝る時間になりました。

寝ようと思っても、興奮してなかなか眠りに就けませんので、もう1度、起きて原稿を復唱したり、確認することにしました。

夜中の2時半過ぎになり、またベッドに入ると、興奮は和らいでいて、眠りに就くことができました。



目が覚めると、まだ4時半位でした。

ついに、その日がやって来ました。

直ぐ起きて、また最初のスピーチを復唱しました。

その時、失敗した時のことを考えることはなく、何とか乗り越えて行くぞと言う気持ちになっていました。



朝8時過ぎに会場に到着しましたが、しばらくすると参加者でいっぱいになって来ました。

午前9時、ついに学会が始まり、司会者に紹介されて、私のセクションが始まりました。

心の中で、もう1度「どうぞ、乗り越えさせて下さい」と祈りながらステージに上り、席に座りました。

そして、最初のスピーチを始めました。



とても穏やかな心境で、ほぼ完ぺきに近いかたちで、最初のスピーチが終わりました。

予想外の展開に、心の中で驚くとともに、安堵感が広がっていきました。

伝わってきた、「最初のスピーチが上手く行けば、後は大丈夫」という言葉を思い出しながら、次に進むことが出来ました。



その後、1時間に渡り、座長とコメンテーターの役が始まりました。

そこには、驚くほど冷静な自分がいました。

客観的に、自分と会場を見渡していました。

指導者のようだったのかは判りませんが、余裕を持って、話すこともできました。

緊張はほとんど感じず、自分の呼吸を意識したり、ポケットに入っている時計を見ながら、時間調整をする余裕さえありました。

途中で、上手く行くと確信を持つと共に、一生に1度あるかないかの経験を、楽しんでいる様な気分になっていました。

1時間に渡る私のセクションは、ほぼ予定通りに終わり、最後の挨拶をして、ステージから降りました。

私を推薦した人が近寄って来て、良くやったと褒めてもらい、思わずうれしくなりました。



守り導く存在から、乗り越えて行く力の援助なしには、この結末はあり得ません。

心から感謝しています。



これは私の人生の一コマに過ぎませんが、霊的に意味があり、上手く乗り越えたなら、このブログに載せると、自分で約束していました。



知ってもらいたいのは、人は一人ぼっちで生きているのではないと言うことです。

目には見えませんが、導いている存在が、常にそばにいます。

心を静かにして問いかければ、最善の方向に導いてくれる答えを、受け取ることができます。

人生で遭遇する出来事は、目に見えない守り導く存在とともに、乗り越えて行くことができます。



心穏やかにいられたのは、私の精神力が強いからではありません。

守り導く存在との連携が緊密になり、(霊)力を受け取っていたからと考えられます。

霊力により、恐怖心や不安が打ち消されて、穏やかでいられたと思っています。

これは私に起きた特別なことではなく、どんな人にも起きていることです。



困難に遭遇しても、必ず乗り越えられます。

乗り越えられない困難や障害はありません。

強力な味方がいるからです。

目に見えない、守り導く存在が、背後に控えているからです。

もうだめだと諦める前に、「どうぞ、乗り越えさせて下さい」と、祈って下さい。

しばらくすると、不安が和らいできたり、力が漲ってきたり、勇気が出たりするかもしれません。

忘れた頃に、何かの力が働いているのを感じるかもしれません。

それこそが、あの世からの導きであり、援助の力です。

魂を鼓舞する、向こうからの愛の力です



この世の困難を乗り越えていくのは、背後霊との共同作業と思った方が賢明です。

一緒に、力を合わせて困難に立ち向かえると思えば、肩の荷は軽く感じられます。

心に生まれている声は、向こうからの導きの声であり、気のせいだと思い、逃してはいけません。

絶対的に信頼し、心に生まれる声(インスピレーション)に従えば、魂を成長させる結果が、必ず生まれます。



私が、今回の役を引き受けてしまったのは、背後霊との一体化を強化するためであり、向こうからの援助に確信を持つためであり、そして苦しい思いをして自分が成長するためと思っています。

もう1つの目的は、このブログに自分の経験を書いて、読む人に背後霊の存在を知ってもらい、その恩恵に与ってもらうためです。

 日本人は、物事が上手く行くと「おかげさまで」と言います。

「おかげさま」とは背後霊のことを指していて、見えない存在に感謝している言葉だと思います。



この世を生きる目的は、魂を向上させるためです。

困難を乗り越えて魂を向上させるために、守り導く存在が、常にそばに付いています。

これは、映画の世界の話でも、夢物語でもなく、目に見えない真実です。



もし困難な出来事に遭遇したら、自分なりに最善を尽くし、乗り越えさせてもらうように、背後霊に向かって祈ってください。

この世の人を成長させるためにいるので、乗り越えて行く力を、きっともらえるはずです。






































11 件のコメント:

イクミ さんのコメント...

匿名 様

了解しました。
メールアドレスを教えていただいて、直接返信するか、ブログのコメント上に私の回答のみを載せるかのどちらかになりますが、どうされますか?

イクミ さんのコメント...

差し支えなければ、皆さんと同じ様に、ブログのコメント上でお願いしたい思っています。
その理由は、ブログを見ている方の参考になるかもしれないです。
もちろん、強制ではなく、どちらでも結構です。

イクミ さんのコメント...

了解しました。

イクミ さんのコメント...

メールを返信しましたが、アドレスが間違っているせいなのか遅れません。
お手数ですが、もう1度、知らせて下さい。

はなの さんのコメント...

イクミ様

こんにちは。
何時も拝読しておりますがコメントをするのは初めてです。
宜しくお願いします。

私は三年前、盲腸がんが分かり標準治療をして今の所異常なく過ごしています。
五十半ばでの大病で初めて生きるとは?死とは?と考えた時、シルバーバーチの霊訓に出逢いました。
言葉に出来ない大きな物に包まれた安心感を得て
ようやく入口に立てたと思っています。

イクミさんのがんに対するお考えは納得のいくことばかりでブログで読むだけではなくノート書き写し自分の身体に記憶させたいと思うほど心の深い所に届きました。

遅れましたが、この度は重要なお役目が成功して本当におめでとうございます。
又一段成長され魂が悦び輝いていることでしょう。

今回のブログを読ませて頂いて、私も背後霊の言葉かな?と思う事があります。
「これから自分はどうしたら良いのだろう?」とボーッと考えていた時、しっかりとした太い声というよりは響きのような感じで「自分の本当の気持ちを話しなさい」と云うものでした。
長年、意地をはり傲慢だった私に贈られた宝物のメッセージです!

私が一番辛い時にイクミさんのブログで沢山の気付きと希望を頂きました。
微力ですが私も周りの人たちに少しでも愛を伝え魂の成長をしたいと思います。

以前にもコメントしたのですが、届かなくて…
今回は届きますように…

はなの

イクミ さんのコメント...

はなの様

こんにちは。
ブログを読んでいただき、ありがとうございます。

50代半ばで、ガンになり大変な思いをされたのですね。
人生の難局の時に、シルバーバーチの霊訓に出会うことが出来て、本当に良かったと思います。

はなの様のコメントを読んで、とてもうれしく思いました。
私のブログが、ガンの患者さんのお役に立っていたことが判ったからです。
書いていて、本当に良かったです。

ガンを怖がるのではなく、変わらなければならない自分に気付かせるものとして捉えるのは、とても難しいことです。
表面的に見れば、際限なく増殖して行く変異細胞ですが、内面(霊)的には内にある自分の想いが、肉体上に反映されたものであり、この世で生まれ変わるためにガンになると考えています。
もし、はなの様が、内にある想いに気付き、変われたのであれば、ガンになった目的が果たされたはずであり、肉体と共に、魂が健やかになっていると思います。
本来は、敵対するものではないことを、ガンの患者さんにどうしても伝えたいので、ブログに書いてきました。
医学的には根拠のない空論とされてしまいますので、大きな壁を感じています。

はなの様は、ガンによって霊的真理を受け入れ、魂が目覚めていると思いますので、背後霊とのコンタクトは取りやすいと考えられます。
背後霊に全幅の信頼を置いて、伝わってくるメッセージに忠実に従って生きて下さい。

良く判っていらっしゃると思いますが、愛より大切なものは何もありません。
愛を深く知り、そして表現して、魂を成長させるために、私たちはこの世に生まれて来ました。

苦しい時もありますが、それを実行して行くしかありません。
はなの様も、多くの人に真実を伝えて下さい。
それが、私たちにできる、最高の愛の表現です。

コメントいただいて、本当にうれしかったです。
ガンを経験した立場から、シルバーバーチの霊訓に救われた立場から、またいろいろと教えて下さい。

はなの さんのコメント...

イクミ様

ご丁寧にお答え頂きありがとうございます。
又メールアドレスの方にも送って頂きお手数お掛けしました。

もっと早く私の思いとお礼をお伝えしたかったのですが(ITに弱く)…でも届いて本当に嬉しいです。

イクミ様のブログで西洋医学だけでは解決しないことや、がんに対する考え方が変わった方は他に沢山いらっしゃると思います。

私も患者仲間で反応のある方にイクミ様のブログを紹介したりシルバーバーチの霊訓をお貸しする事もありますが、自分が信頼される人にならなければと未熟さを感じますが…そうですね、真理を伝えることは立派な愛の表現なのですね。
考えてみれば以前よりは「人生の目的は魂の成長」とためらいなく言えます。
心を正して一歩ずつ進みたいと思います。

又コメントさせていただく事があると思います。
これからもよろしくお願いいたします。

はなの

juinppm gプラス さんのコメント...

初めまして。いつも貴重な記事をupくださり、ありがとうございます。
私は50代のおっさんです。pcのことはよく分からず、変な名前になっていましたが、勝手にフォローさせていただきました。

文章が苦手なので、自分のことを説明しようとすると長文にってしまい、しかも自分の意図と異なるメッセージを送ってしまいそうなので、勝手ながら今日は書きません。


イクミさんが仰られるように、確かに自分は魂の向上のためにこの世に生まれてきたと思っていますが、なかなか霊性の向上には至らず、それどころか当たり前のことができずに情けない思いをしているところです。

『シルバーバーチの霊訓』が言っていることには殆ど共感できますが、「あなたの理性に照らして、納得できないことを受け容れる必要はない」とか、「私はあなた方より長く生きており、私の知っている範囲であなた方に神の摂理を教えるが、その始まりも終わりも知らない」などという謙虚なところが、とても気に入っています。


イクミ さんのコメント...

juinppm gプラス 様

ブログを読んでいただき、ありがとうございます。

私たちは、例外なく、魂の向上のために生まれてきています。
正しい(神の摂理に適った)道を、力いっぱい歩んで行かなければいけませんが、実際は、過ちを犯したり、全力を尽くすのを惜しんだりしてしまい、思うに任せません。
失敗をしないようにと心がけても、つい失敗してしまいます。
それが、不完全な世界の、ありのままの自分の姿であり、そのことを自覚することによって、あらたな向上につながっていくと考えています。

自分は完全だ、完璧だと思うこと自体、大きな誤りであり、そう考えた時点で向上は止まってしまいます。
juinppm gプラス様 だけでなく、私を含め多くの人が情けない思いをしたり、恥ずかしい思いをしながら、未熟な魂を少しずつ向上させていると思います。

50代になると、ああすれば良かった、こうすれば良かったと、人生を振り返り、反省することがあると思いますが、多くの人は予定されていたシナリオから大きく外れてしまうことは、少ないのではないかと思います。
多少外れたとしても、因果律が働いて苦労をする結果が生じて、きっと軌道修正されていると思います。

過去のページは閉じられていて、どうすることもできませんが、これからどう生きるのかは、いかようにもできます。
人や社会のために何かをするのは、魂の向上に直結しますので、その機会が訪れたなら、迷わず行った方が賢明だと思っています。

シルバーバーチの霊訓は、最高の書籍です。
本屋に度々行き、それ以上のものを10年近く探していますが、どれも足元にも及びません。
霊的真理の深さ、広さは群を抜いています。
霊的真理は私の生きる指針となっていますが、シルバーバーチ(を通して真理を伝えている存在)は、juinppm gプラス様が言われているように、実に謙虚であり、人間としてのこうあるべきという、お手本を見ているような気がします。
魂の向上と謙虚さは不可分の関係にあり、霊訓を読みながら、いつも見習おうと思っています。

何もなければ、あと30年位で向こうの世界に行きます。
死は終わりではなく、新たな生活の始まりであることを知っているだけでも、安心して生きられます。
人生に老後などはなく、新たな生活を始めるための準備期間と考えれば、年を取っても気持ちは暗くなりません。

できるだけ多くの人に、霊的な真実を知ってもらいたいので、実体験を交えて書いてますが、上手くまとまらず、苦労しています。
このブログを読んで、ご意見やご感想などがありましたら、またコメントして下さい。

ありがとうございました。

匿名 さんのコメント...

私は1年前に一人娘を自死で亡くしました。
イクミ様のブログを知り、『シルバーバーチの霊訓』と出会い、私は最愛の娘に再び出逢う為、そしてあちらで娘といられるように魂を向上させるためにこの世があるとわかりました。
最愛の家族を亡くし涙せずに生きてなど行けるはずもなく、そんな事は無理な話だということもわかっています。自分がそうだったから。でもずっと悲しんでいたら娘も泣き続ける事もわかりました。
イクミ様が教えて下さった。
「亡くなっても、悲しい時はある、それは残してきたこの世の愛する人が、悲しんでいるのを感じる時。愛を感じると、うれしくなります。見えなくなっても、実は娘さんは何も変わっていません。愛することも、当然、出来ます。娘さんは、お母さんの愛に悦びを感じます。」

私はすべての方のお気持ちはわかりません、でも、子供を亡くした親の気持ちは少しはわかると思います。悲しくて悲しくて会社の行き帰りの車中では号泣し、泣きながらいつの間にか眠りにつくそんな毎日を過ごして来ました。
それでも生活するために仕事に行き、食事をし、職場では笑っている自分がいて、なんて親なんだろうと思い自分が嫌になりました。何度娘の元へいこうかと考えたかわかりません。でも逝かなくて良かった。そんな事をしていたら娘に二度と逢うことが出来なっかから。

イクミ様に教えて頂きました。
「あの世が真の世界であり、この世はふさわしい人になるための場。」
死は、一時的に私と娘の別れの時を作りましたが、娘とあちらで一緒にいられるために、必要だったと今は思えています。
イクミ様に教えて頂いた事も実践しました。
娘の赤ちゃんの頃の笑顔の写真を見つめ話しかけ微笑みました。
そして悲しむと娘も悲しむと聞き、笑顔で話しかけました。毎日、毎日。
すると自然と涙する日が減っていき、穏やかな日が続きました。
何度となく娘が傍にいるのだろうと思えるような不思議な事もありました。

「目に見えなくても、娘さんを愛することができます。
娘さんは、前と同じように、お母さんのそばで、赤ちゃんの時のような愛を感じたいのです。たとえ、反応がなかったとしても、娘さんの魂は、お母さんの愛で安らぎを得ているでしょう。母子の関係は、死を超越して続いています。」
イクミ様から頂いたこの言葉が私と娘を繋いでくれた、母子の関係は、死を超越して続いてる。

悲しみ、苦しみ、これから困難が待ち構えていると思います。でも、私は何も恐れません。この世で一番辛く悲しい娘との別れを経験してそれ以上のものはここには無いからです。
それよりもあちらへ行った時の娘との時が永遠に続くように、これから人の為、社会の為に生きて魂の向上に努めたいと思います。

そう思えるようになったのは、私に一つの出来事があったからです。
それは、娘の声が聞こえたから。
亡くなってから毎日、毎日「もう一度お母さんと呼んで」と願い続けました。
仏壇に向かい手を合わせて、娘が笑顔でいる姿を思い浮かべ、娘の笑顔の写真を見つめ、私も笑顔になりました。
その時に「お か あ さ ん」と。
それは、か細く、力なく、ゆっくりと、私にはその声は娘のものだとわかりました。声を感じたのではなく、はっきりと聞こえました。嬉しかった。

この世で悩み、苦しむ若い人たちが、自分と同じように薬のせいで、命を絶つことがないように願っている娘の為に、そして私のように悲しむ親御さんの為に私に何ができるのか。その時が機会がきっと来る、イクミ様が教えて下さった。
「その想いを持ち続けていれば、道は自然にひらけてくると思います。娘さんも、向こうからお母さんを、導いてくれると思います。」
その言葉を胸に刻み生きて行きます。娘はいつも私のそばにいる。
『シルバーバーチの霊訓』の教えを導きに。

私が娘とこの世で早く別れた事は悲しいことですが、私は不幸ではありません。
世界で一番かわいいあの子のたった一人の母親になれたのですから、世界で一番
幸せな母親です。娘が待っていてくれています。
再開した時に「それでこそ、私のお母さんよ!」と笑顔で言ってもらえるようにこれから歩んで行きます。最愛の人と繋がれる人が一人でも増えることを願います。
長いコメントで申し訳ありません。

イクミ さんのコメント...

匿名様へ

この世で、一番つらく、悲しい別れを経験された人に、かける言葉を見つけるのは、とても難しいです。
シルバーバーチの霊訓では、自らの意志で生命を絶つのはいけないと、きつく戒めています。
けれども、その時の動機が問われ、全ての自死が同列に扱われることはないとも言っています。
お話をお伺いすると、人や動物にとても優しい、思いやりに溢れた娘さんであり、自己中心的な動機など、どこにも見当たりません。
上司のパワハラにより病気が発症し、薬の強い副作用により、自分ではどうすることも出来ないほど耗弱していたと思われます。
死の責任の所在は娘さんではなく、他にあるのは明らかです。

言うまでもなく、娘さんは向こうの世界で生きています。
この世で、最も安心できる場所は、お父さんとお母さんがいるご家庭です。
娘さんは、お母さんの想いが手に取るように判るため、悲しみに沈んでいれば、悲しくなり、少しうれしそうにしていれば、うれしくなります。
親愛の想いを向ければ、子供の時の様に安心し、そばに寄り添って来るでしょう。
肉体を失っただけで、生前と何も変わっていないのです。
今でも、親子なのです。

目に見えなくても、愛することはできます。
娘さんの本質は魂であり、魂として生きているからです。
そして、お母さんが肉体を失なった時、同じ次元の存在となり、愛おしいその姿をはっきりと見ることができます。
しっかりと、抱きしめ合うことが出来ます。

本当につらい1年だったと思いますが、その真実をお母さんは、ついに手に入れました。
魂に目覚めたのです。
心が穏やかさを取り戻して行く中で、娘さんの存在を意識するようになったと思います。
そして、お母さんが笑顔になった瞬間、たった一言ですが、娘さんからの声を聞くことができました。
つながろうとする両者の想いが、死の壁を、突き破ったのです。

これから、娘さんは向こうの世界から、お母さんを援助してくれるでしょう。
魂の向上する方向へと、導いてくれるでしょう。
娘さんの意志を継いで、人や社会のために生きて、娘さんが誇れるようなお母さんとなって行くと思います。
その機会は、どのような形になるのか判りませんが、最愛の人を亡くした人の悲しみや苦しみが癒やされ、笑顔を取り戻せるような、すばらしい貢献が待っているような気がします。
自分の死が、人や社会のために活かされるほど、娘さんにとってうれしいことはありません。

けれども、まだ1年しか経っていませんので、無理な行動はなさらないで下さい。
今は、シルバーバーチの霊訓を読んで、しっかりと霊的真理を学んで下さい。
その想いさえ抱いていれば、いつの日か向こうからやって来ると思います。
その機会を逃さないで下さい。